「音でつくる・音をつくる・かたちをつくる」出品作家インタビュー 柴田早穂さん

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藝大アートプラザ
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インタビュー

鋳金の技法で、うさぎ、おおかみ、木をモチーフにした、柔らかい雰囲気の作品を出品している柴田早穂さん。一見、かわいらしい印象を与える作品ですが、お話を伺うと、生きることと死ぬことをテーマに、人間が生きていくことの根本を見つめようとして生まれた造形であることがわかりました。

今回は、鋳造の技法でできた作品4点を出品していただきました。どのような工程でできあがったのか教えてください。

原型は、蜂の巣からとれる蜜蝋と松の木からとれる松脂を1対1で混合し、お湯のなかで手でひねりながら造形しています。そのようにしてつくった原型に、熔解した金属を流し込むための入り口と道をつけて、鋳型材で包み込んでから窯で焼成します。そうすると、原型の蝋が全部溶け出して空洞ができるので、その空洞に金属を流し込みます。最後に作品の表面を磨いて酸化膜を取ると、柔らかく光る金属の色が現れます。


右から柴田早穂「神様になったオオカミ」「かけるウサギ」「手入れされた木」

動物をモチーフにすることが多いのですか。

多いです。もともと身近な人の死をきっかけに、生と死をテーマに作品をつくっていたのですが、人をモチーフにすることは出来ずにいました。人は言葉を持ち、感覚を研ぎ澄まさなくても、ある程度お互いの気持ちを共有することができるように思います。一方で野生の動物と出会うとき、日常の生活の中では感じることのない緊張感を感じます。緊張感の中でお互いの気配を探り合うとき、そこには生と死の即興的なやりとりがあります。以前から狩猟やマタギにも興味があります。狩猟のときの動物と人間は、狩ると狩られる、食べると食べられるといった、生と死を直接的に交換する関係になります。最初は捕食する側に立っているかのように思える人間だって、状況が変われば捕食される側になることもあります。そのようなことから、生と死を表現するために動物をモチーフにすることが多いです。

今回の出品作には、オオカミの作品が2つあります。一つは、狩猟で狩られたオオカミなのでしょうか。

秩父でキャンプや釣りをしていたときに、三峯神社のオオカミ(お犬さま)信仰を知りました。そのオオカミをモチーフにしています。日本各地に伝わる民話などを読むと、人々の生活のなかに、狩猟を含む様々な野生動物との身体的・精神的に密接な関わりが感じられます。オオカミは、家畜を食べる獣としてのイメージも強いかもしれませんが、一方でオオカミには守り神のようなイメージもあります。民話や信仰からはその環境のなかで人がどうやって生きてきたか、人が命についてどうやって考えてきたかが読み取れるので、そのような興味から、民話や信仰からイメージを膨らませていくことも多いです。


柴田早穂「神様になったオオカミ」

狼の頭部が白いですが白い金属があるのですか?

これは、金属ではなく陶器です。最近は、金属だけでなくガラスや土などの素材も用います。自身の身近にある素材の中で、鋳金の素材に対して感じている「流動性」と似た性質をもっていると感じる素材への興味から、それらを作品の中に取り込んでいます。


柴田早穂「黒いオオカミ」

ウサギの作品も、狩られそうになって逃げ惑う様子を表しているのでしょうか。

この作品は飛び跳ねるようなウサギの姿をしていますが、実はモチーフになっているウサギの姿は、撃たれて雪の中で横たわる姿でした。はじめて生と死のイメージを鮮明に植え付けられたのは、マタギに狩られたウサギが雪の中で赤い血を流している画像を見たことがきっかけです。狩られたウサギは一見静かで時が止まってしまったかのように見えますが、その後誰かの血肉となり、さらにそこから命の連鎖が未来へと繋がっていきます。これらのことを考えると、狩られたウサギはとても大きな力をもった存在であり、時間や空間を超えてどこまでもかけていくようなイメージになりました。


柴田早穂「かけるウサギ」

かわいらしい動物モチーフの作品の背景に、そのようなテーマが隠されていたのですね。

生と死というテーマから、私の作品に重たく暗いイメージを持つ方もいると思うのですが、私は死の暗く湿った悲しさではなく、あっけらかんとしたほの明るい乾いた悲しさを表現しようとしています。生と死は同じくらい日常的なものです。何者かのエネルギーを食物として取り入れて、自分のエネルギーにしているという行為からも、生と死が密接に結びついていることがわかります。死を忌み嫌うような文化があると思いますが、それもおかしいなと思っていて、死は生のなかの一部分であり、最後であり、次の命の連鎖へと向かう始まりでもあるように感じでいます。

「手入れされた木」も生と死がテーマなのですか。

これまでの話とは少し違います。私が毎日歩く道に、手入れされて丸く剪定された木があって、自然物に人が関わって心が動かされる形が生まれていて、面白いなと思っていました。そして選定された木は少し時間が経つと、あちらこちらから葉っぱが飛び出してきてしまうことが、自然物と人との掛け合いのように感じられることも面白いと思っていました。このように、自然物と人との関わりを日々面白く眺めるなかで「手入れされた木」が生まれました。


柴田早穂「手入れされた木」

柴田さんの作品の形は、他の展示作品よりも柔らかい印象を受けます。

厳しさばかりを求めると生きていくのがすごく大変だと思っていて、作品づくりでは、ゆるやかに造形していく中で、自分と素材の関係から生まれてくる歪さや揺らぎを大切にしています。蝋をお湯のなかでひねりながら造形していくと、皮膚のやわらかさが蝋にそのまま反映されます。そういうような素材との密接なかかわりのなかで造形するのが、自分の考えていることを投影するのにちょうどよい方法だと感じています。

今回の展覧会のテーマである「音」について、どのように考えていますか。

私は今回の展示のために楽器をつくったわけではありませんが、この企画のお話をいただいてから、あらためて、音を聴きながら制作していることを実感しました。仕上げのときに鉄の道具で叩くリズム、そのリズムのなかでマチエールをつくっていくことや、金属の状態を音を聞きながら判断することなど、常に音を感じながらつくっています。

なぜ、金工を専攻したのでしょうか。

昔から絵を描くよりも立体が好きで、とくに金属に惹かれていました。高校生くらいのとき、アフリカやアジアの少数民族のものを扱っているお店に、蝋を原型にしたゆるやかな鋳物に文様がほどこされた工芸品があって、それが好きでした。そのころから金属で何かをつくりたいと思って、金属を学べる大学を探して、学部は銅器で有名な高岡にある富山大学で学びました。さらにいろんな技術や表現方法を学べると聞いて、大学院から藝大で学びました。

金工のなかで、なぜ鋳金を選んだのでしょうか。

火を見るのが好きだったことと、なんとなくではありますが、自分にとって根源的に金属を溶かすことが大事なんじゃないかなと思ったからです。また、昔から発掘された埋葬品などに見られる、蝋を手びねりしてつくられたような原型を鋳造したゆるやかな造形に惹かれていました。その影響もあります。

今後の目標を教えてください。

もっと積極的に素材に関わっていきたいと思っています。先日、実家のある小豆島で祖母のお骨を海に散骨したのですが、その浜辺の側にハゼの木という実から蝋がとれる木がたくさん生えていました。いまは精製された蝋を使って作品をつくっているのですが、ハゼの木から蝋を精製するところから始めて、散骨したときに感じた生と死の風景のようなものを表現してみたいと考えています。現代はなんでも買える時代なので、自分が使っている素材を何かきちんと知らずに使っている状況も、少なからずあるのではないかと思います。あまりよく考えずに与えられているものだけで生きるのではなく、素材を知って、自分が生きている環境への理解を深め、いろんなものに関わりながらものづくりをしていきたいです。そのようにして、生と死という作品の内容と素材をリンクさせながら行なう作品制作を介して、最終的には生と死に対して想像力が豊かな社会になってほしいと思っています。

●柴田早穂プロフィール

1986 年  大阪府生まれ
2006 〜10年 富山大学芸術文化学部芸術文化学科デザイン工芸コース鋳金専攻
2011 〜14年 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程工芸専攻鋳金
2015 〜18年 同大学大学院美術研究科博士後期課程工芸研究領域(鋳金)
2019 年〜 同大学美術学部工芸科鋳金研究室 教育研究助手

【個展】

2019 年  「柴田早穂」大邱ジュエリータウン、韓国
2018 「かけらを探す」フリュウ・ギャラリー、東京
グループ展(一部)
2017 「第8回ふるさと美術展」高知市文化プラザかるぽーと、高知/あわぎんホール、徳島
2016 「潤inoue.×柴田早穂」東京国際フォーラム・フォーラムアートショップ、東京
2015 いものの形展2015」埼玉県立近代美術館、埼玉

【受賞】

2014 東京藝術大学卒業・修了制作展 買上げ


取材・文/藤田麻希 撮影/五十嵐美弥(小学館)

※掲載した作品は、実店舗における販売となりますので、売り切れの際はご容赦ください。

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