先ごろ受賞者が発表された、第18回「藝大アートプラザ・アートアワード」(旧「藝大アートプラザ大賞」)。美術作品部門の準大賞を受賞したのは、柿沼美侑氏(写真上)です。
受賞作品「心象土偶 獨(とく)」(写真下)は、土偶を思わせる形状でありながら、顔と思われる部分は不明瞭です。でも、優しげで曖昧なその表情から、単一の人格ではなく、多様な解釈や感情を受け入れる余地があることを示しているようです。
これは対話なのかもしれません。柿沼氏は土偶という媒体を用いて自らの内面と交信し、また、見る者とも精神的な交流を築き、それぞれの内面の感情との対話をうながしているのでしょう。
儀式のような、祝祭のような
――受賞作をいまあらためて見て、どのように感じますか。
柿沼: ⾃分の作品なのに、何度⾒ても不思議な気持ちになります。これは、温度を⼀定に保つことのできる電気窯ではなく、窯を使わない「野焼き」という⽅法でつくったことが一つの理由だと思います。屋外で⽕を焚き、薪をくべながら焼成する⽅法です。⾵の強さや向き、薪のくべ⽅、⽕の当たり⽅などが作品に⼤きく影響します。
――藝大では学部の授業で野焼きを学ぶことができるのですか?
柿沼: いえ、カリキュラムにも課題にも含まれていません。ですが、どうしても野焼きをやりたくて指導教授に依頼し、藝大の取手キャンパスで体験させてもらっています。この作品を焼成したのは寒い冬の11月だったので、あっという間に日が暮れていきます。すっかり暗くなった闇の中で土偶が焼きあがる様子は、どこか「儀式」のような感覚がしました。
――独特の色合いは偶然の結果なのですね。原始的な表面の一方で、ところどころガラス素材も埋め込まれていますね。
柿沼: はい。それは、ガラスを装飾として陶土に練り込んだものです。焼成時に高温だったところと低温だったところとで、ガラスの溶け方が変わるのも野焼きのおもしろさです。特に、ガラスがプクっと膨らんで水玉のように浮き出た部分が気に入っています。別の場所ではガラスが平面的に溶けだしているところもあります。
偶発的な美に心を寄せる
――予測不可能な表現に惹かれているようですね。
柿沼: 何が起きるかわからないのが、野焼きの魅力だと思います。この作品と同時につくった兄弟のような作品もあるのですが、ガラスがきれいに現れたのはこの子だけなんです。不思議ですよね。
――作品を「この子」と呼ぶのは愛着があるからですか。早々に買い手がついたそうですが、売れるのはちょっと寂しい……?
柿沼: この子をつくる時、対峙した時に言語とは違う、無意識のコミュニケーションが行われていると感じたんです。私が意識できないところでこの子はおしゃべりをしていて、それは私たちの意識では感じ取れないし、言葉として受け取ることはできないんです。けれども、無意識下でしっかりそれを感じとり、交信をしているような感覚です。この子と濃密な時間を重ねてくれる方が迎えてくださるなら、とても嬉しいことです。
私の中にいる多くの私
――不確定な要素が多い野焼きだからこそ、意識と無意識の間で漂う姿を表現できたのかもしれませんね。
柿沼: 電気窯であれば、⼟を選び、温度を制御することである程度狙い通りに焼きあげることができます。今回の野焼きでも、最終的にどのような作品にしたいかという完成イメージはありました。でも、そのイメージを完璧に⽬指すために作り⽅、温度管理などを細部までコントロールする必要はないと感じていました。この作品には、そうした⽅針は合わないのです。
――見ていると、人格や対話を感じてきます。母性的な女性のようにも見えてきました。
柿沼: 実は、1人ではなく全部で7人の人格を統合しています。1人はふっと物憂いような表情を浮かべた気品の高い感じ。もう1人はちょっと寝ぼけたような感じ。ほかにもいろいろな人格が存在します。
――柿沼さんの「自己」や「人格」への探求が感じられます。
柿沼: 幼い頃から、そんな考え事や空想をよくしていました。私が自分を自分として認識する瞬間、私の中に多くの私が存在し、それらが対話を通じて私を形成していることの不思議さというのでしょうか。天使の自分と悪魔の自分といった表現がなされるアニメがありますが、それに近いです。ただ、自己の多様性を受け入れ一つの自己像に統合することは不思議で、不確かなことだと感じています。そうした心のイメージを作品に込めています。
なので、この作品の造形によって「何かを表現した」というよりも、制作中にさまざまなことを感じながら手を動かすことで、私の考えていたことがこのかたちに現れていると考えています。
――やはり、この土偶は柿沼さんの魂そのものですね。
柿沼: 自分や人格といったものの曖昧さや、とらえがたさに興味があります。教科書で習ったことだって、後の研究によって覆されたりします。だから、偶発的な美が宿る野焼き、偶然生まれた作品の中にある不明瞭な部分を通して得られる、表面から見えるものばかりが自分ではないという気づき。私はそういう確かでないものに心惹かれるのです。
【柿沼 美侑(かきぬま みゆき)】
2001 東京都生まれ
2021 東京藝術大学 工芸科陶芸専攻学部 入学・在学中
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