心惹かれた日々の何気ない風景を、漆の多彩な伝統技法で再現。アートアワード2026受賞者に聞く【宇野萌花氏インタビュー】

ライター
森聖加
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アーティストインタビュー インタビュー

第20回「藝大アートプラザ アートアワード」の小学館賞は、宇野萌花さん(うの もえか/大学院修士課程1年 保存修復工芸分野 漆芸)の漆芸作品「散歩道」が受賞しました。

一般的な”漆らしさ”のイメージを大きく広げる作品「散歩道」。制作の背景や思い、今後の活動について宇野さんに聞きました。

素朴で穏やかな日常を描く、現代漆絵としての「散歩道」

――小学館賞受賞おめでとうございます。作品「散歩道」制作のきっかけを教えてください。

宇野萌花さん(以下、宇野)学部在籍時は、主に漆の伝統技法に着目しながら制作を続けてきました。漆芸の技法でも特に、拭き漆や白檀塗りなど漆の透けからくる独特の赤色や光沢ある色合いに惹かれています。また、墨流しや截金(きりかね)細工など、現在はあまり見られない技法に魅力を感じます。これまではまず技法があり、そこに自分の表現をすり合わせながら、抽象的な幾何図形を用いてきました。今回の「散歩道」では、有機的なモチーフに挑戦しています。

宇野萌花「散歩道」

大学院で研究する保存修復は、新しいものを生み出すのではなく、文化財作品を通して作者の考えや用いられた技法に着目し、時代背景を手掛かりに読み解くものです。そのため、今回ははじめに表現したいものを決め、それを具現化するために適した技法を研究し、複数の技法を組み合わせて制作をしました。アワードには、一見すると漆らしさを感じさせないような現代アートとしての作品を応募し、漆の可能性を広く伝えたいと考えました。漆に対して多くの人が抱く近寄りがたさを和らげ、漆をより身近に感じてもらいたいのです。

――まるで写真で撮影したかのような、4つの風景が漆で描かれています。

宇野 はい、それぞれに元になる写真があります。今作品は、漆の伝統技法を用いて写真の景色を再現する試みです。漆で写実的に描く作品はあまり見かけないかもしれません。この1年は近所の遊歩道の散歩を日課にして、パッと目に入り、魅力を感じた風景を写真に撮りました。それらが「散歩道」のモチーフです。ある日はずっと空を見ながら、ある時は地面を眺めて歩きました。例えば、小さなころに遠足で歩いたことがある道も、今あらためて歩くと目線も着眼点も異なって、たくさんの発見がありました。

作品右上「ベランダの景色」のベースとなる写真。「ベランダの洗濯物をしまうとき、普段と同じ時間のはずが いつの間にか空は いつもより暗く澄んでいた」。宇野さんがそのときどきに感じた思いを作品に込めて(写真=本人提供)

なかでも、植物のさまざまな緑色や穏やかな木漏れ日、澄んだ水面、空のグラデーション、足元に落ちる影など……普段なら気に留めない、素朴で穏やかなところ、よく見ないと見逃してしまう一瞬に心惹かれる自分に気が付いて。そんないくつかの自然の瞬間を切り取り、かたちにすることで、私が「いいな」と感じた感覚を作品を見る人にも共有し、追体験してもらえたらと思いました。構成にあたっては窓枠をイメージし、4連作を窓からの景色のように並べて、家の中に飾っても溶け込むよう仕上げています。

漆だからできる、層を活かしたテクスチャーと奥行き

――具体的にはどんな技法が盛り込まれているのですか。

宇野 作品右下の「緑の公園」のシーンでは、まず空に暈(ぼか)し塗り、池には変わり塗りを用いています。その後、全体を研ぎ、磨き上げました。画面中央の木の部分は錆上げ(さびあげ=砥の粉と水と漆を練り合わせた錆漆で絵を高く盛り上げる技法)です。手前の草木には絞漆(しぼうるし)をつかっています。絞漆上げでは、紙に箆(へら)で何度も擦り付けて漆に水分を吸わせた豆腐、つまりタンパク質を極少量混ぜることで漆の肉持ちが良くなります。そうすることで、もったりとした艶のある立体的な表情をつくりだしています。

作品右下「緑の公園」は小学生のころの遠足で行った思い出の公園。自然の風景のディテールを漆の多彩な伝統技法のテクスチャーを用いて再現した

一方、左上の「川底の石」の水の部分は透漆(すきうるし)で、漆本来の色をそのまま生かしたものです。顔料や鉄粉などを混ぜる前の漆は、透き通った茶色い色をしています。中塗りに色漆を重ねて草の影を透漆で描き、その上から透漆を薄くかけ、最後に下の層が出ないように研いで磨きます。そうすることで艶がぐっと引き出され、層が奥から立ち上がってくるんです。


「川底の石」の制作過程。地に高上げ、漆絵の仕掛けを施し、透漆で影を描き込んでいる。3つ目が完成形(写真=本人提供 ※いずれも部分)

さらに左下の「足元に落ちる影」では、地面と影の質感を表現するのに、変わり塗りを応用しました。まず白や明るい色を塗り、その上に暗い色を重ねてから研ぎ出すことで、下の層が丸く浮かび上がって、アスファルトのような表情が生まれます。溝に色がたまったようなニュアンスも出すことができます。

「散歩道」のうち「足元に落ちる影」の部分

具体的には変わり塗りとは、下の層を研ぎ破るように研ぐことで模様を出す技法です。工程をどこで止めるかによってさまざまな模様を描き出すことが可能です。その選択自体が表現の一部だと考えています。研ぎや磨きは難しい作業ですが、そこにこそ漆ならではの表現の可能性があります。漆は盛り上げたり、重なりを透かしたり、隠したりと、さまざまなテクスチャーを生み出せるところが大きな魅力です。

「足元に落ちる影」ではアスファルトのひび割れやデコボコしたニュアンスを漆でリアルに再現した

――本当にたくさんの技法が注ぎこまれているんですね。

宇野 卒業制作など、これまでの作品でも粉や箔を下に仕込み、その上から透漆を重ねて、下の工程が透けて見えてくるような表現をしてきました。透明な魚のヒレを透漆でつくったり、墨流しの技法で偶然の模様を層として閉じ込めたり。コンセプトは毎回異なっても、「層を見せる」という軸は一貫してきました。重厚でありながら、どこか軽やか。漆がもつ、相反した不思議な魅力をひとつの作品の中で感じてもらえたらうれしいです。

宇野萌花「表層」/麻布などに漆を染み込ませ、型や芯の上に何層も貼り重ねて乾燥させながら立体を形成する乾漆技法で制作。乾漆は奈良時代に仏像制作などに用いられた伝統的な技法。この作品では、乾漆ならではの軽さを生かした造形と、水というモチーフの重さの相反する視覚的な面白さを表現し、漆特有の「透け」を活かして表層の穏やかな波紋の下に泳ぐ鯉を描いた。中心部には鯉の尻尾が浮かぶ(写真=本人提供)

つくり手の視点も活かし、保存修復での漆の可能性を広げたい

――制作を通して大切にしていることを教えてください。

宇野 「漆だからこそできる」という表現にこだわっていますが、一方で、あまり難しくしすぎないことも大切にしています。作品のコンセプトがすべて伝わらなくても、そのものを見て「なんかいいね」「きれいだな」と鑑賞する方に感じてもらえたら、それで十分です。日常の中にある風景や感覚を、漆という素材を通して少し違うかたちに置き換えてみる。「散歩道」も、そうした試みの一つです。

宇野萌花「Flow」/水をモチーフに墨流しで加飾した箱物作品。墨流しは、西洋のマーブリングと同様に、水に垂らした漆を転写させる技法。何重にも色漆や箔の層を重ねて、穏やかな水の流れと激しい水の流れが絡まるさまを表現した(写真=本人提供)

――将来はどんな道を目指していますか。

宇野 文化財の保存修復に携わりたいと考えています。研究室では本学大学美術館から作品を借り、修復実習に取り組んでいます。復元模造を想定して図面を引き、用いられている技法や制作背景を調査するなど、制作と理論の両面から学んでいます。

ただ、漆の修復工房は決して多くはなく、専門の体制も十分とはいえないのが実情です。漆には多様な技法があり、それらを一人で極めることはほぼ不可能に近いため、現状では高度な技術をもつ作家個人に修復依頼がいくケースも少なくありません。卒業後すぐに「修復家」として活動するのは容易ではなく、日本にとどまらず海外も視野に入れながら、自分の立ち位置を模索しています。

宇野萌花「Unknown」制作時の截金細工を施すようす(写真=本人提供)

保存修復を学ぶなかで向き合っているのが、漆の「可逆性」の問題です。保存修復で修理に使用する材料は、将来必要があれば元に戻せる材料を用いるべきだ、というのが基本原則です。日本では古くから漆の修復には漆を用いるという思想が受け継がれてきましたが、海外では漆は一度硬化すると戻せない「不可逆な材料」とみなされ、ラッカーなど合成樹脂が用いられることも少なくありません。

それでも私は、漆で作られたものには漆で向き合うべきではないか、と感じています。劣化速度などさまざまな観点から考えても、異なる素材で補うことが本当に最善なのかという問いがあるからです。制作を続けて得た感覚と、保存の理論を学び得た知識の両方を行き来できる強みを生かして、漆という素材の可能性を支えていけたらと思っています。

(Photo by Tomoro Ando / 安藤智郎)

【宇野萌花】
2020年4月 東京藝術大学工芸科入学
2024年3月 東京藝術大学工芸科卒業 
2025年4月 東京藝術大学大学院 文化財保存学専攻入学

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