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すべての絵画の出発点は壁画にあった!?工藤晴也教授に訊く壁画の魅力【シリーズ 取手なる人々】

ライター
安藤整
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インタビュー 取手キャンパス 取手なる人々 藝大

さまざまな絵画技法の中でも、もっとも古い部類に入るのが「壁画」です。特に、石材やタイル、色ガラスを小さく割り、組み合わせて並べることで表現する「モザイク画」は、メソポタミア文明の時代から人々を魅了してきた絵画の歴史の「原点」ともいえる絵画技法の一つです。

そんな壁画をひそかに研究し続けているのが、東京藝術大学 取手キャンパスにある「壁画第2研究室」の工藤晴也教授。「壁画なんて研究しているのは自分くらいのもの」と話す工藤教授に、最近しきりに「壁画に取り憑かれてしまった」と語る高木・和樂web編集長がその魅力を尋ねました。

2022年度をもって東京藝大を退任する工藤教授「退任記念展」(2023年1月5日(木)〜18日(水))の案内は、ページ末尾をご覧ください。

工藤青年、壁画に出会う。

高木 先程、工藤先生の授業を学生の皆さんに混じって受講させていただきました。モザイク画の歴史などについてお尋ねする前に、そもそも工藤先生はどうして壁画を研究しようと思われたのですか?

工藤 壁画に興味を持ったのは東京藝大に入ってからなんですよ。入学したあと、たしか学部2年生の1番最初に「版画」か「壁画」のどちらかを選択するカリキュラムがあったんです。
 入学前に予備校の先生がフレスコ画(※乾燥する前の漆喰に顔料を乗せることで描く絵画手法。イタリアの教会の壁画などに多く見られる)の話をしていた記憶はあったものですから、「フレスコってどんなものだろう」と興味が湧きまして、フレスコとモザイクの実技を2週間で学ぶ授業をその時初めて取りました。それが最初の壁画との出合いでしたね。
 そのときだったか、ミケランジェロの「最後の審判」の一場面をフレスコで模写したんです。ただ、画集を見ながら模写しただけで、もっと本物を見たいと思うようになりまして。いつの日か本物を見てみたいと思ったことを覚えています。

取手キャンパスでの授業の様子。モザイク(MOSAIC)の語は、ギリシャ神話の芸術の女神「MUSA」に由来するそう。

工藤 それで、たしか2年生が終わった春休みに、当時、油画の先生が引率するヨーロッパの美術館巡りの企画があったんです。親に頼んでいくらか手伝ってもらい、イタリア・ギリシャ・トルコなどをまわるツアー旅行に参加しました。
 団体旅行でしたが、実際に自分の目で観た時、いまでも忘れられないほど感動したんですね。「本物のフレスコってこんなに素晴らしいものなんだ!」と。私が模写したミケランジェロもバチカン美術館で本物を見ると描き方が全然違った。本物を目の前にするとよく分かるんですよ。「この色を塗った後に、これを塗ったんだな」というのがつぶさに読み取れました。
 壁画は、「持ち」がいいんです。きれいな状態のまま1000年以上保存されているものも珍しくありません。油絵は黒ずんできますし、クリーニングを繰り返す必要があります。それに比べて、フレスコやモザイクは、オリジナルのまま1千年以上経ってもきれいに残っている。素材の素晴らしさ、大昔の人々の感性のすごさは、文明が進歩した現代の僕らよりもはるかに優れているんじゃないかと思いました。

この日の講義は高木編集長はじめ和樂webスタッフも拝聴しました

壁画と絵画の違い

工藤 その旅行中、古代ローマの遺跡や美術館の中で素晴らしいモザイクに接して、特にシチリアのピアッツア・アルメリーナの床モザイクを見たときは本当に驚きました。A.D.300年代、ローマ時代のものですが、 昨日つくったかのように新鮮に見えます。人物表現は非常に斬新で、省略したデザイン的なフォルムが非常におしゃれな感じがしましたし、1700年も前の人がつくったとは思えなかったですね。この時の団体旅行で、壁画の優れた表現性を発見できたというか、自分が壁画に抱いていた興味を再確認しました。大学院に行くんだったら絶対に壁画研究室だと思いましたね。

工藤 壁画と絵画の違いは、建築物とセットになっているかどうかです。壁材そのものが、絵になっている。絵画は展示する場所を変えることができますが、基本的に壁画はその建築物と共にあることで意味を成しています。
 イタリアなどで教会へ行って、日曜日に壁画を観ていると、ミサの時間と被ることがあるんですね。地元の人たちが祈りを捧げていたり、神父さんと話をしているような空間の中でフレスコを見ると、画集で見るのとはまったく異なる「生きた空間」の中に壁画があることを実感します。信仰生活の中にあってこそ壁画には意味があり、人々にとってはそれを見て励まされたり、信仰を壁画がたすけてくれる側面があります。
 そうして考えてみると、壁画はやはり「美術として生きている」わけです。単に鑑賞の対象なのではなくて、 教会であれば教会の機能と一体化している。信仰をたすける役割、心を豊かにする役割を担っているのが壁画なんですね。

この日は、工藤教授の講義の後、実技も行われ、学生たちはモザイク画のベースとなる木組みの組み立てを行っていた

モザイクの歴史=アートの歴史

高木 教会以外にもフレスコ画やモザイク画はあるのですか?

工藤 たとえば、ローマに行くと焼け焦げたモザイクが残っている遺跡があります。なぜ焦げているのかというと、厨房の床だったからです。また、お風呂場もよくモザイクで飾られましたし、魚の模様が入ったモザイクの床でそこが魚屋さんかレストランであったことを示していたりもします。
 「生活と一体化した絵画」だと言えるでしょうね。壁画は生活と、あるいは建物との一体的なエレメントとしての存在なのです。絵とは美術館に行って鑑賞するものという観念が僕自身非常に強かったので、そのことが大きな衝撃でもありました。いずれにせよ、その壁画の旅行を経験して、専門的に学ぼうと心から思いました。

工藤教授のもと、作品制作に取り組んでいるのはイタリアへの留学を控えているという山田カズキ(和樹)さん。故郷である熊本県旭志村(きょくしむら)の伝承をモザイク画で表現している

高木 先程の授業で、「アートの歴史が仮に5000年だとすると、そのうち3500年ぐらいはモザイクの歴史だとも言える」という話がありました。

工藤 専門的に学び始める中で、そう思うようになりましたね。本格的にモザイクを勉強したのは、国費留学でモザイクの本場であるイタリアへ行った2年間でしたが、イタリアにおけるモザイクの歴史を聞きながら、だんだん知識をつけていきました。モザイクは歴史が長いですから、絵画の根本的な支えになっているところがあります。
 たとえば、床のモザイク画であれば、床と壁がぶつかる部分でモザイク画の縁取りがされることが多いんですね。古代ギリシャ人やローマ人たちは壁ギリギリまで描くことを好まなかった。絵画の額縁はこのモザイク画の縁どりに起源を見ることができます。
 モザイク画の縁取りは、「ここから先は主(あるじ)の場所」「この枠内が子供スペース」といったように、空間の用途を区別する役割も担っていました。これがギリシャやローマの壁画表現の一つのルールになっていき、ルネサンス時代もその様式が受け継がれていきます。

高木 額縁の起源を初めて知りました。

工藤 この縁取りは、フレスコ画でも同じで、今で言えば漫画のコマ割りと同じなんです。元来は場面が変わったよ、ということを示すだけだったその縁どりが、時代を重ねるうちにモチーフに合った文様なども含むようになるわけです。水であれば波の模様で縁取ったりですね。

モザイク画を2週間で制作したあと、フレスコ画の制作に移る。廊下にはこれまで制作された学生たちのモザイク画、フレスコ画が多く並ぶ

遠近法のもとになったモザイク画

高木 モザイク画からフレスコ画へはどのように移り変わっていったのですか?

工藤 やはりルネサンスでしょうね。初期ルネサンスの時、モザイクの制作も各地で続けられていたんですが、パトロンとなる富裕層たちがだんだんとペインティングによる人物表現に興味を持るようになりました。 市民階級が強くなったことで大富豪が絵描きを呼んで自分の顔をどこかに入れさせたりとか、聖書の一場面の中に自分も入れて描いてくれとか、家族全員入れろとかね。そういう俗っぽいことに対応しないといけない時代にだんだんなっていった。信仰のために描いているだけではダメになってきたわけです。

モザイク画に使われるピースを「テッセラ」という。石を半分に割り、その半分の半分の・・・と続けて小さなテッセラをつくっていく。一つの作品をつくるのに膨大な時間がかかることがわかる

工藤 そういう注文に応えるためには、何十年もかけて制作するようなモザイク画は時間がかかりすぎるんです。現世の人たちを満足させるためには、手っ取り早く結果を残す必要があった。そういう点で、1日で描けてしまうフレスコ画が重宝されるようになっていきます。フレスコ画なら1か月もあれば大きな壁画でも描けますからね。
 そのようにしてルネサンスを境に、モザイクは時代遅れでお金もかかるし、時間がかかるというので、だんだん注文がなくなっていきました。
 ただ、フィレンツェにあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂には全面が金でつくられたモザイクがありますね。あれはルネサンスの時代になっても継続して作られたものです。ゴージャスさでいえばやはりモザイクのほうがずっと上ですからね。金をたくさん使っていますし、宝石で飾るようにしてある。当時の人たちにとって、神聖な世界、豊かな世界というものを見せるには、モザイクの装飾だと納得しやすかったのかもしれません。

高木 やはりモザイク画には目的性があったわけですね。

工藤 そうですね。ギリシャ人、ローマ人たちのすごいところは、写実性を求めたことだと思うんです。彫刻にしてもモザイクにしてもフレスコにしても、窓を描いて、その窓の中に神の世界を描いたりしています。つまり、外を見たら神の世界が現れているような、ある種の「トリック」を好んだわけです。
 言い換えると、空間を外に延長して描いているとも言えます。当時の建築様式の中で、空間を広く見せるという一種の遊び心もギリシャ人の気質としてあったのだろうと思いますね。それを新鮮に思ったローマ人たちもそれらを学んで引き継いでいます。

高木 授業では、そうした点がその後の初期キリスト教美術の時代に「遠近法の元になった」とおっしゃっていましたね。

工藤 たとえば私たちが保存修復事業を行ったラヴェンナのガッラ・プラチディア廟の内壁の一部に、イエス・キリストの姿が具体的に描かれた部分があります。A.D.450年前後に作られたものです。初期キリスト教美術におけるキリストの姿は、大体が青年像で、髭も生えていません。そのキリストの周りにさまよえる羊達が描かれていて、これは人々を意味しています。その手前に崖が描かれていて、キリストの奥に岩山や空が描かれています。
 つまり、絵に前景・中景・後景の秩序を見ることができ、それによって絵に奥行きが感じられるのです。この「秩序」が、西洋における絵画表現の基本である遠近法になっていったと考えています。これは私の解釈なのですが、キリスト教の神の世界を現実世界に置き換えるためには、人々がリアリティーを持って見る必要がありますよね。現実空間と似た空間にしなければならない。にた空間だからこそ、自分たちの信仰の世界を神の世界と結びつけることができます。こうしたことを1500年以上前のモザイク画からは見て取ることができるわけです。

ガッラ・プラチディア廟の内壁の一部(工藤晴也教授提供)

西洋絵画とキリスト教

高木 自分はこれまで、遠近法は 立体をなんとか表現しようとして生まれてきた技法だと思っていたのですけれども、先生の話を伺っていると、「神と私たちの距離」を表現するために、遠近法は生まれたのかもしれないと感じました。

工藤 僕もそう思いますね。ズマルトというローマ時代に生まれたモザイク用の色ガラスがあるのですが、これが誕生したのも、初期キリスト教の時代以降に使い始められています。それまでは大理石や茶色や黒の石が主に使われていたのですが、それではイエス・キリストを象徴する赤衣や、マリア様を表す青衣が表現できない。イコノグラフィアといいますが、色ガラスが使われ始めたことにも、キリスト教の影響はあります。
 ローマ人はそんなに色にこだわらず大雑把な自然色で素晴らしい作品を作っているんですが、キリスト教美術としてはより教義的なところが強くなりますから、「○○は○色でなければならない」というルールができてくる。神が住むとこだから豊かで光輝いているといけないといって金で飾るとかね。

高木 アートにおける技術の進歩は、やはりキリスト教と切っても切り離せてないわけですね。

工藤 絶対に切り離せません。西洋絵画の根本的なところはすべてキリスト教にありますし、それは19世紀ぐらいまで、ピカソやマティスまでは全部そうだと思います。
 先程の水もそうですね。キリスト教以降は水も非常に重要な意味を持つようになります。聖水ですね。だから水の表現にも違いが生まれます。

高木 ラヴェンナの壁画の修復はどれくらいの時間がかかったのですか。
工藤 2005年から2010年ですね。6年間かけてイタリアの研究者とともに行いました。この壁画がちょうど古代ローマ時代から初期キリスト教時代へ移り変わる過渡期にあたるので、歴史的に非常に重要なんです。

高木 この絵がそんなに重要だとはついぞ知りませんでした。

ラヴェンナの壁画を修復中の工藤教授(工藤晴也教授提供)

工藤 日本ではあまり注目されませんね。ただ、ヨーロッパで美術を語るときには「ラヴェンナのモザイクを知らないというのは、ちょっと勉強不足ね」と言われるかもしれません(笑)。

高木 イタリアでは壁画の研究は進んでいるのですか?

工藤 常にやってますね。このときも図像の研究であったり、またはモルタルの研究であったり、ガラスの科学的な同定をしたり、修復だけでなく研究もさまざまな角度からなされています。イタリアやフランスには、モザイクの専門家も日本に比べてずっと多いですし、モザイク専門の作家さんも、ずっと多くです。
 一方で日本の美術史という学問の世界で、モザイクがどう扱われているかといえば、やはりまだかなり専門的な分野の一つと捉えられています。モザイク、フレスコを実技もまじえて学ぶような授業は藝大だけだと思いますね。そもそも、芸術学科の美術史の先生でも、モザイクを専門にされている先生っていないんですよ。授業はありましたが、モザイク専門の教員は歴代にわたっていないんです。

遠近法のもとになったモザイク画

高木 今日の授業でも講義の後で実技がありますが、モザイクは美術史と実技の両面から学ぶ必要があるのでしょうか?

工藤 この二つは表裏一体ですからね。壁画という技法には、絶対に無駄な要素がないんです。なぜ、下地にこの素材が使われているのかという問いにも、必ず合理的な理由がある。それは壁の構造上、これがなければ壊れやすくなるとか、床をしっかり安定させないといけないとか、建築としての側面があるからです。材料の性質をよく知っていないと、後で剥がれちゃったりヒビが入っちゃったりとかしますからね。壁画は特に理論と表現が表裏一体になっていると思いますね。
 たとえば、古代ローマの壁画のモザイクは、意匠の下地層が30〜40センチもあるんです。表面だけに施された装飾じゃない。壁材としてそれだけの厚みがあるからこそ、図柄も2000年以上美しいままなのです。「コッチョペースト」と呼ばれるレンガ片と石灰モルタルで装飾した床があるのですが、これも1メートルぐらい地面を掘ったうえで、大きい石から細かい石まで徐々に積み重ねていって、それを太い木で突いて固めて、約40〜50センチぐらいの厚みでレンガ片を敷き詰めて、最終層に細かいレンガを敷き詰めて、そこにモザイク画を描いています。最後に表面を綺麗に平らに削って磨いて、ようやく完成ですから。
 平らな床を保つために、わざわざそこまで大変なことをしていたから残っている。もちろん、それを支えていたのはローマ時代の奴隷という労働力があったからなのですが。ただ、ローマ時代の奴隷たちは真面目に仕事を続けていれば、市民権を与える制度があったようです。そういうふうにして、ある意味うまく労働力を使って、こうした美術をたくさんつくっていたという側面があります。

コッチョペーストの見本。表面が磨かれていることがわかる

高木 美術史だけでなくヨーロッパ史も理解していないと、壁画の全体像はつかめないわけですね。

工藤 そうですね、逆に当時の時代背景を読み取るためには、非常にいい歴史素材でもあるわけです。壊れないからこそ、その時代のリアルなものが再現されて今に伝わっているわけですから。
 壁画にはモザイクとフレスコに加えて、ステンドグラスもありますが、巨大なステンドグラスは大抵北ヨーロッパにあります。日光が少ないので、よりたくさんの光を取り入れるために大きくなっていった。逆に赤道に近づくほど、小さくなっていきます。

高木 建築と結びついているからこそ、壁画からは多くのことが読み取れるわけですね。

工藤 そうですね。ちなみに、僕はステンドグラスという表現技法はキリスト教ができてから生まれたものではないかと考えているんですが、それもやはり「神=光」というイメージからだと思うんです。ローマ時代の太陽信仰のようなものをキリスト教が取り込んでいったことで生まれた表現じゃないかと。

高木 土着の信仰とまざったことでうまれた表現だと。

工藤 そうでないと、あれほどうまく急激に市民に浸透して行かないと思うんですよね。違和感なく異教を受け入れるためには、 それまでの信仰もある程度許容しなければならないでしょうから。

ガッラ・プラチディア廟の内陣(工藤晴也教授提供)

失われた技術を求めて

高木 先程のコッチョペースト、非常に素朴ですね。

工藤 コッチョペーストもモザイクの種類の一つで、キリスト教とは関係ないものなのですが、イタリアへ行ったとき博物館に展示されていてすごく素朴であたたかい感じがしたんです。いい表現だなと思いましたね。
 現在でもシチリアのほうへ行くとたくさん残っています。先程言ったように、土台をかなりしっかりつくっているために、他の部分は壊れても床だけは壊れずにきれいに残っていますね。
 けれども、これを具体的にどうやってつくっていたのかは、記録がないためにまったくわからないんです。考えられる制作方法を当時通っていたモザイクの先生に聞いてみたら、「自分は勉強したことないから分からない」と言って、別の研究者を紹介してもらったんです。その先生の家へ行ったらとても丁寧に、わざわざ実習までしてくれて、作り方を教えてくれたんです。

工藤教授の自作のコッチョペースト(工藤晴也教授提供)

工藤 それをもとに、私もつくってみたのですが、先生の方法は非常に面倒くさかったんですね。レンガのモルタルがまだ生乾きの時に、針のようなもので図柄になる部分をつっついて、そこにテッセラ(石片)をはめ込む。それでまた叩き込む。ひとつひとつ手作業で埋めて、全体をモザイクで埋めるという方法で、これは本当に大変なんです。やっているうちにどんどん周りは乾いていくし、「本当にローマ人はこの方法でつくったのか?」と。
 なので、日本に帰国してからも何年かつくっていくなかで、「こういう方法のほうが簡単じゃないか」と思う方法を見つけました。それは、下地をつくったうえにモザイクだけ先に並べ、モザイクの意匠が全部できたうえからコッチョペーストを流し込むという方法です。どちらも結果的に、同じようなものができるんですよ。 ただ、制作の方法は文献として残っていないので最終的にどちらの方法でつくっていたかはわかりません。でも、こういう方法でローマ人はつくったんじゃないかなという、先生の説を元にした僕なりのアレンジ方法でいま作品を制作しています。

高木 非常に面白いですね。

工藤 記録が残っていないので、断面の構造を見て読み取ったりするしか方法がないんですよね。でもそれもおもしろい。
 そして、やっぱり白黒のモザイクじゃないとだめなんですよね、コッチョペーストは。黄色や赤ではこのレンガの色にまぎれちゃって、効果がでない。白か黒のほうがモザイクの図柄がはっきりと浮き上がって見えるということを、やはりローマ人は知っていたのでしょうね。そういう美的感覚が彼らは本当に優れています。
 ただ、モザイクの中でもコッチョペーストを研究しているのは日本でも僕ぐらいのものらしくて、イタリア人にもこれは不思議がられますね。

日本の壁画とシルクロード

高木 さまざまな壁画を研究されていますが、日本にも壁画はあります。西洋とのつながりは何かありますか?

工藤 深いところでは日本の壁画も西洋と関係なくはないでしょうね。日本の壁画は、ほぼ当時の中国大陸の模倣だといえます。特に西安ですね。中国の都の優れたものを日本に持ってきて、日本でも同じことをやって国力をつけようとしたのが奈良時代ですから。そのお手本になったのは中国の壁画です。
 たとえば焼損してしまった法隆寺の壁画は非常にレベルの高い画家が描いてますから、中国からやってきた画家なのか、現地で技術を学んだ日本人なのかは分かりませんが、その表現技法は西安の王墓の壁画とほぼ同じで、それを踏襲したと考えていいでしょう。

高木 どういうところから技法の共通点がわかるのですか?

工藤 日本の壁画はフレスコ画ではありませんが、フレスコ画を描くときはまず原画を描いてそれを壁に写す作業が必要になるんですね。
 原画を壁に当てて、それをなぞりながら壁に傷をつけていくことで原画を転写する方法を、イタリア語でインチジオーネ・インディレッタといいます。もう一つの方法が、なぞらずにダイレクトに傷をつけていく方法インチジオーネ・ディレッタです。
 いずれにせよ壁画をよく見ると、実際の線のほかに、転写した時の傷が残っていることがよくあるのですが、それがよく残っているのが今の新疆ウイグル自治区にあったキジールや敦煌の壁画です。特に敦煌の壁画にはコンパスがよく使われているんですね。これは仏様の後ろの光輪を描くためのもの。仏様の額のあたりに小さいですが、必ず穴が空いている。それは原画を転写するときにコンパスの針が開けた穴なんですね。これと同じコンパスによる刻線が法隆寺の壁画にもあります。ここから、インチジオーネ・インディレッタ的な技法を踏襲したのであろうことがわかるわけです。
 また、焼損を免れた天女の部分には、「念紙」を使った跡がはっきりと残っていました。いわゆるカーボン紙です。紙の裏側に赤土を塗って、それを当てて上からなぞると壁には赤い線が残るでしょ? このようにして原画を転写したのだということが分かります。こうした技法にの中央アジアからの影響が見て取れます。

高木 なるほど。 

工藤 日本の鳥獣戯画とそっくりな絵も中国大陸にはたくさんあって、鳥獣戯画のような絵巻物にも中国の壁画の影響はあるのだろうと思います。時代も800〜900年代の日本は、中国と盛んに交流した時代ですし、空海や最澄といった当時のエリートたちが、政治や仏教の理論にくわえて、当時最先端の都市づくりだとか、さまざまなものを学んで日本に持ち帰ってきました。その中で、絵描きも一緒に連れて帰ってきた可能性もあると思います。
 考えてみればユーラシア大陸はつながっているわけで、西に行けばヨーロッパの文化、東に行けば中国、日本の文化がある。ということは、その中間の新疆ウイグル自治区からカザフスタンのあたりの中央アジアがシルクロードの中間点にあたるわけで、やはりそのエリアでは壁画でも西洋の混ざった技法を見て取ることができます。
 おそらく当時は見聞きしたものを言い伝えや口伝えで絵で表現していたのでしょうね。西安の壁画の中には「天使」が描かれたりもしているんですよ。キリスト教が西から伝わって、仏教と交じり合った信仰——マニ教だとかも興味深くて面白いです。
 同時に、壁画にはその土地の風土にあった材料、技法が使われているということも興味深いです。日本でフレスコを描いたって、カビが生えたりしておそらくすぐに崩れ落ちるでしょうからね。

高木 壁画を研究するためには西洋と東洋、いずれの歴史も知らないといけないということですね。

学生たちに伝えたいこと

高木 最後に、これから藝大で壁画を学ぶ学生に伝えたいことは。

工藤 学生には、絵画表現の「根本的なところ」はどこにあるのかをまず学んでほしいと思っています。学ばなくても絵は描けるでしょうが、より懐が深いというか、いろいろな表現へと展開できる要素が詰まっているのが、壁画だと思いますね。
 古いということは、人類が工夫しながら描き続けてきた歴史が込められているわけで、「古いから意味がない」という解釈は、あまりに薄っぺらだし短絡的のように思いますね。学ぶからこそ対比できるわけで、最先端だと思っていたことが、実は古典の技法と同じことをやっていたということもあると思うのです。

高木 紀元400年ごろのモザイクを先程見せてもらいましたが、とても新鮮に見えました。

工藤 そうなんです。そうすると、人間の感性は1500年前とそれほど変わっていないんじゃないかなということにも気付かされます。
 イタリアで現代美術をやっている友達と話すと、美術解剖学だとか、ギリシャやローマの哲学であったり、驚くほど皆古典に詳しいんですよ。現代アーティストだから現代にしか興味がない、ではいけないのだなと痛感しました。そういうことを学んだうえで現代の美術をやっている姿を生で見て、日本の現代美術の考え方とはかなり違うなと思いましたね。

高木 確かに自分の作品が美術史の中でどこに位置づけられるのかを知っているかそうではないかは、大きな違いですよね。

工藤 大きなストーリーを知らないと、自分のストーリーなんて描きようがないんです。だから、僕の授業を取った学生たちにはなるべく丁寧に教えて、しっかり頭に入れてほしいなと思っています。

高木 2022年度を最後に退任されるとのことですが、退任後は何をされるご予定ですか?

工藤 まだ何も決まっていません。私は土いじりが好きでね。家に畑があって、こないだもそこでジャガイモを収穫したばっかり(笑)。土起こしして、野菜を育てて食べて、自分の制作活動と平行して、そういう生活ができたらいいなと思っています。

 東京美術学校の発足以来、60年以上にわたって壁画の授業を欠かさずやっているのは、 日本の美術大学で東京藝大くらいです。古い技術は「宝箱」なのだということを、学生たちには知ってもらいたいし、これからもそうした授業を続けていってほしいと思っています。

【くどう・はるや】1955年北海道生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科壁画修了。イタリア政府給付留学生などを経て1987年から同大で教鞭をとる一方、浙江師範大美術学院、西安美術学院、中国美術学院などで招聘教授、講師も歴任。自身でも多くの作品を発表している。

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