うさぎをモチーフとしてポップなテイストに仕上げながらも、画面全体から昭和のノスタルジックな香りがそこはかとなく感じられる「月兎 home」で第16回藝大アートプラザ大賞にて準大賞を受賞した長谷川雅子さん。独特の作風や個性は、一体どこから来ているのでしょうか。長谷川さんにお話をうかがってきました。
■まずは、準大賞受賞、おめでとうございます。本作「月兎 home」は、宇宙飛行士に扮したうさぎが惑星探査をしているような、不思議な作品でしたね。本作のコンセプトやテーマを教えていただけますか?
長谷川雅子「月兎 home」
実はこのタイトル、ことば遊びなんです。故郷に帰りたがっている月うさぎが家に帰るから「get home」つまり「月兎 home」なんです。私は故郷が福岡なんですが、こんなご時世なので、なかなか地元にも帰れず、そろそろ帰省したいなという気持ちが高まってきた時に、ちょうどこの作品を思いつきました。
■なるほど!ご自身の切実な思いが込められた作品だったのですね。このスペースシャトルは、よく見るとうさぎが主人公なので、燃料タンクがニンジンに置き換わっているんですね?
よく気づいてくださって(笑)。なぜうさぎの宇宙飛行士を絵にしたのかというと、2017年まで私の地元・福岡にあった「宇宙」をテーマにしたスペースワールドというテーマパークが大好きだったからなんです。ちょっとマニアックでしたが、面白い場所でした。うさぎは、博多銘菓として知られている「雪うさぎ」というお菓子から着想しました。マシュマロで白あんを包んだ福岡名物です。その雪うさぎには、福岡の人なら誰でも知っている古くからのCMがあって、そこで流れる曲に、「雪うさぎの赤い目は、お母さんを夢見て泣いたから」という意味の歌詞がつけられているんです。ちなみに、スペースワールドも、イメージキャラクターはうさぎの宇宙飛行士でした。そういった福岡への思いを全部込めて、「月兎 home」を制作しました。
■作品の色使いも独特ですよね。緑の大地から赤い炎が上がっていて、宇宙空間には水色のプラズマみたいなものが走っていて…。思いきった配色なのに、派手すぎるイメージはなく、どちらかといえばレトロで懐かしい雰囲気が醸し出されているのも面白いなと感じます。
これは、絵画の支持体に、おりがみの台紙などでよく入れられている、「チップボール」という種類の灰色のボール紙を使っているからだと思います。これを使うと、ちょっと古い感じが表現できたり、絵の具の彩度が程良く落ちるんですよね。
「月兎 home」(部分拡大)
■絵具は、どんなものを使っていらっしゃいますか?
ターナーの「ジャパネスクカラー」という、アクリルガッシュを主に使っています。和を感じさせながら、ビビッド過ぎない落ち着いた色が揃っているので愛用しています。これをメインに使いつつ、たまに蛍光色を挟んだりして、その際の色のぶつかりなども楽しんでいます。
■つぎに、作風についてお聞きします。審査員の先生方も、長谷川さんの作風から1970年代の雑誌『ガロ』に共通する要素を感じると仰っていました。
私は古い雑誌や図鑑などが凄く好きで、『ガロ』からも影響を受けていると思います。特に戦後しばらく流行した古いカストリ雑誌の表紙画などが大好きで、そこからの影響が一番大きいですね。藝大に入ってから友人に「こういうのが好きそうだよね」とカストリ雑誌について教えてもらったんです。「カストリ雑誌」という名前については知らなかったけれど、自分が好きで収集していたのがカストリ雑誌の表紙だったんだと、あとで気づきました(笑)。
■カストリ雑誌というのは、どんな種類の雑誌なんですか?
戦後の出版自由化を機に多数発行された大衆向け娯楽雑誌です。誌面は安直なエログロ的な内容なんですが、本当に生きるより他に何もすることがないような敗戦直後では、人々に一種の「癒やし」を与えてくれるような娯楽として機能していたのだと思いますね。
■それにしても、なぜこういった古い大衆娯楽雑誌に惹かれたのですか?
実は、私自身も家庭の事情などで、お金に困ったりしていた時期もあって、生活のために毎日働き詰めでバイトをしなくてはならなかったんです。そんな時、バイト先の床屋に置いてあったのが『週刊ポスト』でした。当時、テレビもなくて、多忙な中で私の唯一の娯楽や情報源が週刊ポストだったんですね。ここでしか世の中のことを知るすべがない…といったような感じで、切り抜きを集めるくらい愛読していました。猥雑な内容も多いんですが、一方で、社会に切り込んだ鋭い視点のコラムなどもあって好きでした。そういう経験もあって、カストリ雑誌にはなんとなくシンパシーを感じました。
■今の独特なレトロな作風には、長谷川さんご自身の体験や、人生のエッセンスがルーツとして詰まっていたのですね。
そうですね。バイト時代に週刊ポストが私にとって心の拠り所になっていたり、カストリ雑誌が戦後の大衆のささやかな娯楽になっていたりしたように、私も「共感」や「笑い」を癒やしにつなげられるような作品を制作したいと思っています。母が言っていた貧乏ギャグや、ナンセンスな言葉、掛詞などを作品の中に散りばめたりして、ちょっとくすっと笑ってもらって一時の癒やしになればいいなと思っています。
■そうした長谷川さんならではの考え方が作品の中へ全て投影された作品が、大学時代から取り組まれている連作「週刊森の中」シリーズなのですね?
「週刊森の中 創刊号」(※本展には出品されていません)
そうですね。「週刊森の中」は、修了展(※東京藝術大学 卒業・修了作品展)で30枚1組の組作品として出しました。これまでの私の森の中をさまようような30年の人生を30冊の雑誌に見立てた、というコンセプトです。男女関係、老い、生と死、偏見や暴力、お金に関すること、突然の予期しない危機などをテーマにしています。文字も全部手描きで描いています。
■こうした個々のテーマやことば遊びのネタなどは、普段からアンテナを張って探されているのですか?
こうしたことば遊びは大好きなので、面白いことは常にメモするようにしています。作品に使うために困らないだけのストックは持っています(笑)。結構バカバカしいことを考えるのが好きなので、こうしたネタはわりとポンポンと思い浮かびます。
■また、Instagramにもアップされている最近の作品「猫闘」も面白いですね。
「猫闘」シリーズ(※本展には出品されていません)
これは、春の訪れを喜ぶ三味線の音楽・清元節(きよもとぶし)が書かれている紙の上に、暴力的なイメージをつけています。私は、感情を直接吐き出すことが性格的にできないので、作品の中でもう少しストレートにやってみようかなと思いました。いらだちや暴力的な気持ちから殴り合うイメージを選びました。タイトルの「猫闘」には、ビックリマンチョコのシールで使われているようなホログラムシートを貼っています。
■ところで、長谷川さんが藝大で学んでみたいと思った理由やきっかけについて、教えていただけますか?
藝大の存在は、中学3年生の頃に初めて知りました。母から、平山郁夫先生が学長をやっている(※当時)と聞かされて。どんな学校なんだろうとか、入学の難易度などは全く知らずに、純粋に絵を描くのが好きだからここに行きたい、と思ったことがきっかけでした。でも高校に入って、絵の道をもっと学びたいと思って受験を決意した時、こんなに難しいとは思いもしませんでした。結果として、福岡でバイトを続けながら4浪することになりました。
■では、入学した時点で、同級生の中ではかなりお姉さんみたいな感じでしたか?
それが、そうでもなかったんです。私も自分が一番年齢が上なのだろうなと思って入学したのですが、意外でした。中には12浪したという方もいて、私よりも年齢が上の同級生もパラパラといましたね。大学生活は本当に楽しかったです。
■現在は博士課程まで進んでいらっしゃいますが、今の研究テーマや方向性について教えて頂けますか?
修士を終えて「週刊森の中」を博士試験に提出した時は、今後は不幸を笑いに変えて、笑いから癒やしのようなものを引き出すことをテーマにしたいと考えていました。その流れで「癒やし」について研究し始めたのですが、よく考えたら私は医者にもカウンセラーになれるわけではないので、これは途方も無いのかもしれないなと思い当たりました。そこで、教授にも相談して、今はもっとバカバカしさを笑いに変えるようなイメージで、笑いの中に癒やしを求めていく方向性を探っています。私は考え過ぎると筆が止まる傾向にあるので、最近は、なにか思いついたら手を動かして、まずは形にしてみることを心がけています。そうすることで、なにか新しいものが見えてくるんじゃないかという感覚で、今は制作に向かっています。
■最後に、今後の目標や抱負などを教えてください。
今後は、画家としてやっていきたい気持ちと共に、出版物の表紙を飾るイラストレーターへの憧れもずっとあります。画家とイラストレーターの間ぐらいがいいなと思っていますね。中学校の頃に、小松崎茂さんの絵に感銘を受けて以来、イラストレーターにもずっと憧れを抱き続けているので、私も将来は小松崎茂さんのように、夢のある緻密なイラストを描けるような存在を目指したいです。
●長谷川雅子プロフィール
【プロフィール】
1989 | 年 | 福岡県生まれ |
2016 | 年 | 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業 |
2020 | 年 | 同大学院美術研究科油画技法・材料第1研究室 修士課程修了 |
現在 | 同大学院美術研究科美術専攻油画研究領域油画技法・材料第1研究室 博士後期課程 在籍中 |
【受賞歴】
2016 | 年 | 東京藝術大学 平山郁夫賞 神山財団芸術支援プログラム奨学第3期生 |
2020 | 年 | 東京藝術大学 佐藤一郎賞 |
2022 | 年 | 第16回藝大アートプラザ大賞 準大賞受賞 |
第16回藝大アートプラザ大賞展
会期:2022年1月8日 (土)~2月13日 (日)
営業時間:11:00 – 18:00
休業日:1月11日(火)、17日(月)、24日(月)、25日(火)、2月7日(月)
入場無料、写真撮影OK
取材・文/齋藤久嗣 撮影/五十嵐美弥(※5,6枚目は作家提供)
※掲載した作品は、実店舗における販売となりますので、売り切れの際はご容赦ください。