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ぜひ行ってみて!黒壁が目印の東京谷中「朝倉彫塑館」にある5つの石の意味

ライター
木村悦子
関連タグ
奥上野 谷中 建築 文化施設

朝倉文夫の自宅兼アトリエ「朝倉彫塑館」

東京・台東区谷中の一角に、黒塗りの建物があります。こちらは、「朝倉彫塑館(あさくらちょうそかん)」。日本を代表する彫刻家・朝倉文夫の自宅兼アトリエが、朝倉の没後、作品を展示・公開する施設として遺族により一般公開されました。現在は、台東区立の施設として運営されています。

朝倉は、東京美術学校(のちの東京藝術大学美術学部)で彫刻を学んだのち、彫刻家になることを決意し、ここに小さなアトリエと住まいを建てました。その後、土地を買い足し、増築したり建て替えたりして、昭和10(1935)年に現在の建物が完成しました。

朝倉が『我家吾家物譚(がやがやものがたり)』という随筆の中に書いている通り、このアトリエと住居は、朝倉の芸術観そのもの。芸術的・観賞上の価値が認められ、建物が国の有形文化財に登録され、敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されました。

朝倉文夫ってどんな人?

朝倉文夫について、詳しく知らない人も少なくないかもしれません。生い立ちから見てみましょう。

朝倉文夫は明治16(1833)年3月1日、大分県大野郡池田村(現在の豊後大野市)に誕生。幼いころから囲碁や将棋、釣りや水泳など、さまざまなことにチャレンジしたそうです。9歳で親戚の朝倉家の養子となり、19歳で上京したのち、東京美術学校彫刻科選科に入学。卒業後は、25歳で第2回文展に『闇(やみ)』を出品し二等賞を受賞。以後、多くの作品で受賞を重ねる一方、東京美術学校教授、文展審査委員を務めます。私塾 朝倉彫塑塾を主宰し、後進を育成しました。郷里の大分県には、「朝倉文夫記念館」があります。

彫刻の「彫」と塑造の「塑」を合わせた「彫塑」という言葉に、あまりなじみがないかもしれません。提唱したのは、朝倉の師である大村西崖(せいがい)です。西洋彫刻の技法はまだは一般的でない時代、朝倉はこうした新しい技法を取り入れながら『吊された猫』『墓守』など、数多くの名作を生み出しました。

真っ黒な外壁の建物

敷地内の建物や庭などを詳細にみていきましょう。まずは、朝倉が実際に制作を行い、日々の暮らしを営んでいた建物から。

外壁が真っ黒なのは、近隣への配慮の意図と、汚れが目立ちにくいという実用性からだそうです。

住居は木造で、中庭(次項で紹介)を囲うように建っています。東側に玄関、北側に2階建の居住部、北東に台所と浴室、南側に渡り廊下を配し、南西端の応接室でアトリエ棟書斎に連絡します。玄関・居住部などは朝倉好みの数寄屋の造りで、細部まで実用美の追求、確かな美意識が感じられます。

池の5つの巨石は仁・義・礼・智・信

アトリエ棟の東には、「五典の水庭」と呼ばれる中庭があり、その面積のほとんどを池が占めています。邸内には豊かな水量を誇る井戸があり、これを利用して庭を作りました。さまざまな水の表情を楽しめるよう、工夫したそうです。

熟慮を重ね、美しい形の石や樹木を配し、独特な空間を作り出しています。弟子により、「朝倉はこの庭を自己反省の場として設計し、5つの巨石は五常を造形化したものである」と伝えられています。

五常とは、中国の政治・道徳の思想である儒教において、人が守るべき5つの道のこと。内容は仁・義・礼・智・信で、朝倉はそれぞれを5つの石に例えて庭に配置しました。

屋上に街を一望できる庭園あり

屋上には、街を一望できる庭園があります。朝倉彫塑塾では、園芸を必須科目としており、この屋上庭園で園芸実習を行っていました。植物を育てることで自然に親しみ、感覚を研ぎ澄ませるという指導方針がうかがえます。

こうしたエピソードを知ってから朝倉の静かなアトリエに身を置くと、時を越えて彫刻家の息吹が確かに感じられるような気がします。

Information

所在地:東京都台東区谷中7-18-10
Webサイト:https://www.taitocity.net/zaidan/asakura/

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