東京藝術大学は10月17日から23日にかけて、社会連携を目的とした「東京藝大アーツプロジェクト実習」の一部として、東京・丸の内を拠点に行っている「日本一のビジネス街が求める〈アート体験〉とは?」をテーマにした講座プログラムを実施しました。
この「東京藝大アーツプロジェクト実習」は、藝大の学生がプロデュース力・コーディネート力・コミュニケーション力などを養い、社会連携に関するスキルを培うことを目的として、同大社会連携センターが今年度から開設しているもの。
基礎講座と実践講座から成り、アーツプロデュース関連分野に興味がある学部生や大学院生を対象として、修了者には「文化芸術アソシエイツ」資格の証明書が授与されます。
実践講座はテーマごとに選択可能で、佐野靖・音楽学部教授による 「地域活性化につながるアウトリーチを構想・展開する」、伊藤達矢・社会連携センター特任教授による「生活圏のアートプロジェクトが街の資源と表現をつなぐ」、中村政人・美術学部教授による「創建400年を向かえる寛永寺を舞台にアーツプロジェクトを共創する」など4つのテーマに分かれており、それぞれ東京・千住や茨城県取手市、東京・上野など、各地でそれぞれの地域の人たちと連携しながら、8カ月間にわたってプロジェクトを進めています。
ビジネス街で「アート体験」
これらの講座のうち、10月17日からは東京・丸の内で宮本武典・美術学部准教授による「日本一のビジネス街が求める〈アート体験〉とは?」のプロジェクトがスタートし、学生や院生が市民を対象にこのエリアのアートを解説しながら案内する「アートウォーク」が行われました。
このプロジェクトは、国内外のグローバル企業が集積し、さまざまな角度から都市開発が行われている東京・丸の内を舞台に、江戸時代から今につながる東京の文化の多層性を、市民の人々とともに考えるもの。同時期に開かれている三菱地所株式会社と藝大の共同開催アートイベント「藝大アーツイン丸の内2022」の制作プロセスと並行して実施されました。
宮本准教授はプロジェクトの意図について、「皇居に隣接する丸の内の超高層ビル群は、江戸城の区画を由来とする『城塞都市』としての記憶を土台にしている。その一方で、近年ではショッピングエリアとしても人気で、また、パブリックアートや都市緑化などビジネスだけではない総合的な街づくりが進められてもいる。この場所を藝大生の目線で市民の方々に解説・案内してもらうことは、双方にとって貴重な経験になるはず」と話します。
「東洋一」だった丸ビルの記憶
この日は、20代から70代までの男女5人が参加。丸の内ビル(※)をスタートした一行は、東京駅丸の内中央口の前にある、彫刻家・横江嘉純(※)の「愛の像(アガペの像)」についての解説を受けた後、丸ビル内に展示されている彫刻家・土屋公雄(※)のブロンズ製の塔「Mの記憶」を見学しました。
宮本准教授が「戦前まで日本最大のビルだった丸ビルは、海抜が低く比較的ゆるい土壌の上に建てられている。それを支えていたのが長さ16メートルもある松の杭で、数百本のうち地中に埋められていた松の杭を、2002年の建て替えの際に取り出してブロンズのパブリックアートとしたのがこの作品。土地の記憶とアートの関係が表現されている」などと説明しました。
続いて、仲通りへ。この通りは現在ストリートギャラリーとしてさまざまなパブリックアートが展示されています。このプロジェクトに参加した藝大デザイン科の大学院生・ヤマモトヒカルさんは、大手町・丸の内・有楽町から成る「大丸有エリア」について、「このエリアをつなぐ仲通りには『ポリフォニック・リフレクションズ(※)』と名付けられた266枚のアートフラッグが掲示されていて、大丸有の人々の声が風景と響き合うようなプロジェクトになっている。アートはコミュニケーションでもあるということが旗に表されており、ビジネス街である大丸有というエリアを普段とは違った視点で見ることができるかも」などと解説しました。
ビジネス街だからこその展示
現在16点のアート作品が展示してある仲通りのストリートギャラリー。「箱根 彫刻の森美術館」(※)とのタイアップによって展示されている作品は、随時入れ替わっています。
美術学部絵画科4年の荒川真穂さんは、「もし私の作品が展示できるとしたら」と、丸の内という場所から構想した自身の作品コンセプト「良い上司ガチャ」を提案。「聞き上手な上司や寄り添い上司など、『良い上司』のフィギュアがガチャポンでランダムに出てくるパブリックアートをここに置きたい。大企業のエリートサラリーマンやOLが働く丸の内という場所でも、みんなそれぞれ悩みや苦悩を抱えているはず。フィギュアを通して、それぞれの職場でコミュニケーションが生まれたり、情報社会の中で人と人がどのようにつながっていくのかも考えられたりする作品が展示できたら、丸の内エリアにふさわしい展示になるのでは」などと話しました。
その後、一行は三菱1号館美術館や新国際ビル・新日石ビル間の路地空間を公園としてリニューアルした「有楽町SLIT PARK」などを回りました。有楽町周辺には、高度経済成長期に建てられたビルも多く、老朽化のために解体・建て替えを控えているビルも少なくありません。
そのうちの一つ、「有楽町ビル(※)」は2023年の取り壊し・建て替えが決まっています。このビルの内装について解説したのが、美術学部芸術学科3年の森川紗希さん。「戦後の1960年代に建てられたビルは装飾が多いのが特徴。特に、装飾に機能性を持たせようとしたのがこの時代で、民藝のような『用の美』を表現しようとしているのかもしれない。耐久性が高く、劣化しにくく、メンテナンスのしやすさもあり、この時代多くのビルにこうした装飾が用いられた。有楽町ビルの装飾は飴釉(あめゆう)を使っているように見えるが、よく観察すると一つずつのタイルに表情の違いがあり、もうすぐ見れなくなってしまうので、ぜひ今のうちに楽しんでもらいたい」と話しました。
丸の内で誕生するアート作品
現在、有楽町ビルの10階には「YAUスタジオ」と名付けられた、藝大に籍を置く絵画や写真、演劇などのアーティストらのための制作拠点が設けられています(普段は見学不可)。完成された作品ではなく、いままさに「生まれようとしている」作品を前に、参加した人たちは興味深そうに眺めていました。
この日参加した50代の女性は「普段、美術館などではすでに評価が定まったものを鑑賞しているけれども、いままさにアーティストの人たちが作品を生み出そうとしている現場を見ることができたのは貴重な体験だった」と感想を述べました。また、20代の男子大学生は「自分も学生だけれども、藝大生の人たちは普段どのようなことを学んでいるのかに興味があって参加した。自分を表現できるということが素晴らしいと感じたし、アートに対する見方が変わった」とコメントしました。
プロジェクトを担当した宮本准教授は、「アートと社会の連携というと、地方再生や過疎などがテーマになりがちだが、『過密』という問題を抱えた都市部にも社会課題は存在している。そこにアートがどのように関わるのかを考えるアートプロジェクトというのは、ほとんど前例がないと思う。住宅や墓地など、人が暮らす場所に必ずあるものが丸の内にはない。そうしたある種特殊な場所において、人と人はビジネス以外でどのようにつながることができるのか。オフィス街だからこそ、ビジネスとは別軸の価値観であるアートを持ち込んだ時に、地方都市とはまた異なるつながりがうまれるかもしれない。そうしたことを、参加した人や学生たちに感じてもらえれば」と話しました。
なお、このプロジェクトは7日間にわたって行われ、アートウォークには延べ160人が参加しました。