「アトリエから~いまアートにできること~」出品作家インタビュー 山田淳吉さん

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藝大アートプラザ
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気になった作家の作品を模写し、その画家の意識を解釈しながら、自分の制作に活かしていく山田淳吉さん。「アトリエから」に出品されている5点の作品は、その制作過程を雄弁に伝えてくれます。出品作品について、そしてコロナ禍でどのようなことを考えたのか、作品の内容は変化したのか等について伺いました。

今回の展示には模写を2点、オリジナルを3点、出品してくださっていますね。

「3つの向日葵」は昨年から今年にかけて継続的に描いていた作品です。昨年、自分でひまわりを育て、そのひまわりをモチーフにした絵を何点か描きました。そのなかの1点です。ひまわりから抽出した油は「サンフラワー油」と言って、油絵の具に用いられる乾性油になります。昔のロシアのイコンは、そんなサンフラワー油をつかって描いていたそうです。それを見習って、自分でひまわりを育てて油をとって、それで絵を描こうとしました。いざやってみると抽出できる量が少ないことがわかったので、今年も引き続きひまわりを育てて油をとって、展示が終わったら今年とれたひまわりの油を最終層に塗って完成させようと思っています。モチーフがそれを保護するコーティング材になっていると、作品が立体的に見えて面白いかなと思いました。


山田淳吉「3つの向日葵」

ひまわりの種からどうやって油をとるのですか?

種を砕いて、絞って、場合によっては鍋で煮て高温にしたり、とろみを付けたかったら天日にさらしたりします。そんなことを考えながら時間をかけて描きました。この作品以外にも、枯れたひまわりをドライフラワーにして墨で克明に描いたり、いろんなバリエーションを描きました。なんでもそうかもしれないのですが、一つのモチーフにいろんなアプローチをすると、見方がかわってきて愛着が湧きます。

テンペラと油彩を併用しているのですね。

牛乳からとれるカゼインというタンパク質を使ったテンペラです。カゼインにアンモニア水や石灰などのアルカリ分を入れると糊状になるので、それに水を足して顔料と練って細かな線を引いています。その上に油で表層をつくって、その上にテンペラといった具合に、描いて塗ってを繰り返しています。

支持体はカンヴァスではないですね。

板に直接石膏を塗ってその上に描いています。ブリューゲルやネーデルラントの画家も直接板に塗っています。木目が見えているかんじもいいなと思いました。自然の地の上に自然のものが描かれている。そのような意味合いとしてのレイヤーが面白いなと思いました。

ほかに意識した作品はありますか?

3つの丸を三角形のように配置する構図は、ロシアのアンドレイ・ルブリョフが描いた「至聖三者」というイコンを意識しています。画面に対する三人の聖人の入り方がきれいで、好きでした。自分にとってのイコンのモチーフはなんだろうと考えたときに、水をあげ、土をいじくり、観察しながら育てたひまわりが相応しいかなと思って、イコンの構造を意識しながらひまわりを描きました。イコンと同様、額には入れず角もわざと丸く加工して、一つの物体らしさを強調しています。

靉光(1907~1946/広島県生まれの洋画家)の自画像は模写の作品ですね。

靉光の絵も高校生ぐらいのころからよく見ていました。靉光は戦争の画家というイメージが強いですが、蝶々や植物など、対象をじっと凝視して描いた絵も多くあります。そんな靉光の目がどういうものだったのか気になって、描くことにしました。靉光は紙に描いていますが、この模写では白亜地にデッサンで写し取ってから、靉光と同じように墨と筆で描きました。


山田淳吉「靉光作『二重像』自由模写」

私はよく模写をするのですが、靉光の絵は、暗さの出し方は西洋絵画の伝統的な方法に似ていますが、斜線で追えるところは少なく、手首を使った丸いタッチで描いていたり、選んでいるストロークが独特です。そういったことは模写をすることでわかります。線の選び方などを追体験することは、当時、靉光が悶々としながら描いていた心情を知る手がかりにもなるような気がします。

何のために模写をしているのですか?

練習のためでもありますし、画家の像に対する解釈を知るためでもあります。線は、かたちを追いかけたり暗さをつけたりするだけのものでなく、画家の意識も反映されています。わかることは微々たるものですが、少しでもわかったときには模写をしてよかったなと思います。

ルオーの模写についても教えてください。

何年か前にブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)で見た作品なのです。家で物思いにふけっていたときに、ふと頭のなかに引っかかって、描いてみようと思いました。ハガキ大の比率の紙にうまくおさまるように少し変えているので、自由模写と言っています。水墨と白墨をつかいました。


山田淳吉「ルオー作『エルサレム』自由模写」

「無題」は、窓枠のようなかたちが、ルオーと共通していますね。

普段、四角の中にさらにフレームが入っている構図にはしませんので、影響が出ています。何枚も模写をしてから自分の制作に移ると、模写をしたときの感覚が残っているので、ふだん自分が使わないアプローチや画材を使うことができます。一方、色やモチーフの形は自分で考えたものです。家の近所に大きな川が流れていまして、自粛期間中はよく河原を歩いていました。そのときに見た、二人の人に光が強くあたっている様子が印象的だったので描きました。


山田淳吉「無題」

もう一点の赤い「無題」とも共通点がありますね。

これも河原を歩いていたときに見た人をシンメトリーに近い構図で描いています。河口にかかる橋を歩く人の印象をもとに、家で描きました。絵の具を練っていたときに、ハガキ大の紙を見つけて、これくらい厚手の紙ならテンペラも塗れるかなと思って試したら、意外としっくり来ました。額も自然に劣化して見えるように、自分で加工しています。


山田淳吉「無題」

緊急事態宣言中に変化はありましたか?

絵を描くスパンや枚数は日々のものと変わらなかったのですが、いまあらためて作品を見ると、当時考えていたことがダイレクトに筆に翻訳されているように思います。普段は、水面や木々など自然物を描くことが多く、あまり人を描くことはなかったです。河原の人に目が止まってもそれを描こうとはしなかったと思います。今回の作品はベースに人があるので、変わりましたね。家にいて考え事をしているうちに、時間が背中をおしてくれて、普段とは違う絵を描くことができたのかもしれません。


山田淳吉「雲の習作」
※現代は展示されていません。


山田淳吉「景」
※現代は展示されていません。

ところで、美大・藝大を目指したきっかけを教えてください。

昔からノートの片隅に、鉛筆を動かしていると、いろんなことを忘れられたり、逆に忘れていたことを思い出したりして、そのような描く行為自体が好きでした。これといった趣味もなかったのですが、家には画集があって、そこから思いが膨らんで、自分も油絵を描いてみたいと思うようになっていました。その後、美大という絵を研究する場があることを知って、そこで勉強してみたいと思いました。

山田淳吉写真

大学院では壁画を専攻したのですね。

壁画は人類が描いた最初の絵だということで、ここならば絵のことをずっと考えていられるかなと思って選びました。単純に古代の洞窟壁画が好きだったということもあります。洞窟壁画は石灰岩の壁に描かれているのですが、それがルネッサンス期のフレスコ画に影響を及ぼしていたり、絵の成り立ちを知っていくと、いろいろなつながりがわかってきて、当時はすごく充実していました。あと、壁画の研究室は取手にあるので、草木が多く川も流れていて、散歩もスケッチもたくさんできるなと思ったことも理由の一つです。


山田淳吉「Morpho」
※現在は展示されていません。

今後の目標はありますか?

淡々と変わらずに研究と制作ができればいいなと思っています。模写をやっていると当時の線の解釈がわかって、こういうこともやっていいんだと思うことがあります。自分の制作に移ったときにも、それを臆せずもっと前のめりに取り入れられるようにしたいです。そのためにも、考えたことをちゃんと筆に翻訳して出力できるようにしていたいです。

●山田淳吉プロフィール

1982 東京都生まれ
2011 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻 卒業
2013 同大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻壁画 修了
2014 ~17年 同大学壁画第2研究室 教育研究助手
現在 東京藝術大学非常勤講師


取材・文/藤田麻希 撮影/五十嵐美弥(小学館)

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