廃校でのインスタレーションも!作家・片山真理さんが「岡山芸術交流2022」で見せてくれたもの

ライター
木村悦子
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インタビュー

2016年から3年ごとに岡山県岡山市で開催される「岡山芸術交流」。市内中心部に素晴らしい作品が数多く展示される中、片山真理さんの作品は突出していた。

片山真理さんは、東京藝術大大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。写真家、モデル、義足のアーティスト、インスタレーション作家など、活動の幅が広すぎる片山さんが岡山で見せてくれたもの、考えたことを聞いた。

岡山市を舞台に岡山芸術交流2022、開幕

2022年9月30日、岡山芸術交流2022が開幕した。

三回目となる今年は、9月30日~11月27日の会期で、13ケ国28組のアーティストによる作品が街中に展示される。

会場は、旧内山下小学校、岡山県天神山文化プラザ、岡山市立オリエント美術館、シネマ・クレール丸の内、林原美術館、岡山後楽園、岡山神社、石山公園、岡山城、岡山天満屋。

片山さんの作品は、旧内山下小学校、岡山県天神山文化プラザ、岡山天満屋で展示される。

「後楽園のソテツ」 旧内山下小学校1階

「possession」 旧内山下小学校2階

「in the water」 岡山県天神山文化プラザ


「just one of those things」 岡山天満屋

岡山の文化深度に共鳴し、2016年から交流

片山さんは埼玉生まれ、群馬育ち。どういった経緯で遠い岡山での出品となったのか。聞くと、2016年の「アートプロジェクトおかやま2016」から続く、温かな交流があった。

――今回、出品することになった経緯を教えてください。

岡山との縁のはじまりは、2016年の「アートプロジェクトおかやま2016」という岡山県主催のプロジェクトに参加して、個展を開催させていただいたことです。

生まれた群馬には海がない。なんというか体感がない、実感がないんですけど、行ったらもうわかった。文化振興課の方のアテンドで、1週間で岡山県内を視察しました。美術館、海や山にも行きました。

最初は「岡山に関連する作品を作らなきゃ」と、頭がカチカチでした。でも、いろいろ見せていただいた結果、私のような部外者が入ってきて、自分の作品を作るって、なんだか気持ち悪いし、私だったら嫌だなって思っちゃう。なんでここに私の作品を置く必要があるんだろう。自分の作品と岡山との関連性を無理やり見つけることよりも歴史、文化的な深度、人々の関係性のほうが大切だと思ったので、私がここに入り込んで写真を撮って作品を作らせてもらおう、という気持ちになりました。

2016年は担当者たちが全力全速力で支えてくださった経験があり、その後もいい交流が続いていたんです。このように、岡山にはとても親しみがあったので、今回の岡山芸術交流2022からのお話もお受けしました。

注目を集めた廃校でのインスタレーション

岡山芸術交流2022会期中、旧内山下小学校、岡山県天神山文化プラザ、岡山天満屋の3カ所に、片山さんの作品が展示される。どれも美しいが、小学校の音楽室での展示は圧倒的で、多くの人が見入っていた。

――廃校の音楽室というロケーションが最高ですよね。

うん、階段を上がった最後の教室の部分で、抜け感があって。「ここにしたい!」って言ったら、アーティスティックディレクターのリクリット・ティラヴァーニャが「いいよー!」って。任せてもらえたのはリクリットとの信頼関係の賜物かな。それから、スタジオマネージャーと二人三脚で、いろいろな人たちとの共通言語を模索しながら、あのインスタレーションができたというわけです。

――幻想的で美しかったです。廃校ならではのノスタルジーはあまり感じませんでした。

私にとって、学校って嫌な思い出しかないし、とにかく学校って箱が嫌いだったので。ノスタルジーのようなものは過剰に演出したくないと考え、全体の基準として「怖くなりすぎない」「うるさくなりすぎない」を念頭に作り込みました。

――テーマはズバリ、なんでしょう?

女だから、母親だから、若いから、障がい者だからとか、タグを付けられることってあって。タグつけられることって所有することに似てる。タグをつけられるイコールタグをつける人の所有物になっているような気分になるんですよ。言われる方も言う方も。見た目のことを言われる時も、見た目って社会的な立場とも似ているじゃないですか。かわいいね、若いよねなど。でも、なんであなたに言われなきゃいけないのって思っちゃう。社会に出て人と関係を築く時に必要な肩書きはあるけれども、そこで判断しないでね、ということです。

――撮影や制作はどのようなスケジュールでしたか?

撮影は4月にしました。コロナ禍は落ち着きつつも、去年末から今年にかけて個展をしていて忙しいし、いろいろなことが混ざり合っていた時期でした。

今回の岡山芸術交流に関しては、2016年のご縁があったのでうれしく思っていました。でも、総合プロデューサーによるハラスメント問題などもあり、イベント開催を疑問視する市民団体もあったりと、正直最初は出るか出ないか、とても迷いました。悩んで毎日調べて話を聞いて、参加しないという選択肢もありだなと思ったんですよ。でも、参加しなかったら、私の仕事って作品を作ることなので、まるで投票権があるのに投票しないのと同じです。調べて考えて思うことがあるのに、「出ません」って全部投げちゃうのってよくないし、自分の仕事を放棄しているような気がして。だからこそ絶対出ようと思ったし、出るからには全力で展示しようと思いました。良い作品、良い展示じゃなきゃ、何か言いたくてもカッコ悪いじゃん。

――悩んだ末に出品したとしても、メッセージを発することができますもんね。

女だから、アーティストだから、作家だから、障がい者だからなど、人に勝手につけられたタグでなんでこんなに嫌な気持ちになんなきゃいけないんだろうなって思ったんです。「受け手の問題なだけだから、気にしない」って、これまで頑張ってきた。そう言ってくる人たちにはにっこり笑えばいい。「今、目の前にある幸せと、制作できる喜びがあればいい」って頑張ってました。でも、いやいや待てよと。不快なこと、不正義に対して、これまでは笑って許せた(努力して)。けれど、オリパラがあったでしょ。「何か」変わるかなって少し期待していたんです。でも何も変わらなかった。愕然としちゃった。今5歳の娘が大きくなって、嫌なことがあっても私が笑って許し続けていたら彼女に顔向けできないなと。にこって笑うのは誰を守るため? じゃあ、ステートメント(作品の要約文章)を書こう、って制作をはじめて今に至るという感じです。

最近、小学生から大学生まで子供や若い人と関わる機会が増え、彼ら彼女らには本当に未来を感じるんです。私が若かった頃に先輩たちから受け取ったことを若い人たちにやろうって。なので、その子たちの前でもヘラヘラしてらんない。コロナ禍の数年間の経験から「もう守りじゃなくて、戦いに行かないと」って意識が変わりました。

群馬から利根川を下り(?)茨城オタクライフ

小さい頃から作ることが好きで、「作ることが延長上に作品という存在があった」という片山さん。大学院での学びと、在学時代のエピソードを聞いた。

――どんなキャンパスライフを送られたのでしょう?

私、取手だったんですよ。茨城の取手校舎。ときどき授業を受けに行くことはあったんですけど、上野のキラキラ感は体験できておらず。生まれ育った群馬や埼玉から、利根川を下って茨城に来た! みたいな。

学部は他の大学の文学部を卒業したので、本を読んでなんぼみたいな環境だったから、めちゃくちゃ本は読んでいました。あとは何していたかな……。バンドやったりはしていました。あとは、車がアイデンティティだったので、茨城でも車を乗り回してブイブイ言わせていました(笑)。

――じゃあ、キャラとしては陽キャ?

(同席していたマネージャーさんから即座に否定が入る)

本当にオタク! オタクで音楽が好きとはいえ、音楽も文章から入るんですね。考えて文字で読んでから作る。でも、逆に作品を作ってから作品に教えられることも多いですね。それから、作家としての私と、作家じゃない私の趣味嗜好は全然違って、作家としての「片山さん」は「現場に入らなきゃ。この足で立たなきゃ」というバリバリ現場派なんだけど、作家じゃない「片山さん」はとにかく考えたいし、言葉にしたいし、行けないんだったら別に行かなくていいし、やりたくなかったらやらなくていいよみたいな。2つのキャラが同居しています。

藝大の院に入ったとはいえ、2年間でできることって限られていたかな。でも、写真演習という授業はかなりまじめに受けました。担当は、佐藤時啓先生と、鈴木理策先生でした。フィルムカメラのレンズやフィルムの話、像が写る仕組み、プリントの技法などを学び、撮ったものを編集し、写真を選んで展覧会を開くところまでを教える内容でした。

――その頃には、写真家を目指そうなどと進路は固まっていたのですか?

いいえ。「アーティスト」として生計を立てるまで、アーティストになろうと思ったことは一度もなかったかな。お金を介して作品が人の手に渡った時に「私作家じゃないんで」なんて、口を滑らせても言えませんよね。そうなった瞬間に、アーティストとして作品に対して責任を持つために「私は作家です」と名乗るようになりました。

アートは生きる力にプラスになると信じて

天満屋は岡山の老舗百貨店。岡山芸術交流2022の会期中、片山さんの写真が展示される。岡山城あたりを巡って満足して帰らず、こちらにも足を運んでほしい。

――天満屋の展示、ティファニーの広告の隣に片山さんの写真ドーン! あの配置は最高だったのでは。

最高です!

岡山県外の人がお祭り、旅行感覚で「アートのフェスティバルだ!」って見に行くのも、もちろん大事です。ただ、先日も岡山に行ったんですが、ちょうど、小中学校のツアーを開催していました。最初子供たちは「あれ? この人作家さん?」って不思議そうに私を見てたけど、私が話しかけると作品についての疑問質問感想をどんどん話してくれて、すごく楽しかったです。本当に素晴らしいなと思いました。2019年に参加したヴェネチア・ビエンナーレでも地元に住んでいるおじさんが「子供の頃からヴェネチアビエンナーレを観て育ったよ」なんて話してて、すごく良いなと思っていたので、それを思い出しました。アートフェスティバルは地元の人たちにこそ見てほしいです。

こうやって普段から国際的なアートに触れられるなんて本当にいい機会ですよね。10年、20年後、必ず芽が出ると思います。

――子供や若い人などが展示を見て、いつかアーティストを目指すみたいな?

いや、目指さなくてもいいんですけどね(笑)。アートに触れる経験って大事で、生きる力をくれるかはわからないけど、生きる力にプラスになると思うので。ここで見たこと感じたことが、10年後にでも「あれはこういうことだったのか」となったらいいなと思いますね。岡山芸術交流、今後も続けてほしいなと思っています。

足を運んでもらえることが大事なので、多くの人に見に来てほしいな!

(DATA)
岡山芸術交流2022
会期:2022年9月30日~11月27日
観覧料:一般1800円、岡山県民1500円、65歳以上1300円、学生1000円、高校生以下無料
https://www.okayamaartsummit.jp/2022

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