Z 世代の僧侶アーティストの最新型「来迎図」が心に響く! 長谷川彰宏の思想と表現に迫る

ライター
菊池麻衣子
関連タグ
インタビュー

天台宗系の寺院の19代目で、2009年に得度(とくど:出家の儀式)している長谷川彰宏さんは、現在東京藝術大学院美術研究科デザイン専攻に在籍中。比叡山での厳しい修行も成し遂げた僧侶でありながら、気鋭のアーティストとして神楽坂の√KContemporaryにて初個展を開催しています(2022年8月6日まで)。
展示会場で真っ先に度肝を抜かれたのは、パッと見では来迎図とわからない、アバンギャルドな来迎図。300号の大作をはじめとして、赤青緑などの原色が蛍光色のように発光しながら目に飛び込んできます。絵画に描かれた不思議なモチーフとして、スキンヘッドで耳がとがった巨人や、床にへたり込む人物や、発光するキャラクターなどが登場。最初は謎だらけなのですが、長谷川さんに尋ねていくと、自力でたどり着いたブレない「信仰心」を軸にして登場した必然的なキャラクターだということが分かってきます。
実は、長谷川さんのこのブレない「信仰心」の中心にはあるクリエイターが存在するというのですが、まずはそれが誰なのかを探ります。その過程で、伝統的な仏教にとらわれずにその本質をアートを通して未来に伝えようとする、彼の野望は独自のゆるぎない「信仰心」に支えられていることが分かってきます。
更に、その野心的な試みを実現させるために、長谷川さんが切磋琢磨している絵画技法についても詳しく伺います。蛍光色ではない、普通の油絵具で描いたのになぜデジタルディスプレイのように発光して見えるのでしょうか? その仕組みにも迫ります。

長谷川彰宏さん。√K Contemporaryにて。

意外と多い僧侶の藝大生

長谷川さんは、10歳で得度している正真正銘の僧侶さん。
僧侶というのは小さい頃からそのための修行を積んで、専業で寺社に勤めているイメージがあったので、なぜ藝大に入ってアーティストの活動をなさっているのかを最初に聞いてみました。
すると、「父親は僧侶でありながら、小学校の美術教師でもあったので、子供達は皆描いたり作ったりすることが自然な環境でした。実は姉も藝大に入りました」とのこと。
また、大学に入ってから「藝大寺部」を作ろうとしたことがあったほど、意外と僧侶の方も多いそうです。そんな長谷川さんの、美術鑑賞の原体験は、「仏像を1時間見ていても気持ちいい」という感覚とのことです。

来迎図と華厳経のストーリーが主要モチーフ

果たして、√KContemporaryにて開催されている個展にはどのような作品が展示されているのでしょう? 地下一階から始まるということで降りてみると、ほの暗いコンクリート打ちっ放しの空間に、濃い青色をベースにした大きな絵画が光を発して浮かび上がっています。それぞれの絵には、巨大な人物が何人か描かれているのですが、蛍光ペンで描いたような輪郭線。なんか宇宙で起こった出来事を描いた電光掲示板みたいだなと思って見ていると、「来迎図ですよ」と長谷川さん。
え? これが来迎図?
来迎図というと、臨終の時に、阿弥陀様を中心にした、何人かの菩薩様が雲に乗って迎えに来る様子を描いた絵ですよね。掛軸や屏風になっているのを見たことはありますが……。

「入法界品II」

これが来迎図とは何とも大胆な!
かなりミステリアスなので、とにかく長谷川さんご本人に、この絵がなぜ来迎図で、どのようなことを表現しているのかを聞いてみました。
長谷川さん曰く、「例えばTwitterとかを見ていると、『何を信じたらいいかわからない』と思っている人がすごく多いなと感じます。かといって、『これが好きだ』ということを強力にアピールすると炎上してしまったり。でもそんな今だからこそやはり、自分の原体験から一つ『これは正しい』と信じられる好きなものを見つけると、とても生きやすくなると思うのです。その一つを見つけると、迷った時などはそのつど立ち返って修正できたり、人生を支えてくれるようになります。それは仏教ですと仏様への信仰心となるのかもしれませんが、何か他のことでも良いのです。ただ誰かの感動に依存するのではなく、自分で見つけたものでなければいけません。
私にとって、それは、映画監督でアニメーターの宮崎駿(みやざきはやお)さんです」

なぜ宮崎駿さん?

なんだか意外な展開です! しかも、まだ絵の謎も解けません……。
ここで、ヒントとなる長谷川さんによるテキストを引用します。彼が2020年に、今までテレビでしか見たことのなかった『風の谷のナウシカ』を、特に期待もせず映画館で見た時の体験です。

本当に衝撃を受けた。
なぜか開始10分くらいで涙が止まらないのである。本当にわけも分からずただただ感動した。例えば25分あたりで、蟲に取り憑かれた大型船が風の谷に落ちてくる。墜落して炎上する中に、ウシアブという蟲が一匹まだ生きていて、羽が傷ついたその蟲をナウシカが虫笛で導き、腐海に返しにいくというシーン。他にも50分あたりで、腐海に墜落しそうな城おじたちの乗る船の横につけ、腐海にすでに入っているにも関わらず、城おじを落ち着かせるためにマスクを脱ぐナウシカのシーンなど。
なぜかずっと涙が止まらないのでびっくりした。自分は映画で泣くタイプの人間ではないとずっと思って生きてきたが、気づけば胸元が湿るくらいに泣いているのである。
映画を観終わった後、不思議な脱力感、無力感とともに気が晴れた心持ちになったのを覚えている。なぜこんなに感動したのかと、その後、宮崎駿の作品はもとより文献も読み漁った。
すると分かったことがある。
宮崎駿は深く人類に絶望していて、「それでも何か信じられるものはあるはずだ」という希望を見出すための悪戦苦闘をやり続けている人間だということだ。(出展:中川瑛、下山明彦、長谷川彰宏、前田陽汰「若者のための死の教科書(仮題)」2022年刊行予定)

このように衝撃的に感動した原体験から、長谷川さんは、『これは正しい』と信じられる人物として宮崎駿を見つけたのです。
そして、このように自力で「信じられる」ことを見つける旅や、その過程で出現した仏様のような存在を描いたのが彼の「来迎図」なのです!

長谷川さん曰く「ここで重要なのが、『絶望』です。これは『華厳経』に出てくるエピソードなのですが、善財童子という人物が、悟りたいと願って、信仰できるような正しい存在を探して歩きます。ところが、全然見つからずに絶望します。でもその後ついに、森の中で獅子に乗った金色に光るその人をついに見つけるのです」
そして、最初に出てきた絵の一箇所を指差しました。
するとそこには、絶望して膝をついている人物が!

「入法界品II」より部分

ものすごく小さいので気がつかなかったのですが、リアリティ抜群に描かれています。
そして彼の視線の先遠くに微かに見えるのが、輝く三尊! これが、「絶望」の先に見いだすことができた「希望」です。

「入法界品II」より部分

この二つの部分は、縦1.6m、横5mもある本体の絵の中で2センチくらいの小さなものですが、とても重要な瞬間を捉えています。この瞬間に、先ほど絶望していた人物は「こいつは尊い。いい生き方をしている!」という人生の核となる信仰の対象を見つけることができたからです。
するとこの一番目立っている3人の巨大な人物や、手前に立っている人は?
「一人すごい人を見つけると、今まで居たのに見えていなかった他のすごい人も見えてくるということを伝えています。それが例えばこの大きな3人だったり、手前の一人は、自分の中にもすごい人を見つけた人物とも考えられます」と長谷川さん。

「入法界品II」

素晴らしい!
お話を聞くまで頭の中はクエスチョンマークだらけでしたが、今は、「来迎図」と「華厳経」が長谷川さんの実体験と融合しました。そして、「絶望」から「希望」を見るまでのドラマを実践してみたくなるような気持ちに…。
ところで、長谷川さんが生み出した、これらの「新型の宗教画」にとって、とても重要なことがあります。それは、「発光している」(ように見える)ことです。
「大乗仏教では仏になると、身体自体が変わります。何十箇所も変わるのですが、その変化の一つとして、『発光する』ということがあります。なので、ここにある作品は光ってるように見えるように描きました」と長谷川さん。
ここで特別に、蛍光色を使っていないのに、発光して見える描き方のメカニズムを教えてもらいました。

絵の具でハレーションを起こす

「ハレーションって分かりますか?」とおもむろに長谷川さん。
「ハレーション(halation)は、明度差がない彩度が高い色を組み合わせることで、目や脳が反応してチカチカと動いて見えるような色の組み合わせのことを言います。私は、絵の上でハレーションを起こすことで発光しているような効果を出しています。
この抽象画で説明しましょう」。

「halationIII」 部分

「これは、まず木の板の上に白い絵の具を塗り、その上に透明のアクリル板を載せています。そしてそのアクリル板の上に赤青緑など鮮やかな色を乗せています。
すると、アクリルの向こう側の白い表面が、バックライトの役割を果たして反射を引き起こすので、普通の油絵の具なのに光を放っているように見えます。
更に工夫したのは、補色同士を細い線で隣り合わせで描くと、それを人が両目で見ると脳が勝手にちらちらと色の境界を動かすので、蛍光色に見えます。
これらを発見して、実際アクリル板の上でカラフルに発光して見えた時、『キレイ!』と思いました。この『キレイ!』と感動する原体験が重要です。描いてる時は、ただただ『キレイ!』と夢中になって描いています。こんな時、意味は後づけになります。もちろん意味づけの内容も本当の原体験から来なければなりませんが、「この意味を出そう」と思いながら描く必要はありません。
本当に『キレイ!』なものが心に刺されば、人はそこにつけられた意味が何であっても、納得するのだと思います」と長谷川さん。

ゲルハルト・リヒターと長谷川さんがつながる

ここで私の脳の中に、バチーンとつながってきたのが、ゲルハルト・リヒターの抽象画です。
2022年10月2日まで東京国立近代美術館で開催されている「ゲルハルト・リヒター展」の記者発表会で話された内容が、今突然理解できた気がしたのです。その時の、記者と主任研究員のやり取りは次の通り。

記者の質問:「リヒターの作品は、難解な作品が多いと思いますがなぜ広く人気を集めていると思われますか?」
桝田倫広主任研究員:「具体的にはどのような点が難解と感じられていますか?」
記者:「見た目で、何が描かれているかわからない点です」
桝田倫広主任研究員「私の見立てでは、彼の作品の見た目は難解ではないと思います。すごく明快で、ちょっと危うい言い方をしますけど美しい。『キレイ』である。見た目が魅力的であることがまず第一にあると思います。ところがちょっと作品を読み解いてみようと思うと、そこに非常に奥深い様々なメカニズムが働いている。そこがリヒターの作品の非常に面白いところで、だからこそ間口が広く、だけれども論じ甲斐があるのだと思います」

これを長谷川さんに伝えると、「もうまさにリヒターは、制作中は『キレイだなあ』しか考えてないと思いますよ!」と即答。
もちろんリヒターさん本人に真意は確認していませんが、「きっとそうに違いない!」と思えました。

東京国立近代美術館「ゲルハルト・リヒター展」の展示風景。「ビルケナウ」 2014年 油彩、キャンバス 各260 x 200cm ゲルハルト・リヒター財団蔵 撮影:山本倫子 © Gerhard Richter 2022 (07062022)。この美しい抽象画の下地にはホロコーストの写真を元に描き写したイメージが隠れている。

さて、もう一度展示中の長谷川さんの「来迎図」に戻り、先ほどの技法が生かされて発光が表れている例を見てみましょう。

「懺悔、来迎、祈り。あるいは地平線」

「懺悔、来迎、祈り。あるいは地平線」部分

輪郭線は補色とハレーションの効果で蛍光色に見え、全体的に背面の白から反射されるバックライトを受けて美しく発光していますね。

「懺悔、来迎、祈り。あるいは地平線」部分。絶望して膝をつく人物が手前にいて、その視線の先はるか向こうには発光する三尊が見える。

最後に、「来迎図」に度々登場する「絶望して膝をつく人物の視線の先に発光する希望が見える」場面を複数の作品中で描くことで、人々が一目で『華厳経』だと認識する典型フォーマットとして何百年後の未来にも伝わるように広めていきたいという野心も語ってくれました。
要するに、キリストが十字架にかけられている絵を見たら反射的に「磔刑図だ」と認識されるほどに定番の場面をこれから定着させていくということですよね。
オリジナルの「来迎図」と、美しく絵を発光させる技術を携えて、令和から始まる新しい仏画の歴史をどのように築いていくのか?! 長谷川さんのご活躍にこれからも注目していきたいと思います。

【展覧会基本情報】
長谷川彰宏 個展「よもぎとコンプ」
会期|6月25日(土)〜8月6日(土)
*日・月 休み
*会期中一部展示替えあり
入場料| 無料
主催|  √KContemporary
【参考情報】
ゲルハルト・リヒター展
会期:2022年6月7日~10月2日
会場:東京国立近代美術館
観覧料:一般2200円/大学生1200円/高校生700円/中学生以下無料
URL:https://richter.exhibit.jp/
《巡回》
会場:豊田市美術館
会期:2022年10月15日~2023年1月29日

おすすめの記事