図鑑展ワンダーランド! 出品作家インタビュー 田中 豊美さん(図鑑標本画作家)

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「図鑑展ワンダーランド!」には藝大アーティストとは別に「小学館の図鑑 NEO」シリーズなどに絵を寄せる図鑑標本画作家(池下章裕さん[宇宙]、小田隆さん[古生物]、田中豊美さん、松岡眞澄さん[植物]、水谷高英さん[野鳥])も参加しています。そのなかの一人、田中豊美さんは動物生態画の第一人者。少年の頃、山野を駆け巡りたいと動物たちに憧れたことを出発点に描きはじめた絵は、現実にはめったに見ることのできない野生動物の生活の一瞬を切り取ったようです。挫折を味わいながらもひたすらに夢を追い続けた田中さんは、好きな気持を持っていれば運命は努力で変えられると言います。その来し方、出品作品や図鑑の標本画についてうかがいました。

田中さんはどのようなきっかけで動物の絵を描くようになったのでしょうか。

小学生のとき、山川惣治の『少年王者』という少年と動物が活躍する冒険絵物語の挿絵に興味を持ちました。松阪の田舎出身ですから、燃料となる薪を山に取りに行くと、ウサギやリスが飛び出してきます。雑木林と絵物語のジャングルが重なってきて、主人公になった気分で追いかけるのですが、捕まえることができない。僕もあんなふうに山を駆け巡って、木に登ったりできたらいいなと動物の能力に憧れました。それで、動物の挿絵の模写に打ち込むようになったわけです。絵を描くとその動物に自分が乗り移って、その動物に変身したような気持ちになるんです。せっかく変身するならかっこよくいたいですよね。だから自分が憧れる動物を描いています。今も当時と気持ちは同じです。

それで、アフリカの強そうな動物を描いているのですね。

僕の大好きな絵描きのボブ・クーン(Bob Kuhn、1920-2007、アメリカの野生動物画家)がアフリカの動物を描いていたので、その人に憧れて僕も描くようになりました。1972年にはアフリカにも行きました。ライオンやいろんな動物を見ましたが、ヒョウが木から降りてきて、手を伸ばせば触れられるくらいのところを横切ったときには、心底綺麗だなと思いました。今回出品した「樹上のハンター(ヒョウ)」にもその時の体験が生きています。サーバルキャットもアフリカに生息しています。「サバンナのジャンパー」というタイトルを付けたのは、3mくらいのところにジャンプして獲物をとるからです。ゴリラも絵になりますね。ただ座っているだけでいいです。もともとの絵の出発点は着彩ではなくペン画だったので、このようなモノクロの絵も好きです。


田中豊美「樹上のハンター(ヒョウ)」


田中豊美「サバンナのジャンパー(サーバルキャットの子供)」


田中豊美「想(ニシローランドゴリラ)」

田中さんは大のトラ好きだそうですね。

アフリカの動物だけでなく、アジアの動物も描いておかなきゃと思ったら、やはりトラですよね。特に好きなのがアムールトラです。極東ロシアの沿海地方にしかほとんど生息していないのですが、ウラジオストクに住んでいるロシア人の知り合いを頼って、アムールトラの住むところにも行きました。せっかく行くなら真冬だと思って、護衛のハンターをやとって一番寒い1月に2週間滞在しました。マイナス30度の寒さでした。


田中豊美「森の王(アムールトラ)」

アムールトラに出会えたのですか?

現地で保護活動をしている人だって何年かに一度会えるかどうかの頻度ですので、会えなかったです。ですが、たまたま案内してくれた猟師が、1週間前に尾根筋でメス一頭に会ったと言っていました。その猟師に付いて行くと、雪の上につい何時間か前についたと思われる真新しい足跡や、木には爪をといだ跡がありました。トラと同じ空気を吸っていると思ったら、過呼吸になりそうなほど興奮しました。


田中豊美「リラックス(ベンガルトラ)」

今回の出品作は異なりますが、田中さんはトラの後ろ姿をよく描いていますね。

後ろ姿が大好きなんです。しっぽが見えて顔を振り向かせるところが特に好きです。アムールトラのしっぽはベンガルトラに比べて太い、そこを描きたいです。くまの手首も好きですね。動物をちゃんと描けているかどうかは、手足、耳、鼻などの先を見ればわかります。そういうところをいい加減に描く人はだめです。


田中豊美「気になる気配(アムールトラ)」
※本展の出品作品ではありません。


田中豊美「河口の漁(エゾヒグマ)」


田中豊美「高原の沼(エゾヒグマ)」
※本展の出品作品ではありません。

これらの絵を描くときにもっともこだわっているポイントは何ですか。

臨場感を大切にしています。動いていると錯覚するくらいに、生命感あふれるように描きたいです。そのためには、どの動物も好きにならないといけません。そうしないと動物に失礼だと思っています。昔、展覧会をやったときに、子どもが僕の絵を見て「お父さん、動いた!」と言ったことがあります。これは嬉しかったです。


田中豊美「ハンティング(ウスリーンジカVSアムールトラ)」
※本展の出品作品ではありません。


田中豊美「新雪(アムールトラ)」
※本展の出品作品ではありません。


田中豊美「虎視眈々(アムールトラ)」
※本展の出品作品ではありません。

田中さんの作品の細かな描き込みに目を奪われます。

毛描きだけにこだわっていると剥製のようになって生命感が削がれます。絵が死んでしまうので、その塩梅が難しいです。以前、手紙で先程の憧れの画家のボブ・クーンに教えを乞うたときにも、もう少し見ている人に想像させるように曖昧に描いたほうが、動きが出て良いと指摘されました。ボブ・クーンの絵は、自分だったら何回も筆を動かすようなところを少ない筆数で描くので、タッチは粗いのですが、目を離すと驚くほどリアルです。そのようにおおまかに描きたいのですが、細かく描く癖が出てなかなかできません。


アトリエで制作中の田中さん。前方に下描き、左には様々な資料が広がる。

動物園に行って観察をすることもあるのですか。

しょっちゅう行ってスケッチをしたり写真を撮ったりしています。若い頃にやっておかなきゃいけないとつくづく思うのは、スケッチやデッサンですね。仕事が来てからではそういったものにじっくり取り組めません。僕は、挿絵などを見よう見まねで模写して自分なりに勉強しましたが、中学卒業後から働き始めたので、絵の基礎となるデッサンなどの教育を受けていません。それがいまだに心残りです。だから美術のことはほとんど知らないし、藝大なんかで学んだ人に対しては劣等感を持ってしまいます。今でも自分の絵が小さいな、薄いな、軽いなと思うことがあるんです。

そのような思いもあって、今もスケッチを続けているのですね。

いまどきの人は全然スケッチをやらないかもしれません。僕の頃はまったく資料がなくて、新聞の小さな写真でもスクラップしていたくらいですが、今はネットで調べればいくらでも出てきます。そうなると手で描かなくなりますね。当人は感じていないかもしれないけど、それはかえって不幸かもしれません。手を動かさないと覚えられないんです。本物を見ないで写真を見て描いた線と、実物を見て引いた線が違うのでひと目でわかります。

写真から引き写した方が正確な気もしますが。

描くときに自信がなかったとしても、本物を見ながら引いた線は生きています。2年くらい前に印象的な出来事がありました。上野動物園に行って昼飯を食べようとしたときに、隣のテーブルにスケッチブックを持った男の子が3人くらい来ました。おそらく学校で課題を出されたのだと思うのですが、スケッチブックを広げたと思ったら、スマホを手にとって画面を見ながら描き始めたのです。本物がすぐそばにいるのになんだよと思いました。ショックでした。

田中さんの場合、写真をそのまま引き写さないということは、スケッチをして動物のかたちを覚えてから頭のなかでポーズを変えて描いているのですか。

今は頭の中で好きなように動物を動かせます。常々、こういうシーンを描きたいなというイメージを持つようにしていますが、必ずしも動物は良い条件で動いてくれるとは限りません。それに近いポーズの写真を参考にしても、それをそのまま描くのではなく、こう変えたら理想の雰囲気になると思ったら、頭の中で動物を動かします。そのときに役に立つのがスケッチです。

動物園に行けないときは、このようなノート(下記写真)をつくっています。テレビの動物番組を録画して、消す前に気になったポーズがあればわずかな違いでも一時停止して、先ず、日頃溜めておいた裏が白いチラシやコピー紙に描いて、それをさらに白いノートに構成して清書する、つまり同じポーズを2度描くことになるのでかなり頭のなかに入ります。これをしておくと、描きたいシーンと同じポーズがなかったとしても、こう動いたら次はこうなるという予測が立つようになるので、動物が自分の頭で動かせるようになります。


田中さんのスケッチブック。このページには田中さんの好きなトラが描かれる。トラだけのノートや、ネコだけのノートなど、さまざまな構成のノートが何冊もあるという。

何がきっかけでこのような取り組みを始めたのですか。

この勉強方法も、先程のボブ・クーンが言っていたものです。ビデオテープがない頃はとにかく印象に残った場面を見ながら描いていました。録画できるようになったら撮ったことに安心して一時期やらなくなってしまいましたが、ビデオを消す前に気に入ったポーズだけでも描こうと思って再開しました。ほかのひとはたぶんこういうスケッチをやっていないんじゃないかな。今はスマートホンがあって簡単に手に入る資料がいっぱいあるけれども、若い人はその資料を生かしきれていないと思いますね。


制作途中の「樹上のハンター(ヒョウ)」。アクリル絵の具を塗り重ねていく。

『小学館の図鑑NEO〔新版〕 動物』には相当数の絵を描いていますね。

クジラとネズミとコウモリ以外のほとんど全て(注)、433種を描きました。1年3ヶ月かかりました。小さい動物だったら毎日2、3点のペースです。体を動かさなくなったので、体重が増えちゃいました(笑)。

図鑑の絵を描くときと一枚絵を描くときとで、何か違いはありますか。

図鑑のイラストは動物を説明するためのものですから「図」ですが、私は単なる図を描くつもりはなく、一枚絵は一応「絵」です。図鑑の仕事では、その動物の典型的な姿を描かなければなりません。多くの写真を見て、典型的なイメージをつかんでいくのですが、資料によって太っていたり痩せていたり個体差があるので、なかなか難しいです。毛色も悩みます。たとえば、水生動物は乾いているところを描くのか、濡れているところを描くのかで、色が大きく異なります。当然、知らない動物もいますし、それをさも見たように描くのですから、大丈夫かなと思うときもありますが、出版するまでには必ず下絵の段階から監修の学者さんが何度もチェックします。しっぽの長さ、鼻の角度とか細かなところまで指摘が入ります。学者さんのイメージに合わせていくのは、図鑑の仕事の宿命です。

手描きの場合、チェックが入ったら0から描き直すのですか。

部分だけ修正することが多いです。ただ、そのポーズが嫌になってしまったら全体を描きなおします。色をつけて描きあげてからチェックが入ったときには大変です。修正部分は不透明絵の具で色を重ねるので、下の水彩風に描いた部分と色が違い、いじっている間に汚くなってしまいます。それが嫌になってくると0から描きなおしますね。

写真の精度も向上していると思うのですが、絵によって説明することの良さはどのようなところにあるのでしょうか。

写真は光の当たり方によって色が違いますし、見せたい部分が草などで隠れることもあります。図鑑の絵は色も調整できます。動物の形態を前面に出し、生息環境の一部の草や木を背景に入れるだけなので分かりやすいと思います。しかし、私は背景に生息環境の空気感のある情景を描きたいと思っているので、動物の形態が露わになる図鑑の絵は、いつもこの輪郭線は本当にこれでよいのかと不安になります。

昔の図鑑には、さまざまな動物が一つの見開きに同居しているパノラマ画が多く掲載されていますね。そういったものも描いていたのでしょうか。

何枚も描きました。動物が一匹ずつバラバラいるのではなく、森や草原に溶け込ませてドラマを作るように描きます。縮尺がおかしくならないようにするためには、小動物を手前に配置しなきゃいけないとか、構成が難しいです。動物だけでなく、植物もその土地に生えているものをある程度わかるように描かなければいけません。だから、旅番組で木が映っているとそれも気にしたり。難しい仕事ですので、パノラマ図を描く人はもうほとんどいないと思います。

ここからは田中さんの来歴について聞かせてください。幼い頃から絵が好きだったのでしょうか。

母が言うには、3、4歳の頃、戦争に出ていた親父に送った慰問袋に、簡単な線で日本の戦闘機がアメリカのグラマンを打ち落としているところを描いて、入れたらしいです。そしたら、戦地から親父が「おまえは絵を描きたいのか。絵が好きなんだな。なかなかうまく描けている」と返事をくれたそうなんです。それで僕はそのつもりになったんじゃないかな。子どもの頃は紙がなかったので地面に描いていました。ペン画を始めたのは、学校の先生からガラスペンの先が削れて捨てられそうになったものをもらったことがきっかけです。当時は、樺島勝一の冒険・探検小説に出てくる動物の細密なペン画に惹かれていたので、それを模写しました。

学校を卒業してからすぐに上京して動物の絵の仕事をしたのですか。

昭和44年(1969)に東京に出てきて、45年からいろんな出版社の仕事を始めました。そのときには既に30歳で、スタートがとても遅いんです。それまで東京に出て来ては挫折して、荷物をまとめて田舎に帰るということを何回も繰り返していました。

親父は戦争で死んで、おふくろは学校の用務員をやって、そのわずかな給料で食わせてもらっていました。親戚に将来絵描きになりたいと言ったら「絵描き貧乏と言って絵では食っていけない。冗談じゃない」と言われて、その親戚の仕事を手伝わせると言われていましたが、嫌でした。東京に出たい一心で、最初の上京は中学を出てすぐ、着物の裾模様を描く染色絵師に弟子入りしました。お使い走りでよく通り抜ける神宮外苑の鬱蒼とした木々が、好きな絵描きさんの描く森に似てわくわくして、木のスケッチをしたりしていました。ただ、2年ぐらいたってもお使い走りと花の絵ばかりを練習する日々が続いて、こんな絵を描くために東京に出てきたんじゃないという思いがふつふつと湧いてきて、嫌になってきたんです。

そしたら、仕事で知り合った染み抜き屋さんの青年が、最近売れてきたマンガ家を知っているので絵を描けるのだったら、アシスタントに紹介してあげようかと言ってくれました。それで、染色絵師のところをやめて、その人のところに転がり込んで、住み込みでマンガ家のアシスタントをやりました。『少女クラブ』『少女』『なかよし』とかその手の少女マンガに描いていた人です。

マンガの仕事を通じて、出版業界とつながったのですね。

マンガをやっていてもやっぱり動物の絵を描きたいという思いがこみ上げてきて、しばらくして田舎に帰りました。おふくろの脛をかじりながら、模写をしたり毎日山を歩いて動物を追いかけていたら、近所の人はグレていると思ってボロクソに言っていたみたいです。そんななか、マンガの仕事のときに知り合った『なかよし』の編集部の人の紹介で『少年倶楽部』に少年と競馬の馬の話と、西部劇の絵を描きました。一度本に載ったのだからもう諦めようかなと思ったのですが、それでも動物の絵を描きたいという気持ちは消えなくて、また東京に出てきました。このときは半年ばかりアパートを借りて、マンガの手伝いで食い扶持を稼いで、わずかなお金でお米と塩昆布を買って、それだけで過ごしたのですが、そうすると精神的におかしくなりますね。結局打ちひしがれてまた田舎に帰りました。24歳のときです。

今度は田舎で暮らすと決めて、松阪の印刷屋さんに就職してチラシや土産物屋の包装紙やら、雑多な仕事をやっていました。それでも、動物の絵を描きたいなと思っているので、ときどき模写は続けていました。その印刷所も人間関係で嫌になってやめて、津に近い印刷屋でデザイン関係の仕事をしましたが、そこは1年足らずで倒産してしまって、結局、松阪に戻って独立して雑多な仕事をしていました。

最後に上京しようとしたときにはもう29歳になっていました。前に東京にいたときに知り合った学者の卵だった先生が学者になって、動物の絵を描く人は少ないから出てきたらどうかと言われたんです。最後のチャンスだと思いました。ただ、僕は三人兄弟の長男で将来おふくろの面倒をみないといけないのだけど、結婚もしてないし貯金もない。迷っていたら、母親が見かねて「東京に行って、やりたいことをやってこい」と背中を押してくれました。それでやっと今の仕事につくことができました。デビュー作はKKベストセラーズの『猛獣もし戦わば』という、猛獣同士の強さを比べる本で、そのなかに7枚の細密なペン画を描きました。これがウケて仕事がもらえるようになって、やがてカラーの絵も任されるようになりました。

どんな状況下でも、好きな動物の絵を描きたいという思いを持ち続けて鍛錬したから、今の田中さんがあるのですね。最後に、もし田中さんのような絵描きを目指したいという人が出てきたら、どのような言葉をかけたいですか。

好きだということ自体が才能で、それをのばしていくのが努力です。運命は努力次第で変えられます。僕は貧乏人の家に生まれましたが、着物の模様絵師になってもマンガ家のアシスタントになっても、気持ちは動物の絵ばかり向いていました。そしたら、運命はそちらに動いて、絵を採用してもらって仕事をもらって51年間生きてこられた。本当に天職だったと思いますね。幸せです。今は時代が変わって、そもそも動物の絵を求めている仕事も少ないので、僕のような絵を描く人は最後かもしれませんが、今の子は道具も資料もあるし恵まれています。それを生かしながら昔の僕のような気持ちで励んでいたら、きっと立派な絵描きが誕生するのではないでしょうか。何の絵を描くにしても、好きなものを見てとにかく描き続けて、自らの運命を変えていってほしいです。

注:田中さんは『小学館の図鑑NEO[新版] 動物』のうち、カイギュウ目/日本にいるネズミのなかま/モグラ目・食虫目/コウモリのなかま/センザンコウ目/アザラシ、アシカのなかま/クジラのなかま、以外の絵を担当。

●田中 豊美プロフィール

田中 豊美 Toyomi Tanaka

1969年より、図鑑、絵本、雑誌等に動物専門のイラストを描く。
1980年頃より、ワイルドライフアートを手掛け、グループ展で作品を発表している。
1972年に東アフリカに取材。トラが好きで「トラ・ゾウ保護基金」のサポート会員
であり、ロシア沿海州にアムールトラの棲息地を2度取材したこともあり、残りの
人生をトラだけを描くことに使っても良いかなと思うこの頃である。


「図鑑展ワンダーランド!」
会期:2021年10月9日 (土) – 11月28日 (日)
営業時間:11:00 – 18:00
休業日:月曜定休、11月2日(火)
入場無料


撮影協力/しもおれ

取材・文/藤田麻希 撮影/五十嵐美弥(小学館)、藤岡正樹(小学館:アトリエでの写真)

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