菅実花が問いかける虚実の境界とは?人間と人間でないものが混ざり合う写真世界に迫る

ライター
菊池麻衣子
関連タグ
インタビュー

そっくりな双子の姉妹のポートレート写真かと思いきや、片方はアーティスト自身の頭部を型取りしてつくった人形と知ってぎょっとする作品は、VOCA展2020奨励賞を受賞。写真・人形・映像などのメディアを用いて知覚の意表をつき、「人間とは何か」という問いかけを続けている菅実花さん。
2021年の「第15回shiseido art egg 菅実花展 仮想の嘘か|かそうのうそか」では、さらにバリエーション豊かなファッションや髪型で、本人と一卵性双生児のような人形が共演したセルフポートレート作品を展開。鏡や映像の効果も活用して虚像と現実が複雑に絡み合う世界に私たちも巻き込まれてしまうような時空を生み出しました。ファンタジックで心地よいのだけれど、「人間とは何か」、「家族や友達は人間でなければいけないのか」といった問いが自然に誘発されてきます。過去には、精巧なラブドールが人工知能と人工子宮を得て妊娠するという設定で撮影された『ラブドールは胎児の夢を見るか?/Do Lovedolls Dream of Babies?』といった物議をかもしそうな意欲作も発表。
今回は菅さんのアトリエに伺い、「自分」と「自分そっくりの人形」のポートレートを発表することで何を私たちに伝えたいのか、またどのようにしてその制作方法にたどり着いたのかについて探りたいと思います。また舞台となるアトリエのセッティングや、人形のメイキング、セルフポートレートの撮影方法にもせまります。

ラブドールを妊娠させる

菅さんは、2015年の修了制作の時から人形を被写体とした写真作品を中心に創作を続けていますが、何しろデビュー作品のインパクトが強烈です。
妊婦の姿をしたラブドールの様々なヌードのポートレートを発表したのですから!
そもそもどうしてこのような写真作品を撮影するに至ったのか聞いてみました。

The Future Mother 09,06,07(未来の母09,06,07)2016年 各152.4×223.3cm inkjet print

「私はもともと、人間と人間じゃないものや、本物とにせ物の境界について意識を喚起するような作品を作りたいと思っていました。ただその手段がなかなか決まらなかったのです。実は、学部生時代は、藝大の絵画科日本画専攻でした。その時代に受講していた授業で、伊藤俊治先生の『写真映像論』というのがとても面白くて、修士課程では、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻の伊藤先生のゼミに入りました。この学科は、『日本画』や『彫刻』というふうに手段で分けるのではなく、テーマやコンセプトで分かれていたので私に合っていました。

大学院では、女性の学生が多く、飲み会で良くガールズトークをしていました。30代の先輩も何人かいて、頻繁に、結婚・出産はどうしようとか、今パートナーがいないから卵子凍結をしておこうかなどという話になりました。
そんなガールズトークを聞いていて、『いっそのことラブドールのような外部媒体に妊娠させて、出産してもらえば、妊娠中の活動制限もないし、キャリア形成の悩みも軽減されるのではないか』というアイデアが浮かびました。
思いついたものの、これはインパクトの強い作品になるし、『そういう作家』という風に色がつくことも予想されたので多少迷いましたが、思いついてしまったのでやろうと決めました。そして、まず手に入れなければいけないものが『ラブドール』だったのですが、これが一体70万円もするのです!でも覚悟を決めて取り組むために購入しました。そしてメーカーさんと協力して妊婦の姿をしたラブドールを作らなければならないので、直接アポを取ってお話に行きました」と菅さん。

ものすごい行動力ですね。ラブドールメーカーの方ってこのような企画をすぐに理解してくれるのかしら?と思ったのですが、なんと造形師さんが藝大出身だったのですぐに趣旨を理解してくれたそうです。クリエイションの要に藝大出身者あり!
心強いですね。
ラブドールのお腹を膨らませるために色々な物を詰めてメーカーの工場でテストしたという菅さん。ボールを入れたところ、リアルな妊婦さんのお腹に近づいたそうです。ラブドールはシリコンで出来ているのですが、メーカーの方も「こんなに伸ばして大丈夫なんだ」と驚くほど最大限伸ばしたそうです。
そしてこの仕上がり!

The Silent Woman 07 (沈黙の女07) 2016年 27.6×41.3cm inkjet print

もう人間の妊婦さんのヌードそのもの!でも、よくよく見ると継ぎ目があったりして人形だとわかります。また顔が菅さんとそっくりなので、会場に立っている彼女自身のポートレートなのかと聞かれるなど、まさに虚実の境界について考えさせる作品。(※ただし、この時に使用していた頭部は既製品なので、菅さんに似ていると感じた人がいたのは偶然とのこと。この頭部を選んだ理由は表情が明るかったからで、自分に似せる意図は無かったそうです)。
修了制作として発表すると、SNSで話題となり、行列ができるほどたくさんの人々が見に来たとのことです。
「虚実の境界を意識させる」なんて、言葉で聞いたら難しそうなのにこのようなアート作品にすることで、たくさんの人たちが主体的に興味を持ち、写真を撮り、SNSに流すようになるほど動かしてしまうなんてすごい。目論見どおり?とも言える菅さんのアートの力ですね。

人間と人形の境を探る

2020年のVOCA展出品の推薦を受けた菅さんは、「人間と人間じゃないものの境界」をさらに追求していきます。そして、「自分と人形を双子のように見せて撮影する」写真作品を発表します。ジャン!

A Happy Birthday 2019年 217.2×144.8cm inkjet print

どちらが菅さんで、どちらが人形かわかりますか?
右が彼女で左が人形です。
VOCA展に来場したお客さんも、最初は「ふーん、双子のポートレートね」みたいな感じでスルーするのですが、キャプションを読んで「片方が人形」だとわかると、俄然興味深々となってまじまじと見る方が多かったそうです。
特に、菅さんと同年代の30歳前後の女性鑑賞者の心を捉え、やはりSNSの投稿が多かったとのこと。自分の中にあったテーマを、このような写真で世の中に問いかけ、一般の人々も巻き込んで探求していく状況を作ってしまうとはさすがです。
見事に「VOCA展2020奨励賞」を受賞しました。

さらにこの双子のポートレートがバリエーション豊かに発展したのが、2021年に「第15回shiseido art egg 菅実花展 仮想の嘘か|かそうのうそか」で発表した作品です。
ここでは、菅さんと人形が、様々な髪型やファッションで登場。シチュエーションも多様で、もはや人間と人形の境界を越えて仲良し2人組が一緒に遊んでいるように見えました。

「仮想の嘘か|かそうのうそか」Exhibition View(撮影:加藤健)

ここで私は菅さんに問いかけました。「こんなに楽しそうに人間と人形が暮らしていけるなら、友達や家族は人間でなくても良いのではないかと本気で思ってしまいそうです。未婚の男女や一人暮らしの人口が増えてきている今の日本で何か変化球的な突破口になるかもしれませんね」。
虚実に対する人間の曖昧な感覚が、むしろポジティブに働くような気がしたのです。

菅さん曰く「相手が人間かどうかよりも、そこに思いを寄せる気持ちがあるかどうかが大事だと思います。例えば私の友人で、Twitterの自動応答アカウント(いわゆるbot)を、ずっと人間だと思って返事をしていて、『今度会いましょう』というところまで話が進んだ人がいます。この友人の場合、相手が自動で返信しているロボットだったにも関わらず、知らずにコミュニケーションを取っているうちに友情が芽生えたのだと思います。ただ相手はロボットでしたので、友達だと思っていたのは友人の方だけだったわけですが、それでもこちらが思いを持っている限り、友情が成立していたことになるのではないでしょうか。
私は双方向のコミュニケーションというのは実は幻想なのではないかと考えることがあります」。

ますます興味が湧いてきました。虚実の境界を探るところから、「人間ではない何かとのコミュニケーションが成立するのではないか」といったところまで想像が広がります。
ところが菅さんは、「第15回shiseido art egg 菅実花展 仮想の嘘か|かそうのうそか」展では反省点があったとのこと。
VOCA展で作品の認知度が上がり、ファンが増えたのは良かったのですが、写真に写っている二人が人形と人間だということを知ってやってくるお客さん達が、最初から「間違い探し」を目的に来てしまったというのです。
本当は、本物っぽく見えるものに対する疑いをもち、そこから新しい発想につなげてくれることを期待していたのですが、「間違い探し」の答え合わせで止まってしまう人が増えると、成功とは言えなくなってしまうようです。
う~ん、自分に厳しいですね!

どうやって撮るの?人形との双子写真

ところで人形と双子のように戯れている写真を、どのようなお部屋でどのように撮影するのかを見てみたいと思いませんか?一緒にそのミステリアスな世界を垣間見てみましょう。
菅さんのアトリエは、とある建物の5階。赤い絨毯の廊下を歩き、写真が貼ってある502号室へ。

中に入ると、「第15回shiseido art egg 菅実花展 仮想の嘘か|かそうのうそか」展で鑑賞した写真の中の世界がそのままタイムスリップして目の前にあるような不思議な空間が現れました。

そして、奥で照明の調整をしていたのが菅さんです。

彼女の後ろにいた、彼女そっくりの顔をしたあのラブドール!
もう一人は人形だとわかっていても、何か人間のような存在感があって「おおっ!」となりました。前を通る度に、「失礼」とか言いそうになります。

まず気になったのは、何人この人形がいるの?というところ。実は、本番用のラブドールは、あの修了制作の時に購入した一体だそうです。彼女自身の頭部を型取りしてつくった頭部も1つで、造形師によって本物の菅さんと同じようなメイクが施してあります。特別に触らせていただいたのですが、唇やほっぺたが、みずみずしくてプルプルでした。
メイクは1パターンなのですが、照明で色々と表情に変化を出すそうです。
私が普通に撮ったこの写真ですと、無表情で、見るからに人形。菅さんと見分けがつかないほど生き生きとした雰囲気を出すのには相当な技術と勘が必要なのだろうなと実感しました。

ウィッグは、結構種類があるとのこと。棚にも3種類ほど並んでいました。

人形は首のところに継ぎ目があるので、それが見えるようなアップスタイルはできないなど色々と制限はあるそうです。なので、基本的には人形のスタイルを先に作ってから菅さんがそれを真似するとのこと。なんだか、ここでもオリジナルと人形の逆転現象が起こっていて面白いと思いました。
洋服は、色違いなどはありますが、常に同じデザインのものを2セット購入するそうです。
撮影は誰がするのでしょうか?
表情や位置関係などを完璧にコントロールした「セルフポートレート」なので自分でシャッターを押すボタンを手に持ち撮影するとのこと。
なので、撮影する前に位置関係を確かめるための仮置き人形も一体あります。

セッティングと撮影は効率よく進めないと膨大な時間がかかるため、衣装や髪型や二人のポジショニングは、予めドローイングで綿密に計画を描いておくとのことです。
セッティングで特に難しいのは、人形を立たせる時。膝がガクッとなって崩れ落ちたりすると全て最初からやり直しなのでとても神経を使うそうです。
でも、この写真からはそんなことは微塵も感じられません!

Stay Paradise 14 (ステイパラダイス 14) 2021年 110.1×154.4cm inkjet print

人間と人間でないものの境界ギリギリを攻めている菅さんが、今度はどんな形でその境界を私たちに意識させてくれるのでしょうか?!次回が楽しみです。

藝祭からミラクルが起きた!

私たちが、東京藝術大学内に入って様々な在学生に出会えるチャンスとして、「藝祭」があります。東京藝術大学の伝統的な学園祭であり、期間中は展覧会・映像上映会・演奏会・オペラ・演劇・模擬店などの催しが行われます。
菅さんは、学部1年生で日本画専攻だった時に、藝祭で出会った来場者の女性から初めて「ファンレター」をもらったそうです。同じくらいの年齢で、「あなたの作品が好きです」と書いてくれてとっても嬉しかったとのこと。
それから7年が経ったある日、突然その女性からメールがきたのですがそれは何と仕事の依頼。平野啓一郎さんが新聞に連載している小説に挿絵を書いてほしいという内容でした。メールをもらった時、菅さんは既に先端芸術表現専攻でしたが、日本画専攻時代に藝祭で出会っていたからこそ、彼女が「描ける」のを知っていて依頼してくれたそうです。おかげで、その後平野さんとの対談が実現するなど、ミラクルなチャンスにつながったと菅さん。
なんだか、次回の藝祭に足を運んでみたくなってきました。

菅実花(かん・みか)さんのプロフィール

1988年神奈川県生まれ。2021年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻博士後期課程修了。2016年にラブドールを妊婦の姿に加工しマタニティフォトを模して撮影した写真作品《The Future Mother》を修了制作展で発表し注目を集める。大衆的な写真文化と、人形の文脈を交錯させた写真・映像作品を手がけている。人形を撮った写真という二重にメディア化されたイメージを用いることによって、生命と非生命、本物と偽物、過去と未来など対比そのものを撹乱する。主な個展に2019年「The Ghost in the Doll」原爆の図丸木美術館(埼玉)。2021年「BankART U35菅実花個展」BankART KAIKO(横浜)「仮想の嘘か|かそうのうそか」資生堂ギャラリー(東京)。出版・連載に2018年共著『〈妊婦〉アート論』(青弓社)、2019–2020年『本心』作・平野啓一郎(北海道・東京・中日・西日本新聞朝刊)の挿絵。『週刊読書人』で写真とエッセイを連載中。VOCA展2020奨励賞受賞。http://mikakan.com/

おすすめの記事