藝大出身アーティスト・小津航インタビュー。3年間リンゴを描き続ける理由は?

ライター
菊池麻衣子
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インタビュー

小津航(おづわたる)さんに初めて出会ったのは2017年。千代田区のアートセンター「アーツ千代田3331」で展示されていた「自害するルクレティア」の軽やかなコンテンポラリーバージョンの絵に見入っていると、それを描いた彼が現れたのです。
強姦され傷心の内に自害した悲劇の女性というヘビーな題材なのに、色使いは明るく、造形もポップで構成も軽妙。そのギャップに惹かれました。過去の傑作へのリスペクトや研究心を独自に昇華し、現代的なあっけらかんとしたテイストで表現してしまう、そのバランス感覚が実に魅力的。それ以来、彼の作品に注目してきました。

小津さんは、1991年東京都生まれ。2017年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻を修了した若手アーティストです。今をときめくアーティストたち約30人がアトリエをシェアしている「スタジオ航大」を拠点に制作を続けている彼を訪ねました。

取手にある「スタジオ航大」

取手駅からバスに10分ほど乗って、3分ほど歩くと「スタジオ航大」に到着。2013年頃にダンボール工場の跡を改装した、関東最大の共同アトリエとのことです。確かに敷地内には、2階建てのものも含めていくつか大きな建物が建っています。
小津さんのアトリエは、一番手前の建物の中。入っていくと、清潔感のある白い壁に囲まれた広い一画に、イーゼルやキャンバス、筆や絵の具などがきっちりと設置されています。思わず「展示品のようにキレイなアトリエ!」と感嘆の一言が飛び出しました。

「アトリエには、作品の在り方が反映されると同時に、アトリエのあり方が作品に影響することもあると思うのでとても重要です。今は、ちょうどこのように整然となってきたところなのですが、ここから、きっちりとしてキレイなアトリエにしていくか、雑然としてカオスなアトリエにしていくか、今が分岐点です」と小津さん。
そうなのか~。どちらに振れるかわからない、一時的にニュートラルなアトリエにいると思うと、なんだか貴重な瞬間に立ち会ってるような気がしてきました。
それにしても、周囲を見回すと、目に入ってくるのが、リンゴ、リンゴ、リンゴ!
なぜ小津さんはこんなにリンゴばかり描いているのでしょう?そして床に置いてある5つのリンゴも気になります。

私は2016年から約1年間、美術作品を見て回る世界一周旅行に出ました。と言っても、アルバイトで貯めた300万円の範囲内でしたので、1日500円でドミトリーに泊まり、見知らぬ人達と三段ベッドで眠るなど過酷な旅です(笑)。ヨーロッパ各国はもちろんのこと、アメリカ、アジア各国、中東、インド、サイパンのバンザイクリフ、そして伊豆大島の黒砂漠に戻りました。
世界各地を巡っている時に、楽しかったのはスーパーを見て歩くことです。そこにしかない食材に土地柄が表れますからね。そして、どの国のスーパーに行っても、リンゴは必ずあることに気がついたのです。その上、リンゴはキリスト教など宗教においても重要な果物ですし、ニュートンはリンゴから「万有引力の法則」を発見しましたし、美術の世界でもセザンヌが繰り返し描きましたし、あらゆる文脈にコネクトすることができます。
そこで私は、ある日、リンゴをひとつ描いてみました。なかなか良い感じに描けたので、リンゴを飽きるまでとことん描いてみたいと思ってここ3年ほど描いていますが、まだ飽きません」と小津さん。

世界一周からの、リンゴモチーフへの到達まで、なかなか壮大なストーリーですね。
それにしても、3年間毎日のように描いていても、まだまだ飽きないとは!
このようにお話ししている間にも、小津さんは軽やかに筆を運び、楽しそうにリンゴを描いてくれました。そして、さらに続くお話から、彼の野心的な挑戦が浮かび上がってきたのです!

小津版! 新しい日本的絵画空間を創る

再度アトリエを見回すと、先ほどの床置きのリンゴの他に、台の上にオレンジとレモンが置いてあります。これは見るからに小津さんの静物画のモデルたちなのですが、なぜこのように置いてあるのでしょう?
小津さんはスッと立ち上がると、イーゼルの前で筆を持ち、「西洋画は、このように台の上の静物とほとんど距離も角度も変えずに自分のポジションを固定して描きます。ですので、描かれた静物もある特定の側面だけを私たちに見せ、写真のようにリアルなのですが、空間が固定されています。また、静物は必ずテーブルの上に乗っていますので、絵に描くときも、テーブルの上でしか戦えないのです」と話し始めました。

う~ん、なんかわかるようなわからないような…。

すると彼は、西洋の伝統的な静物画を見せてくれて、「ほらこのようにテーブルの上とそうでない空間がはっきりとしているでしょう。だから、テーブルの外の上方のこの辺にリンゴを描くと、宙に浮かんでるみたいでとても変なのです」と続けます。

AbrahamvanBeyeren《StillLifewithLobsterandFruit/1650s》
この絵の上の方の空間にリンゴを描いたとしたら…? 宙に浮いて見えますよね。

確かに! 厳格なルールにのっとって写真のようにリアルに描いたのに、いきなりシュルレアリストがいたずらで描き足したような妙な絵になってしまいますよね。
すると今度は、小津さんが床置きのリンゴの方に向かいました。
しゃがんでリンゴに近づき、手にとってみたり、黄色い線の中に入ってリンゴの間を歩いたり、さっきの台上のオレンジとレモンを描いていた時とは随分違います。

床置きのリンゴ

「日本の画家たちは、このようにして描いていたと思うんです。
静物の間に入っていき、様々な角度から眺めたり手に取ったりした感触を絵に移す。だから、静物のひとつひとつや、全ての面にフォーカスが当たり、今でいうと『観光地図』みたいになるのです。自分も絵の中に入っていくような感覚なので、五感を絵に描き入れることができます。
そしてここが重要なのですが、私は床に静物を置いているので、余白の空間が床としてずっと続いています。ですので、このようにリンゴを上方のこの空間に描いても、何の違和感もなく存在することができます。先ほどの西洋の静物画の時と全然違うでしょう?」 と小津さん。

この余白のどこにリンゴを描いても宙に浮いているようには見えない

「他の日本美術も例にとってみましょう。この佐竹曙山(さたけしょざん)筆『燕子花にナイフ図』を見てください。
この絵の余白は全部床だと考えることができます。ですので、このかきつばたの上の方にネコを描き入れたとしても、普通に向こうの方に座っているようにも見えて、先ほどの西洋の静物画のように宙に浮かんでるような違和感はないのです」と小津さん。

「燕子花にナイフ図」 佐竹曙山 秋田市立千秋美術館蔵。この絵の上の方の空間にネコを描いたとしたら…?

なるほど~! 日本的絵画空間が、いかに自由かということがわかりました。
欧米では、ピカソが、あらゆる角度から見た側面をひとつにまとめて同時に見せるという手法を20世紀に発明して一躍有名になりましたが、日本の絵画ではとうの昔に実現されていたのですね。
そして小津さんは今、リンゴを床置きにして「日本的絵画空間」を静物画の中に展開しながら、いまだかつて絵画の中に存在しなかった「何か」を描き加えて、新しい空間体験を創り出そうとしています。「もっと絵を自由に開放したい」との意気込みが熱い!
小津版の絵画空間がこれからどのように進化していくのか?これからも目が離せません。

藝大の名物先生、アトリエいろいろ

冒頭で小津さんが、「アトリエと作品は影響し合うので、どのようなアトリエにするかが大事」というお話をしてくださいました。彼は、芸大で出会った、作家としても活動している偉大な先生たちのアトリエからそれを学んだとのことです。
中でも印象的だった先生たちのアトリエをいくつか紹介していただきました。

OJUN先生のアトリエ

そもそも、画家のOJUNさんに習いたくて藝大に入ったという小津さん。
学部生時代は、制作のための技術的なことを習うのですが、大学院に進学すると、この先何十年も作家としてやっていくためのメンタルな部分を学ぶ期間になるとのこと。
というわけで、小津さんの大学院時代の教授だったOJUNさんは、絵の話をしてくる事は滅多になく、映画の話をしたり、たまに食事をおごってくれたり、「最近彼女とはどう?」と聞いてきたりするという感じだったそうです。でも、一度スランプに陥って相談したところ「スランプというのは、私くらいの年齢まで続けてきた中でやっと陥ることができるようなもので、君のは『ムラ』くらいのものだ」と一蹴されて吹っ切れたとのこと。OJUNさん、頼りになりますね!
さて、小津さんも助手になるとOJUNさんのアトリエに入る機会がありました。OJUNさんのアトリエは彼の絵の中とはかけ離れた「物が溢れた」アトリエとのこと…。パレットや描きかけの絵の中は整然としていてとてもキレイなのに、アトリエ内のテーブルには脱いだ靴下やCDなどが散乱していたそう。
絵を最優先にして絵の中の世界に全集中していると、このようなアトリエになるのかなと小津さんは思ったそうです。

小林正人先生のアトリエ

小林さんの絵は、とにかく木枠からキャンバスがはみ出していて、三角形や台形のような形をしている型破りなものです。色だけで描かれた抽象的なものもあれば、具象的な馬が描かれているものも。また直接床に置いて展示していることが多いのも、小林さんの作品の特徴です。
アトリエに足を踏み入れると、「まずは床に藁が敷いてあり驚きました」と小津さん。その藁が絵にくっついていたり、藁の中に絵の具が落ちていてチューブから出ていたり、どこからどこまでが絵なのかわからないそうです。
アトリエが絵と一体化して、小林さんも、絵の中にいるのか外にいるのかわからないような状態で描いているのかもしれませんね。天才的!

篠田太郎先生のアトリエ

篠田さんは、ドローイング、彫刻や映像、インスタレーションなど、作品のバリエーションが豊富なアーティスト。アトリエにはソファとコーヒーメーカーを置いて非常にオープンな空間を作っています。小津さん曰く、『システマティックでクリーンなアトリエ』だそうです。そして、例えば、「アイデアを形にするためにツールを作るところから考える」などという篠田さんの発想は画家の小津さんには無かったので、画家以外の作家の考え方を知る機会になると同時に、「自分は画家だ」と再認識できる場所でもあるそうです。

小津航(おづわたる)さんプロフィール

1991年東京都生まれ、2017年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻を修了。東洋美術の山水画、浮世絵、洋風画や⻄洋美術のモチーフなど過去の美術作品を参照しながら油彩画を制作し、東洋的絵画空間における画家とモチーフの関係を探索しながら制作活動を行っている。昨今は「静物画」、「風景画」、「人物画」という絵画の基本となる主題を通じながら、東洋的絵画空間にみられる(画家とモチーフとの距離)や(絵画空間の設定)といった関係に注目をして東洋美術を再考するような制作を行なっている。

1991年東京都出身
2014年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
2015年独立行政法人日本学生支援機構海外留学支援制度[ニューヨーク滞在]
2015年London/TokyoExchangeprogram2015[ロンドン滞在制作]
2017年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了
[個展]
2019年「ニガヨモギの星」unpetitGARAGE・東京
2018年「くせ・色・形」BambinartGallery・東京
2018年「小津航2016-2017」BambinartGallery・東京
2017年「〇〇の風景」BambinartGallery・東京
2015年「ニガヨモギの彗星」ACMEstudio・ロンドン
[グループ展]
2020年「KODAIselectedArtistswithMJ」MARUEIDOJAPAN・東京
2020年「MONTBLANC☓TheChainMuseum」MontBlanc銀座本店ショーウィンドウおよび店内2F,3F・東京
2020年「Anthropocene」銀座蔦屋書店アートウォールギャラリー・東京
2019年「FindYourARTforChristmas」MARUEIDOJAPAN・東京
2019年「アイミタガイ|AimiTagai」旧平櫛田中邸アトリエ、東京藝術大学YugaGallery大学会館・東京
2017年「グループ展」いろは堂・東京
2017年「ThreeArtists」BambinartGallery・東京
2017年「Paintings」BambinartGallery・東京
2016年二人展「緑の面とピンクの滝」遊工房・東京

【スタジオ航大基本情報】
取手市にある、元・工場を改装した関東最大の共同アトリエ。
2年に1回ほどオープンアトリエを開催します。
【画像提供ご協力】秋田市立千秋美術館  

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