「なら歴史芸術文化村」を訪れて知る、文化財の宝庫・奈良県と東京藝術大学の深~い関係

ライター
いずみゆか
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コラム

東京美術学校と呼ばれていた時代から、深い繋がりがある東京藝術大学(以下、藝大)と奈良県。文化財の宝庫として知られる奈良県には、古美術研究の拠点として、藝大の教育実習施設「美術学部附属 古美術研究施設」(奈良県奈良市)があります。藝大の古美術研究旅行(古美研)で、学生と教員らが京都・奈良を巡る際などに利用している施設です。
もうひとつ、奈良県内に藝大と深い関わりを持つ施設があるのをご存じでしょうか?

2022年3月にオープンした奈良県が運営する大規模複合施設「なら歴史芸術文化村」(奈良県天理市)です。道の駅として登録された4つの棟(文化財修復・展示棟、芸術文化体験棟、情報発信棟、交流にぎわい棟)とホテル(フェアフィールド・バイ・マリオット・奈良天理の山の辺の道)を併設した同施設。なかでも、日本初の「仏像等彫刻」、「絵画・書跡等」、「歴史的建造物」、「考古遺物」の4分野で文化財の修復作業現場を通年公開している「文化財修復・展示棟」は、藝大との関わりが特に深いのです。
同施設で美術工芸を担当している竹下繭子学芸員に、仏像の模刻や古仏調査を通じた藝大との関わりについて伺いました。

2022年3月にオープンした奈良県が運営する大規模複合施設「なら歴史芸術文化村」(奈良県天理市)

4分野で文化財の修復作業現場を通年公開している文化財修復・展示棟

通年公開されている文化財修復・展示棟内の様子(2022年3月のなら歴史芸術文化村開村時に撮影)

連携して文化財の調査研究

なら歴史芸術文化村(以下、文化村)は、対話から気付きを得て「なぜ?」が芽生え、「知る」を楽しむコンセプトの施設。来訪者の「なぜ?」という問いに、文化財の専門職員が対話によって答えてくれ、観光・産業と連携しながら、地域の魅力を発信しています。

その連携のひとつとして、現在、4つの大学(天理大学、奈良県立大学、立命館大学アート・リサーチセンター、東京藝術大学)と協働し、文化財の調査研究をはじめ、保存、活用、次世代の人材育成の取り組みをおこなっています。連携協定を結んでいる大学のひとつが藝大なのです。

受け継がれてきた模刻研究と藝大大学院文化財保存学専攻保存修復研究室

明治元年(1868) の神仏判然令(神仏分離令)により、神と仏が分けられ、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が起こりました。その時代に東京美術学校初代校長の岡倉天心は、古仏を再評価し、その保護に尽力しました。岡倉校長のもとで、助教授を務めた彫刻家の新納忠之介(にいろちゅうのすけ)は、古仏の保存修復に邁進し、今日に至る修理法の基礎を築いたとされます。

その保存修復の伝統を受け継ぐのが、1964年に国内最初の文化財保存修復を扱う教育機関として開設された「東京藝術大学大学院保存技術講座(現在の大学院文化財保存学専攻保存修復研究室)」です。1995年には、文化財保存学専攻が大学院美術研究科の独立専攻になり、現在、保存修復分野(5分野)、保存科学分野、システム保存学分野が設置されています。

5つある保存修復分野のなかでも、岡田靖(おかだやすし)准教授が指導する保存修復彫刻研究室では、岡倉天心らが実践してきた調査・研究方法を継承し、古仏を写し取る「模刻(もこく)研究」を実施。模刻を通じて培われた技術や知見を文化財保存修復や技法材料研究に活かしています。近年では、透過X線撮影やCTスキャン、樹種同定や年代測定、顔料分析などの科学的調査による知見に基づいた模刻研究がおこなわれている点も重要です。

単なるイミテーションではない、「模刻」の魅力とその意義とは?

模刻について説明する「なら歴史芸術文化村」竹下繭子学芸員

一般的に「模刻」に対して、「本物によく似せて造ること」をイメージし、レプリカやイミテーション的な意味合いで捉えがちですが、実際の意義は違います。「オリジナルの構造や技法、素材までを調査し、それに基づいて可能な限り再現することで、当時の技を体得することに大きな目的を持つ、いわば実証的な制作」(文化財保存学保存修復彫刻研究室HPより)であるため、オリジナルの文化財とは異なる意義と価値を持つ存在なのです。

竹下さんは、「模刻といっても侮れません。お寺で入魂していただいたら、オリジナルの仏様の『分け身』になり、『仏様そのもの』として信仰の対象になりますから。実は、(オリジナルとの)その境界が曖昧といえるので、おもしろいなと思います」と説明します。
また、藝大が所蔵する模刻作品の中には、いつ頃制作されたか不明であるものの、恐らく古くまで遡ると推定される作品も。奈良・唐招提寺の国宝「如来形立像(にょらいぎょうりゅうぞう)」、いわゆる「唐招提寺のトルソー」で知られる像を型取りした石膏像も保存修復彫刻研究室が所蔵しているかなり古いものです。

唐招提寺 如来形立像 石膏像 東京藝術大学文化財保存学保存修復彫刻研究室蔵 (原像/国宝 奈良時代 8世紀)

国宝を石膏に型取りするなどは今では不可能なため、大変貴重な作品。「オリジナルの干割れ状態もよく分かりますし、背中の内刳まで丁寧に型取りされています。このような古い時代に型取りされた石膏像は、準文化財的な存在ですよね」と竹下さん。

背中の内刳り内部の彫跡。当時のまま精巧に型取りされている。 ※「内刳り(うちぐり)」木造彫刻で、乾燥による干割れを防ぐために内部を刳り抜くこと

模刻を展示する意味とは?

聖林寺 十一面観音菩薩立像 模刻 令和2年(2020年) 朱 若麟作 個人蔵 (原像 国宝/奈良時代8世紀)

文化村では、過去2回の企画展(「観音のいます地 三輪と初瀬」「文化財研究中! なら歴史芸術文化村×連携4大学」)で、奈良・聖林寺の国宝「十一面観音菩薩立像」の模刻像を展示しました。この模刻は、藝大の保存修復彫刻研究室博士課程に在籍する朱 若麟(しゅ じゃくりん)さんが2019年度修士課程2年の時に制作した作品です。

材料や技法、構造だけでなく、現状の段階で金箔が残っている部分まで細部にわたり忠実に再現している、もの凄いクオリティーの作品です。

オリジナルの仏像は、明治期の神仏分離令まで、奈良県桜井市にある大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺「大御輪寺」(だいごりんじ/旧大神寺)のご本尊でした。廃仏毀釈の影響を受けたことで、大御輪寺は廃寺に。聖林寺に運ばれ、大切に守られてきた歴史があります。明治20年にアメリカの哲学者・フェノロサが秘仏の禁を解き、その美しい姿に感銘を受け、保護を提唱したことでご存じの方も多いのではないでしょうか?

奈良県桜井市の聖林寺 国宝・十一面観音菩薩立像   聖林寺の旧観音堂は、2021年5月から耐震・改修工事が行われ、2022年8月1日からリニューアルした観音堂での拝観がスタートした

ちなみに、奈良県からの依頼を受けて、この像を含む県内の複数の国宝仏を三次元計測したのも藝大です。同像の模刻を展示するにあたり、竹下さんは、「オリジナル(国宝・十一面観音菩薩立像)ではできない展示をしたい。(所有者である聖林寺の倉本住職に許可を得た上で)色々な実験を試すことが可能になるのでは」と考えました。

旧大御輪寺にご本尊として安置されていた当時の見え方(約150年前の祈りの空間)を再現しようと、プロジェクションマッピングで蝋燭の光を投影したのです。模刻を展示することで、オリジナルの文化財に対しては、許可が下りないような展示が可能になった例といえます。さらに、同像の模刻を展示したことで、実物を拝観したいと実際に聖林寺を訪れたという来館者の声も文化村に届いたとのこと。奈良観光にも一役買ったことが分かります。

構造理解やハンズオンも!まだまだある模刻の魅力

東大寺中性院 弥勒菩薩立像 模刻(構造模型) 平成26年(2014年) 小島久典作 個人蔵 (原像 鎌倉時代13世紀)

写真の模刻は、現在、文化財保存学の助教を務める小島久典先生の学生時代の作品です。鎌倉時代の複雑な寄木造りを展開した状態で再現した研究ですが、オリジナルの構造を立体で展示できる点も模刻ならでは。これだけのパーツでこのような構造になっているのかと、目で見て実感できます。

「実は、今回の連携展以前にも、(なら歴史芸術文化村の)開村にあたって県から藝大に依頼し、聖林寺の十一面観音像の手だけの模刻を造っていただきました。当初の姿をイメージしてすべて漆箔で仕上げています。あと、原寸大の頭部も制作していただいています」

なぜ、奈良時代当初の姿の手だけ、頭部だけの模刻制作を依頼したのでしょうか?それは、来館者にハンズオンで自由に触って実感してもらうためとのこと。模刻は、構造や造形の理解を促すためのハンズオンツールにもなるのです。

※聖林寺の仏手だけでなく、奈良県の長岳寺の阿弥陀三尊像、正暦寺の薬師如来倚(い)像でも同様に構造が分かる模刻を藝大に依頼し制作したとのこと

藝大との連携でおこなわれる未指定の古仏調査

文化村では、奈良県内の文化財調査をおこなっていますが、そのなかで、藝大の岡田先生(関西大学の長谷洋一教授、奈良大学の大河内智之准教授も含む)と協働し、文化財として未指定の古仏調査を実施しています。

国宝と重要文化財が1323件もあり、全国第3位の数を誇る奈良県ですが、「奈良は、国宝や重文にばかり光が当たり過ぎている」と岡田先生。「奈良では、奈良以外の地域だと文化財指定を受けても遜色ない古仏が未指定のままなのです。調査に行くと一集落に必ず平安仏があったりします。このような状況は恐らく奈良だけ。その分、文化財指定のハードルが高いのです」と現状について話します。現在、岡田先生と竹下さん達は、奈良県桜井市の限界集落で調査をおこなっています。

「実は、村として(仏像を)守り続けたいけれど、その手だてがなく、やむを得ず仏像を譲りたいと連絡を受けることが結構あります」と竹下さん。集落から人が離れ、管理者が居なくなってしまったお堂や文化財は、一気に朽ちていきます。

岡田先生、竹下さんらが調査した桜井市北山区のお堂も写真のように雨漏りがして屋根瓦が落ち、厳しい環境下に薬師如来像が安置されていました。この薬師如来像は、調査で平安時代作のものだと判明していますが、未指定です。

桜井市北山区薬師如来像の堂内安置写真 画像提供:なら歴史芸術文化村

「もはや地元の人達だけでは、如何ともしがたい状況なのです。今後10年で、県内の至るところで、この北山区の会所寺(集落の集会所を兼ねたお堂)と同じようなことが起こると考えています」と竹下さん。

これらすべてを残すことは、難しいとのことですが、竹下さんは、「今残っている文化財をきちんと把握し、記録として残していくこと。そして、私達が調査に訪れることで、その文化財の歴史的な価値を地域の方々と共有して、次世代へ繋いでいただくきっかけになれば」と調査の意義について語ります。

9月19日までの会期でおこなわれた企画展「文化財研究中! なら歴史芸術文化村×連携4大学」でお堂に安置されていたままの姿の未指定の平安仏(薬師如来坐像)が展示された

この桜井市の平安仏(薬師如来坐像)は、現地での管理が難しくなっており、地元の方々が懸念していましたが、なす術が見当たらない状況でした。そこで、文化村は、未指定の地域文化財の調査を実施してきた岡田先生と桜井市職員と一緒に訪れ、応急処置をおこない、この平安仏の今後について共に考えることにしました。

村の皆さんが拝みたい時にすぐに訪れることができ、かつ、仏像とゆかりがある場所が良いだろうと、現在も安置場所についての検討を続けています。かなり傷みが出ている状態なので、岡田先生が研究室での研究・教育の一環として、平安仏と一緒に安置されていた他の3体の仏像も含め、数年かけて修復することになりました。この平安仏は、歴史的背景が不明な状況でその歴史を追えるのか、芸術的価値を客観的に証明できるのか等の事情から、今後も文化財指定を受けるのは難しいそうです。

奈良から未指定文化財の価値の再認識を

長年、未指定文化財の調査に携わってきた岡田先生は、「国宝や重文は、とても重要なものですが、私達にとって少し遠い存在でもあります。未指定の文化財は、自分達が住んでいる場所に古くから先祖代々伝えられてきたもの。存在は知っていても、調査で平安仏であったことを伝えると、古いものであることを初めて知ったという地元の方々の声を聞きます。自分達が守ってきたものの価値を改めて知り、再発見することが、今後に繋がっていくと思います。そういうものが至るところにあるのが奈良の歴史であり、価値なのだと思います」と力を込めます。

また、「歴史は1本ではありません。何本も絡みあって重層的につくられるものです。それぞれの地域の歴史が失われないためにも、今後、地域の文化財の保護に力を入れていかなければならない。奈良からもう一度、未指定文化財の価値を再認識することで、この動きが全国へ広まっていけば」と思いを語ってくれました。
これら未指定の古仏調査の結果は、今後、文化村で展示される予定です。

藝大生でなくても体験できる、大人の古美研

文化財を通じた奈良県と藝大の深い繋がり。藝大生だけではなく、一般の私達も体験できる機会があります。今までの古美研のノウハウを活かし、文化村と藝大が連携して、地元旅行社(やまとびとツアーズ)とともに開催した「大人の古美研」です。

このツアーでは、通常では入れないような場所にも、藝大との繋がりで見学することが可能。さらに藝大の松田誠一郎先生が一緒に同行し、解説を聞くことができるという、まるで藝大生になった気分を味わえる充実の内容です。昨年の10月に第1回が開催され、今後も継続的に開催される予定です。

「なら歴史芸術文化村」や「大人の古美研」を通じて、私達が今、目にすることができる文化財がどのように受け継がれてきたのかを感じてみてください。

なら歴史芸術文化村公式HP

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