浮世離れマスターズのつあおとまいこの二人が今回、東京藝術大学の一画にある藝大アートプラザで見る機会を得たのは、「Memento Mori 〜死を想え、今を生きよ〜」というテーマの展示でした。「えっ? Memento Mori? メメント・モリ? 何だそれは?」「へぇ、『死を想え、今を生きよ』ってことなんだ。ちょっと怖い」「藝大の現役の学生さんたちは大体が若者。“死を想う”ことなんてあるのかな?」などと素朴な疑問ばかりが脳裏に湧いてくるつあおとまいこの二人。ところが、現場で作品を目の当たりにすると、表現のヴァリエーションにうなり始めました。
えっ? つあおとまいこって誰だって? 美術記者歴◯△年のつあおこと小川敦生がぶっ飛び系アートラバーで美術家の応援に熱心なまいここと菊池麻衣子と美術作品を見ながら話しているうちに悦楽のゆるふわトークに目覚め、「浮世離れマスターズ」を結成。さて今日はどんなトークが展開するのでしょうか。
今回は2022年7月16日(土)から開催中の企画展「Memento Mori 〜死を想え、今を生きよ〜」をレポートします。
※掲載内容は前期の展示内容です
メメント・モリ(memento mori)=《なんじは死を覚悟せよの意》死の警告。特に、死の象徴としてのしゃれこうべ。人間の欠陥やあやまちを思い出させるものとして、ヨーロッパのルネサンス・バロック期の絵画のモチーフに用いられた。(出典:小学館『デジタル大辞泉』)
※つあお注:ヨーロッパの絵画には、しばしばしゃれこうべ(ドクロ)が描かれています。医療が発達していなかった時代に死が日常生活と隣合わせの怖い存在だったことなどが、絵画の類型的なモチーフとなって現れたのでしょう。「死を想え、今を生きよ」という意味を持つラテン語の“memento mori”が骸骨のイメージと結びつき、多くの絵画を生み出してきた歴史を振り返る中で、近年はまた、その意味を深く問う表現が増えています。コロナ禍や戦争に翻弄(ほんろう)される現代においては、特に重要なテーマになっているのではないでしょうか。
幸せいっぱいの二人はどこへ行ったのか?
つあお:この画家さんの描いた絵はなんだかとっても華やか! 「死」はいずこ? どこが「メメント・モリ」なんでしょうね?
まいこ:カラフルなベッドや布団が美しい! でも、どの絵にも人の姿がありませんよ!
つあお:上の大きな絵に描かれているのは、ダブルベッドかな?
まいこ:ということは、今まで二人が寝ていたのでしょうか? 枕の寄り添い方が、二人の仲のよさを思わせますね。
つあお:ホントに今までいた二人が消えちゃった感じですね。周りにいっぱい花が咲いてて、幸せいっぱいの中で過ごしたというような場面なのかな?
まいこ:そうですね! ちょっと南国のリゾート地に旅行に行ったみたいな雰囲気も感じます。
つあお:ベッドのぐちゃぐちゃ感がいい感じ。はらはらと少しだけ花が散っているのは、意味深だなぁ。
まいこ:ベッドの横や上に飾られているお花や葉っぱが落ちてきているのでしょうか?
つあお:植物がこんなに生えてるなんて、実際の部屋だったらありえない状況ですよね。
まいこ:もしかしたら、花は人なのでは? ほかの3点の絵では、人の代わりに花が寝てますよ!
つあお:ホントだ!
まいこ:特に真ん中の絵では畳の上に布団が敷かれていて、アヤメが1人でどーんと寝てます。
つあお:そうか、「花の命は短くて〜」という詩がありましたよね。ひょっとしたら、そこが「メメント・モリ」なのか!
まいこ:そうかも! 今は鮮やかですけど、ずっとここで寝てたら枯れちゃいますものね。
つあお:きっと、枯れちゃってもいいんだろうな。鮮やかなときに思いっきり鮮やかだったら。
まいこ:右側の絵の、シングルベッドに寝ているピンクの花もなかなかかわいらしいですよ。
つあお:うん、かわいい。きっと、今現在幸せなんだろうな。
まいこ:シングルベッドだけど双子のお花! ハッピーそう!
つあお:やっぱりハッピーが一番ですから。そう考えると、上の大きなダブルベットの絵は、本当に二人で過ごした時間がハッピーだったんだろうなと思わせちゃいます。
まいこ:映画のワンシーンみたいな感じですね! 「死を想う」というテーマを逆に忘れてしまいそう!
つあお:ひょっとすると、今を精一杯に生きて死を忘れることこそが、「メメント・モリ」においてはホントに重要なことなんじゃないですかね。
作家のコメント:
柴山千尋/多くの時間身体を預ける布団は、肉体の次に自身をよく知っているかもしれません。何気ない生活の中でもこれらを眺めた時、日々歳をとり、ゆるゆると着実に終わりに向かっていることを実感しています。
倒れてるけど悲壮感はゼロ
つあお:この内山さんの作品のコーナーには何だかすごくいっぱいいろんなものがあって、かなり楽しいですね。
まいこ:世界観が出来上がってますね! ろうそくのない燭台とか恐竜とか箱とか、組み合わせは謎だけど、無性にこの世界に出かけてみたくなります。
つあお:たわくし(=「私」を意味するつあお語)には世界観がまったく分かりませんが(汗)、確かに魅力的です。
まいこ:左の端っこの首の長い瓶の手前には、ヒゲを生やした不思議な形をしたおじさんみたいなのが平べったく倒れてますね!
つあお:これはお化けじゃなくておじさんなんですかね。何だかゆるくて素敵だなぁ。たわくし好みです。
まいこ:倒れてるけど、悲壮感はゼロですよね(笑)。
つあお:寝てるのでは?
まいこ:なるほど! 道の真ん中で眠っちゃったのかも。
つあお:とはいえ、眠りは死後の世界にもそのままつながりそうですから、そこがやっぱり「メメント・モリ」なんだろうな。今を精一杯眠って生きている! っていう感じ。
まいこ:おー! 道で寝てるおじさんの「メメント・モリ」! それに基本的にみんな白いから、ちょっと骨みたい。そこも死後の世界につながっていそう!
つあお:曲線で成形された作品が結構多いんだけど、ものによってはゴツゴツ感があります。それもちょっと面白いなあ。
まいこ:目に手を当てて泣いているように見える彫像は、頭の上がパカッと開いていて、何だか不思議。花瓶みたいですよね。
つあお:まず目を両手でふさいでいるところに、異様な気配を感じる。
まいこ:この頭の中に葉っぱがモリモリとしげった樹とかを生やしたら面白いかも!
つあお:モリモリメメントモリ! それは素晴らしいアイデアだ。葉っぱとかお花とかをいっぱいさすと、何だかこの世の充実にもつながりそう! 人間から植物が生えるって想像すると、意外と素敵ですよ!
まいこ:究極のエコロジー! それで、端っこのほうにあるステゴサウルスは何なんでしょうね?
つあお:「原始時代に帰れ!」ということ? どこが「メメント・モリ」なんだろう?
まいこ:結構ゆるい形してますよね。
つあお:そもそもステゴサウルスって、世の中にファンが結構多いんじゃないですかね。たわくしも大好きでした!
まいこ:過去形ですか?
つあお:そうなんです。今は子どもの頃の記憶の中から掘り起こす対象。ティラノサウルスは怖かったけど、ステゴサウルスはちょっとかわいかった、みたいな。
まいこ:確かに、憎めない感じです。
つあお:でも、今改めて考えると、「絶滅」という現代の大問題と向き合う糸口になりますね。恐竜だって、その時々を精一杯生きてたんですもんね。やっぱり「メメント・モリ」だ。
まいこ:まとめましたねぇ。
作家のコメント:
内山悠/日常の中から、自身が目についたもののイメージを切り取り陶器で制作し、並べています。それらを集め置いたイメージを「静物」としてひとまとめに見てもらえるようにしました。「ゆるい世界観と垣間見る怖さ」というものをテーマにしています。
まいこセレクト
会場に入ってすぐ、ざっと全体を見回した時に「質感と色」が強力にアピールしてきたのが立山華保さんのコーナー。近づいてみると、ザクザクっとした心地よい質感が、視覚だけでも十分に感じられました。「昔の壁みたいだな」と思って技法を見てみると、「フレスコ」と書かれていました。そう、まず壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描く方法です。それに、「エンカウスティーク」という、着色した蜜蝋(みつろう)を溶かして表面に焼き付ける技法を組み合わせて、ザクザクっとした美味しそうな画面が出来上がっていたようです。
そして描かれているのは、二人の人(多分)。母親と赤ちゃんのように見えます。タイトルが『背負う』だから、お母さんが赤ちゃんをおんぶしているのかな? でもなぜ「メメント・モリ」なのか?
人間以外の生き物の中には、産卵後すぐに死んでしまうようにできている種も多くあると聞いています。理由の中には、子孫を残すために自分が餌になるなど、自己犠牲的なものも…。
人間は出産したからといって死ぬわけではありませんが、やはり自らの命に代えても子どもを守り育てようとするものです。なので新しい生命の誕生というのは、常に死と表裏一体なのだろうと思うのです。
それでもこの絵の中の二人はなんだか楽しそう。命をかけても惜しくない、「この子と一緒でハッピーよ」と言っているようなお顔。うねるような線も軽やかで、お母さんの被り物は、赤青緑とカラフルで、古代の女王のようにおしゃれです。
二人ともお幸せに!
作家のコメント
立山華保/外の世界に向き合うには、生きることと向き合うには、自分と向き合わなければいけないと思った。認識の積み重ねを見つめ直し、崩しては積み、積んでは崩すような取り組みの中で見えたような朧気(おぼろげ)な答えを、素材との対話を通し物質として残していくように制作している。私の中身が薄い膜の下からじんわりと染み出しているようだ。
つあおセレクト
まるで海の中から人が飛び出してきて、何かを叫んでいるように見えます。この絵のダイナミックな動きは、実に魅力的です。その秘密は、極めて特殊な制作手法にあることが分かりました。「水中に揺らめく墨の模様が人間の形に見えた瞬間を撮影し、その写真をモチーフに手描きで制作したことから生まれた」というのです。人が生まれるのは科学が発達した今でも極めて神秘的なことですが、この絵はまた違う次元の人間の誕生を見せてくれました。
さらに興味深いのは、「墨の模様が人間の形をしている時、その瞬間が最も意味のあるものになる」「次の瞬間には人間でなくなり」「その前の瞬間も人間ではない」と言っていることです。卵子と精子の結びつきと成長によって今の形の人間が生まれて育ち、死んだ後はその形が崩壊して土に還る。同じことが水と墨の世界でも起きているのです。そして、この絵がまるで生命力とでも呼びたくなるような大きなエネルギーを発散しているのは、おそらく偶然ではありません。墨の動きに「メメント・モリ」を感じた作者が持っているエネルギーが反映されているに違いないのです。
作家のコメント
和田宙土/本作『形象01-「生生」』は私の現在の作風に至る、最初の作品になります。水中に揺らめく墨の模様が人間の形に見えた瞬間を撮影し、その写真をモチーフに手描きで絵画を制作しています。私の作品のテーマは「縺れ(もつれ)」です。私にとって絵画は、言語では表現できないあらゆる矛盾に対して、結論を出すことのできる唯一の手段です。このあらゆる矛盾を受け入れたり向き合ったりすることにこそ、私たちが人間として存在できる意義があると信じています。このあらゆる矛盾を総括した結果、私は「縺れ」に到達しました。墨の模様が人間の形をしている時、その瞬間が最も意味のあるものになります。つまり、次の瞬間には人間でなくなり、その前の瞬間も人間でなかったのです。透明だった水がわずかの瞬間に異様な美しさを放ち、最後にはただの薄い灰色一色の水槽になります。その一連の流れにこそ、最も表現すべき美しさが存在します。無から有が生まれ、すこしの濁りを全体に与えてまた無に戻る。その瞬間は、無があるからこそ有がかけがえなく、無なしに有はその価値を得られないのです。
つあおのラクガキ
浮世離れマスターズは、Gyoemon(つあおの雅号)が作品からインスピレーションを得たラクガキを載せることで、さらなる浮世離れを図っております。
二つの「目」や三つの「木」による「森」で構成する駄洒落絵を描いてみて、森は生命の源なんだなぁという意識を改めて持ちました。空から降ってきた水を土の中にたたえ、さまざまな動植物が生まれては死んでいく。森はそれぞれの生物にとって、そして人間にとって、たくさんの天敵や魔物が棲む怖い場所でありながら、すべてが生命の循環を支えているのです。近年、山火事が世界各地で起こり、多くの森が焼失しています。都会に暮らしていると存在の実感が希薄になりがちですが、もっと森に思いを馳せたほうがいいのかもしれません。
展覧会基本情報
企画展:Memento Mori 〜死を想え、今を生きよ〜
会期:2022年7月16日(土) – 9月4日(日) 11:00〜18:00
前期:7月16日(土)- 8月7日(日)
後期:8月16日(火)- 9月4日(日)
※月曜休(祝日は営業、翌火曜休業)
※8月8日(月)- 15日(月)は展示入れ替えのため休業
住所:〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8 東京藝術大学美術学部構内 藝大アートプラザ