過去を紐解き、未来を見据える。藝大・保存修復彫刻研究室に潜入してみた

ライター
中野昭子
関連タグ
インタビュー コラム

数百年、数千年という時を経ている仏像を見ていると、つくられた当初はどのような姿だったのか、今目にしている色とどのように違ったのか、もし修復されているとすればどの箇所か、などと気になることがあります。
今回は、東京藝術大学(藝大)美術研究科の保存修復彫刻研究室にて教鞭を執られている岡田靖(おかだやすし)先生に、保存修復の奥深い世界をご紹介いただきました。

藝大でおこなわれている保存修復とその意義

――岡田先生は、もともと彫刻とどのように関わってこられたのでしょうか。

私は、最初は西洋の彫刻が好きで、特にギリシャからルネサンス期の作品に興味があり、よく鑑賞していました。それから藝大美術学部の彫刻科に入って、日本人である自分のルーツを探るようになり、古美研※で仏像に目覚めたのです。
古美研とは約2週間、毎日神社仏閣を4か所ほどずつ巡って、仏像漬けの日々を過ごす研究旅行なのですが、日本にこれほど凄いものがあるのか!と、すっかり仏像の美しさに魅了されてしまいました。

※古美研(こびけん)……概要としては、藝大の持っている施設「東京藝術大学美術学部附属古美術研究施設」の名称かつ藝大の教育プログラム名「古美術研究旅行」の略称。藝大美術学部の必修科目となる関西の2週間の研究旅行。行き先は全科共通の場所と、科によって異なる場所がある。詳細はコチラ

――古美研が人生を変えたんですね(笑)。

そうですね。この研究旅行によって、自分の作品をつくることよりも、それらの仏像がつくられた理由や、そこにある意味、なぜ壊れてしまい今後どうあるべきなのか、なそういったことが気になるようになりました。そして藝大大学院で文化財保存学を学んだ後、文化財保存に必要となる技術や知識をより深めるために、イタリアのフィレンツェへ2年間の在外研修に出掛けました。
イタリアでは保存修復を主に学び、ルネサンス期の文化財の保存修復をおこなっている国立修復研究所などで研究しました。そこでは歴史や科学に基づいて修復がおこなわれていました。日本と似ているようで異なるところが多く、ここでの学びはその後の糧になりました。

――ここ藝大でおこなわれている保存修復についてお伺いしたいのですが、こちらの像と傍らの機材について教えていただけますか。

この像は高村光雲の作品で、おそらく未完成です。
機材は「星取り機器」といって、雛形を粘土でつくり、その立体の形を木に直接写す際に目安をつくるために使うものです。これで位置を確定して原型のポイントを測り、同じスペースにポイントを打つと、三次元的に復製することができます。機能としては3Dプリンタのようなものですが、星取りは今でも使われています。

――立体転写ですね。

はい。立体転写をおこなうにあたり、ローマ時代の人々がギリシャ時代の彫刻を写して制作する際、発想としてはこれと似たやり方をしていたと考えられています。
星取り機器は要所となる点を複数箇所確認しながら写しとる機具ですが、私達が3Dを使ってやっていることもほぼ同じことです。3D計測では表面情報を全体的に取得出来ますし、写真のような歪みもないので、より正確なデータを取ることができます。

――こちらに立っている仏像はどういったものでしょうか?

この仏像は、山梨県の大福寺にある木造聖観音菩薩立像です。平安時代後期につくられたもので、形状に違和感がある部分について、見た目で判断するだけではなく、科学的に検証しようとしています。
背中は不自然に平べったいので、後世に補修などがされたのだろうと推測していました。そこで、目立たないところから木片を採取して木の種類などを判定したり、年代測定分析をおこないました。その結果、体の主要部分は平安時代の制作当初の部材、背中の部分は江戸時代に補修されたものだと分かりました。X線撮影をおこない、更に東京国立博物館でCTを撮っていただくなどして、科学的知見を交えた構造分析などもおこなっています。

木造聖観音菩薩立像を横から拝見。確かに背中の部分が平たいですね。

大福寺には、厨子の中に本尊の大きな木造聖観音菩薩立像の秘仏がまつられていて、ここにある木造聖観音菩薩立像は、秘仏がある扉の前に立っている「御前立ち」です。
この木造聖観音菩薩立像は、最近収蔵庫に納められることになったのですが、それでは御前立ちがなくなってしまって信仰上困るということで、檀家様からの依頼により、藝大で新しい御前立ちの仏像をつくっているところです。新しくつくるにあたり、今の木造聖観音菩薩立像をそのまま模刻するのではなく、つくられた当時の姿を復元することになりました。

制作中の御前立ちの仏像。御前立ちの仏像は、同じ時期の仏像を調べ、科学的知見に基づいた分析をおこなって制作しています。

――御前立ちに魂が入る※のは、どのタイミングになるのですか。また仏像を実際につくることで、新しく分かることはあるのでしょうか。

※魂が入る……仏像などに魂を入れ、仏眼を開く儀式のこと。「魂入れ(たましいいれ)」とも言われ、仏像のほか、位牌や墓石、掛け軸などに入れることもある。なお、魂を抜く際は「魂抜き(たましいぬき)」と呼ばれる。

仏像は、修復する前に魂を抜いていただいて、お返しした後に魂を入れていただきます。
実際に手で模刻をしてみると、全体の形をうつすというだけではなく、当時の人の考えや、構造や技法などが新たに分かることがあります。また、構造や技法材料などを明らかにすると、どうやって壊れていくかも分かってきます。

――こういった修復を、藝大でおこなう意義はどこにあるのでしょうか。

藝大の前身は東京美術学校で、開学に尽力したのが岡倉天心※(おかくらてんしん)です。当時、廃仏毀釈などがあって、多くの仏像が失われていく状況の中、仏像を文化財として保護して伝えていく活動をしました。そうした中で、教育機関が必要だということで東京美術学校をつくり、古仏の研究にも取り組み、西洋から入ってきた新たな芸術とミックスして研究を進めています。
藝大での文化財保存修復は、岡倉の保護して伝えるという活動を体現していると思います。そういった経緯により、日本ならではの美を学ぶにあたって、仏像のような古来の立体彫刻を学ぶことは必須であると考えています。

※岡倉天心(覚三<かくぞう>)……明治期の思想家・美術指導者で、アメリカの東洋美術史家・哲学者であるアーネスト・フェノロサとともに文化財保護の礎をつくり、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の創設に尽力、開校後間もなく校長になる。天心が執筆した『東洋の思想』などは、東洋文化の思想や普及理解に大きく貢献している。

保存修復の奥深さ 引き継がれて今の姿がある

――岡田先生はもともと彫刻科とのことですが、もう彫刻はなさらないんでしょうか。

彫刻の創作は意図的にやらないようにしています。研究的な復元制作はしているのですが、創作はおこなっていないですね。それよりも、昔のことを調べて引き継ぐことに力を注ぎたいと思っています。
各時代に素晴らしいものがあり、時代を経たものは、絶対に再現できない凄みを持っています。創作的な行為は、各時代の中で出てくるものですが、たった一人の天才がおこなうものではなくて、重なり合いの中で開花するものです。芸術表現は突然変異で生まれるものではなく、それまでの時間の積み重ねや交流の中で、初めてなされるものだと考えています。
その意味で保存修復は、古いところからさかのぼって考えるのですが、ただ過去だけを見ているのではなく、現代を、そして未来をも見据えた上での活動になります。時代を経たかつての表現作品をあらゆる角度で検証し、残し伝えることを考える中で、そこから新しいものをつくりたい人が出てくるのも良いし、昔からのものを守りたいという人がいても良いと思っています。

――木造聖観音菩薩立像に関しては、今回はこれ以上の修復をおこなわないのでしょうか。

今回はこのままの状態にします。表面の色は後の時代のものなのですが、色を落とすとおそらく後補の腕が目立って見えてしまうので、今回は剥がしません。
保存修復に関してはいろいろな考え方があるのですが、この像に関して言えば、江戸時代におこなわれた修理がなければ、現代まで伝わってこなかっただろうと思います。おそらく腕も背中も色もない状態で放置された時期があり、江戸時代にもう一度仏様としてまつろうとした人がいたのです。その人が形や色などを補い、再び仏様にして、その後の歴史が始まったのだと思うと、現在のこの色や形の一つひとつに意味があると思っています。この像が辿ってきた歴史を丸ごと残してあげたいのです。

「この像の歴史を丸ごと残してあげたい」と語る岡田先生。

――保存修復の考え方は、大変難しいのですね。

はい、難しいです。保存修復は、理念の原則などはあるのですが、そこにとらわれるだけではなく、個々の作品が辿ってきた道を紐解き、本質的な価値を深く考察した上で、それらを壊さないようにしながら、どうやって伝えていくのかを考えていく仕事ですね。

――仮にこの仏像が別の物語を持っていたら、平安時代に戻すことがこの像にとって良い、というケースもありうる、ということでしょうか。そう考えると責任が重いですね。

責任は重いですが、それが楽しいということもあります(笑)。もちろん僕だけではなく、いろいろな分野や立場の人たちと話し合って、どうするべきかを考えていきます。

――「保存修復」と聞くと、技術だけの話かと思うのですが、そうではないのですね。

ええ、我々は仏師でも職人でもなく、どちらかというと研究者であると思っています。その際、いろいろな専門の方に聞いて多彩な視点から考え、最適な答えを導き出すということが重要だと考えます。
調べてそれを紹介する、ということも保存修復の一環だと考えていて、展覧会などでも、きれいな彫刻として紹介するのではなく、どういう歴史を辿ってきたのか、何が明らかになったのか、といったことを併せて提示していきます。
また、歴史や技法材料のことが分かると、作品の所有者などの見え方も変わってきますね。今は宗教の在り方も変わっていますし、仏像に関しても、地域の歴史なども含めて伝えていくことが必要だと思っています。

保存修復によって定まる、制作者の座標軸

――ある作品をどこまで戻すか、どこまで修復するか、という判断は、イタリアのフィレンツェでの経験や影響が大きいですか?

大きいですね。岡倉天心が立ち上げた日本美術院※で、100年以上の歴史の中培われてきた考え方も素晴らしいのですが、諸外国では文化財をどのように捉え保存修復をおこなっているのか興味を持ち、飛び出しました。諸外国における文化財保存学は分野を越えた学際的なもので、文化財が内包する歴史を破壊しないために、歴史学や自然科学の検証を踏まえ保存修復がおこなわれています。私はフィレンツェで、まさにそういった保存修復の在り方に出会うことができました。
また、プロジェクトの木材保存修復担当として訪れた大エジプト博物館保存修復センターでは、ツタンカーメンの木製品遺物の数々と出会い、それらの保存修復に携わらさせていただきました。ツタンカーメンの時代の木材加工は大変巧みで、すでにとんでもなく高い技術を使っていたことに驚きました。
エジプトで研修の講師をしていた時、日本の9世紀の古い仏像について紹介したのですが、エジプト人たちに伝えるとぽかんとされてしまいました。エジプトでは9世紀は全然古くないものですから、おもしろいものです。

※日本美術院……明治31(1898)年に岡倉覚三の指導のもとに結成された美術家の団体。日本画の研究をおこなう第一部と、仏像の保存修復をおこなう第二部(現在の公益財団法人美術院国宝修理所)が設置された。岡倉の理念は、日本文化の伝統を踏まえ、文化財を保護し、芸術を奨励して未来につなげる道を示す、というものだった。

エジプトでのエピソードを語る岡田先生。あちらでは9世紀の作品は古くないそうです。

――保存修復は国際性がありますね。ところで、エジプトなどの木の遺物は、現代までちゃんともつのでしょうか。

それが、ちゃんともつんです。人間は5千年前から木を巧みに加工しており、木は環境さえよければ5千年もつ、ということをその時学びました。自分の中の年表が広がる経験でしたね。
木を劣化させる主な原因は菌と虫なんですが、逆にそれらの対策をしておけばもつんです。日本の場合、高温多湿の環境が菌と虫を発生させるので、木は残りづらいのですが、保管される場所を整えれば、表面の色が剥がれはしますが、漆や木は残すことができます。

――藝大の保存修復に関し、今後の展望などはありますか?

今後、藝大の大学院美術研究科には、いろいろな国の学生や研究者が来ると思いますので、世界の方々とやりとりができる場所になれば嬉しいです。
また、保存修復に関しては、東京文化財研究所※や国立博物館などとさらに連携を高めていければと思っています。藝大には学生たちがいますので、教育機関としての面も大切にし、保存修復も技術だけではなく、考え方や技法材料の研究なども進めていけるような体制が望ましいですね。他科の学生にも、ここで研究した成果を何かの糧にしてもらえるような、藝大ならではの活動をしたいと考えています。

※東京文化財研究所……独立行政法人国立文化財機構の下部組織で、日本及び東洋の美術、無形文化遺産、文化財の保存と修復技術について基礎研究や技術指導、調査などをおこなう。なお、上野恩賜公園に所在しており、藝大の上野キャンパスに近い場所にある。

作品を創作するとき、材料や技法について何も考えずにつくると、数年でダメになってしまうこともあるのですが、学んでからつくると、ちゃんと保つものができます。作家志望の学生にも、保存の知識を伝えていきたいと考えています。
もちろんインスタレーションのように、消えていくことが前提の作品もありますが、そうではない作品で、残したいのに残せないという問題があるとすれば、勉強すれば解決することです。保存の知見を伝えていくことで、創作のあり方も変わっていく可能性があると思います。

藝大にある道具の一部。多種多様な道具が、きちんと手入れされています。

――松田誠一郎先生から古美研の話を伺った時、古美研では過去の作品をたくさん鑑賞しますが、作家が制作するにあたっては、自分が歴史の中でどこにいるのかを知るための座標軸が重要だという話になりました。保存修復の知見は、作家の座標軸になりますね。

はい、各時代の表現を学ぶことができるので、制作者にとっても、文化財とその保存修復を学ぶ中で座標軸を持つことができるのではないかと思います。

岡田靖プロフィール

2010年  東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター専任講師・研究員
2016年  一般社団法人木文研 代表理事
2020年  帝京大学文化財研究所准教授
      第27回読売国際協力賞受賞(「大エジプト博物館合同保存修復プロジェクト」のメンバーとして)
2021年  東京藝術大学大学院美術研究科准教授

おとなの古美研:詳細はこちらのサイトから

おすすめの記事