上野広小路(うえのひろこうじ)って上野のどこにあるのでしょう。
上野公園から日本橋・銀座方面へ中央通りを進んでいくと、百貨店の上野松坂屋がある交差点の名前が上野広小路(うえのひろこうじ)交差点です。交差点のちょうど真下に位置している地下鉄の駅名も上野広小路(うえのひろこうじ)駅。
でも、この辺りはざっくり「上野」や「御徒町」と呼ばれることの多いエリアです。
上野広小路を見つけるために、ちょっと歴史をさかのぼってみましょう。
上野広小路はどこにある?
1849(嘉永2)~1862(文久2)年にかけて発行された『江戸切絵図』には、「東都下谷絵図」という上野周辺の古いマップが収録されています。
右側にどーんと鎮座しているのが、徳川歴代将軍の菩提寺でもある上野寛永寺。現在の上野公園です。水色の部分が不忍池。池の左下に「下谷(しもや)広小路」と書いてある幅の広い道があるのが分かるでしょうか?
上野広小路はこの道のことを指しています。
現在の地図と重ね合わせてみると、中央通りにあるショッピングビルABABのあたりから、百貨店の松坂屋があるあたりまででしょうか。
そもそも「広小路」とは
「小路(こうじ)」は大通りを意味する「大路(おおじ)」の対語で、町中にある細い道のことをいいます。
「広小路」というのは読んで字のごとく、道幅を広げた小路のこと。江戸時代に明暦の大火(1657)という大火事があり、その後、延焼を防ぐための火除地(ひよけち)として、寛永寺のような燃えては困る大きな施設の近くに広小路が設けられました。古い地図を確認すると、上野以外にも両国や浅草などに広小路があったことが確認できます。
明暦の大火
1657(明暦3)年1月18日に本郷丸山の本妙寺から出火した大火事のこと。2日間に渡って燃え続けて江戸市中のほとんどを焼き尽くし、死者は10万人を超えたと伝えられています。供養のためにお焚き上げにした振袖が火事の原因になったという説があり、振袖火事とも呼ばれます。
将軍も通った上野広小路
「上野広小路とは下谷広小路のことです」って、ややこしくってすみません。
上野広小路は寛永寺の門前にあり、大勢の参拝客が行き交う道でもありました。昔は寛永寺があった「上野のお山」に対して、町屋や武家屋敷が並んでいた周辺の一帯を「下谷」と呼んでいたのです。そのため、上野広小路ではなく下谷広小路と呼ばれることも多かったようです。
また、上野広小路は将軍が寛永寺を参拝するときに通る「御成道(おなりみち)」でもありました。
繁華街を指すのは近代になってから
中央通りの左右に広がっている、現在の上野3~4丁目付近が「上野広小路町」という町名になったのは1869(明治2)年のことです。
もともとは、上野の盛り場は主に山下と呼ばれる今のJR上野駅のあたりに広がっていましたが、近代になると上野広小路の左右にも商店街ができて栄えていきました。
今では上野広小路という言葉は、上野の大通りというよりも、通りの両側にある繁華街全体を指しています。
上野広小路のグルメスポット
大きな商業ビルが立ち並んでいる上野広小路ですが、歩いてみると歴史のあるお店に出会います。上野を訪れたときに足を運んでみてはいかがでしょう。
上野公園前あんみつ みはし本店
ソフトクリームの乗ったあんみつが人気の「みはし」。店の名前は寛永寺の参道にあった「三橋」にちなんでつけられたものです。
住所:東京都台東区上野4-9-7
鰻割烹 伊豆栄本店
ふっくら香ばしい江戸前鰻の名店「伊豆栄」が池之端で創業したのは江戸中期。森鷗外ら文豪が愛したことでも有名です。
住所:東京都台東区上野2-12-22
上野風月堂本店
まだ洋菓子が珍しい時代にゴーフルを発売した「上野風月堂」。パッケージに双子のパンダが描かれているプティゴーフルは上野土産にぴったりです。
住所:東京都台東区上野1-20-10
意外と知らない上野広小路の歴史とスポットをご紹介しました。
アイキャッチ:『名所江戸百景 下谷広小路』部分 (国立国会図書館デジタルコレクションより)
参考書籍:
『台東区史』通史編Ⅲ下巻(東京都台東区)
下谷・浅草町名由来考(東京都台東区)
『大江戸錦絵散歩』酒井茂之(新人物往来社)
日本歴史地名大系(平凡社)
日本大百科全書(ニッポニカ)(小学館)