日本初のコスプレ写真?謎の外国人が撮影した明治日本の様子【誰でもミュージアム】

ライター
安藤整
関連タグ
コラム 誰でもミュージアム

「こんな写真、なんで撮ったんだろう?」

旅行に行って帰ってきたあとでスマホを見返すと、なぜ撮ったのかよくわからない写真ってありませんか?

現代を代表する日本人写真家の一人、森山大道はこう言ったとか。

写真は、量だ。 量は、欲望だ。 世界はいつも、決定的瞬間だ。

つまり、撮らないよりは撮ったほうがいい!
いまから約150年前、明治の日本を訪れた海外の人々も写真機でバッシャバッシャと撮りまくっています。

著名な写真家だけではありません。写真機は明治後期ごろには徐々に写真家以外も手にするようになりつつあり、いまとなっては誰が・どこで・なぜ撮ったのかわからない写真もたくさんあります。

今回はそうした「外国人が撮影した明治日本の様子」の第2段として、パブリックドメインとして公開されている古写真をご紹介します(今回ご紹介するのは全てアムステルダム美術館デジタルコレクションより)。

第1弾はこちらからどうぞ

謎の写真家が撮った日本

ジャン・アドリアノ(のグループ)撮影『着物を着た男女』(撮影年不明)
アムステルダム美術館のデジタルコレクションにあった明治期の写真の中で、一番おもしろかったのがこれ。そうだよね、やってみたいよね、歌舞伎役者のメイク。何の根拠もないけど、もしや日本で撮られた最初のコスプレ写真なのでは? コスプレは誰でも若干テンションが上がります。そう思わせる写真が次のこちら↓↓↓。

ジャン・アドリアノ(のグループ)撮影『着物姿の男女二人組』(撮影年不明)
みんなノリノリ。完全に歌舞伎か何かの一場面を再現しようとしています。斬られそうになっている女性もガッツリカメラ目線。ただ、男性が持っている刀は刃の向きが逆と思われる。誰か教えてあげてほしかった。でも、良い思い出になったならよかったです。

ジャン・アドリアノ(のグループ)撮影『茶室(?)にいる二人の男と二人の女、日本の少女と日本の女の肖像』(1907年、日光)
このジャン・アドリアノという人物、1874年にオランダ・ユトレヒトで生まれ、この時代に東南アジアと日本を旅した写真家であるということ以外、何も記録が残っていません。被写体の中に本人がいるのか、いないのかも不明。ただ、おそらく左端の女性は上の写真でコスプレしていた女性。その右隣の男性が刀を持っていた人だと思われます。また、明治40年の写真ですが、すでにうしろに電柱が見えます。日本で初めて公共の電灯が灯されたのが1882(明治25)年。25年でこんな山間部(のように見える)まで電気が引かれていたのですね。膨大なデジタルコレクションの中からこういうことを見つけるのも、なんとなく楽しい。

ジャン・アドリアノ(のグループ)撮影『道端で休む枝束を持った日本人の肖像』(1907年、日光)
アドリアノ一行は、どうも日光を旅したようで、東照宮を含む道中の写真がたくさん残されていました。おそらく道の途中でこの被写体の老人と出会い、撮影したのでしょう。人は当たり前の光景を写真に撮ろうとはしません。アドリアノ氏はきっとこの男性に何かしらの興味を抱いたのでしょう。枝をこのように背負うのが珍しかったんでしょうか。「え、なに? 写真? 座ってりゃいいって? まあ好きに撮んなせえ」。

名もなき外国人写真家たちが撮った日本

撮影者不明『日本のタイルメーカー』(1890-1894年)
ここからは撮影者不明としてアムステルダム美術館に所蔵されていた写真をどうぞ。この1枚は、69枚の写真で構成された旅行アルバムの一部。瓦をつくる窯で働く人々のよう。子供たちが着るハッピには「鈴木」とある。うしろにはガス灯か電灯とおぼしき照明が。立派な瓦屋さんだったのでしょう。

撮影者不明『日本におけるワインショップ』(1890-1894年)
タイトルを直訳するとワインショップとなるのですが、もちろん日本酒のこと。お酒の問屋さんだろうか。樽のマークの1つを見てみると、「ヤマサ」の文字が。ヤマサ醤油株式会社は1645年創業だそうなので、ありうる。ということはこれらは、酒ではなくて醤油? でもお店の人、枡で何か飲んでない? じゃあやっぱりお酒か。っていうか飲んじゃだめでしょ!

撮影者不明『日本のマッサージ』(1884年)
写真の中に「SHAMPOOER」とあるのは「あん摩師」のこと。この時代、あん摩師には目の不自由な人々が多くいました。草なぎ剛主演、石井克人監督の『山のあなた 徳市の恋』がこの前後の時代を舞台にしていておもしろいのでおすすめです。このくつろいでいる女性の雰囲気も、同映画に出てくる女優・マイコさんを彷彿とさせます。

撮影者不明『舟の上の漁師』(1884年)
日常の風景を撮ったものかなと思わせつつ、よく見るとたぶん違うなと思わせる箇所がいくつか。漁師の隣に、女性が二人何もせずに座るかね? 魚籠などほかの道具が一切ないけど、獲った後どうするの? ということで、たぶん外国人カメラマンが「ちょっとこういうポーズを」と依頼して撮ったのでしょう。右の女性の表情、超つまらなさそうだもん。

名もなき外国人写真家が撮った農村の風景

ここからはアルバムとして同美術館に保管されていた撮影者不明の一連の農村風景をどうぞ。少し写りが悪いですが、当時の雰囲気がとても身近に感じられるのでご紹介します。

おまけ

上に紹介した撮影者不明の農村のアルバムに、なぜか1枚だけ突然「霞が関」の写真が混ざっていました。アルバムに付された年号には1884年とあり、これとまったく同じ写真が横浜開港資料館蔵『城下町江戸』などにもあるらしい。右のお屋敷はおそらく現在の外務省である福岡藩黒田家の上屋敷。外務省の外壁にはいまもこの写真当時の石垣が一部残されているようです。

異文化との出会いこそ

幕末から明治にかけての日本は、異文化との遭遇の時代でもありました。

数多く残る写真からは、日本を初めて訪れた人々が感じた驚きや感動、その美しさを留めておこうとした興奮が伝わります。
一方で、その情景は被写体となった人々からすれば、「当たり前の光景」でした。

自らがどれほどの「美しさ」を秘めているか、自分ではなかなか気づかないものです。
そのことに気づかせてくれるのは、普段交わることのない人たちとの出会いやコミュニケーションなのかもしれません。

本記事は「和樂web」の転載です

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