人の数だけアートがある! 芸術に対する思いは人それぞれ。藝大アートプラザでは、アートとは何かをさまざまなアーティストたちに尋ねることで、まだ見ぬアートのあり方を探っていきます。
今回お話を伺うのは、アーティストの植田爽介(うえたそうすけ)さん。銅版画とリトグラフを中心に、写真や地図など多様な素材を使って繊細かつ大胆な現代的版画を手掛ける版画家です。
藝大アートプラザでの個展「Re:habilitation」開催に合わせ、自らのアート観について、これまでの活動とともに伺いました。
自分の脳のMRA画像をコラージュして銅版画に
—— 藝大アートプラザでの個展に出品を予定している作品は、ご自身の脳の画像がモチーフになっているそうですね。どのようなコンセプトなのでしょうか。
植田爽介さん(以下、植田):最初にこのシリーズを思いついたのは大学の卒業制作時期だったのですが、その頃は自分の作品の方向性やプライベートのことなどでさまよっていた時期でした。その中で、「自分の思考を絵にするとどうなるんだろう」「自分の脳のパターンを絵にするとどうなるか」というのが気になって、そんな時にちょうど健診を受ける機会があり、脳内の画像データをもらうことができたんです。
普段見ることのない、日常生活の中でもありそうでない、虫っぽいしミミズっぽいし細胞っぽいけれど見たことのないもの、「何なんだこれは」というおもしろみを感じたのが、脳画像銅版画誕生のきっかけです。
何をしていいか分からない時期、せめて自分の思考の方法を見せたいという思いから生まれたもので、できあがったもの自体はシンプルではないけれど、そこに至った理由はわりとストレートなんです。最初に作った時と制作工程は同じなんだけれど、できたものの見え方が変わってきていて、一度進んでから戻る、という段階を経なければできなかった表現なんじゃないかな、と思っています。
制作方法としては、自分の脳のMRA画像(磁気共鳴血管撮影法。脳の血管を立体画像化する検査)38枚を下敷きにして、脳の血管を繋いできました。なので、全体としてこのような形になっているわけではなくて、部分的な脳血管の画像をコラージュしていったという感じです。38枚を見比べながら、この血管とこの血管が繋がるんじゃないかな、などと考えてまず下書きを作っていきました。
銅版画のエッチングは、銅板が酸に溶ける性質を利用して凹部(くぼみ)をつくり、この凹部にインクを詰めて、プレス機で加圧して刷る技法なのですが、この作品では一度にすべての線を版に描いているわけではありません。
下絵を何回かにわけて版をつくることで、最初のほうに描いたものは何度も腐食液にふれるために線が太なっていき、後になるほど線は細くなっていきます。これは12層にわけて描きましたが、そうすることで奥行き感が出ると思っています。
エラーこそが面白い
—— 植田さんの作品には、脳血管のほかにもパソコンなどの基盤や地図をベースにした作品もありますね。
植田:基盤も地図も、人間の中に張り巡らされた血管に近いように思えたんです。私は「見立て」ることが好きなのですが、都市や地形も僕の中では「生きているもの」だと思っていて、細胞が変わっていくように、街も歴史も変わっていくのではないかと。
なので、地図が現実世界と同じであるかどうかはあまり重要ではなくて、自分なりのエッセンスを加えています。藝大アートプラザの企画展「境界」に出展した作品も地図をモチーフにしていますが、普通の銅版画としてインクを詰めて表現してしまうと、妙に「生々しさ」が出てしまう気がしたので、一切インクを使わないで、エンボス加工だけで空虚さを表現してみました。
—— 地図や写真を版画にするということの魅力はどこにあるのでしょう。
植田:確かに、「デジタルプリントや写真でいいじゃない」「なんで版画なの?」と言われることもあるのですが、画像を版画にする過程で、どうしても「エラー」が出ることがあります。版をつくるときに指紋が入ってしまったりとかですね。
僕はそのエラーがおもしろいというか、人の手を介するおもしろさがあるように思います。また、画像は実体のないデータでしかありませんが、版にすることで実体を持つようになり、さらに版という物体を紙という二次元に刷る過程で、どんどん次元が変わっていきますよね。そうした、制作プロセスそのものに興味があるんです。
うまくいかないから選んだ技法
—— 植田さんがアートの道に進んだきっかけは?
植田:両親の影響が大きいように思います。母は印刷会社で務めているのですが、以前はニューヨークで活躍していた作家のお手伝いなどもしていました。父も文房具のデザインに携わっていて、小さい頃から両親の仕事を見ていたのは非常に大きかったですね。
地元の美術高校では油絵を学んだのですが、大学受験に際して先生に相談したところ「版画が向いてるんじゃない?」と言われて。確かに油画でもやや平面的な、デザイン寄りの作品を描いていたのですが、それで多摩美術大学の版画科に進みました。その後、木版画・リトグラフ・銅版画など版画のすべての種類をやってみて、自分の表現方法として銅版画を選びました。
—— 銅版画を選んだ理由は?
植田:銅版画だけ、うまくできなかったからです。ほかはまあある程度思うようにつくれたのですが、銅版画はうまくいかなくて。でも、完成しないから次があると考えると、それが版画を続けていく理由になるのではないかと思いました。やっぱり試行錯誤したり、サンプリングしたりする過程におもしろさを感じるタイプなんですよね。
あと、版画って絵画表現とデザイン領域の間にあるようなイメージを僕は持っていて、どちら側に寄せるか、両者の間で揺り動かすことができるんです。その「振れ幅」を出せるのが、版画の魅力だとも感じます。
藝大アートプラザでの初個展「Re:habilitation」への思い
—— 藝大アートプラザでの個展には「Re:habilitation」というタイトルを付けておられます。コンセプトや思いなどを教えてください。
植田:実はいま介護福祉士として働いていて、資格も取得しました。それが今回の展示の大きな要素になっています。勤務している施設の利用者は主に知的障害などがある人たちなのですが、皆さんと接していて思うのが、行動や思考の面で自分と共通していることがとても多いということ。僕自身、熱中するとまわりが見えなくなったり、周囲の声が聞こえなくなったりすることはしょっちゅうあるし、他のことを考えていてあることを忘れてしまった、ということだってよくあります。であるならば、利用者の人たちと自分との違いはなんだろうと疑問を感じたことがありました。
医療や介護において、元の状態に回復させる治療のことを「リハビリテーション」といいますが、その逆に「ハビリテーション」という言葉もあり、これは「もともと持っている力や持ち味を生かしてさらに発達させる」という意味があります。
「Re:habilitation」というタイトルは、「Re」の後にあえて「:」を入れ、自分の個性を押し出したいけれど日常生活では抑圧せざるを得ない、人間生活はそういったものの繰り返しなんじゃないか、その中で人間は生きているんだという思いを表現したものです。
自分の学生時代を振り返ると、作品をつくって発表して、赤の他人に好き勝手に言われることもあって、そしてまたつくってという繰り返しです。でもそれは社会に出てからも同じで、自分の意見や価値観が周囲から押しつぶされるようなことなんて、誰にも日常的に起きています。
でも、僕の場合には、落ち込んだときにも何かをつくることで「前へ進めた」という経験をしているので、いまの自分より若いアーティストたちにもどんどん気にせず進んでいってほしいというか、へこんでもまた何かをつくって進んでいってほしいというエールのような思いがあります。
人生はリハビリテーションとハビリテーションが折り重なるようにして進んでいっているのではないかというのが、このタイトルに込めた意味です。いろいろな人に、観に来ていただきたいと思っています。
【植田爽介(うえた そうすけ)】
1994 香川県生まれ
2016 多摩美術大学美術学部絵画学科版画専攻卒業
2017 スロバキア・ブラティスラヴァ美術大学に交換留学
2019 東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻版画研究領域第一研究室修了
2021 令和3年度文化庁新進芸術家海外研修制度 ( 短期研修・サンタフェ )
2023 個展「この星を狭めるもの」( gallery neo_ / Senshu・茨城 )
2022 グループ展「The point of truth, beauty and knowledge」( Künstlerhaus Dortmund・ドイツ )”
Instagram https://www.instagram.com/sosukeueta/
取材協力:東駒形の銅版画工房 Gokko