「藝大もののけ祭り 百鬼夜行展」に協力いただいた、妖怪研究家・湯本豪一さんインタビュー

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本展覧会は、今年広島県三次市にオープンした湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)所蔵の『百鬼夜行図巻』を、メインビジュアルとして使用しています。この図巻を収集した、妖怪研究家の湯本豪一さんに、『百鬼夜行図巻』や日本の妖怪の特徴について伺いました。

妖怪との出会いについて教えてください。

30代の頃に、江戸時代のすごろくやおもちゃ絵の妖怪と出会ったことがきっかけです。それまで抱いていた怖い妖怪のイメージとは違い、愛らしい、親しみやすい妖怪で、その点に興味を持ちました。江戸時代に入ってから木版印刷の発達によって、一般の人でも入手可能な印刷物がつくられるようになり、人間に近い友達感覚の妖怪が増えていきました。

今と当時とでは妖怪をとりまく状況は違いましたか?

違いました。今のように毎年妖怪に関する展覧会が開かれることはなく、ちょうどそのような機運が芽生えてきたときでした。博物館として妖怪に関するものを発掘し、研究、保存して後世に残そうとする活動はまだありませんでした。研究をするなかで、そのようなことが重要だと思い始め、現在の妖怪博物館(湯本豪一記念日本妖怪博物館[三次もののけミュージアム])に至る、収集と研究の活動が始まりました。

この博物館には、湯本さんの妖怪コレクションが寄贈されていますが、妖怪の名を冠した博物館としては、日本初のものですか?

イベント施設や見世物的なものであれば、妖怪という名前を使った博物館はありましたが、博物館法の趣旨にのっとったかたちでの、後世に保存し展示する社会教育施設としての博物館は日本初になります。

なぜ広島県・三次市にコレクションを寄贈したのですか?

私は三次の出身ではありませんが、三次は「稲生物怪録」という、江戸時代中期の妖怪物語の舞台で、その調査に行った30年ほど前から三次との付き合いがありました。その後、三次市から、町おこしとしての博物館をつくりたいという話がありまして、イベント施設ではなく、後世に残すためのちゃんとした博物館ができるのならという条件を伝え、合意しましたので、コレクションを寄贈することになりました。

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「藝大もののけ祭り 百鬼夜行展」展示風景

湯本さんのコレクションの特徴を教えてください。

妖怪文化の広がりを把握できることです。絵巻や錦絵、和本など展覧会の主役になるようなものもありますが、おもちゃ、やきもの、着物、武具など、見過ごされがちなものや、子供の頃に駄菓子屋で売っていた「おばけけむりカード」など、美術史的価値が高いもの以外の資料も含めて収集しています。また、河童だとか人魚だとか、実際に生き物としては存在していないけれども、いると信じられていたものを、私は「幻獣」と呼んでいるのですが、幻獣のミイラ(ミイラのように見せかけた作り物)などもコレクションしています。

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現代の「妖怪ウォッチ」なども収集の対象になるのでしょうか。

そうですね。ただ、「妖怪ウォッチ」に関するものは数が多いので、それなりにまだ残っていくと思うのですよね。そういったものや、駄菓子屋のおもちゃをないがしろにするつもりはありませんが、古いものは一品物で、なくなってしまう可能性が高いので、どうしても優先順位をつけなければならないこともあります。

今回の展覧会でポスターや会場装飾に使わせていただいた、狩野宴信の「百鬼夜行図巻」の特徴を教えてください。

作者のオリジナリティがかなり発揮されている絵巻です。百鬼夜行に関する絵巻はいろいろありますが、ポピュラーなのは大徳寺真珠庵に伝わった室町時代の真珠庵本に連なる系統のものです。江戸時代に入ると、そのような真珠庵系の古くから伝わっている図柄を取り入れつつも、それぞれ作者が創意を凝らした、オリジナルの図柄を加えたものが出てきます。狩野宴信の「百鬼夜行図巻」は、そのなかで一番グレードの高い作品です。会場で大きく使っているお歯黒の女が登場するシーンは、いろりのところから手が出てきたり、大きな顔があったり、なんともいえない不気味さを醸し出していて、私も気に入っています。

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狩野宴信「百鬼夜行図巻」より/湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)蔵

このシーンは他の百鬼夜行絵巻にない描写なのですね。

ないと思います。登場する一つひとつの妖怪がどうかはわかりませんが、この組み合わせや構図で描いた絵はほかにないですね。空間全体の雰囲気や不気味さを描きたかったんじゃないかと思います。まったくのオリジナルでこの絵柄を考えるのはなかなかできないことだと思います。すごい想像力です。

日本の妖怪の特徴を教えてください。

ヨーロッパ系の現存している妖怪は宗教との絡みで生まれたものが多いです。日本の場合は付喪神(つくもがみ)といって、琴や扇子、傘など古くなった器物に魂が宿って妖怪になるという考え方もありますので、妖怪の種類がとても多いです。東南アジアやアフリカにも、話や踊りなどに妖怪的なものは登場するのですが、ビジュアルの資料として残っていません。日本では妖怪などに関する展覧会をあちこちでやっていますが、それは絵巻や錦絵などが残っているからです。つまり、残っていること自体が日本の妖怪文化のユニークなことなのではないでしょうか。それらを通じて、われわれの祖先の妖怪に対する感覚が視覚的に検証できるのは、面白いことです。

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山田勇魚「野球ボールの付喪神」
「日本人はいろんなものを付喪神にしてきました。明治時代には、人力車や洋傘、ランプなど、新しいものの妖怪もつくっていました。この付喪神もそういった妖怪の延長に位置づけられそうです」(湯本さん)

なぜ日本人は妖怪をビジュアル化したのでしょうか。

最初、日本人は、闇をうごめく気配や自然に対する畏怖、心の不安などから妖怪を生み出したと思います。そして、そのような妖怪の話を伝えたり、記録していくうちに、具体的に妖怪がどういうものか捉えたくなった。具体化することで得体のしれない怖さから、見える怖さに変えていったのではないかと思います。しかも、日本には錦絵やその前の時代なら絵巻など、ビジュアル化するツールがあったので、妖怪のイメージが広まりました。

「藝大もののけ祭り 百鬼夜行展」を見ての感想を教えてください。

いろんな作家が、いろんな感覚で、まっさらな状態で妖怪について考えて表現しているので、広がりがあって面白いですね。私は作家ではありませんが、妖怪に関する情報が入ってしまっているので、殻を破れないところがあります。情報が入らない方が、かえって想像が広がるのでしょうね。

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シャングリラ セーコー「えのめん(河童の川流れ)」
「『河童の川流れ』か、なるほどね。文字通り、物理的にも流れています。いい感覚ですよね。作家さんの特徴が出ています」(湯本さん)

●湯本 豪一プロフィール

1950 年  東京都墨田区生まれ
1977 法政大学大学院修士課程修了

川崎市市民ミュージアム学芸員、学芸室長を経て、現在は妖怪研究・蒐集を行うかたわら大学院や大学で教鞭をとる。編著書に『百鬼夜行絵巻―妖怪たちが騒ぎだす』『怪異妖怪記事資料集成』『日本の幻獣図譜―大江戸不思議生物出現録』『妖怪絵草紙 湯本豪一コレクション』など多数。広島県三次市にコレクションを寄贈、2019年4月、湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)が開館。


取材・文/藤田麻希 撮影/五十嵐美弥(小学館)

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