2020年初秋に正木記念館で開催された、日本画第一研究室の成果展「一研展」。展示空間の和室でひときわ目立っていたのが、同研究室の学生、研究生、教員、全17名が参加した巻子(かんす)「ジカン」です。このほど、この巻子を藝大アートプラザで展示販売することになりました。同研究室の海老洋先生に巻子について伺った様子をお届けします。
■巻子を仕立てることは、先生側からの発案だったのでしょうか。
一研展は、毎年陳列館(東京藝術大学大学美術館陳列館)を使って開催しているのですが、今年は例外的に正木記念館の和風の空間を使うことになりました。同時代の助手さんや学生さんがこれだけ集まって和風空間で展覧会を開催するのだから、何か一体になるものをつくろうと考えていたところ、植田先生から巻子を合作するのがいんじゃないかという提案があり、つくることに決まりました。昔から、日本画の表現形態である「貼交屏風」や「画帖」では、同時代の画家が合筆することがよくありました。現在はあまりそういったものは見かけませんが、その流れを継いでいるとも言えるかもしれません。
正木記念館で開催された「一研展」の展示風景
■日本画第一研究室でこのような合作をすることはいままであったのでしょうか。
初です。大学院生の修士・博士と研究生、助手と講師、教授の全員、17名が参加しました。
■テーマはありますか。
学生たち自らが「時間」に決めました。巻子を制作していたのは、ちょうどコロナの自粛期間中の大学が入構制限されているときでした。その間に、各々自分の時間をずいぶん意識したこともあって、テーマが決まったのでしょう。そもそも、源氏物語や仏教の経典もそうですが、巻子は右から左に時間の流れを表現するものです。巻子を合作することに決まった当初から、このような時間の話を私たち教員から学生にしていました。そのことも影響しているかもしれません。
巻子「ジカン」部分
■絵巻と巻子に違いはあるのでしょうか。
巻物状の表現形態を巻子といいます。屏風、襖などと同じレベルの言葉です。絵巻は、物語など、初めから終わりまで一つのテーマが続くものを言います。源氏物語絵巻、鳥獣人物戯画などがその例です。
巻子「ジカン」部分
■それぞれが描いた絵を、どのように巻子状に仕立てたのでしょうか。
藝大のOBで日本画研究室の教員も長く勤めた先生が、宇都宮の文星芸術大学で教員をされていて、ご自身で表具もされるので、その方にそれぞれが描いた絵を預け、巻子に仕立ててもらいました。長さや幅、紙の選定などの相談にも乗っていただきました。巻子は場面ごとに肩幅くらいに広げ、くくりながら見るものです。そのため、各絵の長さも40cmぐらいを基本にしました。
巻子「ジカン」部分
■各絵の間に「一研展」の印が捺してありますね。
たとえば鳥獣人物戯画など、紙の継ぎ目に所蔵先である高山寺のはんこが捺してあります。はんこがあると古画の雰囲気が出るし、リズムも生まれるなと思いまして、紙の継ぎ目に研究室の落款、それぞれの絵の中に個人の落款を捺しています。
■海老先生の描いた箇所は、2枚の紙を継いだようにしていますね。
本当に紙を継いだのではなく、継いだように描いて見せています。以前、巻子をテーマに作品をつくったことがあります。そのときは、断簡に興味を持っていました。断簡は、絵巻からある部分を切りとって、掛け軸や額装に仕立てたものです。それが古美術商で売られたりして、後世まで独立した作品として伝わっていることがあるのですが、断簡だけでも絵として成立しているのが面白いなと思って、作品をつくりました。自分で6メートルぐらいの巻物をつくって、切って、それを表具屋さんに軸にしてもらって断簡をつくります。残った巻物をつなげ、切り取られた間の部分に落款を捺し、断簡のそばに巻物を飾るという展示です。今回の絵も、切れ目のあいだにもう一つ場面があるというイメージで描いています。
巻子「ジカン」より 海老洋 担当箇所
■海に箱のようなものが浮かんでいますね。
僕は、海に箱が浮かんで流れているイメージを持っていて、それをテーマに描くことがよくあります。その箱は、鳥や蝶がとまるお休みどころとしての箱です。今回の巻子のテーマが時間だったので、岸から流れた箱がどこかの岸に漂着するというストーリーを考えまして、紙の切れ目に見立てた箇所の間にも別のストーリーがある、ということで時間を表現しています。
■左の紙には字のようなものが書かれていますね。
絵巻に書かれる詞書にも興味があって、この作品に限らず、絵の中に字を入れることがよくあります。日本語を入れると意味が伝わってしまうので、ドイツ語風の言葉を書いています。じつは、左だけでなく右側の空の部分にも、薄い色で字を書いています。
■他の方の作品も見てみたいです。
重政(周平)さんは、時間を層にして重ねたイメージ、パソコンでいうとレイヤーのイメージでつくっています。黒い縦の線は、他の作品を遮断するようになったら面白いと思って描いたそうです。紙をパネルに貼らずに直接描くと、皺ができるのですが、その皺の部分にたまった絵の具を文様として生かしています。
巻子「ジカン」より 重政周平 担当箇所
伊東(春香)さんは、曇りの日に空を見上げると時間の感覚が麻痺してくることを、表現しようとしています。墨流し(水に墨をたらして紙をおいて吸い込ませて転写する方法)でできたマーブル模様を雲に見立て、その下にビル群を描いています。
巻子「ジカン」より 伊東春香 担当箇所
大嶋(直哉)さんは、礬水(どうさ)引きという墨が入らないような加工をし、その上に一気に墨を塗ると、礬水を引いた部分だけが白く浮いてくる。そのような技法を利用しています。
巻子「ジカン」より 大嶋直哉 担当箇所
ギリシャからの留学生・BISIRITSA MARIAさんは、ギリシャに帰ったら、コロナの影響で日本に戻ることができなくなってしまって、そのあいだに近所の遺跡を描いたそうです。
巻子「ジカン」より BISIRITSA MARIA 担当箇所
■松原さんの作品は、水彩絵の具で描いたように見えますが、これも日本画の絵の具なのでしょうか。
巻子や掛軸にいつもの日本画のような厚塗りをすると、巻いているうちにはがれてしまいます。だから、巻子や掛け軸は、なるべく紙にぴったりつくように絵の具を薄く塗ったり、墨で描くことが多いです。学生にこのことを話していたので、それぞれ工夫しながら、ギリギリのところを狙って描いています。
巻子「ジカン」より 松原瑞歩 担当箇所
■並び順に決まりはあるのでしょうか。
大学院新入生から教授まで年齢順に並んでいます。これもある意味で時間を表しています。
巻子「ジカン」より 植田一穂 担当箇所
■学生さんは巻子を描くのは初めてだったのでしょうか。
初めてだと思います。僕だって過去に1点しかつくったことはないです。話は脱線しますが、明治時代の東京美術学校(東京藝術大学の前身)では成績表も巻子仕立てだったと聞きました。成績とともにその学生が描いた作品を筆で臨写したものが描かれていたようです。今よりもはるかに巻物が身近にあったのでしょうね。
■最後に巻子の可能性について教えてください。
巻子は、体積に反して場を支配する力が強いです。正木記念館の和室でも一つの作品で存在感を発揮していました。今回の巻子の長さである960cmを通常の平面作品で埋めようとしたら、普通、搬入に2トントラックが必要です。しかし巻子ならばカバン一個で済んでしまいます。一般住宅になかなか飾りにくいというデメリットはありますが、合作というかたちで巻子制作に携われたことは、学生たちにとってもいい機会になったと思います。
藝大アートプラザでの巻子「ジカン」の展示風景
●巻子「ジカン」作者
植田一穂、海老洋、長澤耕平、重政周平、伊東春香、椎野倫奈、和田宙土、 菊池玲生、惠羅由記、大嶋直哉、李雨晨、渡邊美波、岡路貴理、川口富裕実、 松原瑞歩、山田卓人、BISIRITSA MARIA
●海老洋プロフィール
1965 | 年 | 山口県生まれ |
1995 | 年 | 東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程美術専攻 単位取得退学 |
2003 | 年 | 第30回創画展 創画会賞(’05) 文化庁新進芸術家国内研修制度 研修員 |
2006 | 年 | 第33回創画展 創画会賞 会員推挙 |
2009 | 年 | 広島市立大学芸術学部 准教授(’14~同教授) |
2016 | 年 | 東京藝術大学大学美術学部 准教授 |
現在 | 東京藝術大学大学美術学部 准教授 一般社団法人創画会会員 |
取材・文/藤田麻希 撮影/五十嵐美弥(小学館)
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