「花と蕾展」では、普段の展示とは異なり、展覧会のためのキービジュアルをつくりました。そのアートディレクションを担当した、デザイン科非常勤講師の猪飼俊介さんをお招きし、伊藤久美子店長と、アートプラザが進行役となって、キービジュアル誕生にまつわるよもやま話を語りました。猪飼さんから明かされた、花の写真を使ってデザインすることの意外な苦労とは……。
左から、猪飼俊介さん、伊藤久美子
アートプラザ(以下AP):最初に伊藤さん、今回の展示のテーマを「花と蕾」にしようと思ったわけを教えてください。
伊藤:3月のこの時期はお出かけをしたくなったり、お買い物をしたくなったりする時期ですので、なるべくいろんな作品が集まって、季節の気分に合うような展示をやりたいと思いました。去年この時期に開催した「おめでとう!の春色展」は、ピンクとグリーンをテーマにしたのですが、それにつながるようなことをやろうと思って、時期的にもぴったりな花というモチーフが候補にあがりました。本当は「花と実」にしようと思っていたのですが、考えていくなかで「蕾」という言葉が出てきて、そのほうが時間性や少しエロティックな雰囲気もでてきますし、テーマとして広がりがでると思って「花と蕾」に着地しました。
AP:このように展示のテーマが決まって、DMのキービジュアルを考えていたときに、ちょうど卒展(卒業・修了作品展)で、藝大アートプラザのオープンに際してのCMの動画を撮ってくださった新津保建秀さんの、博士課程の修了作品を見たんです。その展示を見て、新津保さんにキービジュアルの写真をお願いすることにしました。新津保さんは写真家として第一線で活躍しながら、藝大の大学院に入り油画専攻で学んでらっしゃいます。
「花と蕾展」DM
撮影:新津保建秀 アートディレクション:猪飼俊介
伊藤:もともとキービジュアルとなるイメージは、展覧会の代表作ではなく、展覧会全体を匂わせてくれるものにしたいと思っていました。新津保さんの卒展の作品は、写真というあるイメージを切り取ったものにもかかわらず、写っているものからどんどん違うイメージにつながって、最終的には知らないところに連れて行かれるような、不思議な感覚を覚えるものでした。それで、新津保さんの写真ならば、花そのものの姿をストレートにDMに表現しても、展覧会全体を紹介するイメージとしてぴったりなのではないかと思いました。
AP:最初、新津保さんが仕事でタヒチに行く予定があるということで、タヒチの花を撮ってきていただいたのですが、実際に見てみると日本の花とはちょっとイメージが違うなとなりまして、急遽、新津保さん、猪飼先生、伊藤店長と私で花屋に集まって、花を選んでスタジオで撮ることにしました。猪飼さんはいかがでしたでしょうか。
猪飼さん:花を選びに行くとところから、カメラマンの新津保さんと回ることができ、皆さん1日の共有した行程を面白がってくださっていたので、なごやかな雰囲気のなかで、自然とできていきました。
伊藤:集まった日の雨の具合がとてもよくて、花がいきいきとしていました。雲が厚くなくてほんのり空が明るくて、色が落ち着いて、本来の色が見えてくる感じでした。
猪飼さん:カラッと晴れた天気だと、花のイメージはフレッシュできれいなものという方向に限定されると思うのですが、みんなで花を見に行ったときの曇り空のもとで花を見ると、含みがあるというか、イメージに広がりが持てる気がしました。実際、新津保さんからあがってきた写真に怪しい雰囲気のものが多かったのも、その日の天気や、みんなで花屋からスタジオに移動したショートトリップのような行程が、若干アングラ性を秘めていたことなどが影響しているのだと思います。
AP: デザインするうえでのご苦労はありましたか?
猪飼さん:新津保さんからいただいた写真は、白黒とカラーと半々で、どちらにするか悩みました。花の写真って意外と扱いが難しくて、写真に文字を載せるととたんに昭和っぽくなってしまいます。バナーの文字の載せ方もギリギリのラインで、もうちょっと花にかけると、CDのジャケットみたいな雰囲気になってしまいます。DMも苦肉の策で、左と下にホワイトスペースを入れることで、ギャラリーっぽく、一歩引いて見えるようにしました。そうすることで、アートプラザという普通とは違った特異なギャラリーの持っている雰囲気を、古臭くなく見せられたと思います。白黒の写真ならば、文字を英語にして現代アートっぽいシャープな感じにもできるのですが、コロナウィルスの影響下のご時世で、白黒写真のDMだったら陰鬱な気分になって、見え方も変わっていたかもしれません。
「花と蕾展」バナー
撮影(花の写真):新津保建秀 デザイン:猪飼俊介
伊藤:結果的に明るい色にしてよかったです。
AP:いくつかデザインの候補をいただきましたね。
猪飼さん:何パターンかつくりましたが、今回のDMのデザインものが、もっとも花びらに寄ってトリミングしたもので、バナーには花の全体像を使いました。きれいな写真なのですが、花をあらわしすぎてしまうと、いわゆる「花の写真」になってしまうので、その点も難しかったです。
伊藤:新津保さんからいただいた写真も花びらのズームショットが多かったですね。
猪飼さん:最初に花屋の店先で撮った写真が、花びらの水滴を思いっきりズームで撮ったものでした。それらについて移動中にみんなで「水玉が目のように見えて面白いね」と言ったりしていたので、その影響もあるかもしれません。
AP:いままでの猪飼さんの仕事で、カメラマンの撮影から同行してアートワークを仕上げていくことはありましたか?
猪飼さん:最近では、フォトグラファーや記者の方と一緒に静岡のバネ工場に行って、バネが機械から出てくる様子を写真におさめて、カタログ広告にするプロジェクトに参加しました。移動中や休憩時間に話したことで写真の方向性に加われたり、そのときも車で旅行にいくように取材をしたのですが、その一日の人との付き合いや、会話、共有した経験、感覚が少しずつ後で頂いた写真にも表れるので、面白かったです。
伊藤:新津保さんの卒展の作品も、撮影のために移動して、そこから出てくる身体性の意識化が問題になっているので、みんなで待ち合わせて移動して撮影する今回の行程は、新津保さん自身の作品テーマともリンクしているのかもしれませんね。
猪飼さん:朝集まって、夕方解散という時間もちょうどよかったですね。新津保さんも、こういう撮影はあまりないから楽しいと言ってくださっていました。
伊藤:同じ時間を一緒に体験することができたので、新津保さんの意図と、猪飼先生のつくってくださったデザインにそんなに乖離がありません。「なるほど、そう見たか」ということがわかって、私も汲み取りやすかったです。
AP:少し話が脱線しますが、猪飼先生は、活版印刷等のアナログの技術を使った新しいデザインを研究されていますね。どのような経緯で印刷に目覚めたのでしょうか。
猪飼さん:もともと僕は自分のデザイン会社を運営していて、デジタルメディアのためのデザインをメインに仕事をしていました。僕がデザイナーになった頃から、どんどん印刷物は減り続けて、9割近くがデジタルの仕事で、印刷の仕事だとちょっとテンションが上がるくらい、印刷に対する憧れをつのらせていました。デジタルのデザインだと、中止や変更になっても簡単に文字を変えられますし、液晶が異なれば色の見え方も違ってきます。一方で、デザインを印刷に落とし込むことは、確定する瞬間だと思っています。印刷物となって、確定して収束した瞬間の緊張感がどこか気持ちよくて、それで印刷が好きになって、自分で勉強するようになりました。
そのうち、活版印刷は、版画のような版を介した間接表現ができる最後の印刷だと思うようになりました。オフセットやオンデマンド、インクジェットなどのデジタル印刷は、入稿データに寄ってしまいますが、活版印刷は圧をどれくらいかけるか、機械の調子やインキの練り、その日の湿気によっても変化します。そこに注目して、このショップカードのようなインキをわざと練らないで、できあがるまでどうなるかわからない印刷をやるようになり、それとデジタルのグラフィックデザインを組み合わせることを趣味のようにやっていったところ、藝大の教授に声をかけて頂き、非常勤講師として招いて頂けることになりました。その教授から紹介いただいて、アートプラザのデザインにも関わることになりました。
AP:これまでに「小さな絵画展」のDM、アートプラザのショップカードやスタッフの名刺をつくっていただきました。
藝大アートプラザショップカード
デザイン・印刷:猪飼俊介
正方形の部分に、一枚一枚異なる色のグラデーションが現れる。
猪飼さん:このショップカードを刷るのは楽しくて、インキを10種類くらい並べてウエス(機械の手入れ用の布)でぐじゃぐじゃっと混ぜた色を、機械にぽんぽん載せると、ローラーを通って、予測不能のタイミングで出てきて、グラデーションやムラになります。インキ自体が油絵の具と同じ原料を使っているので、油絵の具はもちろん、油系だったら印刷用のものでなくても機械に入れられることに気づいてからは、表現の幅が広がりました。最近はアロマオイルも入れていますし、お金はかかりますが、本物の銀の粉を入れると、通電する印刷物もできるんです。顔料のように粉を練って入れることもできるし、洗剤を入れて発泡させることもできます。
「小さな『絵画』展」DM
デザイン・印刷:猪飼俊介
AP:最後に伊藤さん、今回の展示の内容や魅力、見てほしいポイントなどを教えてください。
伊藤:今回は花と蕾というテーマでしたので、時間性や生命の部分などの含みもありますし、絵画や彫刻の人も向きあいやすいテーマだったと思います。花器や花にまつわる器もOKとしていたので工芸の作家もたくさん、偏ることなくいろんなジャンルの人が目一杯出してくださいました。また、花は慣れ親しんだモチーフだと思うのですが、一人ひとりが違った眼差しで解釈していますので、同じ感じの作品がまったくありません。そのような違いにも注目していただけると楽しんでいただけると思います。
●猪飼俊介プロフィール
1982 | 年 | 東京生まれ |
2008 | 年 | ロンドン芸術大学卒業 |
2009 | 年 | Kaikai Kiki デザイナー / ADを経てデザイン会社アルバトロデザイン設立 |
2015 | 年 | デザイン振興会, ASEAN JAPAN主催 グッドデザイン賞 メコンデザインセレクション受賞 |
2016 | 年 | 東京藝術大学 デザイン科 非常勤講師就任 |
取材・文/藤田麻希 撮影/五十嵐美弥(小学館)