布で彫刻作品をつくる。「私がそれをアートだと考える理由」【福島李子氏インタビュー】

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藝大アートプラザ編集部
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人の数だけアートがある! 芸術に対する思いは人それぞれ。藝大アートプラザでは、アートとは何かをさまざまなアーティストたちに尋ねることで、まだ見ぬアートのあり方を探っていきます。

今回お話を伺うのは、アーティストの福島李子(ももこ)さん。ぬいぐるみを解体して再構成した作品や、布で制作する彫刻作品など、「奇想」とも言える表現方法を探求しています。自らのアート観について、これまでの活動とともに伺うと、まるで修行僧のような美意識が見えてきました。

「しゃべる肉」が彫刻に対する答え

―― 2022年の藝大アートプラザ企画展「Met“y”averse ~メチャバース、それはあなたの世界~」に出品してくださった「「Let’s Talk to Meat!」は、ぬいぐるみの生肉がしゃべるというかなりインパクトのある作品でした。あの作品はどんなコンセプトだったのでしょうか?

2022年に藝大アートプラザで開催された企画展「Met“y”averse ~メチャバース、それはあなたの世界~」に出品した「Let’s Talk to Meat!」(画面左手前)。ぬいぐるみ素材で生肉が表現されており、内部に仕込まれたモーターで、周囲の音に反応してモゾモゾと動く。布素材でありながら「彫刻」として、虚構や記憶、情報、感覚といった無定形なイメージに「皮膚」を与えて表現した作品。

福島李子さん(以下、福島):「「Let’s Talk to Meat!」は、私の中では「彫刻」なんです。一般的な彫刻で使われる素材は、木や石、土といった、大地という生命から切り離してきて使う「死骸」みたいなものですが、そうした素材を用いて生きているようにつくる、というのが彫刻表現ですよね。

買ってきたぬいぐるみを解体して、剥ぎ取って、生肉の「死骸」になって、さらにこれが生きているようにしゃべったり動いたりすれば、生きてるような表現、つまり「彫刻」になっちゃうなと考えた答えが、あの「しゃべる肉」でした。

「彫刻として捉えられない素材を彫刻にする」

―― そもそも福島さんがアートの道を志したのは、いつごろだったのでしょうか?

福島:幼い頃から手を動かして物を作るのが好きで、中学生の時には美大に行くと決めていました。小学・中学で一番好きな科目も美術でしたし、夜中に起き出して絵を描いたこともありました。デザインに興味があったのですが、あまり向いていなかったようで。得意なのが粘土をつかった立体作品で、自分自身もすごく好きだったので、藝大で彫刻を専攻しました。

2023年の企画展「Made in Art」に出展した作品。記憶や夢など、実在しないものを彫刻で作ることを試みている。ぬいぐるみや布、刺繍などの可変する素材を用いることで、作者がコントロールしきれない形が生まれる。それらが持つ緩やかな輪郭や軽やかさは、記憶やイメージの曖昧さを体現している。作品の持つ「分からなさ」も観る人に伝わったら面白い、と語る。

その中でも3年で石彫を選んだのは、「一番つらいから」です。石という素材がきれいだということや、物としての存在感が強いから、という面ももちろんあったのですが、自分を追い込んで、楽な方向に行かないようにと。

ただ、すでにそのころから布にも興味を持っていたので、卒業制作では大理石の石彫ともう一つ、布で制作した作品を提出しました。そもそも石で表現できることに限界があるように自分には思えたし、布は表現の幅がより広いように感じました。「彫刻として捉えられない素材が彫刻になったらかっこいいじゃん」というか。

2023年の企画展「Made in Art」に出展した作品。額縁もキャンバスもすべてがぬいぐるみのような布素材で構成されている

「表面」だけで構成されたモノは存在するか

—— 石よりも布のほうが表現の幅が広いと感じるのはどういう理由なのでしょう。

福島:実は私はアトピーがあって自分の皮膚にコンプレックスを感じていたことがあったのですが、その分、モノの「表面」に対する意識が強かったんです。一方で彫刻は、たとえば人間の体を形づくるときも、内部の骨格や筋肉の構造も理解した上で、それを表面に表現する必要があります。だから「内部」を感じさせます。ただ、自分はいつも「表面」だけに興味津々だったんです。

だから中身を連想させる表面ではなく、「表面」だけで構成されたもの、中身は空洞で、表面だけで形づくれる素材ということに、興味を持ったんです。そのことは修士課程で修了制作をしている中で、ふと気づいたことでしたね。

2022年に藝大アートプラザで開催された企画展「Met“y”averse ~メチャバース、それはあなたの世界~」に出品した作品

布は素材として経年変化もあるし、金属や石よりも値段が安く手に入れ安いので見る人によっては軽く見られてしまうかもしれないのですが、「素材=作品の価値」ではないはずじゃないですか。ものはいつか壊れる存在だし、そういった不安定な面も大事にしていきたいと思っています。

ただ、彫刻という形式に囚われすぎるのも違うかな、とも思うので、アニメやインスタレーションなどもやってみたい気持ちはありますね。

この日は、大量生産されたぬいぐるみを再構成するために、一旦「解体」する作業を行っていた。「情が移っちゃって解体できなくなるぬいぐるみもあります(笑)」

アートは決して「自由」ではない

―― そうした作品を通して、社会になにか訴えかけたいという部分もあるのですか。

福島:うーん、難しいですね。自分の作品で誰かが変わってほしい、というようなことは考えていません。そもそも学生時代は社会との接点がほとんどないし、自分のことしか考えていないし自分の内面しか見ていなかった気がします。でも今はそれだけではもの足りないと感じる部分も確かにあって、今のこの時代の中で自分が作品を作っているということに自覚的でないといけないとも感じますね。

そういう意味で、アートはすべてから自由であるように見えて、全然自由ではないんですよね。鑑賞する人は自由に何かを感じてもらえればいいと思いますが、作家が内省的な何かを「自己中」につくっても、面白い作品が生まれるような気もしないです。

藝大で大学院まで学ばせてもらいましたが、実は大学という組織から早く離れたいと当時から感じていて、同じ空気の中でとどまっていてはダメだと感じていました。それはやはりどこかで自分が広く社会と関わりたい、外の世界で勉強していきたいと感じていたからかもしれません。

だからなのか、美術館やギャラリーに行くと私は疲れちゃうんですよね。アート鑑賞ってしゃべらないけれど作品との対話みたいなものですし、この作家のこの表現はなんでだろう、どんな作品の置き方をしているのだろう、ということを勉強しようと思って足を運んでいるので、楽しむより疲れるんですよね。最近は特に作品の展示環境とか、置き方などに目が向きます。

売れるアートは目指さない

―― 福島さんにとって、アートとはどのようなものでしょうか?

福島:理想論になってしまうのですが、正直、「売れる作品」は目指していなくて、私は売れるための作品を作り始めると、自分の作品世界が壊れていってしまうように思うんです。商業的なモノから離れて、消費される対象ではない、自分だけの世界を大切にしていきたいと思っていて。商業的なキャラクターのぬいぐるみをあえて解体するという方法は、そうしたことへのアンチテーゼも、カジュアルな見せ方の中に少しだけ含んではいます。とはいえ、私自身そうしたことへの勉強が足りていないのでもっと学ばなければとは思いますが。

モノが流通し、あふれて、モノの価値が下がっている今の世の中で、「本物」の価値を理解できる人が少ないのではないかとも感じます。アートは決して使った石の重さや作品の大きさで値段がつくわけではないじゃないですか。

だからこそ、そうした中で誰もまだ見たことがない、心ときめくものを作り出していけたら、それが「私の作品の価値」になると思っています。

(Photo:安藤智郎/Tomoro Ando)

【福島 李子(ふくしま ももこ)】
1994 千葉県生まれ
​2019 東京藝術大学美術学部彫刻学科 卒業
2021 東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻 修了
​    文化服装学院II部服装科 1年間在籍
  現在、東京拠点に活動中

ウェブサイト:https://www.momoko-fukushima.com/
Instagram:https://www.instagram.com/momoko_fukushima/

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