写真やドローイング、または透ける布の上に刺繍を施した作品のインスタレーションを発表し続けている竹村京(たけむら・けい)さん。作品の重要な素材としての刺繍糸は、日本製絹糸をこだわって活用していて、キャプションの素材部分にもしっかり「日本製」と明記しています。そこには壮大な理由があって、「千年後の誰かと共有できるから」だというのです。
東京藝術大学在学中に体験された、千年以上もつ刺繍糸との出会いはどのようなものだったのでしょうか?アーティストにとっての、日本製絹糸(実は群馬県産と後に判明)の魅力について伺いつつ、その刺繍で「時間」を表現するとはどういうことなのかについて探っていきます。
また、2000年から始まった15年間のベルリン滞在を機に続けている、「壊れた日用品を接着材で仮止めし、破損部分を白い絹糸で縫い直した『修復シリーズ』」についても伺います。
極めて私的な体験を、「刺繍」という技法を通して普遍的なものに昇華してしまう彼女の作品の魅力に迫ります。
自分の時間を刺繍で表現する
30度を超える暑さとなった三連休のなか日に、華やかな人々で賑わう表参道の骨董通りを早足で通り抜け、六本木通りを越えた住宅地にたどり着くと、目指してきたビルに到着しました。そこは新進の化粧品会社のビルで、その中にオープンしたばかりのギャラリーにて竹村さんの展覧会が開催されていました。
ガラス貼りなので光がさんさんと降り注いで明るく、現代アートとスタイリッシュな家具が心地よくマッチしています。ソファーのあるロビースペースで、早速目に飛び込んできたのが竹村さんの作品2点です。
同じフォーマットながら、対照的な2点。
同じフォーマットというのは、両方とも「Time Counter」シリーズで、絹糸を用いておよそ1.5cmの返し縫いを左上から右下へと一方向に布一面に施した作品ということです。
このシリーズは、竹村さん自身の時間の流れを、「その時に感じた色」の絹糸を隙間なく縫い付けていくことで表現しているそうです。
左側のカラフルな作品は、2019年に制作したとのこと。コロナ禍で人々が対面で会いづらくなる直前の年ですね。なので、本当にたくさんの人々と会って、目まぐるしく忙しい時間を過ごしたとのこと。
これに対して右側の作品は真っ白!
こちらは2022年の制作。まだまだコロナ禍の余波が大きく、なかなか対面で会いづらい日が続いたのですが、それはそれで結構平和な時間だったと竹村さん。
ここ数年、すっかりステイホームが定着して、対面で人に会う機会が減った状況が分かりやすく作品に表れていて面白いですね。すると、この「Time Counter」シリーズは、半透明の布に様々な色の絹糸で縫い付けた日記のようなものなのでしょうか?
記憶が文字ではなく、色で伝えられているということなのでしょうか?
ここで、そのヒントを竹村さんの文章から引用してみます。
“今朝の清々しい青空を見た後は水色とたまご色に白を混ぜたような色にピンときたが、ウクライナのニュースを聞いてから茶色に白を混ぜてちょっと黄土色を足したような色の糸を手に取った。
(中略)
出会う人達はそれぞれの色でできている。歴史的な理からくる色、家族からくる色、鼻歌程度に朝の気分で決めた色(2022年にポーラミュージアムアネックスで開催された「竹村京・鬼頭健吾『色と感情』」展に寄せられたテキストより)”
そうか、その時々に見た風景や、ニュースなどの出来事や、会った人々には「色」があるのですね。それにしてもなぜ、「色」で綴り、「日本の絹糸」で作るのでしょうか?
千年以上未来の誰かにも伝えたい
竹村さん曰く「東京藝術大学3年生の時に奈良と京都を訪れたのですが、その時に日本最古の刺繍である『天寿国繡帳』を目にしました。聖徳太子の死去を悼んだ奥さんが作らせたというものですが、1300年の時を経て私の目の前にあったのです。千年以上もつ刺しゅうの存在感に心を打たれました。しかも、この作品を所蔵している中宮寺は3回も火事にあっているのですよ。普通でしたら燃えてしまっているところですが、刺繍なので丸めて持って逃げることができたのでしょう。絹糸の耐久性と、持ち出し可能であるがゆえに長く存続できる『刺繍』という形態を、私の作品にも取り入れて、千年以上未来の誰かにも見てほしいと思いました。
それと同時に私は千年以上の誰かというのは宇宙人のようなものではないかと思っています。その場合、もはや私たちのように食べ物を食べることなく生きているかもしれないし、文字も読まないかもしれません。それでしたら、具体的なものを描いたり文字を書く必要はなく、抽象的な色や形で表現すれば良いかなと考えました」
なるほど!現代の私たちには抽象的に見えても、千年単位で考えれば、食べ物や洋服や時間などが抽象化された方が普遍性をもって伝えられるのかもしれませんね。
「大学を卒業して、2000年からはドイツのベルリンで滞在制作したのですが、そこではさらに記憶が色に支配されていることに気がつきました。それで記憶の色として思いついた様々な色の絹糸を、京都から取り寄せて刺繍するようになりました。
絹糸は、桑の葉があって蚕が生息する場所であれば生産できるので、イタリア、フランス、トルコ、韓国、タイなど様々な産地のものがありますが、私の記憶の色とピッタリ合致するのは日本産のものだけです。
その理由として、一つには、私の記憶が日本語で考えられているものだからだと思います。言語と色はリンクしていると思うのです。もう一つの理由としては、私の記憶の色が、例えば桜色や抹茶色など日本の季節や行事などとリンクしていて、そのような色は、日本の気候の中でその地域独特の食べ物を食べた蚕の絹にしか出せないのではないかと思います。
そういうわけで、日本製の糸にこだわって京都から取り寄せていたのですが、2015年に帰国して群馬に居を構えたところ、元々群馬県産の絹糸だと知ってびっくりしました(笑)」と竹村さん。
「幸福の象徴、青い鳥を探し求めて旅をして最後に帰ってきたらわが家にあった」みたいな、数奇だけれども心温まるエピソードですね。
それにしても、竹村さんはなぜ「時間」という目に見えないものを表現するという難関に挑戦し続けているのでしょうか?
藝大だからこそ聞けた決定的な一言
竹村さん曰く「『時間』の表現にチャレンジし続けるきっかけとなったかもしれない出来事は、藝大の学生時代にあります。
私は最初の頃、本物の洋梨を糸状の縄で作った網で包み、天井から吊るして下に土を置くといった作品を作っていました。
ある時、藝大の先生だった榎倉康二(えのくら こうじ)さん(「もの派」として知られている)が私の作品を見て、「時間についての作品を作ってるんだね」とおっしゃったのです。私自身はそれまでそのように考えたことがなかったので、「へー!」と驚きましたが、初めて私の作品が言語化された貴重な体験です。
初めて大人のアーティストと話した瞬間でもありました。」
他の人の時間も入れて表現するようになる
時間をテーマに制作を続けてきた竹村さんですが、2022年には新しい展開があったそうです。今までは自分の中にある時間の流れを時系列に表現して「Time Counter」シリーズとしてきたのですが、そこに他の人の時間も共存させて「タイムオブホワイト」シリーズとしたとのこと。「コロナの影響で家族と過ごす時間がとても増えたことで、かえって他の人の時間も同時に存在し、共存していることを意識するようになりました」と竹村さん。
新シリーズはこんな感じです。
大部分が白いスペース!最初にご紹介した「Time Counter」シリーズとはずいぶん違いますね。1.5cmの返し縫いも、ぽつんぽつんとランダムに登場します。どういうことなのでしょう?
「この作品で言うと、左上の方に赤色の人がいたとすると同時に右下の方に緑色の人がいます。また布も二重になっていますので一枚の布にいる人の時間ともう一枚の布にいる人の時間が二重構造となっています」と竹村さん。
見た目はシンプルですが、人や時間が複雑に交錯しているのですね。
こちらの大きな作品は?
「こちらはもっと大きな時間の流れを表していて、例えば左側から2番目の金色の縦の糸は、紀元前のキリストで、右の方の太くて長い白い線は、息子が生まれてから現在までの時間です。上の方の白い横の線は、彼岸の祖先です」。と竹村さん。
他の人の時間が入ることで、タイムスパンが数千年も広がるとは!
千年後の生命体は、果たしてここから人間の文明を読み取ることができるでしょうか?!
さて、今回の展示作品から、竹村さんの代表的なシリーズである『修復シリーズ』についても伺いたいと思います。
壊れたものにフォーカスする!
壊れた日用品を接着材で仮止めし、破損部分を白い絹糸で縫い直すという「修復シリーズ」は、ベルリン滞在時に生まれたとのこと。洗濯機の上に置いていた器が落ちて壊れた出来事がきっかけだったそうです。
それを機に、友人が壊したガラスの器などなど、たくさんの修復作品を制作したとのことで、今回も古いものから新しいものまでいろいろ展示してあります。
彼女のお母様などは、ティーカップを割ると喜び勇んでもって来るそうで、それも作品になっています。
こうやってみると、人って意外と壊れた物を捨てないものなのかもしれませんね。
このように、どちらかというと意に反して壊れてしまったものを作品化してきたのが「修復シリーズ」だったのですが、今年は新たな展開を見せたとのこと。
そのきっかけは、ウクライナの戦争。
竹村さん曰く「毎日繰り返される破壊行為の報道を見て、このような破壊行為を見ることに慣れたら怖い!と思いました。今まで、故意に壊されたものを作品に取り入れることはあまりなかったのですが、今回あえてチャレンジしました。日本にいる自分がこのテーマで取り組むとしたら?と考えた時に、廃仏毀釈で破壊された仏像が浮かびました。それで近くの骨董屋さんで手に入れた、破壊された小さな仏像を修復してみました。とても小さな仏像ですが、右の天上を指した指と、(歩けないように)足の指が破壊されていました。私は、白い半透明の布で包んでから、破損部分に金色の絹糸を刺繍しました」
なんだか、痛々しさと神々しさ両方をあわせ持っているように感じます。
何も施されていなかったら、気づくこともなかったかもしれない破壊部分が、このように作品となった途端に、突出して目立ってきます。
そして、「なぜこのような姿になったのか?」、「自然に壊れたのかそれとも理由があって人に壊されたのか?」など、気づくと様々な思考が湧いてきていたりします。
なんと嬉しいことに、この展覧会を開催している会社であるP.G.C.D.JAPANでは、社員向けだけでなく、お客様を対象とした「修復シリーズ」のワークショップを実施するそうです。
今までに自分が壊してしまったものをそれぞれ持ってきてもらい、白い布と刺繍で修復するとのこと。
「みなさんが自分で壊れた/壊したものを見つけてそれにフォーカスすること、そして『こんな風に壊れた』と人に伝えることが重要です。」と、ワークショップのキモを竹村さんに教えていただきました。
私だったら何にするかな?そもそも壊れたものなんて、すぐに捨ててしまうから、家にあるはずがない。と思ったのですが、よく考えてみると、壊れたアクセサリーは取ってありました! 気に入っていたスワロフスキーのネックレスは、ペンダントのつなぎの部分が割れてしまったので、ボンドでつけて再利用するのも難しいのにとってあります。なんでだろう?
自分は、サバサバして実用主義だと思っていたので、ちょっと意外です。
竹村さんの作品を通して「時間」や「修復」を目の当たりにしていると、意識していないところからふわっと新しい自分が見えてくるという作用があるようです。
皆さんも是非体感してみてはいかがでしょうか!
【展覧会基本情報】
竹村京「白の時間」
2022年7月16日(土)から2022年9月30日(金)まで
JBIGmeetsartgallery(東京都港区南青山7-4-2アトリウム青山)
11:00~18:00(要予約)