「生と死がすごく近い」メキシコでアートを作り続ける理由【岡田杏里氏インタビュー】

ライター
黒田直美
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アーティストインタビュー インタビュー

人の数だけアートがある! 芸術に対する思いは人それぞれです。藝大アートプラザでは、アートとは何かをさまざまなアーティストたちに尋ねることで、まだ見ぬアートのあり方を探っていきます。

東京藝術大学大学院美術研究科壁画専攻修了後、メキシコを拠点に創作活動を続ける岡田杏里さん(写真)。カラフルな色彩と影、大胆さと繊細さ、土着と外来など、相反するものが共存する作品で注目を集める、メキシコ在住のアーティストです。同地での強烈な体験が元となった作品づくり、彼女の考えるアートの本質とは、に迫ります。

石の「匂い」に心動かされ

——藝大では油画を学び、大学院では壁画を研究されたそうですね。どうして壁画を専攻しようと思ったのですか?

岡田:大学1年の時に、壁画のモザイク・フレスコ実習のカリキュラムがあって、それを選んだのがきっかけです。その時の担当教授だった工藤晴也先生(※)が、並べてある大理石を「これは何億年も前からある石なんだよ」と説明しながら、割っていって。その時に、石から放出される「匂い」が五感に響いて、石って身体的に感じられる素材なんだと思いました。それと、実際に割ると、機械で作るようなきれいな形ではなく、不揃いで、全部形の違う素材となる。その自然な破片を使って、絵を制作していくことに面白さを感じました。

※東京藝術大学大学院元教授。壁画第2研究室で2023年まで教鞭をとる。現在は退官し、創作活動に従事。退官前のロングインタビューはこちら

——「石の匂い」という感覚はすごいですね。石や土という素材の不確定さを面白いと感じられたのも大きかったのでしょうか。もともと、自然素材に惹かれるという体験はあったのですか?

岡田:自然物とか自然環境に興味はありました。私は、埼玉で生まれ育ったんですが、身近に自然環境のある所で育ち、学童保育では森の中に秘密基地を作ったり、泥まみれになって遊んでいたんです。小学生の頃、毎年夏休みに家族で3週間ぐらい北海道でキャンプをして過ごし、土とか石とか木とかそういった自然の物から、エネルギーをもらっていると感じていました。だから石や土という素材が、自分の中にすっと入ってきたのかなと思います。

——幼少の頃からの体験があったんですね。担当教授だった工藤先生の影響も大きいですか。

岡田:3年次に油画と版画に分かれるんですが、その時は版画を選んだんです。1年間版画を制作し、作品講評の時に工藤先生に見てもらったら、「うーん、つまらないな~。作っていて面白い?」と聞かれて(笑)。「杏里は、もっとのびのびと体を使って作った方が合っていると思う」と言われたのが、強く印象に残りました。そういうことを言ってくれる先生もいなかったし、実際、私の作品をよく見てくださり、自分の良いところを伸ばしてくれる助言をいただいた気がして、壁画に進むことにしました。

岡田杏里作「祈りの唄 〜踊る星の子どもたち〜」2014年 モザイク/石、貝殻、モルタル、顔料、鉄、流木 H185 x W182 x D180cm ※藝大卒業制作のモザイク作品

メキシコ留学で壁画の本質に触れ、芸術観が変わる

——岡田さんの石への反応や自然の中で育った生命力の強さみたいなものを感じ取られたんですね。モザイクやフレスコの壁画というとキリスト教に関連した宗教的なものというイメージがあります。岡田さんはどんなイメージを抱いていましたか?

岡田:壁画の歴史の授業では、絵画が生まれたのが洞窟壁画からという流れを習っていたんです。それが大学院時代に1年休学してメキシコに留学した時に、1910年代に起こったメキシコ革命(※1)後のメキシコ壁画運動(※2)に触れる機会があって。その時、壁画って芸術というだけでなく、社会的なものであったり、政治的なものでもあるんだと強く感じました。人々の生活の中に根付いているというか。メキシコ壁画運動の時に、民衆のために街中に壁画が描かれたんですが、今もたくさんの人が壁画を描き続けています。
いま私が住んでいるメキシコの家の近くの壁は、企業が広告用として使用していて、毎月壁画が変わるんです。現代アーティストたちが、自分たちのスタイルで描いています。美術大学の校内にもたくさんの壁画が描かれていたり、街中の家は好きな色で塗られていたり、日常風景に色が溢れていて。特別な芸術というより、普通の生活の中に壁画が溶け込んでいることが、メキシコに来て驚いたことでした。

※1 メキシコ革命……1910年から1917年にかけて起きた民主化革命。
※2 壁画運動……1920年から1930年にかけて、メキシコでは民族主義的な芸術運動として壁画に注目し、市民のための絵画を目指す壁画運動が起きた。

岡田杏里作「脳内原始旅」2016年 キャンバス、アクリル H181.8 x W909.2 x D4cm

「死」を身近に感じた自らの体験を描く

——壁画でのカルチャーショックがあったんですね。岡田さんの作品は、鮮烈な色使いが太陽のように明るく感じる一方、描かれているモチーフも特徴的だと感じます。それはメキシコにいるから生まれた心象風景なのでしょうか。

岡田:メキシコにいる時に死を身近に体験したことが大きかったのかもしれません。オアハカという先住民の文化が今でも色濃く残っているところに住み始めたころ、現地で知り合った友達の家へご飯を食べに行ったんです。その帰りに、街灯もなく真っ黒な道を歩いていたら、大きな穴が空いていることに気づかず、そこに落ちてしまいました。
マンホールより大きい穴で、1.6mぐらいの深さがあり、中は水路になっていて、流されてしまったんです。「あっ、この瞬間を絵に描きたい、きっといい絵が描けるぞ」と穴に落ちた瞬間考えたんですが、どんどん意識は遠のいて、「このまま死ぬんだ」「こんなに簡単に死んじゃうんだ」と考えながら、「どこまで流されるんだろう」とわりと落ち着いて考えている自分がいて。でも、その時にダメだ、戻らなきゃと、現実に引き戻され、なんとか月灯りのある方に岩を這いつくばりながら必死に戻り、友達が引き上げてくれて、助かりました。

その事故で、あばらにヒビが入り、3週間ぐらいベッド生活となって、一人では起き上がれないような状態が続いたんです。身体が治って、一人で歩けるようになっても、やはり恐怖心が残ってしまいました。その時、自分では無意識だったんですが、黒色の絵の具を手に取り、画用紙を塗りたくっていたり、気づいたら全身まっ黒の服ばかり着ていたり。
そのことがあってから、死というものをすごく身近に感じるようになり、死生観がガラリと変わってしまいました。そこから作る作品も楽しいだけじゃなく、死も常に近くにある、という表現に変わっていったんです。自分の体験から湧き出てきた感覚が、死の世界から日常を見ているような感覚になりました。それで、帰国後、落ちた時のことを絵にしました。黒色を使うようになったのは、死とか恐怖とかそういった体験が元になっています。

岡田杏里作「真夜中の目醒め」2015年 キャンバス、アクリル H130.4 x W53 x D2.5 cm 

生と死がすごく近い。それがメキシコ。

——「死生観が変わった」という点で、やはりメキシコと日本では違いがあると思いますか?

岡田:メキシコでは日本でいうお盆のような日があって、「死者の日」というんです。ただ、死というものは、悲しいけど悪いものじゃないという考え方で、死を恐れていないという印象を受けました。私が療養している時も、滞在していた家で働いていた先住民の血を受け継ぐ方に、「小さなレモンに糸を通してネックレスにして身に付けると、水害の怖い体験や記憶を消す方法があるよ」と言われて。民間療法なんですけど、そういうおまじない的なことも自然に受け継がれていたり、死というものをただ恐れるのではなく、「死と共存している」というような強さがあると思います。

——岡田さんの絵から湧き出る強さの元には、「死生観」が変わるような強烈な体験があったんですね。でもそれをすぐ表現されたというのは、やはりアーティストとしての性なんでしょうか。岡田さん自身、根源的なテーマを求めていたというか。

岡田:それまではあまり深く考えることもなかったし、漠然と感動したことや感じたものを即興で描いていたりしていたんです。そういうことに気づかせてもらえて、そこから「現実と幻想」「現代性と土着性」というテーマで、いろいろ制作するようにもなったんです。

風土やその土地に伝わる神話から創作のヒントが生まれる

——大学院を卒業後、2017年ポーラ美術振興財団の在外研修研修員としてメキシコに行かれたんですよね。その時、メキシコでは、壁画をどのくらい描かれたんですか?

岡田:その時は、チアパス州の小学校の壁とベラクルス州の精神科病院の病棟の壁に描きました。これまでに、メキシコに7箇所、グァテマラで1か所、ネパールで1か所、日本で3か所、壁画を制作しています。場所は学校や役所、コミュニティセンター、劇場、レストラン、カフェ、ゲストハウスなど様々です。仲間と企画して壁画プロジェクト「ヘキカキカク」としてやったものもあります。

精神科病院の病棟では、私が描く前に、首から上が動物で体が人間というちょっと過激な絵が描かれていて。それが患者さんに恐怖心を与えてしまうということで、ベラクルス州立大学美術研究所から私に依頼がきました。。それで、病院の近くに先住民から崇められてきた神聖な山があるんですが、そこを探索して、その山を女の人が横になっている姿にたとえて表現しました。その身体から植物が生えているような絵です。先住民のナワ族に伝わる詩から想像した世界観を描きたいという思いもあって。メキシコに来てから、その土地ならではの風景や人間、その土地に伝わる神話にすごく興味を持ったんです。

岡田杏里作「Mujer soñando con lluvia de flores」2017年 壁画 場所 ベラクルス州立病院(メキシコ、ベラクルスハラパ市) H5 x W25 m 

領域は自由。みんなでアートを楽しめる場所

——現在、藝大アートプラザには、岡田さんの酒器を販売させていただいていますが、陶芸にも興味があったんですか。

岡田:陶芸にも興味がありました。アートプラザに置いてある酒器は、メキシコの「Taller Mono Rojo」工房で作ったものですが、工房の人たちに器の形を作ってもらい、そこに絵付けさせてもらいました。

藝大アートプラザ LIFE WIth ARTで取り扱っている岡田さんの作品。LIFE WITH ARTについてはこちらで詳しく

——現在もメキシコに住みながら、日本で展覧会を開くというスタイルですが、やはりメキシコで制作することに意義があるんでしょうか。

岡田:はい。メキシコにいると、見える色が違うんです。気候もカラッとしているので過ごしやすく、気持ち的にもメキシコにいる時の方が気持ちが安定していて、のびのびできる。生活面では不自由な部分もあるけれど、それはそこまで気にならない。それとメキシコのアーティストは、いろんな活動をしている人が多く、刺激的なんです。週末に、自分で絵を描いたTシャツや陶器をマーケットで売ったり。私もTシャツに絵を描いて売っています(笑)。日本だと彫刻やっている人は彫刻だけ、油絵の人は油絵だけ、ということが多いですが、メキシコは開かれた工房も多く、様々な分野に挑戦しやすく、大らかな空気感があるように思います。

——街中の壁画を描かれる人もアーティストだけじゃないんでしょうか。

岡田:アーティストじゃない方も描いていますし、子どもも描いています。メキシコは美術館や博物館、遺跡などは日曜日は無料なところが多く、子どもたちもアートに身近な感じで触れ合う機会も多いです。

——自然にアートに触れられる、うらやましい環境ですね。最後に、岡田さんが思う「アート」とはどのようなものでしょう?

岡田:人の心に響くものがアートだと思うんです。アート作品を作るのって、すごく時間がかかっている。それは考える時間、形にする時間だけじゃなく、使用する自然の素材が存在していた時間だったり。そうやって考えていくと、一つの作品にかかっている時間というのは、ものすごく長いと言えます。私自身、10年前に感じたことを表現できないと思っていたたことが、今なら形にできたりすることもあって。アートというのはそういう大きな流れの中にあるもののような気がします。

1989年 埼玉県生まれ 
2017年 東京藝術大学大学院美術研究科壁画専攻修了 
2017年 杜賞受賞(東京藝術大学)
 2017年 公益財団法人ポーラ美術振興財団在外研修研修員としてメキシコに滞在 2020年 個展「El yo y el Yo」銀座蔦屋書店 GINZA ATRIUM(東京) 2021年 公益財団法人吉野石膏美術振興財団在外研修研修員としてメキシコに滞在 2021年 「中房総国際芸術祭 いちはらアート×ミックス2020+」月出工舎(千葉) 
2021年 個展「Soñar dentro de la tierra / 土の中で夢をみる」ポーラ美術館アトリウムギャラリー(神奈川) 
2021年 個展「Su propio tiempo」mooni(メキシコシティ) 
2022年 「第25回 岡本太郎現代芸術賞展」川崎市岡本太郎美術館(神奈川)

【展示情報】

作品展示
会場:Karuizawa Commongrounds Art Gallery Karuizawa 長野県北佐久郡軽井沢町長倉 鳥井原1690-1
会期:2023年9月8日(金)〜12月31日(日)

「岡田杏里 山増ちひろ展(仮)」予定
会場:南青山・モルゲンロート 東京都港区南青山3丁目4−7
会期:2024年3月7日(木)〜17日(日)

「岡田杏里の世界展(仮)」予定
会場:JIKE STUDIO 神奈川県横浜市青葉区寺家町435−1
会期:20204年6月

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