中学や高校時代の修学旅行に京都や奈良へ行った際、神社仏閣や仏像などの魅力に目覚めた人は多いでしょう。今回ご紹介する「古美研」は、大ざっぱに例えれば、東京藝術大学(藝大)の学生である藝大生の修学旅行のようなイベントですが、藝大が所持する施設名であるという側面もあり、大変奥深くミステリアスなものです。
以下、2009年より、東京藝術大学美術学部附属古美術研究施設長を務められている松田誠一郎(まつだせいいちろう)先生に、古美研の詳細やその魅力、古美研を体験することで得られるものなどを、広く熱く語っていただきました。
そもそも「古美研」って何?
――まず最初に、「古美研」とは何か、教えていただけますか。
古美研とは、合宿形式で行われる近畿地方での見学授業「古美術研究旅行」の通称です。また、その授業のために奈良に設けられた宿泊施設「東京藝術大学美術学部附属古美術研究施設」を指すこともあります。
古美研の歴史は古く、東京美術学校時代の1896(明治29)年に始まり、今年で126年になります。当時の校長は岡倉覚三(おかくらかくぞう)※で、岡倉は制作のために古典を学ぶことを重視していたため、授業の中に、奈良・京都などの社寺に伝わる古美術作品を見学する現地研修を組み込みました。
※岡倉覚三(天心<てんしん>)……明治期の思想家・美術指導者で、アメリカの東洋美術史家・哲学者であるアーネスト・フェノロサとともに文化財保護の礎をつくり、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の創設に尽力、開校後間もなく校長になった。覚三が執筆した『東洋の思想』などは、東洋文化の思想や普及理解に大きく貢献している。
その後の正木直彦(まさきなおひこ)校長の時代、1922(大正11)年には、見学旅行のための教科書『近畿古美術案内 : 東京美術学校修学旅行』が作成されました。美術学校の時代、「古美研」は「修学旅行」「古美術見学旅行」などと呼ばれていました。この教科書には、今から約100年前、大正時代の日程表が掲載されており、2週間で近畿地方の古社寺をめぐる「古美研」のスタイルが既にできあがっていたことがわかります。
『近畿古美術案内 : 東京美術学校修学旅行』は、現在も、国会図書館のデジタルコレクションで見ることができます。
――修学旅行とは、とても楽しそうですね。現代ではどのような位置づけになっているのでしょうか。
古美研は藝大の美術学部の必修科目になっていて、大学院美術研究科と、音楽学部の一部でも実施します。大概、学部の3年次で行くのですが、2年次に行く科もありますね。見学先は奈良・京都を中心とした近畿地方で、奈良の東大寺や興福寺、京都の大徳寺、南禅寺、平等院など、定番として外せない場所もあるのですが、科によって異なるところもあります。
例えば工芸科では、京都東山の高台寺を訪れ、桃山時代の高台寺蒔絵で荘厳された御霊屋(おたまや)を見学します。デザイン科では、京都の町並みを見るために、祇園新橋周辺を散策するスケジュールが入りますね。この散策の際には、和食の盛り付けの美を学ぶために懐石料理をいただくこともあります。先端芸術表現科では、和歌山県の熊野から近畿地方に入るコースが多く採用されています。年ごとにテーマが設定され、テーマに即した見学先を選んで旅程が編成されるのも特徴と言えるでしょう。
古美研は美術学部全7科で実施されますが、時期は科ごとに決まっています。トップランナーの工芸科は桜の季節に行きますし、私の所属する芸術学科は秋の正倉院展のタイミングで訪問します。アンカーの彫刻科は、12月のたいへん寒い時期に行きます。これは、12月16日に開扉される東大寺法華堂(三月堂)の秘仏、執金剛神立像(しゅこんごうじんりゅうぞう)を見学するためで、天平彩塑の傑作を見学するこの日が、例年、美術学部古美研の最終日となります。
古美研は共通の言語であり、120年の間に貫かれたアイデンティティである
――松田先生は、施設長としてさまざまな古美研に参加なさっていると思いますが、各科によってやることや雰囲気は異なりますか。
ええ、先ほどお話ししたように、まず各科で見学先も異なります。
見て学ぶことが古美研の基本ですので、実技科では、お寺で仏像のスケッチをすることもあります。また、古美研に行った後に、古美研にちなんだ課題制作をすることもあるようですね。
一方、芸術学科では、前期に演習授業を行って、後期に見学に行きます。学んでから見るスタイルです。
科ごとに異なる雰囲気や価値観、例えば先生と学生の関係性が、古美研を通してよく見えてくる、ということもあるように思います。
――藝大にとって、古美研はどういう意味を持つのでしょうか。
東京美術学校と東京藝術大学美術学部を貫く、美校生・芸大生のアイデンティティなのだと思います。
美術学部の同窓会(杜の会)には、学生とは年の離れた大御所の先輩もいらっしゃるのですが、古美研の話になると、必ず世代を越えて盛り上がりますね。例えば、先輩方からは、昔はバスなんてなかったから、歩いて回ったんだという話が出たりすることもあります。その意味で、古美研は年齢や世代の違いを超える共通の言語とも言えるでしょう。
――古美研によって、藝大内の関係性が深まるのですね。
ええ、古美研によって学生同士が仲良くなることもよくあります。
また、私は先生や助手から古美研で印象的だった話などもよく伺います。室生寺へ行った後に大野寺の磨崖仏を見て、宇陀川の川原でお弁当を食べるのがかつて定番でしたが、その際に川にはまって全身ずぶぬれになった学生の話はよく耳にしますね。京都の日本庭園を訪れた際に、飛石から足をすべらせて池に落ちた悲劇も聞いたことがあります。
古美研ではよくアクシデントが起こるのですが、そういった時は、引率助手や学生同士が助け合うことでクラスの絆が深まるように思います。もちろん古美研は古典を学ぶことが基本なのですが、引率の先生方やクラスメイトと寝食を共にしながら学ぶ2週間の経験は、かけがえのない大切な記憶、青春の1ページとなります。
古美研は、楽しみながら学んで感想を語り合える、貴重な機会
――松田先生は、最初、どのような形で古美研に関わったのでしょうか。
私はもともと東京学芸大学の出身で、藝大に入ったのは大学院からでして、修士課程に入学した年に、学部の古美研に特別参加したのが始まりです。その時は本当に楽しかったですね。
古美研では短い期間にたくさんのお寺を訪問します。多くのお寺を訪れるうちに、記憶が曖昧になり、どこがどこだったのかという感じになりました。ことに大徳寺や南禅寺など、禅宗寺院の塔頭の記憶が混乱しました。見学した作品のイメージは鮮明なのですが、お寺の状況に関する記憶が飛んでしまったのです。
私は京都市立芸術大学(京都芸大)で教鞭を執っていたことがあり、金曜日に「日本美術史演習」という、古美術を見学する授業を持っていました。東京から京都に赴任した初年度に、この授業で学生を引率して大徳寺や南禅寺を訪問した際に、不思議な体験をしました。行った先、行った先で「ここ知ってる」感にとらわれたのです。デジャブ体験ですね。グチャグチャになっても、どこかに記憶が残っている。とにかく一回足を運んでおくことが大切なんだと思いました。
また、京都芸大の授業では、お寺の近くで学生たちと一緒に甘いものを食べました。大徳寺に行ったら、あぶり餅※という感じです。こうしたほっこりとした時間があると、景色やものの見え方が変わってきますね。それと、記憶の定着にも役立つように思います。大徳寺のことがよく思い出せない学生に「あぶり餅を食べたお寺」と説明すると、「ああ、あのお寺ですね」となるのです。
※あぶり餅……京都市北区の今宮神社や、右京区嵯峨の清凉寺などの付近の和菓子屋で売られている餅菓子。きな粉をまぶした餅を竹串に刺して炭火であぶった後、白味噌のタレを塗る。今宮神社のあぶり餅は平安時代から続くとされ、歴史が深い。なお、今宮神社は大徳寺に隣接している。
――食べものが思い出すきっかけになるとは、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』のマドレーヌのようですね(笑)
そうですね。古美研は授業ですし、お茶の時間を取りすぎると怒られますけれど、どの場所がどうだったか、整理ができなくなってしまいますので、詰め込み過ぎるのは良くないと思っています。言い訳がましいかもしれませんが、間にコーヒーブレイクを入れると元気になりますし、思い出す時の手がかりといいますか、記憶のよすがにもなりますからね。
藝大の古美研は、大正時代からやや詰め込み式の傾向があるように思います。東京から旅費をかけて行きますので、その気持ちもよく分かります。ですが、お寺詣りの楽しみもあるというか、集中して見学する時間とは別に、フッとひと息つく時間も重要かなと思います。
京都芸大の授業では、奈良東大寺のお水取り※の「お水送り」の行事が伝わる、福井県の小浜(おばま)を毎年のように訪れました。海のある奈良です。海が見えると、学生たちが喜ぶんです。暗いお堂のなかで目をこらして仏像を見学したあと、船に乗って青々とした海原を眺めると、目が生き返るんですよね。そうやって肩の力を抜いて作品を見ることは、とても重要なことだと考えます。
また、仏像は歴史に紐づいていますし、置かれている場所に行かないと分からないこともあります。お寺は偶然そこにあるわけではないので、建物がどこに建っているか、実際に足を動かして学ぶことも重要ですね。この地にあるからこの美がある、といったロケーションを学んでほしいと思っています。
※お水取り……東大寺二月堂で行われる、修二会(しゅにえ)という法会中の一行事で、二月堂本尊の十一面観音を祀る懺悔祈祷である。「お水取り」という通称は、若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が東大寺の修二会のために閼伽水(あかみず:仏前などに供える水のこと)を献じたとの伝説にもとづき、二月堂の前にある湧水「若狭井」よりお水を汲む行事に由来する。
――同級生と同じ時期に同じものを見ることは、あまりない機会ではないかと思います。
そうですね。学生と教員が同じ場所で同じ作品を見ることは、古美研の基本です。古美研では、各科とも常勤教員と教育研究助手が学生を引率します。教員の多くは学生時代に古美研に行っており、現役の学生をかつての自分自身と重ねながら、学生時代とはまた違った気持ちで古美研に参加します。
教員と学生がともにお寺に足を運んで同じ作品と向き合うこと、その視覚的体験の共有を通して、さまざまな興味や関心をもつ同級生どうしの間や、年齢層が異なる教員と学生との間に、強い精神的な結びつきが生まれるのです。
また、2012年に中国北京の中央美術学院の鄭岩(Zheng Yan)先生を日本にお招きした時に、デザイン科の古美研に混ぜていただき、大徳寺をご案内したことがあります。鄭先生は、大方丈の縁側に学生と教員が並んで腰かけて庭園を眺める古美研の一齣をご覧になり、このような見学授業は中国にはないとおっしゃっていました。
同年には、「第10回 日本美術史に関する国際大学院生会議」(Japan Art History Workshop、JAWS 10)が藝大を当番校にして開催されましたが、そのおもてなしとして、古美研のハイライト・ツアーを企画しました。古美研施設の宿泊室は旧式の2段ベッドで、外国人の学生には窮屈かもしれないと余計な心配したのですが、日本人の学生と寝食を共にする「ガッシュク」をたいへん気に入っていただき、大好評であったことをよく覚えております。
古美研は、国際的にも類例の少ないユニークな授業であり、貴重な教育の機会なのだと思います。
――今回のお話で、古美研はさまざまな面があることが分かりました。恐らく古美研は、旅という教育プログラムであり、研究成果であり、施設であり、人とのつながりでもある。そしてこれらが絡み合い、効果を成しているのだと思います。
ええ、古美研は時を貫く人とのつながりです。古美研のこういった貴重で楽しい要素を、秋に開催する「おとなの古美研」でも、是非実現させたいと思っています。120年の歴史の中で蓄積してきたお寺などの見学先とのお付き合いや、楽しみ方のノウハウなどもありますし。
あと、見学した後に甘いものを食べると学習にも効果的ですので、日程にはあぶり餅を組み込みたいですね(笑)
松田誠一郎プロフィール
1960 年 東京生まれ
東京学芸大学教育学部卒業、東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了
1984 年 東京藝術大学美術学部非常勤講師
1989 年 第1回国華賞
1990 年 東京藝術大学より学術博士の学位取得
1991~99 年 京都市立芸術大学美術学部専任講師
1999 年 東京藝術大学美術学部専任講師
2001 年 東京藝術大学美術学部准教授
2009 年 東京藝術大学美術学部附属古美術研究施設長
2012 年 東京藝術大学美術学部教授
著書『東大寺と平城京 日本美術全集第4巻 奈良の建築・彫刻』共著(講談社)、『カラー版 日本美術史』共著(美術出版社)、『週刊朝日百科 日本の国宝15京都/広隆寺』責任編集(朝日新聞社)、『醍醐寺大観 第1巻 建築・彫刻・工芸』共著(岩波書店)など多数。