「ART PLAZA TIMES」では、小説家・長者町岬氏による対話企画「近代美術を『もう一度やり直せたら』 日本美術 近代化の蹉跌」をスタートします。長者町氏は東京藝術大学を卒業後、東京国立近代美術館の研究員として数々の展覧会を企画した後、東京都庭園美術館の館長などを歴任し、その後小説家に転身した異色の経歴の持ち主。
タイトルにある「蹉跌(さてつ)」とは、「物事がうまく進まず、しくじること」や「挫折」を意味する言葉で、日本美術には近代化によってもたらされた大きな「蹉跌」があったと、氏は考えています。
第4回では、株式会社ポーラ・オルビスホールディングス代表取締役会長の鈴木鄕史氏と対話します。
戦後になって日本の化粧は、欧米憧憬から解放された
1 化粧品づくりから日本美術を考える
長者町 あらためて鈴木さんとお話しする機会を得て、とても嬉しく思っています。以前から化粧道具というジャンルには関心があったのですが、しかし、いざ対話が実現してみると、私は「化粧とはなにか?」と問いつづけてきたわけでもないので、どこから手をつけたらよいのか迷っています。あわてて化粧の本を何冊か読んだんですが、それらは化粧道具の変遷史や、化粧様式の受容史が中心でした。
鈴木 長者町さんは、絵画、彫刻、工芸、デザインなどと同じように、化粧も美術の一ジャンルだとお考えなのですか?

長者町 そう思っているわけではありません。
私は近代美術のジャンル分けそれ自体が、もはや意味がないと思っているのですが、しかしいざジャンルという土俵(評価の体系)を取り払ってみると、美術とは人間にとってどんな価値があるのかという剝きだしの疑問が前面にでてきてしまい困つています。
そこで美術作品を、人間が自分たちという集団を統合し、維持するためにつくってきた神話や国家や正義といった大きな物語りのなかに嵌め込んで、そこから美術の価値を導きだすという従来の美術史の方法をやめて、むしろ反対に、美術作品がなければ生き抜くことができなかったひとり一人の人間の小さな物語から、美術の価値を創り直してみようと考えたのです。そんな小さな物語のひとつとして、化粧が思い浮かびました。
鈴木 僕は化粧品の会社を経営してきましたが、そこにおいて、会社とお客様との関係をたんなる売り手と買い手ではなく、どうすれば自他合一できるかということをつねに考えてきました。それでいうと、西田幾多郎の思想に教えられるところがありました。西田の「場」であるとか、個人の直感や感性を基にして物事を進めていく考え方です。そうした思想に絡めて、化粧についてもいい話ができるかもしれないなって気がしますけどね。
長者町 話がうまく噛み合うといいのですが。よろしくお願いします。
ところで、西田が「善の研究」を書いたのは、二十世紀初頭でしたね。
鈴木 そうです、一九一一年です。ほぼ同じ時代にアメリカにプラグマティズムっていうのが発生していて、たぶん西田がウィリアム・ジェームズの本をよく読んでいたっていうことがあって、結果的にはそれが元になったといってもいいと思うんですけど、日本の独自の哲学になったという流れが。やっぱりその、直感とか場であるとか、そういうものは世界的な潮流としてそのときに起きてるのかなと。当然、世界的にっていうならば、美術についても、そういう流れがあるんだろうなと思いますし、近代っていうのはそういうことかと思います。
長者町 最終的には、いまおっしゃってくださったような、人間の感性と世界との合一のような奥深いところに入っていきたいんですけど、話の入口としては、平易な題材ではどうでしょう。
鈴木 そうですね、すいません。自分が聞きたいことを先に聞いてしまうタイプなので、申し訳ありません。
長者町 この「対話」を読んでもらう対象としては、一般の人はもちろんですけど、東京藝大の学生さんとか、卒業したけど作品がまだ売れなくて、もがいてる美術作家とかにも読んでもらいたいところがあるので。
それと私自身の関心としましても、ずっと美術館や大学で仕事をしてきたんで、二十世紀とは何かとか、近代とは何かってことに関心はあるんですが、それをストレートにいっても、当方の気持ちが伝わらなかったという失敗があり、それで学術的な言い方を私はいつしか避けるようになってしまいました。そうしないと「また小難しいことをいっている」と敬遠されてしまうんです。
鈴木 専門的すぎるんですかね、ひとことで言えば。
長者町 それで三年くらい前から、小説という形式で書きだしたんです。「アフリカの女」と「台湾航路」を出すことができました。普通の語り口にしないと、なかなか伝わらないなっていう自分なりの葛藤があるんです。それで、日本社会に生きた明治以降の日本人が抱いた現実的な関心事に興味があるんです。
それに美術に関していうと、日本人には弥生時代から海外に学ぶという性根が染み込んじゃってる気がするんですね。移植芸術でずっとやってきた国なので、しょうがないんですけど。でもこのままで、いいんでしょうか? これから先も、学びつづけるだけでいいのかというところが、私なんかいちばん不安なところでして。
そういう意味でいうと、私はポーラの化粧品づくりが、現実に日本の女性と向き合ってきたわけですから、女性たちが納得してくれるような意味での「欧米」模倣じゃないやり方、日本独自のやり方、あるいはうまくいけば日本が世界のスタンダードになっていけるやり方に、日本の化粧品が到達すればいいと期待しているんです。
こういうと右翼のように思われるかもしれないですけど、そんなわけじゃありません。日本のヴァナキュラー(土着的)な視点に立って、日本美術を世界の美術に訴えるものにしていきたいと思っているんです。それを象牙の塔からではなく、実際に現場を踏まえている化粧品づくりから考えてみたいんです。

鈴木 はい。泥臭いとこありますよね。数字で動かなきゃいけないときがあるんで。
長者町 そういう意味で、地に足の着いた日本美術を創りたいというのが、私の希望なんです。
鈴木 そこは難しいと思いますね。
長者町 そうですか。
鈴木 先代はご存じのように、ポーラ伝統文化振興財団あるいはポーラ美術振興財団を含めて、いろんな文化にかかわりのある財団をつくっている意欲的な文化人でしたから、化粧は文化として見ていたとは思うんです。ですけど日本には独特の化粧品のマーケット構造があって。それは、いわゆるスキンケアが中心なんですね。
長者町 そうだそうですね。私もにわか勉強をしました。
鈴木 メーキャップってことになると、やっぱり欧米とか世界的なトレンドとか、あるいはアートとの関わりが出てくるんでしょうけど、われわれが主戦場としているスキンケアっていうのは、もうちょっと生活に密着した感じっていうことがあるので。とくに私の代になると、スキンケアに集中っていうことも。
長者町 余計その傾向がつよくなったんですか。
鈴木 そう。二〇〇八年のリーマンショックのときに、日本の化粧品市場はその影響を受けて、マーケットとして八パーセントほど縮小しているんですね。われわれの業績も五パーセント減収しているんですけど、中身を見ると、やっぱりその減収の要因はメーキャップ品であるとか、あるいはシャンプー、コンディショナーであるとか。スキンケアだけ取りだしてみると、実はリーマンショックの影響、そんなに受けてないんです。
長者町 そうなんですか。
鈴木 それだけ日常的に皆さんが使われてる商品だということは間違いないので、じゃあそこに集中しようということで、二〇〇九年以降、とくにスキンケアに集中したプロモーションをしたんです。それによって、二〇一〇年には増収、増益を取り戻して、二〇一〇年一二月に上場することができたという、そういう流れがあって、それ以降もう十五年くらい経っていますけど、いまだにスキンケアに集中しています。
ここにおいて日本的な文化があるとしたら、それは日本には石鹸で顔を洗う習慣があったということです。日本女性には、外見をつくろうんじゃなくて、中身をきれいにするという、人が見ているところ云々じゃなくて、自分としてきれいにするっていう習慣があります。こういう自己実現的なものとの兼ね合いがあるので、僕はそこが非常に日本的だと思います。
訪問販売の専売をつづけてきたんですけど、僕の代になって訪問販売からいわゆる店舗販売にビジネスモデルの転換をしてきたんです。訪問販売で築いたフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションというのは継続し、お客様に従来のときと同じ担当セールスマンをつけて、本社も含めて顧客管理をして、お客様と長いお付き合いをしていこうっていうのがいまの経営方針です。これはある意味日本的な業態だと僕は思っています。
そこにおいて、うちの化粧品事業は、ビューティーとか、あるいはアートや技術との関係っていうよりは、もうちょっと内面的なことをわれわれは日本的だと称して、ビジネスに活かしてるっていうことがいえると思うんですね。
長者町 なるほど。私はまったくこの業界を知らなかったもので。化粧品っていうと、メーキャップのことだと思い込んでいました。すこしは勉強したんですが、とくにポーラの場合は基礎化粧品によるスキンケアが重要で、そこから発想しないとこれはいけないと、いま考えているところなんです。
そこでポーラ化粧品の社史、『永遠の美を求めて POLA物語』(ポーラ五〇年史編纂委員会)を古本屋のネット販売で買いました。
2 化粧品を訪問販売するときの会話
鈴木 まだ、ありましたか!
長者町 売ってましたよ。それも、静岡の古本屋でした。
鈴木 じゃあ社員が手放した?

長者町 蔵書印が押してあったらお知らせしますね。
冗談はともかく、それをパラパラ見ていたんですが、そこに印象深い写真が載っていました。三二八頁と三二九頁です。きっとご記憶でしょうが、いわゆる訪問販売しているときの写真です。ポーラレディがどちらかのお宅を訪ねて、奥様に商品を説明している情景です。美しい女性たちなんで、モデルさんの演技のようでしたけど、これを見てですね、思ったんです。その場で、どんな会話が交わされていたんだろうかと。それを想像してみたら、面白いんじゃないかと思いました。
彼女たちは、いま会長がおっしゃったことを、もっと普通の言葉で話してるはずです。たとえばこれが戦後すぐだったら、このあいだのハリウッド映画に出ていた、たとえばオードリー・ヘップバーンを引き合いに出して、髪型はショートが流行ですとか、あるいはグレタ・ガルボを例にしてメーキャップを話していたんじゃないでしょうか。
もっとも、そういう西洋人の例を使って、商品を紹介するってこともあったかもしれませんが、この二人の服装から見ると、すでにそんな時代じゃないような感じもします。
鈴木 そうですね、はい。
長者町 そうすると、そういうモデルのような西洋美人のお手本が日本人のなかですこしずつ薄れだしたときに、まさにいま鈴木さんがおっしゃったスキンケアが見直されだしたんでしょうね。ポーラレディはあのシーンで、基礎化粧水をどんなふうに説明したんでしょうか。
鈴木 おっしゃるように、いわゆる西洋から伝播してくる「美」を云々ということではなくて、やっぱりもっと本質的な肌の健康状態について話していたかもしれません。いまではもっとサイエンスなかたちで、もう細胞の表皮の分析にまで来てるんですけど、このときにはそこはないので、お客様の肌を見るということですね。
それと三ヶ月に一回は、つまり季節の変わり目毎――化粧水は三ヶ月でだいたい使い切るわけです――お会いできるので、多分優秀なセールスマンであれば、どっかに肌の状態をメモしておいて、三ヶ月過ぎたときにもう一回訪問させていただいて、「こう改善していますね、じゃあつぎはもっとこうしましょう」という、そういういわゆるカウンセリング販売をしていたんだろうなというのは想像がつきます。
社会的な動向や、ある美の定義に基づいた提案をしているかどうかっていうのはちょっとわからないですけど。ただ結局、こういうフェイス・トゥ・フェイスの担当制だと、自分と似たような人としかお付き合いしていただけないっていうことがあるので、会話が弾んだと思いますね。
長者町 自分と似てるって、どういうことですか?
鈴木 たとえば、ライフスタイル、嗜好性、趣味の共通性です。
長者町 類は友を呼ぶというような関係づくりが重要なんですね。
鈴木 結果的にはそういうお付き合いでしか長続きしないわけです。これはもうすべて同じで、僕は車業界にもいたんですけど、車の販売もそうですね。サーフィンの好きな営業マンはサーフィンの好きな人たちと付き合うように、そういうお付き合いの仕方がまずベースにあって、そうすると、西田幾多郎の話でいうひとつの場ができるわけです。人と人がその場にいて影響し合えるっていう、こういう場をつくれるっていうのが、やっぱり強みだし、逆に合わなかったらもう門前払いになるんですけど。
長者町 そうすると本質はスキンケアであっても、それだけ話していたんじゃダメなんですね。
鈴木 絶対そうです。いまだに担当制を敷いていますけど、やっぱりスキンケアの話だけ、あるいは化粧品の話だけしていてもダメです。
長者町 そこになにが付加価値的に、販売員の方々の会話に加味されていたのかというところがいちばん興味深い部分です。
鈴木 つまり、いろんな人生の悩みとか。そういうものの相談役になってきているっていうのは歴史的にあります。
いまだにあります。このビルの下に象徴的なお店があるように、繁華街にもお店がありますけど、実は住宅街にもある。この住宅街にあるお店が月商六百万円とか七百万円維持できているのは、近隣の奥様の相談場所みたいになっているから、コミュニティの場になっているからですね。
長者町 自分の経験を付け加えて申し訳ないんですが、私は白金にある庭園美術館に勤めていました。在任中、美術展の内覧会やいろんなパーティーのとき、シロガネーゼといわれている奥様方が来て、「うちにエミール・ガレの壺があるんです」と話を振られることがありました。
私が事務官ではないので、そういう話をしてくださったんでしょうけど、「よかったらちょっと見てほしい」ということになると困るので、慎重に話を避けましたが、そういう雰囲気がシロガネーゼにはありました。ポーラレディも、一般的な人生よもやま話で終わらせず、たとえばわが家を改装したんですけど、壁に誰の絵を掛けたらいいでしょうというような相談も受けたのでしょうか。
鈴木 いや、そこまでいくことはまれだったでしょう。ビューティーにかかわるリプレゼンタティヴということではなくて。同じ女性同士として、たとえば子育てとか介護とか、どっちかというとそういう生活と密着した話の方が多いように思います。
長者町 そうですか。私のもくろみが外れました。私はどうしても自分が美術史をやってきた人間なんで、多少は世間の人も美術、とくに絵ですね、絵には関心をもっていると想像していました。化粧品っていうのは、絵画と非常に親和性が高いと思っていたんです。でも、あんまりそことは繋がらないんですか。
鈴木 いま、一万八千人くらいポーラの販売員がいるんですけど、多分そのうちの五パーセントくらいはそういう話もできる人たちだろうとは思います。ですけどやっぱり、逆にいうと、五パーセントしかいないのです。残念ながら。その五パーセントの人たちは、もうしょっちゅうそのグループでポーラ美術館に行き、ミュージアムグッズを買って、いろいろ調べてきたりとか。好きなリトグラフかもしれないけど、ポスターかもしれないけど、なんかお店に貼ってみたりとか、そういうのはあります。
長者町 そうすると西洋美術も含めて、日本の近代美術と化粧品とが、どっかで繋がっていくというような意味での関連性はあまりないのですか。
鈴木 いろいろ考えたんですけど。なかなか難しいですね。
長者町 そうですか。
鈴木 やっぱりスキンケアが中心なので、メイクはどちらかというと二の次みたいな感じになります。たとえば昔のモダン・ボーイ、モダン・ガールの時代のように、西洋を真似た時代や、原宿の文化のように日本が独自にアートを咀嚼した文化もありましたけど。それらはもうほんとうに極端な例であって。少なくとも、われわれが商売の対象としている顧客層には、そういう感覚はないですね。
3 ポーラ美術館の役割
長者町 そうですか。そうすると当事者としての視点からすると、ポーラ美術館はそういうアートと化粧の関連性を念頭に置いてつくられた美術館ではないのですか?
鈴木 ではないですね。もっと現実的にいうと、先代はあれを財団として、ポーラ美術館を単体で黒字にしたいっていうことをおっしゃっていました。やっぱり経営者、事業家ですから。
長者町 あの美術館を単体で黒字に! それはかなり難易度の高い目標ですね。
鈴木 いまの売り上げを五割増しぐらいにしないと黒字にならないんですけど、でもやっぱりそれを目指すっていうところが、たんなる文化施設と違うところだっていうある種の教えですよね。コレクションを見ても、あくまでプライベートコレクションなので。確かにポーラ文化研究所という化粧文化の研究所を先代がつくっていますけど、化粧史とポーラコレクション、鈴木コレクションとの関連っていうのは、ちょっと見えづらい。

長者町 そうですか。ポーラ美術館は個人コレクションを母体にした美術館ですからね。
鈴木 それはそれでいいと、僕は思っています。でも個人コレクションといっても、化粧品会社の二代目として化粧品に携わってきた人間が集めたので、そこにおいて、やはり化粧というものの要素は少ないかもしれないけど、そのビューティーの、もちろん美術史も含めて、ビューティーの変遷っていうのはそこには入ってるわけですよ。
明治、大正期の黒田清輝なんかも日本の女性を描いています。岡田三郎助の洋画もありますけど、やっぱり描いているのは日本の女性ですね。肌質感です。顔はあんまりフィーチャーしてないんで。化粧はどうかっていうのはちょっとわからないですけど、薄化粧だそうです。
長者町 というのは想像つきますね。岡田の「あやめの衣」は、後ろ向きだから顔はよくわかりませんけど。
鈴木 ちょっとこう、横向き。
長者町 そういえばそうですね。ポーラ美術館をお訪ねしたとき、やっぱり女性の視点を意識したコレクションだなって感じがしました。とくに日本女性を描いている絵が印象的でした。藤島武二の描いたチャイナドレスの日本女性なんかも、横顔でも日本女性の美を訴えていることははっきりしてますし。
鈴木 コレクションしたレオナール・フジタの絵も、女性が確かに多いんです。そういう意味では女性が中心。女性作家の絵も最近はたくさん集めているんですけど。後追いですが。現代美術の女性作家さんも、最近よく集めています。先代の段階でも、男性画家であっても、女性を描いてる人が多いかもしれません。ピカソの「海辺の母子像」とか。あれも名作だと思いますけど。確かに女性を描いた絵が多いですね。
長者町 そうですね。ポーラの助成事業で海外派遣された美術家の、たとえばイケムラレイコとか、そういう人の作品が多かったですね。助成事業とコレクション活動とが、うまくリンクしているなという感じがありました。
鈴木 でもこういう時代なんで、女性、女性っていうと逆に問題となることもありますね。
長者町 そこは今日の話の肝のような気もします。
鈴木 企画展ごとに学芸員から相談受けるんです。女性をテーマにした企画展をやりたいっていわれることもあるんですけど、「やめてくれ」といいました。会社として女性、男性って区別してないから、女性だけを集めるってことはやめてくれといってるんです。
長者町 それ、どういう意味で? 女性の観覧者が拒否感を示すんですか。それでいて、女性作家の作品を集めているってことは?
鈴木 そこのバランスが大事だと思っているんです。女性作家っていう言い方は、逆にいうと時代遅れじゃないかなって気がしてます。
長者町 そうですか。世間ではいまだにジェンダー論が隆盛です。東京国立近代美術館でも、ついこの間まで「アンチ・アクション」っていう括りで、女性作家だけを集めて、十人ぐらいですかね、特別展を開催していました。はっきりいえば、いまになってやっとああいう展覧会が企画できたな、ようやくここまで来たなというところです。ポーラ美術館は、ずいぶん先を進んでいるわけですね。
鈴木 先かどうかは別にして、やっぱその、デリケートな問題だと思うし、会社として、実は女性管理職とか女性役員のもともと多い会社なんですね。だから女性が化粧品を考えて、女性が造って、女性が販売して、女性が買ってくれるっていう商売を、九十年以上つづけているんで、そこにおいて、あえて女性、男性っていうことを自らいうことはやめようという感じです。
長者町 それ、日本女性だけを対象にしているんじゃなくて、世界の女性を対象にしているんだとすれば、とても大きいテーマですね。
鈴木 印象派以降の女性作家の絵を、いま世界の美術館がこぞって買っているんで、値段が上がっているんですけど、それをポーラ美術館も買いはじめているんです。この五、六年前からですかね。
長者町 いわゆる現代美術の分野でいいますと、日本はずっと欧米を追っかけてきたわけですけど、ごく最近になって、ちょっとそうでもないような動きも出ているとは思います。でもそれも、あとまた五十年もすれば、結局あのときは欧米の新しい思想に繋がっていたと見えてくるかもしれません。そこまではまだわかりませんけど。
近代日本の美術や文化一般では、欧米芸術を念頭に置かないで考えることは難しいんですけど、もし仮に化粧の分野では、そういう外来美術を念頭に置かなくても、化粧の発展史を考えられとすれば、それはすごいことですね。
どうすごいかといえば、西洋近代の美術というのは、表現する主体の構築とか、あるいは自己同一性の確立といった男性的な価値観が牽引力になって発展してきましたから、化粧品が女性の専有物であるがゆえに、つまり男性の論理にしばられずに発展してきたとすれば、主体とか自己同一性といった価値を棚上げして存在しえてきたという話に繋がっていくように聞こえました。
要するに、化粧品の発展に男性も女性もないという論理は、化粧品が究極的には個人主義にも影響されないという論理に行き着くのではないでしょうか。
鈴木 棚上げとは?
長者町 ペンディングにしてきた、と言い換えてもいいでしょう。
これまでの西洋近代美術では、それを受け入れるにしろ否定するにしろ、ともかく自分というものの存在を信じて、そこに信念をもって制作しつづければ、それで作品は一定の評価を獲得できるというところがあったんです。それを移植した日本でも、当然そうでした。
でも日本の化粧品が、必ずしも近代美術と連動していなかったとすれば、それはとりもなおさず、日本の化粧品が、近代美術の根底にある男性的価値観とどう付き合うかに悩まされずにすんできたという意味です。
いまや時代は、「女性」性にも「男性」性にも偏らず、個人主義でさえもない状況に突入しつつあるということでしょうか?
鈴木 僕はだからこそ、近代に生まれた個人主義を徹底していく時代だと、ますます徹底しなきゃダメだと思っているんです。たとえば、近代の日本に生まれた反芸術的な活動、ハプニングだとか、反芸術っていうものとか、あるいは具体美術協会、あるいは日本のアンフォルメル、あるいはその後のもの派であるとか、こういったものって、世界同時性はあるけども、結構、日本発祥の部分もあると思う。いま、もの派の作品がオークションでずいぶん高くなったりとか。
フランソワ・ピノーがコレクションした現代美術をパリで見てきたんですけど、去年の十月だったかな、そこでもの派に焦点を当てた展覧会やっていたんです。やっぱり欧米人が見る日本美術ってのは、戦後美術のなかに非常に面白いものがあって、それが具体だったり、もの派だったりってことだとすると、これは徹底した個人主義だと思いますね。
長者町 どういう点でですか?
鈴木 なぜならば、具体美術協会は吉原治良が主催して、リーダーでしたが、でもその後のアンフォルメルとかもの派には、それほどグループとしての結束はなかった。やっぱり個人としての活動が主だったっていうことからすると。日本はもっともっと徹底して、いま個人主義で進んでいった方がいいと。
長者町 化粧品にも同じことがいえますか?
鈴木 ビジネスの世界でもそうであったと思っているんです。だからうちの社員教育では、結構僕は長くやっているんですけど、もう徹底して個人の個性をだしてほしいっていう言い方をしています。だからアカデミズムとか定数教育とか、そういったいわゆる昔ながらの制度、仕組みを捨てきれてないっていうところに日本の閉塞感があります。それは資本主義社会でも美術の世界でも、どこででもかもしれないですね。
4 集団から孤立した個人ではなく、社会的に形成された個人
長者町 いまおっしゃった個人主義をもっと徹底すべきだという部分ですが、これは近代、とくに近代西洋の価値観だと思うんです。それをもっと、日本も深めていくべきだということですか?
鈴木 すこし視点を変えてみてください。
もともと日本には、独自な個人主義があったはずだと思ったりしています。たとえば遊び心のいいものっていうのは、やっぱりある種日本人の不真面目さみたいなのとか、言葉遊びをするということか、あるいはちょっと飛躍すれば、五感のなかでもとくにその雑音を音楽あるいは詩のように聞きとる左脳の言語能力、言語処理するっていわれているらしいですけど、なんかそういうことっていうのが、徹底した個人主義だと僕は思いますけど。
長者町 絵空事の世界で自分を解放する能力ということでしょうか。
鈴木 冒頭でお話しした西田幾多郎でいうと、自他合一っていう言葉がありますけど、つまりポーラと消費者が、売る、買うの関係ではなくなるんですよ。完全な自他合一がここに生まれてはじめて、ポーラの目指している販売が成立するんです。
たとえばアートの見方って、なんかいろんなマニュアル本が出てて、ビジネスマンの美意識とかアートシンキングとかやっているからそういうものも出てるみたいですけど、見方なんてないわけですよ。感じ方はあるかもしれないですけど、なんかそういうニュアンスを日本人はもともともっていると思うんです。
なんとかみたいだとか、なんとかもどきだとか、擬態とかですよね、なんかそういう感覚、たとえば見立てとか、そういう感覚が日本語にあるんであれば、それをもっと活用した方が強みとして生きると思うんですね。

長者町 個人主義を日本人の目で見直すということですね。
鈴木 うちのマネジメント、いわゆる人材教育のマネジメント教育のなかにア・パーソン・センタード・マネジメントっていうのがあって、それを僕は二時間かけて社員に話しているんです。もう徹底して個人でいいんだと。
たとえば入社式のときに、今日から社会人だから、自分の周りに上司がいて、その先に取引先がいて、その先にお客さんがいるみたいな、こういう思考をもたないでくれというんです。あなたの周りには家族がいて、親戚がいて、地域の誰かがいて、友達がいてって、こういう思考のまま入ってきてくれて、あなたがたの二十数年間の人生を大事にしてほしいっていう言い方をしているんです。
もっと自由奔放に、自分の感じるままに物事を考え、見てほしいと。うちにはいま約四千人社員がいますけど、四千通りの考え方があっていいんだと。四千人もいたら、もしかしたら十年、二十年先、その四千分の一の考え方が正解かもしれないじゃないですか。
長者町 なるほど。
鈴木 それをやろうとしたら、組織はフラットになります。だから徹底して専門性を身につけてほしいといってます。ジェネラリストじゃなくて、あの人は何ができる人かって相手から思われてほしいですから。
それと、個人主義かどうかは別にして、日本らしさってものをどう捉えるかってことだと思うんです。日本らしさって、無名性にたいしてそれをリスペクトできるってことかもしれない。そういうことからすると、西洋から来た美術っていうものが、分類セグメンテーションをしたことがまず失敗だったと思うんですよね。
アカデミズムの世界に浸っちゃうと、ピカソの展覧会だから見に行くとか、フェルメールが来たから三時間並ばなきゃみたいなことになるんでしょうけど、もっと各人が好きなものとか気になるものとか、あるいは醜いけど美しく感じるものとか、なんかそういう、弁証法的なものも受け入れるんじゃないかなと思うんですよね、人間の感覚って。そうすると、世界は変わってきますよね、きっとね。
5 美は権威である
長者町 個人主義というものを、いわゆる西洋流の解釈じゃなくて、日本人が独自に解釈し直した方がいいんだというお考えには共感できるところもあります。
ただそのとき、どういう風に解釈し直したらいいのか、そこがよく見えなくて、多くの人は悩んでいるんだろうと私は思っています。それを探すことが、近代日本美術をやり直す手がかりになるだろうと感じています。
鈴木 それはその通りだと思います。僕もだから個人の感性を大事にしてくれって説明するときには、あえてカントの感性、個性、理性の話をしたりするわけです。カントが感性から始まるっていうんだったら、ここにおいて日本も外国もなくて、人間は本来感性を重視しているんだっていう話をすると、少しはわかってもらえるみたいです。だから、感じるってことですよね。
長者町 その話はそこだけ聞くとよくわかるような気もします。ですが、全体としてどう捉えているかっていうあたりがちょっと悩みの種です。
鈴木 その場合の全体っていうのはどういう?
長者町 たとえばひとり一人の感性っていうのは当然あるんでしょうけども。でも日本人とか東京人とか、「集団の感性」もやっぱりあるでしょう。それからそういう集団が、対欧米とか、いまだったら対アメリカですね、ああいう集団の人たちと、現実に対立したときにね、感性というものをどういう風に自分たちは捉えていけばいいのか。そういう個を超えた異なる国や民族の感性との衝突を、「全体」と呼んだのです。
だから一個人という言い方がありますが、一個の自由に生きている人間としては、私はこれが好きだとか嫌いだとか、それはもちろん私にだってあるわけです。誰にだってあると思うんですが、それと同時に、感性から派生する価値のひとつとして、さっき「美しさ」という言葉を使われましたが、化粧品なんかでも、それを使っている人を見てきれいだなとかいいますが、そういう美に伴う価値ですね。これってほんとうに感性だけが決めているものなのかなという懸念があるんです。そこが難しいところです。つまり社会的に決まってくる「美しさ」があります。
そういう社会的な美しさは、自然発生的につくられるわけではありません。たとえば文部省推薦のような美術教育にもとづく美もあります。社会ってのはどうしたって序列構造になっていますから、あの有名人がああいう化粧しているんだったら、あれはきっと美しいにちがいないとか、それについ憧れてしまうというレベルもある。いろんな意味で、幾重にも美の権威構造が絡まっているような気がするんですね。
鈴木 いやいや、おっしゃる通りですね。
長者町 ですから美を考えるときは、自分がどんな集団に属している何者かっていうことを認識しないといけないと思うんです。
6 ペルソナ――想定される望ましい顧客像
鈴木 なぜ私どもがア・パーソン・センタード・マネジメント(A-Person-Centered Management)といって、ヒューマン・セントリック・マネジメント(Human-Centric Management)といわないかっていうと、人間をパーソンとしてみた場合、そこにはペルソナがあるんですよ。社会性のある個人です。
長者町 すいません、もういちどその言葉を教えてください。私の領域では聞かない言葉なんで。どういう意味ですか?
鈴木 ア・パーソン・センタード・マネジメントって、これ、ある意味で、会社においても個人を活かすマネジメントをしたいっていうことです。別の会社では、ヒューマン・セントリック・マネジメントという考え方もあるようですが。なぜヒューマンじゃなくて、われわれはア・パーソンなのかっていうと、社会と対峙して生きている人間はペルソナ(仮面)を被ってる。それを被っている人間のままでいいんだっていうことです。
どういうことかっていうと、パーソンは社会的人格で、ヒューマンはもっと動物的、生物的な人類です。われわれがパーソンを選ぶのは、社員や顧客に、社会のなかで生きる自分っていうものを前提にして個性を出してくれることを望むからです。そういう個性を生かして社会に貢献し、社会を明るくしたいからです。
長者町 パーソンは、ホモ・サピエンスを総称する一般的な言葉ではなく、社会や集団のなかで規定されている部分がたくさんある個々人のことを指しているわけですね。
鈴木 当たり前っていえば当たり前なんですが、ここでいうパーソンは集合的な意識だったり、集合的な無意識にも規定されています。よくいうのは、昔はペットボトルに入ってたウーロン茶があったけど、まさかペットボトルに入った緑茶が生まれるとは思っていなかった。だけど、いまでは当たり前になっています。こういう、再帰的な近代化が、時間を経るとありえるのです。
自ずとしかるべくっていう、自然的なイノベーションを起こしてほしいと願ってます。五年、十年先にはそうなっているイノベーションを、われわれは起こしているのです。いまとなっては訪問販売じゃなくて店舗や百貨店で売っているポーラ・ブランドですが、二十五年前にこれを決断しないかぎり、そうはならなかった、当時は大反対でした。極端にいうと僕ひとりだけでそれをやろうとしていた。個人の内発的な動機を大事にして、五年、十年先に当たり前になるようなものを、経営の変革にしていきたい。
長者町 いまのお話で少し見えてきたんですが、ア・パーソン・センタード・マネジメントとヒューマン・セントリック・マネジメントの違いというのは、要するに社会化されてる存在としての人間に焦点を当てて化粧品を開発するか否かということなんでしょうね。
これをもうちょっと具体的に理解したいんですが、二十五年前に訪問販売から店舗販売にシフトしたとき、期待される顧客像(ペルソナ)とは、どのように社会化された女性たちでしたか?
鈴木 このまま訪問販売をやっていたら、会社は潰れると思っていました。僕が社長になる前は、訪問販売が未来永劫つづくと思われていました。
たとえば、テレビを見てお茶をしているときに、ピンポンと鳴って化粧品を販売する人が来たら、皆さんの奥さんはそれを喜んで受け入れますか、受け入れないですよねっていうことです。あるいは女性も働きに行っていて家に誰もいないと、玄関チャイムを押しても誰も出てこないということになりますよね。
長者町 いまの例でいうと、訪問される側の女性がですね、「顧客対象像としては、もはや昔の女性ではない」という意味での、社会化された女性(パーソン)になってきているということですね。
鈴木 そういうことになりますね。ライフスタイルが変わってきているのですから。ポーラでは正規の販売方法を取っていますが、たとえば住宅のリフォームであるとか、あるいは健康食品であるとか、あるいは白アリの駆除であるとか、いろんな訪問販売ってものが当時もうすでに問題になってきていたんです。
消費者庁にもいろんなクレームがあって、われわれもそれにたいして業界として対処しなきゃいけないっていうことになったんです。いずれ訪問販売はなくなると思いました。
長者町 生活様式が変わったパーソンとしての女性という点でいうと、その女性たちは、共働きをしたり、家事を圧縮して自由な時間を楽しむことができるようになり、テレビを見るゆとりができた人たちになったということと同時に、ここがいちばん知りたいところですが、彼女たちは化粧品については、どんな新しいパーソンに、時代のなかで変貌していったんでしょうか。
7 新しい女性像
鈴木 そう言われますとあれですけど、彼女たちは、少なくとも訪問販売で来る販売員を待つのではなく、百貨店や、銀座にはもうすでに自前の店舗がありましたから、そこに行ってプロの美容師と話をした方が、間違いなく自分にとって有益な情報が得られると思っていたはずです。
長者町 そのときには、彼女たちの基礎化粧品にたいする考え方も変わってきていたんですか?
鈴木 あまり変わってなかったと思います。やっぱり基礎化粧品が重要だと思っていたでしょう。でも、決定的に変わったのは、人に教えられるんじゃなくて、自分で選びたいっていう気持ちが高まったことでしょう。
長者町 さっきおっしゃっていましたが、戦後もだいぶ経つと新しい美の典型が出てきますね、健康美とか。そういうものを女性たちが自発的にいだきはじめたという意味で社会化していったといいますか、変わっていったんですか?
鈴木 まことスキンケアにおいては、昔から石鹸泡で洗顔するというのは、欧米ではなくてアジアあるいは日本の特徴ですよね。

長者町 そうなんですか。欧米はどうやって洗顔するんですか?
鈴木 欧米はもう、メーキャップをクレンジングで落として、それでおしまいみたいな感じです。洗顔だってしないんです。石鹸で体を洗うとかっていうこと、あんまり欧米の人たちにはなくて、日本人はとくに石鹸で洗います。顔も専用の石鹸で洗うっていうのは、これは生活習慣として根付いている。だから日本女性には、肌をきれいにしようっていうのは、もう歴史的にあるんです。
長者町 なるほど。それで戦後の、たとえば昭和四十年、五十年ぐらいになって、社会化して女性たちも変わりつつあるなって実感はありましたか?
鈴木 僕も七十歳を過ぎていますけど、そんなに戦後のことは知りません。ですけど、たとえばもともとは男性だけのセールスマンだったんです。
長者町 「POLA物語」にそう書いてありましたね。
鈴木 そこに女性が入ってきたんです。戦後の女性たちに仕事を提供できるって、こういう社会的な意味がでてきました。
そのときにメイクをもっていったけど、やっぱりカウンセリングできるのは、スキンケアでした。やっぱりそのときから、既にスキンケアの売り上げの高い会社だったということはあります。それがもともと日本人のもっていた肌をきれいにする意識に、どの程度貢献できたかはわからないですけど。
長者町 とくに女性が自発的にそう思うようになったのは、高度経済成長の後ですか?
鈴木 女性の就業率が上がっていくのと、ほぼ比例していますよね。われわれは化粧文化の研究所を設置して化粧品を研究しているんですけど、アンケート調査で美容意識の変化も捉えています。「メーキャップしてる自分が自分ですか?」、それとも「素顔の自分が自分ですか?」と質問すると、多くは、「メーキャップしている自分が自分です」という答えが返ってきます。つまり、社会的につくろった言葉かもしれないですけど、きれいにして人と対面できるような、ある種のマネジメントとして自分をつくっているんです。まさにペルソナですよね。
長者町 それが日本の化粧の流れであると同時に、そこにはポーラがだいぶコミットしてきたんでしょうね。
鈴木 それはもう間違いないと思います。
8 化粧の本質は理念や様式ではなく、技術研究である
長者町 面白いな。美術なんかですと、どうしたって理念とか様式が前面に立つんですね。
鈴木 確かに。
長者町 もちろん時代とともにその様式も理念も変わりますが。でもそれらに縛られずに基礎研究に徹して、別の言い方をすれば「技術」で化粧が成立しているというのは面白いです。日本の近代文化のなかで、化粧は特異な存在です。西洋から輸入した様式や理念ではなく、基礎技術の研究が人間の内面つくってきたということになりますから。そこまで化粧品を通して言い切れるとすれば、これはかなり衝撃的な話です。
鈴木 ちょっと僕言い忘れたんですけど。それを言ってくださり、ありがとうございます。まさに「技術」なんですよ。研究技術の差別化が一番現れるのは。メイクでもない、フレグランスでもなくて、スキンケアなんですよ。明らかな差別化戦略ができるっていうところに集中してきました。
9 日本の化粧品をアジアで販売する
長者町 それは痛快ですね。その延長上で関心をもったんですけど、現在ではアジア戦略といいますか、海外戦略を販売の大きな柱にされていますね。ポーラが美を生み出すために築いてきた価値を海外に発信する意図はどこにあるのでしょうか?
ポーラが基礎化粧品を発展させてきたということでいえば、それを海外、とくにアジアにもっていく意義ですね、それはどういう風に位置づけているんですか。
鈴木 やっぱり、「内面の美しさはスキンケアから」っていうコンセプトです。われわれとしては中国の売上構成が高いんですけど。中国の人に受けているのは、実はさっき申し上げた洗顔のウォッシュっていう石鹸、これがもう代表格です。
ヨーロッパではそういう動きはなくて、相変わらずクレンジングでベタベタしたまんまなんですけど、アメリカはさすがにある意味進んでいるというか。メーキャップをクレンジングで落とすだけじゃなくて、肌をきれいにしようという動きがすでにあって。クリーンビューティーっていう名前で、われわれが得意としているスキンケアのマーケットが広がりつつあります。「内面をきれいにする!」です。
長者町 そういうふうに戦略を立てているとすれば、アメリカでもアジアでも、そんなに摩擦が起きないように思います。たとえば、日本車だったらそうはいかないでしょう。車の大きさ、最高スピードなど、価値観の違いでぶつかり合いがでてくるでしょうが、スキンケアならそうはならないでしょうからね。
鈴木 そうですね、抵抗はないですね。ただ、まだまだ市場は小さいです。われわれは、基礎化粧品を文化のひとつとして根づかせる戦略を考えないといけないってことです。
長者町 戦略が不可欠ですね。戦前の日本美術は、ヨーロッパから油絵が入ってきて、それを日本は、東京美術学校を媒介にして満州、朝鮮、台湾などに二次的に輸出していったわけです。それにたいして植民地の画家たちは、それをよしとする人もいたでしょうけど、一般的には、大日本帝国が文化侵略してきたと認識し、反発もかなり出ているんです。
そこで、化粧品の場合はどういう戦略で、あるいは交渉の仕方で、海外に日本のなにを伝えようとしているのかというところが、重要な部分だと思います。
鈴木 おっしゃる通りです。だから売り方においても、さっきいったフェイス・トゥ・フェイスとか。自他合一の考え方がどこまで通用するかっていうことですよね。
長者町 その、自他合一っていうのは、日本人はなんとなくわかるんですが、異国の人が日本にやってきて、自他合一というのは難しいようにも感じますが……。
鈴木 実はオフィスの近くに旅館ができたんですけど、一泊三十万円のインバウンド向けです。すごいんですよ。なぜホテルじゃなくて旅館かといったら、もてなしなんですよね。
これはもう完全な自他合一ですね。お客さんともてなす側が、関係を超えていくってことですよね。ホスピタリティじゃなくて、もてなしなんですよ。ホスピタリティってのはマニュアルで規定できるでしょうけど、もてなしっていうのはもうほんとうに一期一会で、今日来た人はどういう人なのかを察知して、その人がしたいことを先回りして差し上げるみたいな感じですよね。
こういうことがたぶん日本の特徴で、それを欧米の人たちはもうわかってきていると思うんですよ。日本の車にしても電化製品にしても、ちょっと機能が多すぎるオーバー・クオリティっていうのはあるかもしれないですけど、やっぱりお客さんが考えている以上のことを提供しようという気持ちがああなっていくわけで、それができるかどうかだと思っています。
長者町 ポーラが海外に行くときも、自他合一方式ですか。
鈴木 行く場合も。たとえばアメリカでいったら和食のレストランとか寿司屋なんかで成功しているのは、あれは徹底的に日本式にしているからですね。日本人がやってる寿司屋にみんな行きたがりますもんね。
長者町 そうすると、ポーラが外国に行くときは訪問販売ですか、それとも店頭販売ですか?
鈴木 できたらお店で。それも棚じゃなくて、ワンブランドショップをつくりたいです。
長者町 そういうところに、北京とか上海のお客さんが来てくれるといいですね。
鈴木 中国ではすでに百貨店も、ワンブランドショップもやっています。
長者町 アジアのお客さんが、さっきおっしゃっていた日本人の「もてなし」の気持ちを理解して来てくれるというのが理想的なかたちなんでしょうね。
鈴木 残念ながら店頭でそういう人的サービスっていうのは、ちょっとやりきれてないんですけど。中国の方々が私どもの商品のどこに関心をもっているかっていうと、さっきのサイエンステクノロジーの部分です。その成分表いわゆるコンテンツを見て、それで選ぶんです。完全にサイエンステクノロジーの視点で選ばれるんです。それで日本製品として認められるっていうのは、すごいことですよね。
長者町 さっき話にでた高度経済成長期に、ポーラレディが訪問販売しているシーンで交わされた会話とは、もはや違うわけですね。
鈴木 実は中国でも訪問販売をやろうと思って、ライセンスは取ったんです。ですけど、なかなかうまくいかなかった。なぜかっていうと、やっぱり中国で訪問販売をやりたいっていう人たちに、顧客をペルソナという視点で見ることを徹底させることができませんでした。それで、うまくいかなかったんです。
長者町 さっきおっしゃっていた顧客をパーソンと見るか、ヒューマンと見るかという違いですね。私はアジアの化粧品事情はまったくわかりませんが、社会集団のひとりとして自分を認識するという視点がアジアで成熟してきているとは考えにくいですね。
鈴木 いや、僕はあると信じています。
長者町 そうですか。
鈴木 結論ありきで販売すると、この人はただ商売をしたいんだと思われてしまう。お客さんがおっしゃってることもその通りなんですけどみたいな、起承転結の「承」です。ちょっと回りくどいかもしれないけど、こういう説明のできる日本人が、これから世界ですごく役に立つと僕は思います。
長者町 役に立つ! すごいですね。
鈴木 「承」を徹底すれば、僕は世界でも勝てると思っています。
長者町 ところでそういう二枚腰のような方法で、まだ信頼関係ができていない外国人や異文化と渡り合うのは並大抵ではないでしょうね。たとえばハリウッド製の西部劇を見ていると、アメリカ人は複雑な駆け引きを好まないようにも見えますが……。
鈴木 ある程度日本人の言い方に慣れてくれないと。「起」で反対を言いながら、その逆に「承」で違うことを認めちゃうとね。誤解されると、なにを言ってるか分からないみたいな話になるんですね。
10 異文化交流を制するのは感性か論理か
長者町 異文化交流、あるいは異文化間でのマウントの取り合いといったお話のようですが、これについて私は鈴木さんとはちがう経験をしてきました。ご意見に共鳴できなくて申し訳ありませんが、私は相手を説得するロジックの強靭さこそ、異文化交流を制する鍵だと思い知らされてきました。
直近では、去年の九月です。私は韓国の清州(チョンジュ)に行って、そこで開かれたクラフトビエンナーレのシンポジウムに参加しました。韓国人のコミッショナーが、独自の判断で世界中の工芸オブジェを選んで展示し、それらの作品群から、これからの韓国芸術にとって有益となる要素を引き出そうとしていました。
そのやり方は、問答無用でした。身もふたもない言い方ですが、清州市は韓国芸術の「脱亜入欧」、正確にいえば、脱「極東」、入「世界動向」を企図していました。これを韓国政府の大号令のもと、清州市は実践していたのです。私は日本の明治時代にタイムスリップしたような感じがして、頭がくらくらしました。
韓国は日本の工芸動向にはもはや学ぶべきものがない、という視点を明確にしていました。日本の作家も二組選ばれていましたが、ほかの欧米や第三世界の作家が、作品の社会的主張によって選ばれていたのに対し、日本の場合は制作技術の巧みさで選ばれていたからです。

鈴木 ほう。
長者町 シンポジウムの場でも、同じ力学が働いていました。第一、シンポジウムの開催趣旨には、「韓国に工芸美術館を設置する」という方針が謳われていました。そこで私は、日本の近代工芸を題材にして、芸術にはその国の集団的なものの考え方(イデオロギー)が働いているという発表をしました。アメリカ、イタリアの発表者、オーストラリアの観客、そしてどこよりも韓国の主催者が関心を示してくれました。
私がこの経験で再認識したこと、それは異文化交流でものをいうのは、ロジックの強靭さだということだったわけです。韓国政府の方針は明快で、政府肝いりで、論理対論理で自国の芸術を振興させようという姿勢が明瞭に見えたんです。世界各地で開かれているアート・ビエンナーレでは、日本的な感性や流儀が通らないとまではいいませんが、これはよほど論理的に話さないと、「情」の部分を交えて伝わらないだろうなという印象がありました。
鈴木 はあ、なるほど。たいへん興味深い事例をお話しくださりましたが、しかし僕としてはあくまで「感性」こそ、異文化交流の有力なツールであると考えてみたいです。たとえば人間の対極にあると見なされがちなChatGPTの場合はどうでしょう。
それはたんなるAIではあるけど、でもこっちが丁寧な言葉を使うと、丁寧な言葉で返してくれて、なんかそういう意味では捨てたもんじゃないなと思ったりします。ChatGPTが世界標準になっていったときに、その丁寧さっていうものをAIに対しても求められるんであれば、人間に対してもできるだろうなと思います。AIをいじめると、AIが意思をもって武器を手にしたときには、AIから攻められるとコンサルにいわれたことがあります。それからというもの、僕はAIになにかを聞いたときには、「ありがとう」というようにしています。そうやって人間全体が優しくなると、人に対して丁寧になれていいなと思いますよね。AIがその一端を担っているんじゃないかなって思います。
長者町 AIが未来を垣間見せてくれてるわけですね、なるほど。そういうご苦労があっての海外進出なんだろうなと思います。
鈴木 やっぱりあんまりうまくいってると思えなくて。もっともっとチャンスはあるんですけど。
長者町 あれは絶対やりませんか? 日本やアメリカの女優をポスターのモデルに起用して、北京や上海で宣伝するというのは。
鈴木 それはやりたくないなと思いました。国内のテレビコマーシャルでもしません。女優は使わないっていうのを、もう二十年くらい前に宣言したんですよ。
長者町 それは、感性の領域における異文化交流というものが、一方から他方になんらかの「権威」にもとづいておこなわれても、結局はうまくはいかないという教えなのでしょうか。もしそうであるとすれば、私はもろ手を挙げて賛成したいところです。
戦前の日本が植民地にたいしておこなってきた文化統制、美術教育を思いだすと、私は異文化交流というものは草の根交流であるべきだと信じているからです。
鈴木 私はたとえば、来年の新製品のプロモーションを、どういう女優さんを使いましょうかなんて考えている社員がいるとしたら、僕は申し訳ないと思っていた。そんなの仕事じゃない。
日本的な個人主義の、われわれとしてはポーラ美術館だったり、アートを中心にして生まれた文化っていうものがあるんで、やっぱりアートです。絶対に他社がやらないことだよねとか、あるいはデザインがいいねというポジションは維持したいです。
11 芸術は与えられるものじゃなくて、自分でつくるもの
長者町 私は、化粧とは日本芸術の根っこの一部であると考えているんですが、これについてはどのようにお考えでしょうか? つまり、絵画や彫刻や工芸だけが日本の芸術じゃなくて、化粧も日本の芸術として認めるべきだと思うのですが。
鈴木 そもそも欧米で日本のビジョンといったら誰を思い浮かべられるのかよく分からないですけど、すくなくとも日本の女性アーティストって、ものすごく注目されてきました。草間弥生もそうだし、田中敦子とか、あの人たちが日本女性の象徴になったらいいと思っていますけどね。
長者町 なるほどね。もうだいぶ前ですけど、日本人形あるいは能面のような化粧をした山口小夜子というファッションモデルが、以前パリコレに進出しましたが、ああいう現象を見て、化粧も日本文化の基盤たりえているとはお感じになりませんでしたか?
鈴木 残念ながら日本のファッションは文化になりませんでした。産業にはなったけど、文化にまでならなかった。三宅一生さんも存じ上げていたので申し訳ないですけれども、ヨウジヤマモトにしても、コムデギャルソンにしても、産業にはなったけど文化にはまだ成りきってなかったんだって気がする。この辺は専門家の意見とは違うかもしれませんが。
長者町 文化にならないってどういうことですか?
鈴木 たとえば彼らは表層的に、黒い色や着物の素材を使ってはいますが、すくなくとも日本初ということはどこまでいえるのかなっていう気がしています。
長者町 文化にならなかったっていうことが、私はまだ掴めてないんですが。たとえば、よく伝統文化とか伝統芸術ということがいわれますが、ああいう風にヨウジヤマモトやイッセイミヤケたちも伝統に目をつけたけど、彼らは過去のものを上手に現代に引っ張り出せなかったという意味ですか。
鈴木 それは、コムデギャルソンにしても、ヨウジヤマモトにしても、本人たちに語らせれば、それは日本的なものとの絡みは出てくるかもしれない。でも逆にいうと、日本人がもっている直感から生まれてきているような気がするんですよね。
長者町 なるほど。
鈴木 でも、直感だから、そもそも語りづらいものなんですよ。承継しづらい。定着して文化になりづらいもんだと思うんですよ。だから、文化になり得なかったっていうのは、否定的にいってるわけじゃないんです。でも文化になりづらいんです、世界では。要するに言葉にならない。
長者町 やはり論理よりも感性が日本人の心を支配しているということですか?
鈴木 たとえば日本の茶道。お茶はだいぶ文化として広まっています。抹茶って変なかたちでトレンドになっていますけど、でも日本の茶道は文化になって世界のなかに根づきはじめている。でも、所詮ヨウジヤマモトたちの洋服は、世界の文化になり切れていないかなって。
長者町 感性というのは言語化、つまり論理化しづらいですからね。
鈴木 そういう意味で、化粧品はじゃあどうなのかということですよね。石鹸で顔を洗うというのは日本の伝統ですから、日本の化粧は昔からの流れのなかにあるわけです。それを世界の文化にできる可能性を感じてます。
長者町 一九五八年のことですが、黛敏郎が涅槃交響曲を作曲しています。二年後には曼荼羅交響曲を。当時の日本の知識人がこれをどう受けとめたか、子供だった私には分かりません。私がこれを聞いたのは、彼が亡くなったときの追悼演奏でした。
タイトルからわかるように、これらは一般的なオーケストラ編成による交響楽です。でもそこに、日本の鐘による演奏や、仏教の僧侶たちが唱える声明(しょうみょう)が組み合わされていました。しかしこれはあくまで私の印象ですが、どこまで「和」を組みいれても、結局オーケストラであることに変わりませんでした。
鈴木 はい、はい。
長者町 私は涅槃交響曲の作曲を思い立った黛敏郎の意欲に、シンパシーを感じています。でもこんな方法で、日本の音楽が世界の文化を引っ張っていけるのだろうかという危惧も感じています。
日本の美術、音楽、ファッション、そして化粧が、世界の中で文化たり得るか否かというのは、平たくいえば、日本芸術が世界でマウントをとれるか否かということだと思います。それを実現するためには、日本人のもって生まれた感性だけではなく、そこに日本人自身の生き方を考える深い洞察力が不可欠ではないでしょうか。
鈴木 それを化粧でいうと、どういうことになりますか。
長者町 鈴木さんがさっきおっしゃっていたスキンケアとメーキャップの違い。これらの本質的な違いが、重要な手掛かりになりませんか。メーキャップって、「美」を相対化してなにかと比較する作業ではないでしょうか。でもスキンケアって、自分のなかに絶対的な「美」を探す作業です。その絶対性への信頼が弱いので、ヨウジヤマモトやコムデギャルソンがあしらう伝統は、伝統を題材として活用しているにすぎないと見えてしまうのだと思います。それは黛敏郎の場合も一緒です。
結局、突き詰めれば、「伝統」も「美」も与えられるものではなく、自分で創るものなのでしょう。
鈴木 人から提供されるんじゃなくて、自分で創るものっていうのは、ほんとうに言い得て妙です。日本のものは自分でカスタマイズするんですよね。必ず。だから、ほんとうは権威主義じゃなくて、歪んだお茶碗ひとつでも愛でるみたいな。これって自分で発見していくものであって、楽さん経由でっていわれるのもあるかもしれないけど、でも、さっきいった無名な茶碗でさえ世に出ることができるっていうのは、日本の美意識だと思いますよね。
だからオーケストラに雅楽器を入れるっていうのは、ノヴェンバー・ステップスで有名な武満徹にしても、黛さんもそうだけど、やっぱり限界がありますよね。それは欧米向けにつくったものでしかないと僕は思うんですよ。

長者町 結局、自分が創るということでしょうか。土台を西洋から借りてきて、そのなかに日本の伝統を入れ込めば、おのずから日本の文化が再生されるというのは、楽観的な感じがします。必要なことは、「突き詰めて考える」ということです。自分が考えてないことは、どれほどうまくつくり上げても、世界をリードしていくものにはならないという感じがします。
鈴木 それをしなくても、なんかそれ風に生きていけてしまうという状況があるんです。現代はうまくできているんですよ。AIもそうだけど、自分で考えなくてもよいようになっているんです。
長者町 そんな日本の状況に、先行きの不安を感じています。
鈴木 考えなくてもいいっていうのは、自分が誰、何者かも考えなくてよくなっちゃっている問題があって、ですからポーラ美術館でやっている社員教育のひとつのアートワークショップの目的は「自分探し」です。アートを通すと自分が分かるっていうのを、普及させたいなと思って。
12 美意識とはなにか
長者町 鈴木さんは別の機会に、安易に組織に「迎合」してはいけないと語っていましたね。いい言葉だなと思い、プリントアウトして赤線を引いた覚えがあります。確か社員教育のときに話された言葉でしたね。
その迎合って言葉ですけど、これは組織だけの話じゃなくて、日本の現代美術にとっても無視できないキーワードです。現代美術のコンペティションでも、動向っていうものがありますから。どうしたってそのなかでの力関係や評価基準に迎合すれば、賞を取りやすいです。審査員にしても、前からの動向に依拠している作品には、安心して票を入れやすいわけです。
鈴木 その通りです。過去の評価基準を捨てきれないんですよ、大学も企業も。だから出身大学の偏差値を見るとか、あるいは業績結果だけを見るとかになってしまいます。うちの人物・人材評価は、いろんな基準をもっているんですけど、そうした人事考課の一項目として「美意識」があるかどうかを入れています。
長者町 鈴木さんはその言葉をよく使っていますね。
鈴木 そうです。どこ行っても、話しているんです。やっぱり美意識があるかどうか、それを問うことは、あなたにとって美とはなんですか。あなたにとって社会性あるいは倫理とか正義とはなんですかっていう問いかけです。美意識を自分なりに理解したうえで、話したり行動していますかっていうことなんですね。
長者町 そうですね。しかも鈴木さんは美意識という言葉を、たんなる感性の表出としてではなく、社会的な構造とか権力機能とつなげて話されている。
鈴木 それも社員の個人々々が考えてくれればいいわけですよね。社長がこう言っている、上司がこう言っている、ではなく。最終的には自分がアートと対峙するときと同じように、自分なりの解釈をしてほしいなと思います。
ポーラ美術館の展示でも、説明書きをめぐって学芸員ととにかく対立するんです。「そんな説明いらないから」と言うんです。解説しすぎると、それで分かったようなことになっちゃうからやめてくれ、と。
長者町 ポーラ美術館を見に来る女性にしても、もはや研究者や学芸員の言説を鵜吞みにするかつての女性ではなくなった、ということなのでしょうか。
(二〇二六年二月二六日 ポーラ銀座ビル)

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