常温に置くと気化するナフタリンや海で採取した塩など周囲の影響を受けやすい素材を用いて、時間とともに形が変容していく作品を生み出してきた宮永愛子(みやながあいこ)さん。
特に、ナフタリンでかたどった半透明の時計やスーツケースなどの彫刻が、未来の砂漠に打ち捨てられた遺跡のように置かれたインスタレーションの美しさには度々心を射抜かれてきました。
それにしても、そもそも形をとどめるために作られるものだと思われる彫刻を、なぜ気化してしまうナフタリンで制作しようと考えたのでしょうか? 彼女のナフタリンシリーズの起源について尋ねてみました。
また、東京都庭園美術館の「旅と想像/創造 いつかあなたの旅になる」展での展示作品を鑑賞しながら、宮永さんが表現していることと、そこから広がるイマジネーションついてお伝えします。
美術を仕事にする人々に囲まれて育った
美術家としてのキャリアが長い宮永さんですから、何度も聞かれているかもしれないと思いつつ、「なぜ彫刻家になろうと思われたのですか?」と問いかけてみました。すると答えは「美術を仕事にしている人が身近にいたので作家になることは想像しやすかったかもしれません。でもどのくらいそれが大変なことなのかは当時全然わかっていませんでした」と宮永さん。学部生時代は、京都造形芸術大学芸術学部美術科彫刻コースを専攻して、その後東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程にて研鑽を積んだそうです。
ナフタリンにひらめいたのは、衣替えがきっかけ
もう一つどうしても聞きたかったのは、どのようにして彫刻をナフタリンで制作しようという発想が湧いたのかということです。タイミングは、卒業制作を控えた大学3年生の夏に、母と自宅の衣替えをしていた時。
「二つの丸いナフタリンが入っていた小さな袋を見てハッとしました。中身のナフタリンはなくなっていたのだけど、袋はぺちゃんこではなく丸い形が残っていました。その時、もしかしたら、ナフタリンという素材を使って消えてなくなる作品というのをつくれるのかもしれない、と思ったのがこの彫刻作品のはじまりです」と宮永さん。
それにしても、かの女流画家・上村松園の名作「晩秋」が生まれたのも、障子を繕う母を手伝い紙型を切った記憶からだとか……。母娘のたおやかな家仕事が種になってのちに芸術の大輪が花咲くとはなんとも趣深いですね。宮永さんのエピソードを聞いて、サントリー美術館「美をつくし―大阪市立美術館コレクション」展で観賞した日本画がふわりと頭に浮かびました。
ナフタリンは消えていなかった
さてここからは、現在東京都庭園美術館で開催中の「旅と想像/創造 いつかあなたの旅になる」展(2022年11月27日まで)に展示している宮永さんの作品をいくつかご紹介したいと思います。
まさかこうくるとは!
新作が展示してあったのは、旧朝香宮邸の允子妃殿下居間の飾り棚の中でした。
ナフタリンで制作した置時計の作品にズームしてみましょう。
このボンボン砂糖菓子のような質感と、叙情的なたたずまいに惹かれます。
彼女がかたどるものは、かつて誰かが履いていた靴だったり、使っていたトランクだったり、その人だけの体験や時間が刻まれているものだそうです。
だからこそ、実物にそっくりで無機的なオブジェというのではなく、人格すら感じる叙情的な空気をまとっているのですね。
一言でナフタリンの作品といっても、1999年に初めて作ってから現在までにはいくつかの進化をとげています。最初は、「形がなくなる」ことにナフタリンへの魅力を感じていた宮永さんですが、4年後に重要な発見をします。それは、「群馬青年ビエンナーレ’03」に展示した時のこと。ガラスケースに入れて下から電気で照らして展示しておいたところ、内側に揮発したナフタリンの結晶がついていたのです!
宮永さん曰く「はじめのころは、形が失われるということが彫刻の概念では珍しく、とても魅力に感じていました。ガラスケースを使いはじめたところ、ケースの内側に結晶が光って存在していました。なくなっているとおもっていたけれど、何もなくなってはいなかったんだな、と小さな結晶にたくさん気づきを教えてもらいました。新しい発見のようなとても納得のいく気持ちがしました。世界は変わりながらあり続けているんだなとその時感じた思いは今もコンセプトの根幹です」
私が鑑賞した際も、飾り棚に展示してある作品に、すでに結晶が生じていました。
私が訪れたのは初日でしたが、最終日には作品の形が崩れて、中が見えないくらいにガラスケースに結晶がついているのでしょうか? 陶芸家だった、宮永さんのひいおじいさまが使った石膏型を活用して制作した作品も入っています。
これを見たら、ひいおじいさまもさぞかし驚かれることでしょうね!
ひ孫が同じ石膏型を活用して、ナフタリンという異素材でかたどった魚の彫像を作り、時間とともにそれが形を崩していく様子を100年後の人々に観賞される……。
「変わりながらもあり続ける世界」がこの棚の中でも静かに展開されていることが見えてきました。
允子妃の居間全体も、インスタレーションになっていて、「かつての住人の気配を残しつつ、時が永遠に凍結してしまったかのような空間に、宮永さんが様々な歴史を紐解きながらも現実に流れる時間や光を招き入れ」ています。
時間を閉じ込めたり解放したりできる作品
また、宮永さんは「旅と想像/創造」という今展のテーマにぴったりのインスタレーションを新館に設置しました。「トランク」です。ほの暗い会場に白くふわっと浮かび上がる様々なトランクの合間を縫って歩いていると、すでに別世界へトリップ。
「日産アートアワード2013」でグランプリを受賞したこの作品自体も様々な場所に旅をして、その場所に合った構成で展示されてきたそうです。不思議なのは、今自分が旅をするとしたら車輪がついたスーツケースを使いますし、このようにレトロなトランクは一度も使ったことがないのに、なぜか見た瞬間に理想化された美しい旅のイメージが広がっていくことです。最新のスーツケースがただ並べられていてもこのような感情が湧いてくることはないのに……。やはりこのトランクを使っていた人たちの記憶や時間が閉じ込められているからなのでしょうか?
近づいて見ると、透明なトランクの中には、鍵と気泡がたくさん入っています。ナフタリンが使われているのはどの部分なのでしょうか?
最初、トランク自体がナフタリンで作られていて、どんどん形を崩していくのかな? と思ったのですがそうではありません。こちらの作品は、トランクは樹脂で作られていて、中に入っている白い鍵がナフタリンで作られたものなのです。
「ナフタリンでかたどられた鍵はトランクの中に眠るように封入されて、赤い蝋で封印されています。トランクの持ち主になった人がこの封印を解くと、空気に触れた部分から鍵は外に流れ出して行きます。また、気泡は、私が一層一層樹脂を流し込む課程で、その場所の空気を閉じ込めたものです」と宮永さん。
今ここにしかない空気・時間を閉じ込めたり解放したりできる作品とは、ミステリアスで玉手箱のようでもあります。でもその構造は極めて科学的で、ナフタリンの特質を活かし、地球上に生じたものは形を変えながら循環して世界にあり続けるという真実を表しています。
宮永さんは、「作品を鑑賞するなかで、新しい気づきがあったり、その経験を通して生活が豊かになるようなことがあればいいなと思っています」とメッセージを送ってくれました。
ちょうど資生堂ギャラリーでもちょっと趣向の違った宮永さんの作品が展示されていますので、そちらも合わせて観賞し、一味違った時間の旅に出てみてはいかがでしょうか。
【宮永愛子プロフィール】
1974年、京都府に生まれ。京都市在住。東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程修了。日用品をナフタリンでかたどったオブジェや、塩や葉脈、陶器の貫入音を使ったインスタレーションなど、気配の痕跡を用いて時間を視覚化し、「変わりながらも存在し続ける世界」を表現している。主な近年の展覧会に、「旅と想像/創造 いつかあなたの旅になる」(東京都庭園美術館、2022)、「コレクションとの対話:6つの部屋」(京都市京セラ美術館、2021)、個展「宮永愛子:漕法」高松市美術館,香川(2019)。第70回芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞(2020)。
【展覧会基本情報】
タイトル 旅と想像/創造 いつかあなたの旅になる
会期 2022年9月23日~11月27日
会場 東京都庭園美術館
住所 東京都港区白金台5-21-9
開館時間 10:00~18:00(入館は閉館30分前まで)
※最新情報は公式ウェブサイトにて要確認
観覧料 一般1400円/大学生1120円/中高生700円/65歳以上700円※日時指定予約制。詳細は公式ウェブサイトへ
URL https://www.teien-art-museum.ne.jp
【展覧会基本情報】
タイトル 八次椿会ツバキカイ8このあたらしい世界2nd SEASON “QUEST”
会期 2022年8月27日(土)–12月18日(日)
会場 資生堂ギャラリー
開館時間:10:00–19:00(日・祝は18:00まで)
展覧会URL:https://gallery.shiseido.com/jp/tsubaki-kai/
参加アーティスト:杉戸洋、中村竜治、Nerhol、ミヤギフトシ、宮永愛子、目[mé]
【ご参考の展覧会基本情報】
タイトル:美をつくし―大阪市立美術館コレクション
会期:2022年9月14日(水)~11月13日(日)※作品保護のため、会期中展示替えを行います。
会場:サントリー美術館(東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階)
開館時間:10:00~18:00(金・土は10:00~20:00)
観覧料:一般1,500円 高大生1,000円 中学生以下無料
休館日:火曜日(11月8日は開館)
※2023年3月21日から5月21日までは福島県立美術館、2023年9月16日から11月12日までは熊本県立美術館に巡回します。
※アイキャッチ画像(表紙の画像)のキャプション:宮永愛子《夜に降る景色-時計-》2010年 写真:宮島径 ©MIYANAGA Aiko,Courtesy o fMizuma Art Gallery