「手から手へ」開催記念特別企画 豊福誠 教授×三上亮 准教授対談 ―藝大陶芸教育の歴史と、これからの「やきもの」―

ライター
藝大アートプラザ
関連タグ
インタビュー

豊福誠教授の退任を記念して開催される「手から手へ」(11月20日~12月13日)は、歴代の講師・助手31名による展覧会です。この展示を率いる豊福誠先生、三上亮先生に展示概要や、裏テーマとなっている植木鉢についてお話しいただきました。同時に、藝大の陶芸教育の歴史について伺ったところ、近代陶芸の限界、そしてこれからの陶芸という壮大な話題に展開。現代のやきものが直面している問題が伝わってくる対談です。

「手から手へ」はどのような展示なのでしょうか。

豊福先生(以下敬称略):私は二十歳で藝大に入学し、学生時代を含め、47年間藝大におりまして、今年度で退官します。47年の間、3年から5年くらいの周期で入れ替わる非常勤の先生方に助けられてきました。その先生方と一緒に展覧会をやりたいと思って、この展覧会を企画しました。


右から豊福誠先生、三上亮先生。陶芸研究室8号窯前にて。

どんな作品が出品されるのでしょうか。

三上先生(以下敬称略):各作家の世界観が表れた代表作、アートプラザに適した気軽に手が出せそうな食器類、それに植木鉢という今までにないテーマを設けています。近年、サボテンや多肉植物がブームになっていて、そのためのポットを作って有名になっている藝大出身の作家が現れ始めています。そういった流れもあって、なるべく植木鉢を出して欲しいと声をかけてみました。面白いことになりそうです。


「手から手へ」植木鉢の展示コーナー

植木鉢は、陶芸家があまりつくってこなかったジャンルなのですか?

三上:一部の世界で中国の盆栽鉢が大変な高値で取引されていますが、そこにいわゆる現代の陶芸作家が関わることはあまりなかったように思います。

豊福:盆栽鉢には細かなルールがありますが、いわゆる植木鉢にはそういったものはありません。味気ない植木鉢に植えるよりも、作家が植物との関係性を考えてつくった鉢に植えたほうが、植物もより豊かに見えて面白いです。


「手から手へ」展示室

植物を植えたうえで販売するのですか?

三上:植栽含めて一つの作品として発表してもらいます。各作家が植物を研究し、自分で選んで買ってきて、その植物に合うかたちの器を考えています。なので、鉢だけでは売りません。というのは、植木鉢に安価なイメージを持っている方が多いので、なんでこんなに高いんだと思われないか少し心配しているからです。作家が、植栽含めて作品として作っていることを知っていただけたら、単なる植木鉢というだけではない、やきものの新たな面白いジャンルになるのではないかと思っています。


豊福誠「色絵銀彩植木鉢」


豊福誠「色絵銀彩植木鉢」

藝大から発信したら、陶芸界に一つの新しい流れが生まれるかもしれませんね。豊福先生はこれまで植木鉢を発表することはあったのでしょうか。

豊福:ないです。私の仕事は磁器なので、通気性の意味であまり植木鉢には向きません。だから、鉢カバーのようなものを考えています。いままで食器をつくるときは、どういう料理が入るかメージしながらつくっていましたが、今回の企画はもっと具体的です。目の前にあるこの植物を実際に入れることを念頭に置いて、作品をつくるというのはある意味、究極の器です。

三上先生は植木鉢をつくったことはあるのでしょうか?

三上:僕も植木鉢を作品として発表するのは今回が初めてです。磁器は普通1300度近くの高温で焼くのですが、植木鉢は通気性がないといけないから、1000度で止めたり、800度くらいで野焼きしたりしました。釉薬も楽焼用の弱いものを使っています。高温で焼き締めないで、植木鉢の機能を保ちながら、きれいな色に発色させるのは新たな技術を要します。


三上亮「植木鉢(柱サボテン)」


三上亮「植木鉢(大正キリン)」

11月23日から藝大の陳列館で始まる、豊福先生の退任展についても教えてください。

豊福:今まで私の作品を買ってくださった方のコレクションや、実家に保管してあったものを集めて、学生時代の卒業制作・修了制作からごく最近の作品まで展示します。

学生時代はどのような作品をつくっていたのですか。

豊福:学部時代は土物(陶器。陶土と呼ばれる粘土を主な原料にしたやきもの。伊賀焼、益子焼など)をやっていました。卒業制作は型を使った皿をつくって、大学院に入ってから磁器を始め、修了作品は磁器の色絵(釉薬で絵を描き焼き付ける装飾法)をやりました。最初は与えられた土を使っていましたが、だんだん自分の好みが見えてくるようになって、卒業後は原料を研究するようになり、作風も変わっていきました。展示を見ていただければ、そういった技法の変化もわかると思います。

ところで、藝大の陶芸教育は何年の歴史を有するのでしょうか。

三上:昭和30年からですので、今年で65年目になります。最初は加藤土師萌(かとうはじめ)先生が教授でした。

65年の歴史のうちの47年間を豊福先生が見てらっしゃるのですね。

豊福:私は14期目の学生です。当時は、藤本能道先生、田村(耕一)先生、浅野(陽/あきら)先生の3人の教授がいた時代です。当時は教授の意向が強くて、それに従わない学生は肩身が狭い思いをしていました。右向け右で、「絵を描け」と言われたらみんな絵を描く、そういう時代でした。三上先生は僕が助手として残ったときに、1年生として入ってきました。当時から変わった学生でしたね。

土物と磁器物の2つの柱があると伺いました。

豊福:藝大で磁器の伝統が根付いてきたのは、最初の教授だった加藤土師萌先生が色絵磁器の大家だったことの影響だと思います。一方で、日本のやきものの歴史を考えれば、陶器の方が磁器よりもうんと早くからあるわけで、藝大で土物もやることもごく当たり前にあります。

三上:日本のやきもの史を見ていくと、土物に始まって、中国の白い磁器に憧れて白いきれいなものを求めていった歴史があります。そういった歴史観からすると、土物よりも白い素地にきれいな絵を描いた磁器の方が格上で、価値が高いと考えられてきた。藝大の色絵磁器は、加藤土師萌先生、藤本能道先生に始まり、その流れのなかに豊福先生がいらっしゃる。これが藝大陶芸科の色絵磁器の正当な流れです。そんな中で陶器も磁器も別け隔てなく平板に見ようとしている私は変わった人間かもしれません。

専門を決めていないということなのでしょうか。

三上:陶器とか磁器とか考えているわけではなく、「やきもの」をやっていると、思っています。陶器、磁器といったジャンルの中間や、土器なども含めて、やきもの全体を捉えなおそうとしています。たとえば、磁器は普通高温で焼きますが、それを低下度で焼いてみる。そういった発想はいままで意外とありませんでした。昔だったら邪道だと怒られたかもしれません。

豊福:工芸というものの考え方が熟し、行き詰まってきています。これからの若い人には、成熟した先をどうしていくか見据えた上で教育していかなければなりません。こうしなさいとあてがうだけでなく、「これもあるよあれもあるよ、さあどれを選ぶ?」と選択肢を増やしていく。陶をやってきたから陶を専門にしなさいというのではなく、木工や彫刻などまったく違うものに挑戦したっていいんです。藝大にはいろんな専門家がいます。本気でやろうとしている人には、本気になって教えてくれます。それができる環境を整えることが大事です。

三上先生も、今年の藝大アートプラザ大賞の講評のときに、器の形や絵付けを競うアカデミズムのシステムが限界を迎えているとおっしゃっていましたね。

三上:戦後の陶芸の教育では、陶料屋がつくった原料を使って、作品をつくってきました。そのこと自体を誰も問わなかった。買ってきた原料同士を調合することはあっても、土を掘って精製することは粘土屋さんに任せていた。焼成についても、明治時代以前の日本には窯業技術の科学的理論がなかったから、ドイツ人のワグネルから科学的な焼成法を学んで、西洋列強に近づくために当時の最先端の方法を取り入れてきた。僕の後ろにあるような窯は、工業的に大量生産するために西洋の焼成法をもとにつくった炉です。このような炉を使って、陶料屋さんの原料を使うとなると、技術を競い形をつくることや技巧を凝らした装飾を先鋭化することに向かうしかなかったわけです。やきものの教育に組み込まれたこのシステムが、勝手に限界を迎えているだけですから、そのたがをはずしたら違うものが生まれてくると思うんです。

このような考え方を授業にどのように取り入れているのでしょうか。

三上:取手校地の築窯実習です。地面を掘って土を掘り、窯の焼成の雰囲気を考えながら、一から窯をつくりあげます。一定の品質を得られる効率的な西洋式の窯だけでなく、自分で窯をつくることで、やきものを焼くこと自体を問う意識を育みます。

豊福:均一にむらなく、いかに効率的に炊けるかという技術が進んだがゆえに、それまで蓄積されてきた感覚的にやきものを焼いていた部分が欠落していった。それが、いまのやきもののつまらなさに表れていると思います。陶料屋が選りすぐった失敗なくできる土は、無駄のない製品をつくるには適しているかもしれませんが、そこから人の心を揺さぶるものが生まれるとは限りません。粘土ならなんでもやきものにできるぐらいの意識で、自分で素材を探し出すことから始めることが、新しいものを生み出す原動力になるはずです。

藝大ではろくろの教育を重視していると聞いたことがあります。

豊福:ろくろで整形するものを課題にすることが多いです。大壺試験という、2年生から博士課程までの全員が10kgの土を使って壺を挽く試験もあります。ですが、ろくろは基本中の基本であって、挽けないよりは挽けたほうがいいことは確かですが、そこにとらわれる必要はありません。もし、ろくろの仕事で一流になるんだったら、藝大の勉強だけではまったく駄目です。ろくろだけで人を魅了するようなものは簡単にはできないです。こういう形を作ろうと思うよりも前にすっと手が動いて自分のイメージしたものが、すっとものに伝わっていく、そうでないとろくろを挽けるとは言いません。

三上:豊福先生のろくろがまさにそうです。官能的で色っぽく、やわらかいです。ろくろに対して自然です。僕はもっと頭で考えてしまっています。電動ろくろ、手回しろくろ、蹴ろくろごとの作り方の違い、そういうことを考えるのが好きです。それに、ろくろを始めた頃はゴールを考えないでつくっていましたが、経験を積むと細かなことが気になりだして、こうやったらこうなるであろうという終着点を考えた仕事をしてしまいます。難しいですが、あえていい加減につくることの面白さを目指すというか、土とたわむれるようなろくろを挽きたいです。


豊福誠「色絵銀彩鉢」


豊福誠「色絵銀彩鉢」部分

豊福:学生の頃は、自分の手に合った挽きやすいものばかりをつくって満足していました。ある時、年上の友達が僕のろくろを見て「おまえ、なんでそんな楽なものしか挽いてないんだ。もっと苦労するものを挽け」と言ったんです。それから、ただ丸いものを挽くだけではなく、面取りの壺をつくったり、工夫するようになって、ろくろを挽くのが楽しくなりました。

絵付けをするようになったきっかけはありますか?

豊福:当時の藝大にいらっしゃった藤本能道先生をはじめ、加藤土師萌先生から続く色絵の歴史があるので、藝大に入ったら色絵をやるべきだと思っていました。大学院から色絵を始めたのですが、当初は、田村(耕一)先生から「おまえ藝大生なのになんでそんなに絵が下手なんだ」と言われていました。僕以外にもみんな絵を描いていました。

三上:僕も絵を描け、絵を描けと言われ、絵付けをしていました。教授からは、ろくろじゃ他にかなわない、絵で藝大に入ったのだから絵しか描けないだろう、と言われていた気がします。

絵のないやきものをつくる方が勇気のいることだったのでしょうか。

三上:そうですね。僕が絵付けをしなくなったとき、「こんなもの売れるのか?」とずいぶん言われました。

絵付けのないやきものをつくり始めたきっかけは何だったのでしょうか。

三上:焼成や原料からやきものを見直していったときに、絵を描かなくてもやきものは成立することがわかってきました。


三上亮「Distil」

いまの学生はいかがでしょうか。

豊福:どちらかというと絵を描かない学生が多いかもしれないです。ただ、絵付けなしの作品を作ることの方が、勉強しなきゃいけないことが多いので、それをやるには技術が足りなすぎるなと思うこともあります。現状、各生徒に与えられた作業スペースは、ろくろを中心にした1.5m四方に限られています。敷地も広くて設備も十分供給できたら、ろくろや絵付けといったことに限らず、立体のオブジェが増えたり、学生たちのつくるものも変わっていくと思います。

三上:大きい窯がないですからね。

豊福:日本の大学のなかでは設備に恵まれている方ですが、海外にはもっと整ったところもあります。スウェーデンのコンストファックという学校を見に行ったことがあるのですが、作業スペースが圧倒的に広く、大きな窯もあります。教授は主に表現を教え、粘土の扱いやろくろなどテクニカルなことを教える人が別にいます。驚きなのは、教授も5年ごとに入れ替わることです。日本で教授の入れ替えは現実的に難しいかもしれませんが、多くの美大がありますから、交換留学みたく行き来できたら面白いですよね。

三上:他大学との交流は、コロナ禍をきっかけに京都の若い先生が動き出して、実際に始まっています。授業とは関係なく、有志の学生と教員が日曜日にオンラインで集まって、学生が作品をプレゼンし、他大学の先生がコメントしています。我々と違う視点を持っている先生の話が聞けて勉強になります。実際に集まるのは大変ですが、オンラインだったら、国内の陶芸のカリキュラムのある美術大学のほとんどがつながることができます。

豊福:これはコロナのおかげだね。

学校ごとに教育方法はかなり差があるのですか?

豊福:違います。日本にも教授がろくろを教えずに、地方の産地のろくろ師が教えているところもあります。その方が、私みたいなろくろ師に習ったことがない人が教えるよりも効率がいいかもしれない。

三上:職人の仕事を見る経験はとても良いことだと思いますが、僕は芸術大学においては、プロ=職人が教えないことが大事だと思います。実際、日本の近代陶芸は、職人ではない偉大なる素人がつくってきたとも言えます。藝大には最初、富本憲吉先生が教えに来ていました。大正頃に近代陶芸を始めた人々は、職人仕事のつまらなさを見たことが作家としての出発点にあります。その意識を失って、職人と同じくらいの腕を持っていることでよい、という価値観が強くなってしまうと、アーティスト志向の藝大生の自己否定につながり兼ねません。

たしかに富本憲吉が東京美術学校(現・藝大)で学んだのは図案ですものね。大変興味深いです。最後に、三上先生から見た豊福先生について教えてください。

三上:磁器はシャープで冷たい感じがするものですが、豊福先生の磁器は素地を挽いているときから変わらずやわらかく、土物みたいな温かさを感じます。融通無碍と言えるかもしれない。きっちり挽くのは努力すればできるのですが、やわらかく挽くのはなかなかできることではありません。感性のなせる技です。

今後の藝大の陶芸を率いていく三上先生に対して期待していることは何ですか?

豊福:いままでいろんな作家と関わりましたが、私の知る限り、三上先生のような根本からやきものを問う考え方を持っている方はいません。私の範疇を超えた許容量を持っている人で、ここを託すには十分な方です。造形力のある子たちを選んで育てていけば、藝大はきちんとした作家を育てていける場所になると思っています。今後の藝大の陶芸は面白くなっていくはずです。期待しています。

●豊福誠プロフィール

現在 東京藝術大学美術学部工芸科陶芸研究室教授
1953 鹿児島県生まれ
1979 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了
1980 千葉県展受賞(千葉県立美術館)
1999 伝統工芸新作展受賞(三越賞)
2000 中国清華大學国際陶芸交流展/中国美術館・清華大学美術館
2001 東京藝術大学助教授に就任・伝統工芸新作展 監査委員
2006 半年間の海外研修(フィンランド・アメリカ)
2007 東京藝術大学美術学部教授に就任
2011 国際陶芸教育交流展・シンポジウム(東京藝術大学)
2014 国際茶文化交流展(東京藝術大学・清華大学)

日本陶磁協会 会員/東洋陶磁学会 会員/日本工芸会 正会員/日本陶磁芸術教育学会 会長

豊福教授の過去のインタビューはこちら

●三上亮プロフィール

1959 年  北海道札幌市出身
1980 東京藝術大学美術学部工芸科 入学
1984 同大学大学院陶芸専攻科 入学
1986 同大学陶芸科非常勤助手(~89)
1993 ニュージーランド・フレッチャー国際陶芸展 審査員特別賞
1996 国際交流基金「現代日本の工芸」海外巡回展 出品
1998 南足柄市に築窯
2005 NHKうつわ夢工房(三上亮「白と黒の誘惑」)放映
2015 三上 亮作陶ドキュメンタリーSTAR DUST(DVD)発売
2016 東京藝術大学陶芸科 准教授
2019 Form Limits 展(パリ国立美術学校)に出品

展覧会名:NIPPONシリーズ② 「手から手へ」
豊福誠教授退任記念 歴代教員による作品展
会期:2020年11月20日 (金) – 12月13日 (日)
開催時間:11~18時
入場無料
休業日:11月24日(火)、30日(月)、12月7日(月)


取材・文/藤田麻希 撮影/五十嵐美弥(小学館)

※掲載した作品は、実店舗における販売となりますので、売り切れの際はご容赦ください。

おすすめの記事