「水戸のルドン」のインスピレーションはどこからくるのか。アトリエを訪れて分かった無限の想像力【重野克明氏インタビュー】

ライター
中野昭子
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人の数だけアートがある! 芸術に対する思いは人それぞれ。藝大アートプラザでは、アートとは何かをさまざまなアーティストたちに尋ねることで、まだ見ぬアートのあり方を探っていきます。

今回お話を伺うのは、版画家・重野克明(しげのかつあき)さん。銅版画を中心に、油彩・水彩ドローイング・水墨・陶芸などを手掛け、独自の世界観でファンを魅了しているアーティストの一人です。

今回は水戸市内のアトリエ兼自宅に伺い、版画を選ぶに至った経緯や自らのアート観、アイディアの源などについて伺いました。

「逃げ道」としての版画

――ご自宅にお邪魔しておいて大変失礼なのですが、センスのかたまりといいますか、非常にインパクトのあるインテリアですね。

重野:ありがとうございます(笑)。

――ふすまにも直接描いておられる。

重野:これは、以前に藝大の後輩や仲間が遊びに来るというので、アーティストっぽく何か描いておいたほうがいいかなと。サービス的に。

――描きたかったわけではなく、「描かなきゃ」と思って描かれたんですね(笑)。

重野:はい。

――そういうときは版画を貼ったりせずに、直接描かれるんですね。

重野:僕はもともと、本の挿絵だとか、白黒のデッサンとかが好きで。受験の時に通っていた予備校に版画の先生がいて、版画の工房や実習も解放されていまして、版画が面白いと思ったのはその時なんです。先生にも「君は版画だな」って言われて。それで、「よし!」と思って。藝大は3年から専攻が分かれるんですが、僕はそういうことで版画が好きで、油画を専攻しましたが、油画の「色」が苦手だったんです。

2022年12月に開催された藝大アートプラザの企画展「Met“y”averse ~メチャバース、それはあなたの世界~」後期展に出品された重野さんの作品。ロマンチックでありつつ、どこか泥臭いノスタルジーを感じさせる作品。実際の生活、実際にあった場所、実際に見た風景をモチーフに、銅板や亜鉛版、アルミ板、塩ビ板にニードルなどで直接彫る技法で制作している。乾いた笑いのようなおかしみがある。

――モノクロのほうがお好きだった。

重野:そうですね。絵だと色ももちろんですが、マチエール(材質や素材)もたくさんありますし、題材や方法もいろいろです。でも銅版画は何を描いても……というか、どんなに要素がいっぱいあっても、ピタッとハマるところがある気がして。そこがいいなあと。制限がないと、僕はどうしてもいろんなことをやりたくなっちゃうんですよ。でも版画だと、全ての要素は紙にプリントされる。

あと、当時はインスタレーション系のアートが幅をきかせていて、絵を描いていると「なんで絵を描くの?」と聞かれるみたいな空気があって。(版画を選んだのは、)そこからの逃げ道的なものもあったのかもしれないですね。いずれにせよ、現代アートの文脈に乗ろうみたいな考えはありませんでした。

重野さんの作品。

版画という枠の重要性

――版画という「枠」がないと収拾がつかなくなるわけですか。

重野:そう、版画という枠に(描きたいことを)押し込めて、落ち着かせるというんでしょうか。必ずしも落ち着かなくてもいいんですけど、枠によって大げさにならずに済むところが好きなんです。
ただ、それは版画の「弱さ」でもあって。ただの印刷物とも言えると思うので。僕だって、なにかアートを買うときは「一点もの」のほうがいいと思うこともありますから。

重野さんの自宅には、自作他作問わず所狭しとアートが飾られている

――そうなんですね(笑)。版画という技法を用いて、1枚だけ刷るというのはだめなのですか。

重野:版画は、ある程度数を刷らないとダメだと思うんですよ。刷るという行為は僕はあまり得意ではないんですけど、でも版画は、最低でも5~10枚刷って初めて作品になると思います。仮に1~2枚しか刷らなかったとしても、「刷ろうと思えば刷ることができる」という版でないと、ダメだと思うんですよね。

そもそも版画って、「大事にされない良さ」もあると思うんですよね。モノとして好きなんですね。かさばらないし。そのへんの本の間に挟まっていて、残っていく良さみたいなものが版画にはある気がするんです。

最初に選んだもので「どこまでやれるか」

――そのように聞くと、版画という枠は「厳しい制限」を作品制作に課しているようにも聞こえますね。

重野:そうかもしれません。でも、僕は最初に選んだことを続けるタイプなんです。何か新しいことをやるというよりも、最初に選んだもので「どこまでやれるか」を考えます。「職業・版画家」という肩書を変えたくないというか。自分への枠として「版画家」を名乗り続けているところがありますね。

そもそも、大学に入った時、最初に版画をやろうって思ったのは、版画なら「かなり良いところまでいける」「これは自分に合ってるぞ」と思ったからなんですよね。その感覚は今もあって、版画は一番自信があるんですよ。誰と比べてということではなくて、「手応え」があるんです。

一番好きな工程は「サインするとき」

――では、版画を刷るときも楽しいという感覚が強いですか。

重野:いや、刷るという行為は苦手なんです。刷り終わって、いっぱい並べてサインを入れるときが一番楽しいです(笑)。刷る行為と、版をつくる行為も、マインドが全く別なんですよね。むしろ情熱を込めて丁寧に刷ると失敗しちゃう。自分はマシーンになったつもりで、心を落ち着かせて、職人のようにやると、良い刷り上がりになることが多いです。

――アトリエの中もセンスのかたまりですね。これはすごい。

アトリエの様子

重野:プレス機は二つ持っていて、小さい方は20年前、大学出てすぐ位に買ったものです。大きい方は10年くらい前に買ったのかな。自分を無にして刷って、うまくいっているとやっぱり嬉しいですけどね。でも、その後冷静になって乾かして、サインを入れる時が、やっぱりいい時間ですねえ。

あるようでない、ないようである「伝えたいこと」

――難しい質問かもしれませんが、重野さんの中では、版画を通して「○○を伝えたい」という目的というかメッセージのようなものはあるのでしょうか?

重野:うーん、目的……。そうですね、伝えたいことか……(沈黙)。

僕は伝えたいことって何もなくて、「そんなものはないです」と言ってしまうこともあるんですけど、でもきっと、そうではないんだろうなとも思うんですよね。そのことは自分でもよく考えるんですけど。

――いずれにせよ、何か明確に伝えたいことがあってモチーフを選んだり描いたりしているわけではない。

重野:大まかに言うと、そうですね。でも、個々の作品で見れば、「こういうところは分かってほしいな」とか、「ここは面白いでしょう?」という部分はありますね。でも、版画をやるって選んだ時点で、やっぱりそんなに言いたいことも、ないのかもしれないなあ(笑)。

陶芸作品も手掛けている

たとえば、山下清でも、一般的には愛のある絵だとか、人柄が出ているとか言われていますけれど、おそらく本人は何も考えていないですよね。たぶん絵を描いていれば、その他の仕事をやらなくてよかったから描いていたんだと思うんです。それであのような作品が描けるんですから。

――自身の作品に関して、いろいろな評価を聞くことがあると思いますが、それについてはどう思われますか?

重野:「そういうふうにとってくださるのは嬉しいな」と思うこともあるし、「そこまで考えてくださるのは申し訳ないなあ」と思うこともあります(笑)。

タイトルなど見える言葉遣いの面白さも重野さんの魅力の一つ。「追いかけて素描」「私のデッサン返してよ」などの文字が見える。

温かいとか、意外とブラックな要素が出ているとか言われることもあるんですが、それはそれでいいなあと思います。そういうつもりじゃなかったけど、そういうのもいいなあって。買ってくださった方や、展覧会を見に来てくれた人は素直にまっすぐ作品を見てくださるし、何か感想を伝えてくださるのも嬉しいです。

でも、美術の雑誌などで、「重野の作品はこのカテゴリー」のように捉えられたり——たとえばレトロの枠——とか、そういうのはあまり好きじゃないかもしれないですね。

「ようやくセザンヌの良さに気づいた」

――作品を描く上で、影響を受けた人というのはいますか。

重野:ルドンはいいですね。好きな版画家の一人で、予備校生のころから参考にしてきました。単純にきれいだな、と思っています。白黒もパステル画もきれいです。彼は魔術師のようにつくるのではなくて、本当はすごく考えて、計算してつくっていますよね。

野球好きで、アマチュアチームに所属しているという重野さん。いつも自宅の土管で壁当てをしているという。描かれたキャッチャーもユーモラス。

――重野さんには「水戸のルドン」という異名があるそうですね。

重野:前に自分で言って広めようとしていたんです(笑)。そのタイトルで個展も考えたんですが、担当者の人と「ルドンはあまり知られていないから辞めておこう」となって。あとはマティスも良いなと思いますし、日本人だと岸田劉生とか、版画家だと駒井哲郎さんとか。彼は人となりがかっこいいなと思って。松本俊介とか、作品に影響を受けてます。考えてみると、傾向が似てますよね。

あと、最近ようやくセザンヌが好きになってきました。

――「ようやく」とは?

重野:美大生ってセザンヌとかマティスとか、好きじゃないんですよ。昔、大学の先生も「君たちはセザンヌがいいと思わないだろうけど、そのうちいいと思うようになる」と言ってました。今、そういうことだったんだと妙に納得していますね。

――セザンヌは人物画も特徴的ですが、重野さんもモチーフに人を選ぶことが多いように思います。

重野:僕は人を描くのが苦手だったんです。でも、自分の中で「人間を描けないと画家じゃない」みたいな思いがあって。モチーフの選び方としては、独りよがりにならないように気をつけています。思い入れが強すぎるものだと、面白くなくなることが多いんです。

なので、妻の形態だけ拝借するみたいなことも多いですね。本当はいろんな人を描きたいですね。出先でも写真はあんまり撮らずに、気になった人の顔を手帳にスケッチしたりしてします。あ、あとは形態としては馬が最近のブームです。馬の人形を買ったんですよ。馬やポニーが好きですね、かわいいですし。

画題やアイディアの源泉

――重野さんの作品を見ていると、無限にアイディアが湧いてきているような印象を受けるのですが、その点についてはいかがですか。アーティストの中には自分のアイディアが枯れていくことに恐怖感を感じたり、自己模倣に陥ることを恐れる人もいると思います。

重野:僕もそれは恐いです。顔の描き方とか花の描き方とか、最初は新鮮だったのが手慣れてきて同じようになることも、知らず知らずありますからね。もともとの才能はなくても、枯渇は怖いですね。

ただ、常に新しいことをやろうと思っていても苦しくなってきますね。ひょんなところにアイディアは転がっているので、面白がるというか、今のところ大丈夫かなと思えるのは、自分の中で盛り上がれることがまだまだあるからかもしれません。

――最近は何に盛り上がっているんですか?

重野:ある写実画家に、「写実のすごいの描いてくださいよ」と言われたんですよね。それで、写実の絵を描こうという盛り上がりがあります。写実っていっても、こう、よく見て描くだけでも面白いと思うんです。写真みたいな絵を描きたい、ということではなくて、「写実という行為」がマイブームですね。あとは、海を描きに行きたいかな。次の展覧会のテーマは、「海」にするかもしれません。

(Photo by Tomoro Ando / 安藤智郎)

【重野 克明(しげの かつあき)】
1975 千葉県生まれ
2003 東京藝術大学修士課程版画専攻修了後版画家として活動

主な賞歴
2000年 「第25回全国大学版画」展 買上賞
2001年 「東京藝術大学卒業制作」展 サロンドプランタン賞、「第2回全国大学版画」展 買上賞 町田市立国際版画美術館
2003年 「第71回日本版画協会」展 日本版画協会賞、B部門審査員特別賞 東京都美術館、「第80回春陽」展 奨励賞 東京都美術館

Instagram:https://www.instagram.com/shigeno31/

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