世界の音楽のすべてを記録しようとした男!小泉文夫の壮大な夢とロマン

ライター
中野昭子
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コラム

東京藝術大学(藝大)の未来創造継承センター(2022年度まで音楽学部所属)にある、小泉文夫(こいずみ・ふみお)記念資料室。1985年に藝大の音楽学部に開設されたこの資料室は、藝大の教授を勤めた小泉文夫先生(写真下)が集めた膨大な量の音楽資料を保管・展示している場所です。

収蔵品は、楽器や楽譜に始まり、書籍、レコード、録音テープ、写真、フィールドノートや民族衣裳といった、実に彩り豊かなコレクション。今回は、同資料室非常勤講師の松村智郁子(まつむら・ちかこ)さんにお話を伺いました。

世界の音楽を愛した学者

——まず、小泉文夫さんがどういう方か、教えていただけますか。

松村:日本に世界の音楽を“わかりやすく紹介した人”、と言えるでしょう。

小泉先生の背景からお話ししますと、先生は昭和2年、戦前の生まれです。子どもの頃は、お家の書生さんと落語を聴きにいったりしながらバイオリンを弾き、それから一高、今で言う東京大学に入学し、吉川英史先生の元で日本音楽に目覚め、日本民謡の研究第一人者であった町田佳聲(まちだ・かしょう)先生のもとで採譜を手伝い、日本の伝統音楽を研究しました。大学卒業後は平凡社に勤め、音楽辞典の出版などに従事したそうです。そこでは昼休みにギターを弾き、同僚の方に「小泉君の歌を聴くのが楽しみ!」などと評判を呼んだと聞いています。

——楽しい職場ですね。

松村:ええ。その後、平凡社を退職してインド政府留学生として音楽を研究するために留学し、南インドと北インドに滞在。大きなカルチャーショックを受け、その後の転機となったようです。先生は四人兄弟の末っ子で、人との付き合いがうまく、生まれながらに人を虜にする魅力を持っていたので、滞在先でもたちまち人気者になったようです。当時の日記などを見ると、インド音楽の辞典を写されていて、楽器の絵なども見事に描かれています。

インドでは、ヴィーナや弦を弓で弾いて音を出す民族楽器、サーランギー、シタールなどを学びました。サーランギーは変わった楽器で、弦の上部を弓で弾き、下部にあるたくさんの弦は共鳴の役割を果たします。上部の弦を弓で擦ることで音が響き、下部の弦が振動して音が出るのです。先生にとって、サーランギーはバイオリンと同じ感覚で演奏できるもので、微妙な音程などもすぐに覚えて弾きこなしたようです。

先生は日本に生まれ、最初はバイオリンで西洋音楽に触れ、その後インドに留学してインドの音楽に触れました。そのため、日本、インド、西洋という三つの視点から世界の音楽を見る、という考察を得たのだと思います。

インド発祥の「サーランギー」。楽器は小泉文夫先生が持ち帰ったもの。

——世界の音楽の調査をアジアの視点で行った、ということですね。

松村:そうですね。インド留学の後は、藝大の非常勤講師を務めた後に常勤になり、教授になります。その間、マスコミ関連の仕事など、さまざまな業務を手掛けながら、世界の音楽を調査、研究しました。例えば、エスキモーの使う「ソカーク」という太鼓や歌の調査、エジプトでは、「石を運ぶ時の歌」などの仕事歌を取材して、『ナイルの歌』というレコードにも収録しました。

ウイグル族の楽器「レワープ」の演奏者に話を聞く小泉先生1981年(画像提供:小泉文夫記念資料室)

——日本の民謡の収集方法と同じやり方ですね。

松村:先生は研究調査の方法を独自に生み出しました。今のようにインターネットがなかった時代、世界にはどのような音楽があるのか、ほとんど知られていない頃に、世界各地の音楽を集めて広く紹介したのです。そうしたことを行ったのは、世界では初めてではないのかもしれませんが、日本では非常に先駆的な仕事だったと言えるでしょう。

わらべうたを通して「日本的なもの」を見出す

松村:一方、日本でもさまざまな研究を行っています。特筆すべきは、フィールドワークを通じ、わらべうたやお年寄りの歌、行事の歌などを収集し、中でもわらべうたに着目して調査したことでしょう。

——当時、子どもたちの遊び歌であるわらべうたを大学の研究対象として取り上げ、学問的なアプローチをするというのは、画期的なことだったと思います。そもそも先生にとって、わらべうたとは、どういうものだったのでしょうか?

松村:「子供達の遊びの中で生まれ、伝えられて来た、日本人の音感覚を素直に表現する歌」でしょうね。先生は、国内でも海外でも、必ずその場所のわらべうたに注目していました。
先生がわらべうたを集めていたところを想像すると、いきなり子ども達に「歌って!」と言ってマイクを突き出したわけではないでしょうね。あくまで想像ですが、自分の知っている歌を歌ってみせて、まず子ども達と仲良くなった後、子どもたちが遊んでいる時のテンションで、“自然に歌いはじめる歌” を集めたのだと思います。

日本だけでなく、小泉先生は、世界各国の音楽を取材し録音していきました。カセットテープだけでも膨大に保管されています。

——文化人類学の調査方法ですね。

松村:先生は、藝大時代、ゼミの学生や他大学の学生、それに留学生にも参加してもらって都区内100箇所のわらべうたを集めました※。今はあまり外で子どもが遊んでいないですし、調査にあたっては、保護者や先生の同意や許可が必要でしょうから、昔だからできたことだと思いますが。今となっては、日本全国、津々浦々のわらべうたを小泉先生の視点で調査・収録できていたらなぁ…と、残念に思います。

※小泉文夫編『わらべうたの研究(楽譜編・研究編)』わらべうたの研究刊行会発行、1969年

——藝大では、今でもこういったことをされている方はいらっしゃるのでしょうか?

松村:民族音楽学のカリキュラムはありますし、先生のやり方を踏襲している方はいらして、今でも関東近郊でフィールドワークが行われています。

——先生は、調査を行う中で、日本音楽の理論も打ち立てていますね。

松村:ええ、先生は、日本の伝統音楽の中に、民謡、都節(みやこぶし)、律、琉球という、四種のテトラコルド(※)が存在していることを分析し、整理しました。

※テトラコルド……テトラコードとも言う。テトラはギリシャ語で数字の4を指し、テトラコルドは四つの音(弦)を一つのまとまりとする考え方である。一般には、音階や旋法を細分化した単位として使う。

——フィールドワークをしながら日本音楽の理論を打ち立てた方というのは、それまでにいらしたのでしょうか?

松村:先生が初めてだと思います。恐らくですが、先生は学生時代に、後に理論として体系化することを意識していたでしょう。
その後、社会に出て取材を重ね、「数えかた」などの言葉も全部録音し、違いを楽譜にしました。地域の音楽に直接触れることで自分の中の仮説を確信し、日本伝統音楽を理論づけたのだと思います。

小泉文夫資料室には、世界のさまざまな楽器が所狭しと並び、予約をすれば一般の人も入室でき、一部の楽器は触れることができます(詳細はページ下部の案内をご覧ください)。

——先生が分析した4種類のテトラコルドを使うと、現代の音楽でも日本的な音楽になるということですね。

松村:最近の子どもは、ゲームや映像などで最先端のものに触れていますが、「○○ちゃん、あ~そ~ぼ」と呼びかける、その音程は昔から変わっていません。スマホに飽きた子ども達が手遊び歌を始めると、リズム、そこには都節のテトラコルドが入っていたりします。先生は、日本の音楽に日本的なものを見出し、それが何なのかを明かしたと言えるでしょう。

——世界を巡り、「日本的なものとは何か」と考え抜いた時、最も基本となるものとして出てきたのがわらべうた、なのかもしれませんね。

1978年、沖縄の与那国島。藝大民族音楽ゼミナールで取材を行う小泉先生(画像提供:小泉文夫記念資料室)

世界の音楽を紹介し、研究のヒントをもたらす資料室

——この資料室には、先生の集めた膨大な資料が管理されています。

松村:先生は56歳で亡くなられたのですが、資料室にあるものは先生の奥様がご寄贈くださったもので、貴重な楽器もたくさんあります。
先生は、世界各地を訪問した後、弟子達も研究のため世界各地に出向き、多くは大学の先生にもなりました。ここにある資料は、先生がなさっていた分類方法に沿っていて、世界の各地が番号で整理されています。恐らく先生は最初から、世界の音楽の体系化を目指していたのだと思います。

ミャンマーの木琴、パッタラー。やさしい音色がします。

——収蔵されているのは、先生が収集された音楽と出版物と楽器が中心でしょうか。

松村:音源や直筆の調査ノートもありますね。取材の音源は当時オープンリール(※)を使っており、現在それらのデータ化を進めています。先生の考え方としては、オープンリールが取材用に、カセットテープが簡易用と分けていたのだと思います。カセットテープには講義に使うために抜粋した音楽など、面白いものもあります。

※オープンリール……磁気テープメディアのパッケージの中で、リール単位で扱うメディア形態の総称で、カートリッジ(カセット)に収められていない状態でリール巻きにされている磁気記録テープ全般を指す。カセットテープ登場以前の録音メディアの主流規格だった。

——先生は広く活動なさっていましたし、データ化して文字にしたら面白いでしょうね。ラジオ番組もなさっていた記憶があります。

松村:ラジオ関連ですと、昭和44年のものなど、かなり古い手書きの台本なども残っています。この資料室は開設してから40年近くたつのですが、かつて先生のラジオを聴いていた方が見学に来ることもあります。ほかには、学内外の講義(演習)で使用されたり、民族音楽を用いたバンドの方や、故郷の貴重な楽器がここにある!と驚かれる海外の方もいらっしゃいます。

それと、この部屋は、海外からの藝大に交流事業でいらしたお客様向けの “学内のツアー”の中に組み込まれているようで、団体のお客様もしばしばみえますね。もちろん、藝大の学生もふらっと立ち寄ったりします。今の学生の中にはレコードを知らない学生もいるので、壁一面のレコードを見て、何なのか聞いてきたりしますよ。それに「課題ができない…」と悩んでいる学生もいたり、そんな時は、小泉先生だったらきっと受け入れるだろうな…と思いながら、「こんな楽器を使ってみたら?」などと紹介しています。それが卒論や卒業制作に結びついたりしているみたいです。

小泉先生は、NHKラジオで『世界の音楽』と題した番組を長年担当し、番組は改題を経て1965年から亡くなる1983年まで続きました。写真は第1回の台本。

——先生は、データだけではなく、実際の楽器を集めることにもこだわられているように思いますが、それはなぜでしょうか?

松村:現物を見せたい、自分が感動した音楽を共有したい、という思いがあったのでしょう。テレビ出演の際は楽器を持参されてますし、楽器だけではなく装束も収集していました。この資料室には民族衣装などもあります。
先生は、1970年に開催された大阪万国博覧会(Expo’70)のお祭り広場にアフリカの音楽家を招聘されたのですが、そこでの使用楽器を購入されたそうです。楽器は、手作りで世界に一つしかないものもあり、渡航時に購入するほか、来日した方の持ち物を売ってもらうこともあったようです。

小泉文夫資料室には、世界のさまざまな楽器のほか、民族衣装も保管されていて、予約をすれば一般の人も入室できます(詳細はページ下部の案内をご覧ください)。

——ここにある楽器は、とても貴重なものなのですね。先生は、場所を問わず、世界中の総ての楽器をリスペクトなさっていたのだろうと思います。

松村:楽器もそうですが、人間そのものをリスペクトしていたように思います。海外に行く際も、飛行機の中で数字や挨拶などの現地の言葉を覚えて、到着すると早速にコミュニケーションを取ったそうですから。

先生は「遊びは遊び、仕事は仕事と区別しない」と言っていたそうで、何をしていても人生に無駄はないという考えだったのでしょうね。相手がどんな方であろうと吸収するものがあるし、言葉が通じなくても自分から壁を破ってコミュニケーションを取ったのだと思います。

保管されている膨大な数の楽器。小泉先生はどんな楽器も「習ったらすぐに演奏することができた」と言う話があります。

——小泉先生は、世界の音楽を調査されていらっしゃいますが、やはり『音楽』というと西洋のクラシック音楽を基本に考えてしまいがちではありませんか。

松村:藝大の教授として、そのことは先生も理解しておられたと思います。ジャンルにこだわらず、クラッシックでも歌謡曲でも民謡でも、「音楽」として受け入れられていたように思います。少し、話がそれるかもしれませんが、藝大には奏楽堂(※)という施設がありまして、明治村に移築するという話が出たことがあったのですが、先生とその他少数の先生が断固として反対し、上野公園への保存を強く希望されたそうです。明治時代に奏楽堂が建てられた経緯や、込められた思いも大切にしたのでしょうね。奏楽堂は上野の今の場所にあって生きるものですし、わらべうたも子ども達が歌い続けてこそ生きるものですから。

奏楽堂……明治23年(1890)に建築された、東京藝術大学音楽学部の前身である東京音楽学校の校舎。国の重要文化財。内部の音楽ホールは、かつて瀧廉太郎が演奏し、山田耕筰が歌い、三浦環が日本人初となるオペラ公演のデビューを飾った由緒ある場所でもある。もともと東京音楽学校の敷地内に建てられていたが、紆余曲折を経て台東区が管理を引き継ぎ、現在の場所(上野公園内)に移築された。詳細は以下を参照のこと。

——先生には、音楽も建物も含め、文化全体を大切にしたいという気持ちがあったのでしょうね。

松村:ええ。先生は、音楽も彫刻や絵画作品も全て大切にしていて、例えば、パキスタンには「ワッチ」という両面を叩く太鼓「腰鼓(ようこ)」に似た楽器があるのですが、フィールドワークで見つけた時に、これは平等院鳳凰堂の飛天の像(雲中供養菩薩像)が持っている太鼓と同じもので、「シルクロードとつながっているという大発見だ!」と言っていたそうです。

先生は、あらゆることが音楽に結びつく以上、音楽だけを取り出して分けることはできない、だから文化全般を大切にしようという、広いお考えだったのだと思います。

——今後の展望として、何かお考えのことはありますか。

松村:4年後の2027年には、小泉先生の生誕100年を迎えます。これから私を含め、小泉先生と直接の面識がない、講義の受講生でもない、先生のラジオ番組のリスナーでもない世代が圧倒的に多くなっていきます。そんな中で、私の個人的な希望ですが、先生の「生誕100年の記念演奏会」を開催できないか……と思っています。没後33年の2015年には、先生とゆかりのある演奏家(長唄、尺八、邦楽囃子、雅楽、インド、インドネシアなど)による「演奏会」を開催したこともあります。たくさんの方にご協力いただかなければ実現できないことですが、そのためにも、より多くの方に小泉先生の業績を知ってもらいたいと思っています。

info

小泉文夫記念資料室

住所:〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8 東京藝術大学音楽学部内
電話番号:050-5525-2381
開室時間(令和5年度):火 10:30~17:00 水 10:30~17:00 木 10:30~15:30
閉室日:月、金、土、日、祝日 8~9月末日、3月~4月授業開始前日、入試(登校禁止)期間 年末年始

【小泉文夫記念資料室をご利用の方へ】
・一般の方も、予約の上で閲覧および視聴できます。利用規程を良くお読みの上、ご利用ください。
・原則として貸出やコピーサービスはしません。日本語、中国語、韓国語で書かれた蔵書は、書籍で検索できます。一部の楽器は手にとったり試奏できます。その大部分については楽器の解説によって理解を深めることができます。口頭・文書・電話でのレファレンスも受け付けます。
・コロナ感染防止のため、当室をご利用の場合はご所属(学内外)を問わず、1週間前までにemailアドレス(kfma.geidai@gmail.com)か電話(050-5525-2381)でご予約下さい。
・換気をしにくい環境のため、1回あたり3名以下、短時間のご利用をお願いします。

※最新情報は、事前に必ず小泉文夫記念資料室ウェブサイトにてご確認ください。

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