「境界」を揺さぶりたい。制作と研究のはざまにあるアート アートアワード2025受賞者に聞く【川目七生氏インタビュー】

ライター
森聖加
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第19回「藝大アートプラザ・アートアワード」の準大賞は、川目七生さん(かわめななみ/美術研究科美術専攻 美術解剖学研究室博士課程)のモノタイプ作品「ガスコンロをつけてけすだけのお仕事がしたい」が受賞しました。

一見、かわいらしい作品の制作意図や創作への思い、現在、博士課程で研究する美術解剖学について、川目さんに詳しく聞きました。

川目七生「ガスコンロをつけてけすだけのお仕事がしたい」

かわいらしさ、にシュールを加えて

――準大賞受賞おめでとうございます。作品「ガスコンロをつけてけすだけのお仕事がしたい」の制作コンセプトを教えてください。

川目 作品は朝、アルバイトに出掛けるため、きちんと火の元の確認しようと思った時に、急にイメージが浮かびました。絵としてもインパクトがあって面白そう、と思ったんです。絵は4枚並んでいますが、同じ作業が延々と続いていく感じを出したくて、両端の2枚はあえてフレームからはみ出して見えるようマット紙をカットしました。はじめは「簡単そうな仕事」を表現しようと制作したけれど、ガスコンロに火を点ける行為は本来は調理のため、何か目的を持ってする作業です。それが単に「火を点ける、消すだけ」を繰り返すだけだとしたら、空虚なものだなと思うようにもなりました。

――女の子は、つま先立ちも繰り返していますからね。

川目 絵にはかわいらしさが欲しいと思っているので、制作は「面白い」と思う気持ちから取り掛かります。作品は誰かに自分の思想や思考を伝える手段であり、一見単純そうに見える労働を続ける大変さを伝えたいと思いました。世の中は誰かの単純作業の労働に支えられて成り立っている部分があると思いますが、多くの場合、そういう仕事は低賃金です。私自身も単純作業のバイト経験があるので、その大変さも分かっているつもりです。何か明確なメッセージをこの作品で表現したわけではないのですが、そんなことを考えながら制作しました。

――学部の卒業制作でも、街中の人間模様を切り取った銅版画のイラストとエッセイ集『街角男女備忘録』を発表しています。普段から「観察」は制作における重要な要素のようですね。

川目 はい。現実に見られる事柄をベースにしながら、シュールさを付け加えています。社会の闇みたいなものが少し反映できたら、とも思っています。一方、インスタグラムではファンタジー色のある作品を発表しています。例えば、「熱のある夜には体温計でガラス玉が吹ける」という作品は、私自身、たまにうまく寝つくことができないので夜が好きではない気持ちや、夢と自分の意識とが乖離する、苦手な部分を反映しました。とはいえ、本当に寝るのが嫌いかと言われるとそうでもない。現実と夢が交差する、狭間の部分を描いてみました。あらゆるものの境界を揺さぶることをイメージしながらいつも制作に取り組んでいます。

川目七生「熱のある夜には体温計でガラス玉が吹ける」(画像/本人提供) 熱にうなされ、現実か夢か、その境がぼんやりするなかでの出来事を異図同時法で描く。窓辺に座るのはお地蔵様と女の子。外では夜間鳥人間コンテストが開催され、女の子はお地蔵様とそれを眺めています。

――学部では油画専攻でした。一般的に油画の方が人物を描くと聞くと写実画を思い浮かべてしまうのですが、川目さんは「自分の絵」と呼べるものを、いつ、どんなタイミングで確立されたのですか?

川目 学部3年のときの版画実習が転機です。もともと予備校時代は写実の人物像を描きたいと思っていたけれど、空間がまったく描けなくて。形態や色は描けても、手前、奥の表現がまったくできませんでした。予備校の先生からも出来ないなら無理して続けず、油絵具も合ってないから止めろとも言われました。それで油絵具から離れたんです。学部入学後も受験時の感情を引きずりました。ある日、適当に描いたデフォルメの作品がしっくり表現できると感じられ、現在のゆるい画風になりました。これでも自分の中ではいい形と悪い形があるので、何回も描き直ししているんですよ。

川目七生さん

――版画の奥行きのない、フラットな部分と川目さんの表現が一致したんですね。

川目 版画は勉強して良かったと思います。版画の実習をしていなかったら藝大を退学していたかもしれないくらいに行き詰まりました。美術解剖学の大学院に入ってからも、美術解剖学の現実と理想のギャップが激しすぎて自分で中で抑えきれなくなったことも重なって1年休学し、その時にモノタイプをはじめました。人物の表現方法が決まったのち、合う画材を模索しました。

モノタイプは一点ものの版画です。アクリル板を敷き、板の平らな面にインクをローラーで置いて、描きたい部分を鉛筆やペンでなぞっていきます。なぞったところだけ紙に線が転写されるので、版画だけれど同じものは一点しか刷ることができません。版画はフラットな表現なので、絵の具の物質感が合わない問題も解消されました。

――印刷みたいに表現したい、ということですか?

川目 はい。フラットさ、物質感のなさを表現する方法で、自宅でも制作ができるものを考えたとき、モノタイプにたどり着きました。着色は油性の色鉛筆で描くのが今の自分にしっくりくるのと、版画でありながら1枚限りの制作である「どっちつかず」な部分が、「境界」を揺さぶるという自分自身のテーマにも合っていると思っています。

――自分の表現にたどり着くまで、かなりの試行錯誤があったんですね。

川目 とにかく作品をつくり続けるしかありません。頭だけで考えずに、可能な限りアウトプットするよう心がけて、手を動かしながらコンセプトを考えています。出来上がってからどうしよう?と考えることもあります。できたものに対してどうアプローチしていくか、枚数が増えると自分の考えを客観的に見ることもできますから。

川目七生「ボーダー戦隊カワメンジャー」(画像/本人提供)

私の作品では社会問題を大っぴらに、わかりやすく取り上げているわけではありませんが、ユーモラスな部分を交えながら、社会の歪みのような部分も見てもらえたらといいなと思っています。

2024年の藝祭で発表した「ボーダー戦隊カワメンジャー」の人物は私自身の表れで、私が実際に持っている色のボーダー・シャツを着た自分自身がが戦隊同様に、「お控えなすってのレッド、働き者のブラック、好奇心旺盛ピンク、青が我が道を行くのブルー、部屋着のグレー」とそれぞれの任務(?)を担います。戦隊からは社会での男女の構成比や、社会で演じる役割についての問題提起もあると捉えられるかもしれません。見てくださる方に問題を問いかけながら、自分も同じことを考えていきたいんです。

一人の力でできることは限られるかもしれませんが、自覚的にアプローチして作品や研究につなげていきたいと考えています。

人体の描かれ方の歴史を研究し、美術解剖学をアーティストの血肉に

――博士課程では、美術解剖学研究室に在籍中です。どんなことを研究されているのですか?

川目 一般に美術解剖学は人や動物の体の構造を学び、作品制作に活かしていこうとする学問です。明治期に前身の東京美術学校では森鴎外や久米桂一郎が教壇に立ちました。西洋のアカデミズムに即した人や動物の体の構造論を知り、絵画制作に役に立てることを目的としています。現在では、イラストやサブカルチャー、ゲーム系の分野でも美術解剖学は注目されています。

一方、私は歴史の視点からこの分野を紐解きたいと研究を続けています。美術解剖学の理想は、人体の構造を作品に活かすことはもちろんですが、現代美術の流れを見ると必ずしもその論理が総てに通じる話ではないのではないか、と思えるからです。美術解剖学の理想と現実のギャップが埋まってない状態だと私は考えています。

学部を2021年に卒業して大学院の美術解剖学研究室に入りました。はじめは私が描くデフォルメイラストでも人体の構造を知っていた方が作品に生きると信じて研究や制作に励んでいたのですが、意外と知らなくても描けることに気付きました。美術解剖学が身体の構造や形態を使って作品に活かすだけの学問であるのは味気ないように思えて、むしろ現在まで人体がどのように表現されてきたかに興味を持つようになりました。

人体の見られ方でわかりやすい例として、体型やジェンダー、人種の問題があります。例えば、藝大の授業でも図が利用されている「リシェの美術解剖学」という19~20世紀に活躍したフランスの解剖学者であるポール・リシェが書いたテキストがあるのですが、そこに取り上げられている筋肉や骨格はほぼすべてが男性の像です。女性の身体が取り上げられているのは、性差が出やすい骨盤ぐらいです。これでは、「美術解剖学は男性の身体を基本としている」という刷り込みがされてしまいます。

また、描かれている男性は白人男性です。これは、美術における理想的な人体とされているのは中肉中背の白人男性なのかということや、日本人の体型を作品に反映させる時にはどうすればいいのかといった問題を孕んでいます。もちろん、モデルになる人が少ないため、必然的に資料の数も限られるなどといった理由もあるとは思いますが、そういったことを差し引いても、こういったバイアスがないとは言えないと考えています。

――面白いですね。確かに人体としてパッとイメージするのはダビデ像のような白人男性の肉体ですし、日本では美人画といえば女性です。男性目線のバイアスがあるようです。

川目 テキストを学ぶとき、今私が話したことを教えるだけで受け手もバイアスがあるとわかった上で勉強できますが、指摘をせずに教えると問題が生じます。こういったことを美術解剖学を教える立場にあるものが伝えるべきだと考えており、日々研究しています。今、私自身が描いてる絵と、美術解剖学の研究がつながってるかと問われると微妙なところもありますが、ものの見方の境界を揺さぶる研究を目指す気持ちは、絵の制作とも共通しています。

――美術解剖学での研究と作品づくりは、精神として方向性が同じなんですね。

川目 はい、スピリット的な部分、反骨精神的な気持ちでつながっています。美術解剖学では形態が絵に表れることが求められがちな一方で、美術史や哲学、美術教養基礎では必ずしもそうではなく、制作過程や思考も重視されます。どうした理由か美術解剖学だけが形態表現に寄せられてきたのです。単純化した方がわかりやすいし本も売れるため、主流がそのように動いているのかもしれません。形態の話ももちろん大事ですが、人体の描かれ方の歴史やジェンダーバイアスなどの諸問題を一緒に伝えていくことで、美術解剖学がアーティストとしての血肉になるよう伝えられたらと思います。

――将来は、どのような進路を考えていますか?

川目 アーティストとして活動するよりも、指導者を目指しており、研究を深めるためイギリスへの留学も考えています。将来作家になりたい人に対して、さまざまな知見の広め方があることも伝えていきたいですね。


(Photo by Tomoro Ando / 安藤智郎)

【川目七生】
1997 岩手県生まれ
2017 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻入学
2021 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
現在 東京藝術大学大学院美術研究科美術専攻 美術解剖学研究室博士課程

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