アートに没入するためのお茶とは。お茶で五感を揺さぶる【丸若裕俊氏インタビュー】

ライター
中野昭子
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インタビュー 岡倉天心

藝大アートプラザは、企画展「The Art of Tea」に合わせ、お茶ブランド「EN TEA」とコラボレーションし、アートと鑑賞者を結びつけるお茶「ARTEA」(個包装ティーバッグ)や、藝大アートプラザオリジナルのサーモボトル「BOTTLE OF TEA」(藝大アカンサスマーク入り)などの販売をスタートさせました。

ARTEAについて詳しくはこちらの記事をご覧ください。

でも、お茶がなぜアートと関係するのでしょうか? ここでは「EN TEA」代表を務める丸若裕俊さんにお話を伺いました。

没入感を提供するお茶を

――2024年6月1日から8月4日にかけて開催する藝大アートプラザの企画展「The Art of Tea」は、東京藝術大学の前身である東京美術学校の校長を務めた岡倉天心の著書『The Book of Tea』をテーマにしています。アートプラザとの初めてのコラボレーションとして、アートと鑑賞者を結びつけるお茶「ARTEA」(個包装ティーバッグ)を提供されましたが、このお茶のコンセプトを教えてください。

【丸若 裕俊(まるわか・ひろとし)】1979年東京都出身。アパレル勤務などを経て、2010年に株式会社丸若屋を設立。プロダクトプロデューサー、プロジェクトプランナーとして、伝統工芸から最先端の工業技術まで旧来のかたちにとらわれず再構築し、新たな視点でさまざまな提案を行っている。14年、パリにギャラリーショップ「NAKANIWA」をオープン。17年春には渋谷に茶葉店「幻幻庵」を立ち上げ、「新しい日本茶」を世界に向けて発信している。http://maru-waka.com/

丸若:今回コラボレーションのお話を頂いたとき、僕自身を含め、アートというと頭でっかちになってしまいがちなので、考えをリセットして、心をフラットにした状態で作品に対峙できるようなお茶をご用意したいと思いました。目の前の作品にだけ集中できる、没入感を提供するお茶を提供したいということで今回藝大アートプラザと一緒に考えたのが、「ARTEA」です。

もともとは作品を鑑賞しながらこのARTEAを味わっていただけるようなコンセプトでスタートし、淹れたてのお茶をギャラリーでと考えていましたが、作品を鑑賞した後に家でその余韻にあらためて浸っていただける個包装でのご提案に着地しました。

EN TEAとのコラボレーションによる個包装ティーバッグ「ARTEA(アーティー)」(税込400円)。デザインは岡倉天心の著書『The Book of Tea』にインスパイアされたもの。藝大アートプラザの店頭限定で販売中。

――企画展「The Art of Tea」に併せて個展を行う上出惠悟さんは、九谷焼の上出長右衛門窯の六代目ですが、丸若さんとも旧知の仲だそうですね。

丸若:はい。上出さんの作品は非常に大きな魅力がありますが、彼はインスピレーションだけでなく、その中の物語や文脈をとても大切にする人です。その一方で彼の作品には石川という個のアイデンティティーや風俗への深い愛着もあって、そのハイブリッドな面白さと魅力に僕は惹かれ続けています。

約20年前に出会った時から、僕は彼の作品が持つユーモアや感覚的な表現をもっと多くの人に観てもらいたいという勝手な願いがあって、その際には頭でっかちに考えずに、ぜひまっすぐ作品と対峙してもらえたらと思っていました。それは、彼の作品から彼自身が持つぬくもりが感じられるからで、僕自身、彼と最初に出会ったときの温かい空気感をいまだに覚えています。

お茶には記憶を呼び起こす力があると言われています。彼の作品をぜひ鑑賞して頂いた後は、ARTEAをお楽しみいただいて、上出惠悟の作品が持つぬくもりを思い返しながら味わっていただければと思っています。

ARTEAの茶は、緑茶の品のある優しい味わいとともに、上出さんのような芯のしっかりした力強さを持っています。後に広がる余韻には、「情緒」を感じてほしいという思いを込めています。

企画展「The Art of Tea」と同時開催される「上出 惠悟展 IZURA」。上出さんは九⾕焼窯元上出⻑右衛⾨窯の六代目として生まれ、東京藝術⼤学美術学部では絵画科で油画を学んだ。旧知の仲という丸若さんは、その作品の魅力を「文脈がしっかり考えられている部分と、石川という土地の土着性や動物的な部分をハイブリッドに感じられるところ」と話す。

古九谷焼に出会い、衝撃を受ける

――お茶だけでなくプロダクトプロデューサー、プロジェクトプランナーとして、日本の伝統工芸から最先端の工業技術までさまざまな事業を手掛けてこられてます。多彩な発想の源泉に、ご自身のバックグラウンドはどう影響しているのでしょう?

丸若:僕は東京生まれの横浜育ちで、異文化に触れる機会が多かったように思います。通っていた小学校と中学校は「実験校」的な位置づけの学校で、おもしろい生徒が多かったですし、高校は仏教系でしたが和洋折衷の考え方をそこで学んだように思います。

大学を卒業後、当時はクラブカルチャーのシンボルのような存在だったイタリアのファッションブランドに就職しました。ですがしばらくしたころ、自分のアイデンティティとはなにかを自問するようになったのです。というのは、ニューヨークにいるようなファッションに身を包んだ人たちが、東京の街で日本語を話し、その内容もまったく様相とはそぐわない会話だったり、なんというか、ファッションという文化が外見だけのもの、薄っぺらなものになっているように感じてしまい、僕自身も方向性を見失ってしまった気がしました。同時に、そのころはファストファッションが出はじめた時期で、「売るためにつくる」ということに矛盾を感じてもいました。

そんな思いを抱きながら地方を旅をする生活を送るようになっていたのですが、その時に知人の紹介で古九谷焼を見て衝撃を受けたんです。野性味やミステリアスさ、濃い血のようなものがあるように感じて、強く惹かれました。日本の伝統工芸は、一見エスタブリッシュされていますが、内奥には非常にドロドロしたものが確かにあって、それが魅力だと思うんです。古九谷焼はそういった面を強く感じました。伝統工芸や職人の技などは子どもの頃から好きだったのですが、ことさら自分の好みを強く意識した瞬間でした。そうした流れの中で出会ったのが、上出さんでした。


同じくEN TEAとのコラボレーションによる藝大アートプラザオリジナルのサーモボトル「BOTTLE OF TEA」(税込3,500円)。藝大アカンサスマーク入り。

お茶に辿り着くまで

――それから「お茶」に注目するようになったきっかけは。

丸若:今思えばきっかけは上出さんとの取り組みで、2011年に世界最大のインテリアの祭典の一つであるミラノサローネーに上出長右衛門窯を発表したことです。この経験を通して、海外と日本の置かれている関係性や立場を深く考えるようになりました。その数年後、パリという土地で日本や日本の文化とは何かを考えながらいろいろな取り組みをする機会を得ました。ル・モンド紙やジャパンコレクションで有名なギメ美術館、現地のレストランなどとプロジェクトを共にする様になったのです。

当時は頻繁に日本とフランスを行き来していたのですが、その時自分に問うていたのは、自分は日本の文化を海外の人に認めてもらいたいと思っているのか、それとも海外と対等な立場になりたいのかということでした。自分の立ち位置を明確にしたかったんです。突き詰めて考えて出た答えは、僕自身は日本文化を海外の人に認めてもらうために事業をしているわけではない、ということでした。

――どういうことでしょうか。

丸若:二つの方向からを考えたんです。一つは、日本は人口に対して、過剰にものをつくりすぎる傾向がある、ということです。フランスの人たちはそうした傾向を良しとしない部分があり、彼らの考え方にふれる中で「大量生産すること」への疑問が生まれました。それはファストファッションに対する自分の考えとも相通じるものでした。

二つ目は、何事も本質をつかまなければ「嗜む」行為だけで終わってしまうということです。物事を目で見て、表面的に知っただけで分かったつもりになるのではなくて、五感で感じることで本質にせまっていけるのではないかと思いました。そうして紆余曲折考えた中で、お茶に可能性を感じたのです。

お茶は、味覚だけでなく、香りを楽しみ、器の手触りを感じ、淹れる音を味わい、見た目にも美しい。世界の人々の五感を揺さぶる要素が整っているように感じたのです。あくまで個人的な考えではありますが、そういうわけでお茶ありきというよりも、伝えたいメッセージを表現するのにお茶が理想的な存在だったのです。

岡倉天心をリスペクトして

――かつて岡倉天心が世界に日本の文化を伝えようと執筆した書籍が『The Book of Tea(茶の本)』だったということと通じるものがありますね。

丸若:岡倉天心という人物には以前から大きな興味を持っていました。まず、『The Book of Tea』って「茶の本」と銘打っているにも関わらず、茶道具などのことにほとんど触れていないんです。それよりも、どういう心持ちでお茶に触れるのか、何があるべき姿なのかを考えています。お茶というものから日本人の精神性を解き明かしているといった感じですよね。

岡倉天心(国立国会図書館デジタルコレクション「近代日本人の肖像」より)

そもそも本人の人となり自体がすごくおもしろいです。写真で見る限りですが、なんだか不機嫌そうですよく分からない奇天烈さがあります(笑)。それでいてなんとなく親近感が湧くんです。そんな岡倉天心は、「文人茶」(※1)についても語っています。

※1 文人茶……江戸時代の上方では、「文人文化」が花開いた。文事を重んじ風雅を好み、詩文に秀で、世事にとらわれず自由に生きた木村蒹葭堂(けんかどう)や上田秋成をはじめとする文人たちは、当時中国から輸入された煎茶文化を批判的に継承し、独自文化にまで高め上げた。そうした文人たちの行う煎茶は、「文人茶」とも呼ばれる。

文人茶にとって大切な要素の一つは、「挫折」だと思うんです。人生のどこかで大きな挫折を経験して、俗世と距離を取るようになり、自らの知識との対話に引きこもっていく。順風満帆な人生の余暇を楽しみながら飲むお茶ではなくて、心身ともにかなり「キワキワ」の状態で、一種の救いを求めてお茶を味わう。

僕の中で文人茶はそういうイメージがあります。岡倉天心も、スキャンダルから校長の立場を追われ、茨城県五浦の断崖絶壁の上に拠点を移して、太平洋の荒波をまともにかぶるような場所に茶室を構えていますよね。そんな彼が日本の文化をお茶を通して考え、世界に伝えようとしたことは、非常に示唆に富んでいるように思えます。

その岡倉天心の著書をテーマにしつつ、アートとお茶を結びつける企画展を僕自身に置き換える思いもあり、楽しみにしています。

岡倉天心と五浦の関係については、こちらの記事でお楽しみ下さい。

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