日本では今、教育をはじめとして、社会のさまざまな場所・側面にアートを取り入れようとする動きが広がっています。
けれどもその一方で、類まれな才能を持つ人でも、「アート」を生業(なりわい)として生計を立てることは、極めて困難だと言います。
時に○億円もの値段がつくこともありながら、アーティストがアートを売って生計を立てることは、それほど難しいのでしょうか。
自称「食えないアーティスト」として東京藝大に14年も在籍している、「藝を育むまち同好会(藝育会)」事務局長の一ノ瀬健太さんに、編集長・セバスチャン高木が話を聞きました。
アート業界は「無理ゲー」の世界
一ノ瀬健太 こんにちは、藝育会・事務局長の一ノ瀬です。
セバスチャン高木 一ノ瀬さんは「事務局長」なんですか。すごい権力を持っていそうじゃないですか。
一ノ瀬 そうですか? それほど大きな予算があるわけじゃありませんが、こういうお仕事に関しては「ボランティアとしてではない関わり方」というのが重要だなと思っています。
高木 きょうはまさにその点を聞きたいと思っていました。アーティストにとってすごく大きな問題だと思っているんです。日本においてアートで「食っていく」ことって可能なんですか?
一ノ瀬 基本は「無理ゲー」(※クリア不可能なゲームのこと)ですね。
高木 それってすごく大きな問題だと思うんですよ。ここではまずその点を一ノ瀬さんと一緒にぜひ考えたいなと。
その前にまず、一ノ瀬さんについて教えてください。
一ノ瀬 自分は藝大に入って今年で14年目になります。
高木 長過ぎませんか(笑)
一ノ瀬 入学以前に、まず6浪してます。
高木 それまでは何をされていたんですか?
一ノ瀬 地元のラウンドワンとかロイヤルホストでアルバイトしていました。24歳のときに、晴れて藝大の美術学部芸術学科に入学できました。学部生は4年で卒業して、2年の修士課程を経て、今博士課程の8年目です。
高木 8年以上は在籍できないので、もうすぐ退校になるんですよね。
一ノ瀬 そうです。
高木 8年間も何してたんですか(笑)
一ノ瀬 初めは「芸術」の定義について研究していましたね。学部生の時に「芸術の最終定義」というイキった論文を書いたんですが、とにかく「芸術とは何か」を考えまくっていました。最後にたどり着いた結論は、「芸術とは何かを問うのではなく、それがどんな芸術なのかをみんなで話し合って決めよう」というものでした。
高木 「イキった論文」まで書いていたのに、それがいまでは事務局長に。どういう心境の変化があったんですか?
一ノ瀬 そうですね(笑) 藝大では芸術学を学ぶ学生も、学部1、2年生の時には実技を習うんですね。デッサンに始まり、油画、写真、自由創作、日本画と彫刻といったように。それと並行して美術史や哲学、美学を学ぶんです。
芸術学って、やっぱりどこか机上の空論みたいなところがあって、自分にないものへの憧れみたいなことから「実技ってカッコいい!」って僕は思ったんです。で、自分でも創作をするようになり、今では美学や芸術学的なことをやっていると同時に創作もしつつ、アートプロデュースやキュレーターのようなこともしています。3本の槍というかトライデントな活動をしてますね。
高木 カッコいいですね。
一ノ瀬 そうですね、槍も錆びてますが(笑)
高木 そしてあまりとがってもない。
一ノ瀬 基本的に優しいので。「思いやり(槍)」です。
高木 うまい。
大衆に迎合して得た「8,300円」
一ノ瀬 創作系はいろいろとやっているんですが、実は私、「汚いもの」をよく扱うんですよ。モチーフとして。
高木 はい。
一ノ瀬 以前「東京インディペンデント2019」という展覧会が行われて、藝大だけではなく日本全国のすべての表現者、アーティストが藝大に集まるっていう展示があったんですね。なんでも表現していいということだったので、私も絵画作品を持っていったんですが、主催していた先生から「ちょっと来てくれるかな」と。褒められるのかなと思ったんですね(笑)
一ノ瀬 そしたら「ちょっと(展示を)外そうか」と。
高木 (笑)
一ノ瀬 私自身はそれほど過激でもドラスティックな作品だとも思っていなくて、自分よりとがっていると思う作品も陳列されていたんですが、「ごめんね」ということで、出品拒否になりまして。
高木 私も見ましたが、出”陳”拒否に。
一ノ瀬 人間の恥部を見て見ぬ振りすることが一番やばいことだぞ、ということを言いたかったんですけどね。ただ、黒いビニールをかけてなら展示してもいいということだったので、「じゃあ」ということで展示させてもらったんですね。で、会期中のパフォーマンスとして、私がそのビニールにカッターで切れ目を入れて見れるようにしたんです。そしたら、一部の美術クラスター界隈で「やばい作品がある」みたいな話になりました(笑)
高木 ではあの作品が代表作という。
一ノ瀬 はい。あとは、上野公園の中に置かせてもらっている「パンダベンチ」ですね。
高木 あの作品は、いろいろな意味で素晴らしいです。
一ノ瀬 自分はもっととがっていけると思っていたんですが、まあいろいろと試行錯誤するうちに最適解に・・・
高木 たどり着いた感じがありますね。どんなにとがったものも、磨いていけば必ず丸くなるということがよくわかります(笑)。でもそれもまたアートの一つの側面じゃないですか。
一ノ瀬 「何のために芸術をつくるのか」ということを考えたとき、芸術学に「スペシフィシティ(specificity)」という概念があるんですね。
モダニズム以降、批評家のC・グリーンバーグが提唱した考え方で、素材や媒体に固有の性質(絵画ならば平面であることなど)に着目した言説なんですが、パンダベンチも「いかに大衆に愛されるか」というスペシフィシティを追求していくと、あの形になるんですよ。
高木 誰にでも愛されることをテーマにすると、「当たり障り」がまったくなくなるという(笑)。これはぜひ多くの人に座ってみてもらいたいです。一ノ瀬さんはこれからは「パンダアーティスト」のパンダ・デ・ケンタとして生計を立てていくということでいいんですか?
一ノ瀬 いっそその方向で生計を立てようと思って、さらに大衆に「迎合」してみたところ、逆に全然売れない絵ばかりを描いてしまいました。
高木 私も買わされました。
一ノ瀬 大衆に迎合したつもりなんですが、パンダの可愛い絵を描くと逆に売れないということが最近わかってきました。東京・御徒町のパンダ広場で行われた、藝育会主催のイベントに並べたんですが、2日間で8,300円の売上でした。
高木 そのうちの1,000円が私ですね。
一ノ瀬 ありがとうございました(笑)。
高木 ということは、2日間で7,000円ですか。
一ノ瀬 はい、ラウンドワンのバイトの方が稼げましたね。
高木 ここでようやく最初の問題に戻ってくるんですが、日本において「どうやってアートで食っていくのか」ということです。
アーティストの「エリートコース」とは
一ノ瀬 そうですよね。本当に無理ゲーなので、一つの作戦として、「アートで食う」ことを辞めるという方法があるかもしれません。私自身、食えないアーティストとして藝大に14年も在籍していて、死屍累々(ししるいるい)の様子を見てきました。その中で最近感じるのは「結局、続けたもん勝ち」だということですね。
エリートコースとしては、藝大在学中に卒業制作くらいで「ギャラリー」がついて、修士1〜2年で海外留学して、大きな展覧会をして、そこからさらにステップアップして、アートバーゼル(※スイスで毎年行われる世界最大級の現代アートフェア)やニューヨークのフリーズ(同地を代表する最高峰のアートフェア)に少しずつ出せるようなキャリアを積んでいくっていう。これは一般的に言えば、東大法学部を出て官僚になるみたいなエリートコースです。
高木 パンダ・デ・ケンタのコースはそれとは違いますよね。
一ノ瀬 そうですね、でも私は恵まれてる方だと思いますね。まだアート界隈で食べていけているほうなので。本当にギリギリのギリギリで回せているくらいですが。
高木 それも一握りだと。
一ノ瀬 学部生のときにギャラリーから引っ張りだこになって・・・という人は、2、3年に一人、あるいは4年に一人いるかいないかくらいだと思いますね。最近でいえば、友沢こたおさんや井田幸昌さん。
高木 藝大生であれば、彼らのようになりたいと思っている人はやはり多いんですか?
一ノ瀬 藝大生の中にもグラデーションがあります。自分はよく「ガチファイン」(純粋なファインアートを志す人)と言っているんですけど、1年生ではそれを目指す人が結構多いですね。10人に2、3人くらいがファインアートで食べていけたらいいなと考えている感じだと思います。
高木 それ以外の方も、アートに関わっていきたいとは考えているんですよね?
一ノ瀬 学年によりますね。学部1年だと、やっぱり「筆一本で生きていく」という志がすごく高い状態で入っては来るんです。でも卒業間近になると、デザインや建築を学んだ学生だけでなく、油画を専攻する学生たちも、大手広告代理店への就職を希望するようになる人は多いですし、実際にそういう会社でクリエイティブ系の部署に入るというのは珍しくないです。もちろんそれが別に悪いことではありません。
以前は、筆一本で生きていくことを志す「ガチファイン」の人と、就職する人に大別できて、多くが後者を選んでいました。
ですが、最近は「就職しながらアートを続ける」という第3局も増えているんですね。ある程度自分の時間を持てる企業に就職して、土日に自分のアート制作に取り組むというほうが、「人間的な生活」が送れて、家庭も持てる、作品の質も上がるといった感じで、「持続可能」で充実した生活を送るアーティストも少しずつ増えてきてるのかなと思っています。
宴会芸こそ最先端の「アート」
高木 いま「持続可能」という言葉が出ましたけれども、アートの世界でもそうしたことはキーワードになってきていますよね。
一ノ瀬 はい。藝大と小学館との間で結ばれた包括連携協定の中でも「アートと共生社会」についての取り組みが掲げられていましたよね。
高木 そうですね。僕みたいな一般的な会社員にとって、アートってすごく「スペシャル」なものなんですよね。ちょっと背伸びしないと会話に加われないような。でもそれではいけないなと思うようになりました。
包括連携協定の締結式で、日比野学長が
「アートを社会の中に位置づけるということは、誰一人として取り残さない、誰もが排除されない、あなたと私とは違うけれどもあなたのことを認める、という社会を作ることでもあると思う」
とおっしゃっておられて、小学館の相賀社長も
「人と同じでなくてもいい、むしろそれがアートだという、ある意味で『心の逃げ道』でもある」
と話していたんです。僕はそういう見方をしたことがなかったので、非常に興味深く感じました。
一ノ瀬 そうかもしれないですね。藝大というと絵画や彫刻のイメージが強くて、ジャクソン・ポロック(※)のような絵を書いたりとか、とがった表現をしているんだろうなというイメージを持たれがちなんですが、現代アートの最先端では、もはや「友達になることがアートだ」という考え方さえあるんですよね。
最近も「ドクメンタ」というドイツのカッセルで開かれる世界最高峰の国際美術展を視察してきたんですが、本当に日常そのものを「アート」としていて、「共生することがアート」みたいになっていました。「ソーシャル・エンゲージド・アート」(※)の延長ですね。その流れに藝大も乗っていると思いますね。
高木 美術館に行くとか、展覧会に行くという行為が「大規模な発電所」だとすれば、もっと小さな「友だちになる」とか「笑いの渦をつくる」とかそういう「小さな発電所」、つまりスマートグリッドのような電力供給の仕方が、アートの最先端になっていると思いますね。
それをいま藝大の最先端で実践しているのが一ノ瀬さんということでいいですか(笑)
一ノ瀬 まさにそうですね。私の本業は「宴会芸」だと思っていますから。飲み会でかなり重宝されていますので。
高木 芸者さんとか昔の太鼓持ちみたいなポジションにいる、アーティストだと。
一ノ瀬 芸術の定義にもよるとは思いますが、昔は大きな絵画をバーンと描いてそれが「芸術だ!」という流れがあったわけですが、小さな工芸作品として普通の暮らしの中に自然にあって、それがあると穏やかな気持ちになれるというような作品、あるいは、お笑い芸人さんのようにその場を盛り上げるということ自体もその人の「創造性」であって、アートの形だと言えると思うんですよね。
物事を少しでもより良い方向へ持っていく働きや、力。そういうものも「アート」と最近呼ばれてきているのかなと思っています。
高木 そうすると、「最強のアーティスト集団は、吉本興業だ」とも言えますよね。
一ノ瀬 本当にそうだと思います。美術史の流れを見ても、デュシャン(※)の登場によって「物体」ならばなんでもアートになり得るということになったわけですよね。そこからさらに、ヨーゼフ・ボイス(※)らによって「プロジェクト」ならばなんでもアートになり得るということになりました。
そうした流れの延長に「ソーシャル・エンゲージド・アート」もあって、つまり人と人との関係性そのものもアートになり得るということなんですよね。「コミュニティ・デザイン」や「街づくり」も、その流れの中に位置づけることができますし、かつてアートはキャンバスや石をメディウム(媒体)としてきたけれども、現代では「人」をメディウムにしているということだと思います。
そうした視点から見れば、吉本興業の芸人さんたちが地方に言ってイベントを行い、笑いによって人とつながっているというのは、本当にクリエイティブな最先端のアートだと思います。
高木 ビジネスにアート思考が役立つとか、「アートシンキング」だとか言われていますけれども、究極のアートシンキングは「吉本のお笑い」にあると。
一ノ瀬 新しい経験や刺激的な面白い人と絶えずコミュニケーションし、触れ合うことが本来的な意味のアートシンキングであって、これはつまり、飲み会がベストという結論になります(笑)。無礼講こそ、アートシンキングだと私は言いたいです。
高木 巷のアートシンキング言説にまどわされるな、ということで次回はアートの民主化について話を聞いていきたいと思います。
一ノ瀬 よろしくお願いします。