東京23区にありながら、どこか懐かしい下町の風情が感じられる「谷根千(谷中・根津・千駄木エリア)」。今回は散歩コースとしても人気が高い、日暮里(にっぽり)の歴史についてご紹介します。歴史を知ってから訪れると、より一層日暮里を楽しむことができますよ。
日暮里という名前の由来
日暮里という地名の由来は、新開拓地を意味する「新堀 (にいぼり)」だったと言われています。江戸時代には庶民の行楽地として人気が高まり、特に春の桜や秋の紅葉は美しく、日が暮れるのも忘れてしまうほどでした。そこから「ひぐらしの里」と呼ばれるようになり、「日暮里」という字があてられたのだとか。
日暮里と呼ばれるようになったのは江戸時代中期ごろからで、正式に町名となったのは1889(明治22)年のことです。
日暮里の歴史
日暮里はどのような歴史を歩み、今に至るのでしょうか。その流れを追ってみました。
江戸時代
1625年に江戸城の鬼門である上野に寛永寺(かんえいじ)が創建されたこと、また幕府の政策によって神田周辺から寺院が移転してきたことで、日暮里には多くの寺院が建てられました。現在でも多くのお寺が見られるのは、このことが理由です。
寛延(1748-51年)の頃から寺院につつじが植えられ、日暮里は江戸名所のひとつとなりました。この頃は西部に寺院が、東部には農村が広がっており、人々は薬草を摘んだり秋の虫の音を楽しんだりもしたそうです。
特に日暮里・谷中の総鎮守「諏方(すわ)神社」からの眺めは素晴らしく、多くの人が歌や詩に詠んだほどでした。浮世絵にも当時の美しさが描かれています。
明治~昭和時代
日暮里には、久保田藩(秋田藩)佐竹氏の下屋敷跡がありました。しかし明治末期になると荒れはて、1916(大正5)年に買収され、住宅地の開発が進みました。これによって日暮里は都市化していきます。当時、日暮里は粋な住宅地として憧れの場所だったのだそうです。
さらに1923(大正12)年の関東大震災後には土地区画整理が進められ、人口が急増。工場や商店が軒を連ね、特にハギレを専門とする繊維品卸売店が多く見られました。この歴史を受け継ぐのが、現代も多くの人々が集まる問屋街「日暮里繊維街」です。
日暮里歴史散歩おすすめスポット
2008(平成20)年に日暮里・舎人ライナーが開通し、日暮里エリアは大きく変わりました。日々進化を続けながらも、歴史を受け継いでいるのが日暮里の魅力。最後に、日暮里散歩におすすめの歴史を感じるスポットをご紹介します。
羽二重団子
日暮里駅から徒歩約3分の場所にある羽二重(はぶたえ)団子。正岡子規が好んで食べたほか、夏目漱石、泉鏡花、田山花袋など文豪の作品にもこの団子が登場します。
公式サイト:https://habutae.jp/
カヤバ珈琲
日暮里駅から徒歩約10分。大正5年(推定)築の建物で、昭和13年より「カヤバ珈琲店」としてオープンしました。名物はたまごサンド。建物はもちろん、看板や窓ガラスなど細部からも歴史を感じられます。
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老若男女に愛される文化の発信地。東京・谷中「カヤバ珈琲」の進化系たまごサンドのひみつ
公式Instagram:@kayabacoffee
SCAI THE BATHHOUSE
日暮里駅から徒歩約10分。スカイザバスハウスは、一見するとそれとはわからない、現代アートのギャラリーです。それもそのはず、200年もの歴史ある銭湯「柏湯」を改装して使用しています。歴史と現代アートの融合を楽しんでみては?
公式サイト:https://www.scaithebathhouse.com/ja/
参考書籍・サイト
日本大百科全書(ニッポニカ)
日本国語大辞典
日本歴史地名大系
羽二重団子の歴史 | 羽二重団子
日暮里繊維街とは | 日暮里繊維街公式ホームページ