小さな勿忘草(ワスレナグサ)数万個からなる動物の頭蓋骨や果物の作品など、卓越した技巧と深い思索に裏打ちされた作品で、観る者の心を揺さぶるアーティスト、髙橋賢悟(たかはしけんご)さん。
今回は、2021年に『東京藝術大学博士審査展』にて野村美術賞を受賞され、今まさに気鋭の作家である髙橋さんに、藝大時代に学びえたことや作品の制作方法、全体を貫くテーマやコンセプトなどをお伺いします。
藝大アートプラザとの関わりや、藝大時代のお話
――髙橋さんと藝大アートプラザの関わりを教えていただけますか。
髙橋:教員として藝大に関わっていた時に、藝大アートプラザで鋳金(ちゅうきん)の展示などを開催していて、今の作風とは異なるのですが、ブロンズのヤモリの作品などを出したことがあります。ヤモリは学部時代の卒業制作(卒制)からつくっていて、卒制では金色の蠅(はえ)を狙う300匹くらいのヤモリをつくりました。
卒制のコンセプトには東京への揶揄などが入っていて、僕は鹿児島出身なのですが、東京に出た時に人の多さにびっくりして、此処が日本の中心なんだと直感的に思いました。その頃は自殺者や引きこもりなどが問題になった時期で、社会の不完全さというものも同時に見えてきたというか。家を守る生き物であるヤモリをサラリーマンに見立てて感じたことを粗削りに入れましたね。卒制は幸いにも、台東区奨励賞をいただきました。
大学院に入ってからは、ヤモリの並べ方を変えて見せ方を考えたりしていました。当時は制作において実験の段階で、表現という言葉も今ほど理解していなかったと思います。
――藝大では、学部で学んだことを卒制で披露するんですよね。
髙橋:そうですね、学部で基礎的なことを学び、卒制で個性を出すことを要求されます。
工芸は、感覚的にアウトプットしたいものがあっても、それを実現させるための技法がついてこなくて、思った通りの表現ができないことも多く、ギャップを埋めるのが大変ですね。
例えば、素材には限界値があって、金属を綿のように浮かすのは難しいですよね。使う素材の中でやりたいこと、その素材でしかやれないことを当てはめていく柔軟性が必要です。
素材について知ることや技法などは基礎ですが、基礎の積み重ねがあって、初めて表現したいことを実現することができます。そして技法や素材などがその人の感性にはまれば、他の人が真似できない、唯一無二のものを作ることができるようになります。
工芸において「素材」と「技法」と「表現したいこと」は大事な三角関係にあると思いますが、そのバランスを取るのがとても難しいです。
――髙橋さんは藝大で教鞭を執っていらした時期もありますよね。
髙橋:はい、教育研究助手を三年やって非常勤講師を三年やった後、博士課程に在籍しました。
藝大で教える時は、基礎技術を伝えるようにしていました。僕が今やっていることは応用の部分なので、早い段階で伝えてしまうと、表現の幅が狭くなってしまいますから。
学部生の中には、基礎技術が追いついていなくても、イメージ力と勢いで作品をやり切る子もいるので、こういう表現もあるんだなと知ることができて面白かったですね。その点は教員をやっていた醍醐味でもあると思います。
大学では受け身でいても、人と関わる機会がありますし、いろいろな感性を知ることができました。今は一人でやっているので、特にそういう所には大学での有難みを感じますね。
――今は制作に専念されているんですか?
髙橋:そうですね。あとは藝大のご縁で教えることもやっています。藝大時代に彫金研究室の非常勤の方と仲が良くて、先日はそのご縁で、広島市立大学で講義をやりました。
――髙橋さんは鋳金ですが、彫金(ちょうきん)の方と関わることもあるんですね。金属工芸(金工)は鍛金(たんきん)・鋳金・彫金※できっぱり分かれているのかと思いました。
髙橋:交流はありますよ。ただ、藝大のように三つ金工が別れている所はなく、他大学は金工と一括りにしている所がほとんどです。彫金と鍛金は元の材料が板材などを扱うこともあって技術は似たところも多いんですが、鋳金は一回溶かして鋳型に入れるので、その点が他の金工とは大きく異なります。鋳型や原型の材料にもいろいろなものがあって、そういった部分で技術共有が難しいですね。
※鍛金・鋳金・彫金……金工における主な技法である。
鍛金は、金槌や木槌などで金属の板を曲げ伸ばしする技法で、壺や花瓶、銅鑼(どら)などの製造に使用される。
鋳金は、砂や土などで作った鋳型に溶かした金属を流し込んで形をつくる技法で、銅鐸や仏像、茶の湯釜などの製造に使用される。
彫金は、金属加工で使用される工具の一種である鏨(たがね)を使って彫刻や切削で文様を造形し、装飾効果を高める技法で、金属に別種の金属をはめ込む象嵌(ぞうがん)なども彫金の一種である。
鋳造による「無限の抑揚」を活かした制作
――髙橋さんの作品の制作方法についてお伺いできますか。
髙橋:鋳造方法は大きく言えば、ロストワックス法と現物鋳造法を掛け合わせています。ロストワックス法は蝋で原型をつくって土や石膏でくるんで、焼いて蝋が溶けて、焼き切れることで鋳型が残る方法です。現物鋳造法は原型が700℃で燃えつきるものを先ほどの技法同様に鋳型を作り、焼いて鋳造する方法のことをいいます。
※例《Flower funeral》シリーズの制作プロセス:
(1)現物鋳造法で勿忘草を鋳造して金属原型をつくる。
(2)勿忘草のゴム型をつくる。
(3)(2)で蝋の勿忘草をつくる。
(4)(3)を組み合わせて整形する。この時、勿忘草はワックスペンなどで一つひとつくっつけていく。
(5)(4)に石膏を流し込んで固めて鋳型にする。この時、蝋の勿忘草は溶けてなくなる。
(6)(5)に金属を流し込んで固めて作品をつくる。この後、(5)の石膏を破壊して作品を取り出す。
※小さい作品であれば(2)~(6)の過程は1回で済むが、大きい作品の場合は(2)~(6)を繰り返して複数の部品をつくり、後で溶接する。
――勿忘草の作品は、どうやって動物の形に成型しているのでしょうか。
髙橋:大きさがあると、一回の鋳造ではつくれませんので、部品を作って溶接します。薄いアルミの溶接は難しいので、溶けた金属が原型本体に流れる道である湯道(ゆみち)を溶接のポイントにしていますね。湯道は、原型に金属を的確に流すだけでなく、表現の一部に取り入れたり、サイズを大きくするための起点として利用し、作品内部に構造を作って丈夫にしています。僕にとっては一石四鳥の存在です。
ただ、こうしたやり方を採っても、作れるものの大きさには限界があるので、限界を探るために博士展で出したような大きな作品もつくりました。
――最近だと、3Dプリンターで立体作品を作るアーティストさんもいらっしゃいますが、髙橋さんの作品は、3Dプリンターだとどこまで作れるんでしょうね。
髙橋:自分の作品を想定して考えると、まず花をスキャンできない部分(欠損)が出てくるので、パソコンデータに欠損部分を手動で作る形になると思います。まずは実物を取れないという時点で違いが出てしまいますね。石膏や樹脂などで出力してつくるにしても、0.1mmという薄さは強度的に出力が難しいように思います。
また、3Dプリンターだと、層を積み重ねる積層系が多いので、層の質感がどうしても残ってしまいます。細かく見ると難しいところがたくさん出てきてしまいますね。うまくいけば、勿忘草のお花を一つつくることならできるかもしれませんが、それでも全く同じものはできないと思います。
――制作方法を確立する際に試行錯誤があったと思うのですが、何がきっかけで成功したのでしょうか。
髙橋:最初のきっかけは、先輩の制作の手伝いをしていた時だったと思います。鋳造をする時に、鋳型の型の合わせ目や、クラック(ひび)などに金属が流れてしまい、ギザギザした面の出っ張りを、「バリ」と呼んでいるのですが、ある時、このバリがとても広い面で出ていて、それがまた薄かったんですね。なのでその時、その薄さの空間を意図的に用意しておけば金属が流れるだろうと思ったら再現できたんです。そこから試行錯誤していった感じですね。
――金属の可能性を引き出して制作なさっていますね。
髙橋:彫金や鍛金などの板ものになると、道具の鏨(たがね)の限界などもあるので、細かい表現は鋳造でしかできない部分もありますね。鋳造だと金属が水のような形状になるので、3次元的な造形に関しては、無限の抑揚を生み出すことが可能だと思っています。
――作品をアルミニウムで作られているのも印象的なのですが、アルミという素材を使うに至ったいきさつを教えていただけますか。
髙橋:僕がアルミを探求しはじめたのは大学院に入ってからなのですが、その頃、特段美術造形として、アルミは研究が進んでないし、そしてあまりかっこいい地金としては扱われていませんでした。アルミはぎらぎらして光りすぎてしまう点が敬遠されたんだと思います。そこで、アルミという金属の可能性をどこまで引き出せるかを実験したいと考えました。開拓の余地があるものなら、新しい美意識や概念が生み出せるような気がしたのです。
アルミの特性として、錆、つまり、酸化膜が白く美しいのが面白いと思いました。
――アルミの作品を作る前は、他の金属も使ってらっしゃいますね。
髙橋:以前つくった大山椒魚には黒味銅(くろみどう)※という伝統地金、ヤモリの作品にはブロンズを使っているのですが、糠焼き(みそやき)といって、糠(ぬか)と硫黄の粒を水で練って黒味銅、ブロンズに貼り、焼くと色の粒が反応して斑点などになる伝統技法を起用しています。
大山椒魚の色味は煮色という技法を使っています。煮色は金属が酸化することで色味がつくんです。ヤモリにはお歯黒といって、お歯黒を焼き付けて飴色に仕上げる技法を使いました。どの技法も塗装の質感とは異なる色の表現が可能になります。
金属の風合いの出し方はいろいろな種類がありますが、アルミは比較的新しい地金なのでまだ探求されていません。でもこれから出てくる可能性がありますね。伝統的な技法も、若い感性が触れると刷新されていくのではないかと思います。
※黒味銅……ブロンズにヒ素を約1%配合した銅合金。
素材極限主義(マテリアル・マキシマリズム)の追求
――作品のコンセプトを教えていただけますか。
髙橋:「生と死」ですね。補足すると「生の造形」と「死の造形」になります。
生の造形は、卒制でつくったヤモリもそうですが、プレーリードックや大山椒魚、オコジョなどの動物を作っていました。プレーリードックは遠くを見ながら瞑想しているようでしたし、大山椒魚は上野動物園で見たのですが、自由気ままに生きていて、これぐらいマイペースでいたいなと思ったのです。オコジョには毛皮がありますが、衣服のようなものは着ていないのに豪雪の中で強く生活しています。そうした動物の生に憧れますし、彼らの無垢さは心に響くものがあります。
死の造形としては、2011年に東日本大震災が大きなきっかけで、当時はこれ程死を強く感じる出来事はありませんでした。修士課程でインスタレーション《永久(とこしえ)に継ぐ軌跡》をつくりました。胡蝶蘭が滝のようになっている作品で、震災の鎮魂の意味を込めて制作しました。ちょうどお花の鋳造に成功し始めていた頃でもあります。
この時期は、アートには何ができるんだろうと思っていたのですが、被災地の仙台で《永久に継ぐ軌跡》を展示する機会があり、被災された方が観て泣いて喜んでくださって、この時初めて作品で社会と関わることができたのだと実感しました。ものを作りながら社会に訴えかけるアーティストになりたいと思ったきっかけでしたね。
《flower funeral -cattle-》の制作は、東日本大震災で原発の件で避難した時に牛が大量に餓死してしまって、酪農家の方が泣き崩れている姿を見てショックを受けたのがきっかけです。ただ、こういうものをつくりたい、と思った時に技術が確立していなかったので、六年後に完成させ、『驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ』展に出品しました。
この作品は立体にする技法が難しかったですね。
僕は博士展の論文発表を機に自分の工芸観に「素材極限主義(マテリアル・マキシマリズム)」という名前をつけています。伝統技法から着想を得て自分の表現に落とし込んだ経験がこの言葉の由来です。素材に囚われながら素材に成長させてもらって、そして素材に魅了される。その感覚の中でクオリティの高いものをつくっていくという姿勢は、「工芸」と名の付くものに共通しているように思います。
――藝大を修了された時の作品《永久に継ぐ軌跡》あたりから現代アートにシフトなさっていったような印象を受けました。また、技法の確立と共に作品の可能性も広がっているように思います。
髙橋:そうですね。今後も、素材美やテーマを追求しながら現代アートを中心にやっていくことで、社会と繋がっていけたらと思っています。
「素材極限主義(マテリアル・マキシマリズム)」という考え方は、「自己感性のもとに素材と超越した技術により最大限抽出された素材美で表現を行う思想」と定義しました。今後は、この思想のもと、テーマを変えて作品をつくってもクオリティは上がるのか、ということも実験していこうと思っています。
幸いなことに、このコロナ禍において、僕はニューヨークで作家としてデビューすることができて、現在いろいろとお声もかけていただいている状況ですので、今後はスタッフも育てていくつもりです。日本だと海外に比べて作家として活動していくことが難しいので、少しでもアートに関わる仕事が増えることは文化を活性化させるのに重要なことだと思っています。
これは肌感覚ですが、僕は今後、現代アートでも技巧が重要になってくると思っています。以前ニューヨークに行った時に抽象絵画を鑑賞したのですが、抽象表現も技術に貪欲といいますか、テクニカルに感じたんです。現代アートはビジュアルが真似されやすいので、作家や自身の感性、個性を打ち出して新たな表現を生むには、技巧が必要になってくると思います。
――技巧がないと底が浅くなりますから、今後は現代アートも技巧が重要になってくると思います。
制作に関し、お声がかかるのは嬉しいことですが、髙橋さんの作品は制作に時間がかかりそうですね。
髙橋:博士課程の最後に出した作品に三年かかっているので、今後はやり方を考えていなければいけないでしょうね。でも僕は、常に前よりもクオリティの高いものをつくりたいですし、つくったものから得た思想や技法を、次の作品に生かしたいと強く思ってます。そこにアート制作の醍醐味があるのだと思います。
●髙橋賢悟プロフィール
1982 鹿児島県に生まれる
2010 東京藝術大学美術学部工芸科 卒業
2012 東京藝術大学美術研究科 修士課程 鋳金研究室 卒業
2012 東京藝術大学美術学部 工芸科鋳金研究室 教育研究助手
2015 東京藝術大学美術学部 工芸科鋳金研究室 非常勤講師
2022 東京藝術大学美術学部 工芸科鋳金研究室 博士課程 修了
多くの個展やグループ展を開催・参加、受賞多数
※取材中は、マスクを着用しております。
文・撮影(アトリエ分)/中野昭子 ※作品画像は、髙橋さんより提供いただいたものです。