作家が社会の中で自分の椅子を確保するために 木津文哉先生インタビュー

ライター
中野昭子
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東京藝術大学(以下、藝大)の美術学部の学生たちは、超難関と言われる入試に合格した後、同年代では日本一絵がうまいであろう恐ろしいライバルたちに囲まれて、四年間という短い期間で自分の作家人生のことを考えていかなければなりません。藝大生に限らず、美術大学の学生であれば、多かれ少なかれ同じような悩みを抱えているだろうと思います。
今回は、第17回 藝大アートプラザ大賞審査会の終了後、藝大の芸術学科教授の木津文哉先生にお話を伺います。藝大や藝大生に関することや、在学中にぶつかるであろう壁、学生が長く制作を続けるために必要なことなどを語っていただきました。

藝大生とは? 基本的につくる人であり、近年はジャンルを横断している

––先生にとって、藝大や藝大生はどんな存在ですか。

木津:私にとって藝大は特別な存在です。出身校であり、今も働いていますから、本当に長い時間、藝大に関わっていることになります。だから学生の雰囲気や風潮なども分かりますし、長所も短所も理解しているつもりです。
私が思うに、基本的に藝大生はつくる人、右脳の人ですので、まず自分でつくりたいでしょうし、言葉や文字のように左脳で考えることや、マネジメント的なことは苦手な傾向にあるといえるでしょう。油画専攻出身の私自身も、身体を使い、作業と表現の曖昧な部分で仕事をしています。ただ、最近は先端芸術表現科などのように、必ずしも右脳派でない人も入ってきていますね。

––油画や日本画、彫刻や工芸など、多様なジャンルがあるのも、藝大の特徴ですね。

木津:最近は、科や専攻によって平面や立体などと分けるのが難しくなっていますね。材料や技法によって単純に分類できなくなっていますし、垣根を越えて繋がっていると思います。ただ、藝大内の専攻や区分は依然として存在します。
私は一応、新しい世代の作家に入るのですが、私が教わった時の先生は戦中や終戦直後に勉強された方々で、ジャンルごとに材料や技法がはっきりと分かれていました。そのため、私が学部一年生の時は、油画はキャンバスに油絵具で描くものだというはっきりした不文律があり、アクリルや色鉛筆で描くなどありえないという状況でした。写真やコピーの使用などもってのほか。
一方で、時代環境の変化も著しく、キャンバスに油絵具という素材を使うにしても、原料が毒物に指定されて手に入らなかったり、ハードなヴィーガン(動物由来の製品の使用を避ける人や行為、思想)になりますと、豚毛や馬毛の絵筆も駄目だという話になります。世の中の風潮で道具すら使えなくなることもあり得ますので、時代の変化に対応していかないと、表現活動そのものができなくなってしまいます。
従って、今はジャンルを横断してしかるべきでしょうね。ノマド(遊牧民のように、場所を移動しながら働く人)のように、スキゾ(多様な価値観で周囲と接する様)的な感覚でやっていかないと、これからのアーティストはきついと思います。

藝大生が学生時代にぶつかる「壁」とは?

––藝大生は最初から絵がうまい人の集まりですので、その中で競争しなければならないとは過酷だなと思います。

木津:そうですね。藝大に入学する学生が潜在的に抱えている問題であり、学生生活のどこかでぶちあたる壁があります。
油画専攻の学生を例に出すと、大学に入る前は、「どうやったら写真のような絵を描けるのだろう」と切磋琢磨し、藝大に合格してアーティストになろうと努力していると、受験用の絵画とアーティストになる絵は違うことに気づきはじめ、どこかでコペルニクス的転回がないと、単なる受験用のうまい絵描きにしかなれないのだと理解します。そして、これでいいのかなと逡巡する時期を迎え、過去の自分を否定するようになるのです。
藝大に合格することと、ものをつくることは同じように見えるけれど、実は違います。受験のように点数がつく世界と、アーティストとして自分の世界を見てもらうことは、異なる厳しさがあります。

––入学してから自分の個性を確立し、作風を定めていくのは大変だろうと思います。

木津:工芸科の学生は、学部の一・二年で基本的なことを教わった後にジャンルごとに分かれます。その時に新しい世界を知るので、受験の時の自己は消えていくのです。
ところが油画専攻の場合、入学当初に持っていたものが一生残る可能性があります。それは入試には不可欠な要素ではあるのですが、人生のどこかで否定しなければならないものです。蓄積してきたものを否定しなければならない瞬間は、人生の大きな分かれ目になります。
ただ、いくら懸命に否定しても、蓄積してきたものは完全には消せません。それは画家としての自分が自分であり続けるための根幹でもあるので、全てを消し去ることはできないのです。そのため、現状を打破するために勉強して、他のアーティストや作品を知ろうと努力します。中学や高校時代に初めて好きな絵を見た時の衝撃は消えることはありませんが、いつかはその作品から受けた影響を自分で超えなければなりません。衝撃を受けた絵に自分の作品を寄せていくにしても、真似するだけでは駄目なのです。
アーティストは時間をかけて作風を変え、個性を獲得していきます。ですので、美術雑誌などの新人特集で、学生が取り上げられることもありますが、その人が十年後どうなったのかも取り上げてほしいと思います。十年経つと、アーティストのカラーは相当変わっているはずですから。

人に見せることの重要性や、続けるために必要なこと

––先生は作品全般をどのように審査・評価されているのでしょうか。

木津:いろいろな所で審査をした経験から言えば、説明が難しいのですが、評価する時、作品を見てコンマ2秒くらいで「何か」が判りますし、欠けている点も同時に見えます。例えば一つの空間に複数の作品が並んでいる場合、その空間に入った瞬間にそれらの作品の表現力の強弱は判ります。抽象的な言葉になってしまいますが、最初に見た瞬間、この作品いいな、なんか来るな、という勘が働くのです。本当にそういう表現しかできなくて、経験値としか言いようがないですね。

––制作することと人に見せて評価されることは、どのようにつながりますか。

木津:日本画専攻や油画専攻の学生は、いい作品ができると一人で満足してしまいますし、嫌なことを忘れてしまったりするので、なかなか次につながりません。そこが良い所でもありますが。また、一人で孤独に制作することが多いので、社会性を持つのは苦手ですね。
ただ、もちろん私もそうですが、誰しもが何でも知っているわけではありませんし、何を知らないかを知ることがとても大切です。できないことがある場合、何故できないかを理解することが次につながるのです。そのため、他人の作品を積極的に見る必要がありますし、展覧会などに出品することで、自分だけでは見えないところを他者の目で見てもらいながら、発表活動を続け、あるいは作品をひとり歩きさせることが重要になります。
また、日本画専攻や油画専攻の学生が、作品を他の社会の人に見せると、「なぜこの作品をお金にしないのか」などと聞かれたりもするのですが、彼らにはそういう発想がないのです。しかし、社会の中で自分が座れる椅子を確保しなければなりません。そのため、自分の世界に入り込んでいいものをつくり、それを広めるためにどうするか考えたり、自分の個性に磨きをかけて、戦略を練ってお金を得ることは重要だと思います。そうしないと表現活動を続けられないので。

––学生が社会に出てアーティスト活動を継続していくことについて、どう思われますか。

木津:私が育って活動したのは、まだ良い時代だったかもしれません。当時は人口が増え続けていて、国内の販売で間に合っていたので、グローバル市場はあまり意識されていませんでした。今の状況は詳しくはちょっと分からないですが、私が社会に出た時は、藝大生が卒業して画廊や百貨店などに出品すると、いわゆる学生相場で、号五千円にて販売をスタートし、そこから注目されたり評価されるなどしてステップアップしていく形が常套手段でした。
例えば藝大アートプラザも、設立当初は、売るために描いているわけではないという声もありました。ただ、その姿勢では活動を続けられませんよね。既に売れているような先生やアーティストは制作で食べていけますが、学生が自分のやりたいことを続けていくためには、生活の糧を得なければなりません。そこはアーティストが常に考えなければならない点だと思っています。
学生が学部を卒業して、大学院を修了して、社会に出て働き始める時に、作業できる場所を獲得できるか、あるとすれば個人で持てるのか共同で持つのかで、その後の人生が変わります。学生がアーティストになって活動していくまでに十年、二十年の準備期間があり、その期間をどうやって耐え忍ぶかを知ることが重要です。
例えば、社会に出た後に知らないこと、例えば価格設定の事とか、を指摘されるよりは、藝大アートプラザで展示した時など、学生時代に指摘された方が柔らかく受け止められますよね。藝大アートプラザは、そういった機能も果たしていると思います。

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