クラシック音楽の作曲家の歴史を日本史とくらべて解説!バッハは徳川吉宗と同世代!

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あきみず
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キリスト教の教会に響き渡る厳かなパイプオルガンの音色、華やかなドレスを纏った王侯貴族たちの食事時に奏でられる室内楽……そんな光景がヨーロッパで見られた時代、それはとても大昔のこと――でもなかったようで。

有名な西洋クラシック音楽家と、彼らが生きた時代に日本ではどのようなことがあったのか、彼らと同世代の日本人は誰だった? など、日本史と西洋クラシック音楽を同時間軸で見ていきましょう!

バッハ以前

日本で一般的によく知られている西洋クラシック音楽といえば、「音楽の父」ヨハン・セバスティアン・バッハ以降のものではないかと思います。この「大バッハ」以前にも、もちろん西洋音楽はありました。

いろいろな変遷はあったものの、大まかには14世紀以前を「中世音楽」、15~17世紀を「ルネサンス音楽」と呼んでいます。

中世は、主にキリスト教の教会音楽が中心で、「グレゴリオ聖歌」と呼ばれる、決まった拍子や音の長さ・速度のない讃美歌が歌われていました。現在よく聞くような和音ではない「完全音程」と呼ばれる独特のハーモニーが多用される、ぴんと張りつめた響きの音楽です。世俗的な歌も中にはあり、トルバドゥール・トルヴェール、ミンネジンガーなどと呼ばれる吟遊詩人が活躍しました。

次第に教会音楽のみではなく、人々の生活に寄り添った歌や、現在もよく耳にするような和音が生まれて、ルネサンス期に入っていきます。

ルネサンス期は現在の西洋音楽の3原則「リズム」「メロディー」「ハーモニー」が成立した時代と言われます。それまでの厳格な響きの音楽だけでなく、ダイナミックでドラマチックな音楽が書かれ、誰が作った曲かも重要になってきて「作曲家」が生まれます。

これらの時代の音楽は、音の揺れ(ヴィブラート)をほとんどかけない演奏法・発声法が特徴的です。

「イチゴ売りの歌」というのも残っていて、イチゴの売り子の歌声が町に響いて人々が家から出てくる光景などが目に浮かぶようです。「きんぎょーえーきんぎょー」や、「いーしやーきいもー」「たーけやーさお竹ー」など、日本でも節をつけて歌われるものがいくつかありますね。

おすすめ作品

モンテヴェルディ「オルフェオ」、グレゴリオ聖歌(ウィーン少年合唱団など)

その頃、日本では……

中世音楽期は14世紀以前なので、南北朝時代が終わって室町時代に入った時期くらいまでになります。
ルネサンス音楽期は15~17世紀頃なので、おおよそ室町~安土桃山時代となります。

観阿弥・世阿弥親子によって能が成立したのが室町初期なので、これは西洋クラシック音楽の中世からルネサンスへの過渡期にあたるでしょうか。

出雲阿国(いずものおくに)によって歌舞伎の原点とされる「歌舞伎踊り」が初めて京で演じられた慶長8(1603)年は、ルネサンス音楽期の終わり~次のバロック期への過渡期となります。

バッハとヴィヴァルディ、ヘンデルの時代

「主よ人の望みの喜びよ」「G線上のアリア」など、日本でも親しみ深い数々の名曲を残した作曲家がバッハ(ヨハン・セバスティアン・バッハ)です。当時は流行の最先端ではない、などとしてあまり評価されていませんでしたが、後の時代になってその価値が見出だされ、今では誰でも一度は聞いたことのある作曲家の1人になっています。

当時の主流であった、華やかな宮廷音楽を書いたのはヴィヴァルディやヘンデルです。ヴィヴァルディは「四季」、ヘンデルは「ハレルヤコーラス」など、こちらもどこかで聞いたことのある曲が多いのではないかと思います。

この時代の音楽を「バロック音楽」と呼んでいます。バロックとは「歪んだ真珠」という意味で褒め言葉ではないのですが、これはこの時代が正当に評価されていなかった時期につけられた名前です。オペラや、室内楽などの器楽曲、協奏曲が発達した時代で、チェンバロ、ヴァイオリンなど多数の楽器が完成・使用されました。端正かつ華やかなメロディーとハーモニーは、心が落ち着く音楽として現在広く愛されています。

おすすめ作品

バッハ:「無伴奏チェロ組曲」「主よ人の望みの喜びよ」「2つのヴァイオリンのためのコンチェルト」
ヴィヴァルディ:「四季」
ヘンデル:「オンブラ・マイ・フ」「メサイア」
タルティーニ:「悪魔のトリル」
スカルラッティ:「すみれ」「陽はすでにガンジス川から」

その頃、日本では……

バッハやヘンデルが活躍した時代は、日本の江戸時代初期~中期、徳川2代将軍秀忠~9代家重の治世にあたります。日本史の区分では近世と呼ばれる時代の始まりです。徳川幕府が開かれ、全国の大名による参勤交代が行われ、大きな戦乱のない時代でした。元禄期には俳句の松尾芭蕉、「好色一代男」などの浮世草子で知られる井原西鶴、歌舞伎や浄瑠璃作家の近松門左衛門らが活躍し、歌舞伎も隆盛期を迎えます。湯島聖堂や六義園も作られ、非常に華やかな文化が花開きました。有名な赤穂浪士討ち入りや、明暦の大火によって江戸城天守閣が焼け落ちたのも、この時代となります。

ヴィヴァルディは名奉行・大岡越前守の1歳下の1678年生まれ、バッハとヘンデルは徳川第8代将軍・吉宗の1歳下の1685年生まれです。

ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンの時代

ピアノの基本形が完成したのがこの「古典派」の時代(1750~1820年頃)です。産業革命とフランス革命が起こり、それまでは主に貴族や教会のためのものだった音楽が次第に市民もコンサートを聴けるようになり、親しみやすいメロディーが多数書かれ、交響曲や楽しい雰囲気のオペラなどが完成しました。また、作曲家が宮廷に属さず活動するスタイルが興ったのもこの時代となります。

ハイドンは、なかなかユニークな曲を作った人です。寝ている人を起こそうと、小さな音で演奏していたオーケストラがいきなり大音量となって驚かせる「驚愕」、休暇を要求してオーケストラメンバーがどんどん退場していく「告別」など、端正ながらも遊び心に溢れた作品を残しています。

モーツァルトは破天荒な性格と天才的なエピソードでも知られ、幼い頃、マリー・アントワネットに「大きくなったらお嫁さんにしてあげる」と言った逸話が残っています。軽やかで聞きやすい作品は喫茶店などでもよく流され、また歌劇「魔笛」の『夜の女王のアリア』は技巧的なハイトーンの歌としてよく知られています。

ベートーヴェンは年末の恒例となっている「第九」や「運命」「田園」などでよく知られている作曲家です。壮大で力強い音楽と同時に「エリーゼのために」などの愛らしく優しい曲も書いていて、貴族から離れて活躍した最初の音楽家とされます。

おすすめ作品

ハイドン:「交響曲第94番・驚愕」「交響曲第45番・告別」
モーツァルト:「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」「魔笛」より『夜の女王のアリア』「アヴェ・ヴェルム・コルプス」「レクイエム」
ベートーヴェン:「交響曲第9番合唱付き」「ヴァイオリン協奏曲」

その頃、日本では……

古典派の時代は、徳川将軍第9代家重~11代家斉の治世にあたります。江戸中期~後期で、田沼意次の汚職とそれに続く寛政の改革で「白河の清きに魚も住みかねて元の濁りの田沼恋しき」と狂歌に詠まれた時代です。錦絵の誕生、杉田玄白らによる「解体新書」刊行、浮世絵の写楽の出現、伊能忠敬による測量、間宮林蔵による樺太探検などがありました。

ハイドンは国学者・本居宣長と絵師・曾我蕭白の2歳下の1732年生まれ、モーツァルトは良寛さんの2歳上の1756年生まれ、ベートーヴェンは徳川11代将軍・家斉の3歳上の1770年生まれです。

シューベルト、ショパン、ブラームス、ワーグナー、チャイコフスキー、ドビュッシー……

ベートーヴェンの没年を境として、人間の感情を豊かに表現する「ロマン派」音楽の時代(1827~20世紀初頭以前)に入ります。音楽家が芸術家としての地位を高めていき、百花繚乱の様相を呈していった時期です。人のさまざまな感情をテーマとした音楽が多く作られるようになり、ロマン派の終わりごろには「印象主義音楽」と呼ばれる、あいまいな「雰囲気」を大切にした、ちょうど絵画のモネやルノワールに呼応するかのような絵画的・映像的な音楽が生まれます。

また、民族色の強い音楽も作られるようになり、ロシア・チェコ・ノルウェー・フィンランドなどの作曲家も活躍します。プッチーニの「蝶々夫人」は日本の長崎が舞台となったオペラで、「ある晴れた日に」のアリアは日本国内でも有名です。

おすすめ作品

シューベルト:「魔王」
ショパン:「別れの曲」「幻想即興曲」「木枯らしのエチュード」
シューマン:「トロイメライ」「流浪の民」
ブラームス:「交響曲第1番」「ヴァイオリンソナタ第1番・雨の歌」「4つの歌 作品17」
パガニーニ:「24のカプリス」
リスト:「ため息」「ラ・カンパネラ」
ワーグナー:「ニーベルングの指環」「ローエングリン」
チャイコフスキー:「くるみ割り人形」「憂鬱なセレナード」
フォーレ:「レクイエム」「パヴァーヌ」
フランク:「ヴァイオリンソナタ」
ドビュッシー:「牧神の午後への前奏曲」「喜びの島」「月の光」
ラヴェル:「水の戯れ」「亡き王女のためのパヴァーヌ」「ツィガーヌ」「クープランの墓」
エルガー:「ヴァイオリン協奏曲」「チェロ協奏曲」
ラフマニノフ:「ピアノ協奏曲第2番」「ヴォカリーズ」
グラズノフ:「ヴァイオリン協奏曲」
サティ:「ジムノペティ」「パッサカリア」「胎児の干物」

その頃、日本では……

西洋でロマン派音楽が花開いた頃、日本も大きな転換期を迎えます。1853年にペリー率いる黒船4隻が浦賀に来航して幕末となり、1867年、徳川幕府が大政奉還を行い、西洋文化の影響を強く受けた明治時代に突入します。版籍奉還や廃藩置県・廃刀令が敷かれ、汽車が走り、電話が開通しました。東京音楽学校や東京美術学校が設立され、岡倉天心らが画壇で活躍し、女流作家・樋口一葉の「たけくらべ」が文学雑誌に連載された時代です。

生まれ年は、シューベルトは歌川広重と同じ1797年、ショパンとシューマンは蘭学者の緒方洪庵と同じ1810年、リストは朱子学者の佐久間象山と同じ1811年、ワーグナーは江戸幕府大老・井伊直弼の2つ年上の1813年、ブラームスは桂小五郎(木戸孝允)と同じ1833年、チャイコフスキーは実業家の渋沢栄一、第2代内閣総理大臣・黒田清隆と同じ1840年、エルガーは第19代内閣総理大臣・原敬と同じ1857年、ドビュッシーは小説家の森鴎外、教育者の新渡戸稲造と同じ1862年、ラヴェルは日本画家の上村松園、民俗学者の柳田國男と同じ1875年です。

ショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、ジョン・ケージ

20世紀の前半、それまでの「クラシック音楽」が崩壊します。耳に心地よい音楽ではなく、まるで現代アートを思わせるような非常に観念的・感覚的な音楽が多数作られました。

ショスタコーヴィチは独特の歪んでいくようなメロディー、ストラヴィンスキーはリズムの概念を崩したバレエ音楽「春の祭典」、シェーンベルクはピアノの白鍵と黒鍵を均等に使って長調や短調をなくした「12音音階技法」、ジョン・ケージは「何も演奏しないことによって音楽を奏でる」という発想の「4分33秒」を書き、音楽の根源を問うような作品が次々に生まれました。

しかし、西洋クラシック音楽はここで消えた訳ではなく、ポピュラー音楽や映画音楽、そしてJポップスにも大きな影響を与え続けています。

おすすめ作品

ショスタコーヴィチ:「交響曲5番・革命」
プロコフィエフ:「ピーターと狼」
ハチャトゥリアン:「剣の舞」「ヴァイオリン協奏曲」
バルトーク:「弦楽のためのディヴェルティメント」「ルーマニア民俗舞曲」
ストラヴィンスキー:「春の祭典」「火の鳥」
シェーンベルク:「浄められた夜」「月に憑かれたピエロ」
ジョン・ケージ:「4分33秒」

その頃、日本では……

明治の終わり~昭和20年代頃までがこの時代にあたります。関東大震災や第二次世界大戦を経て、戦後は「団塊の世代」「金の卵」「昭和元禄文化」などの言葉が生まれ、漫画や流行歌など、今でも昭和レトロファンの多い時代です。冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが「三種の神器」と呼ばれたあの頃には、懐かしさを感じるかたも多いはず。

シェーンベルク(1874~1951年)は詩人の高浜虚子、日本画家の菱田春草と同い年、ストラヴィンスキー(1882~1971年)は作家の小川未明、言語学者の金田一京助、歌人の斎藤茂吉、俳人の種田山頭火と同い年、ショスタコーヴィチ(1906~1975年)は女優の杉村春子、作家の坂口安吾と同い年、ジョン・ケージ(1912~1992年)は映画監督の新藤兼人、大相撲の双葉山、玉ノ海と同い年です。

こたつでクラシック音楽も乙なもの

バッハやモーツァルトなど、ものすごく昔の作曲家なのかと思っていたら、日本の江戸時代に生きた人だったとは……これは意外でした。

これからますます寒くなってくるこの季節、こたつでミカンを食べながらクラシック音楽を聴いてみる、なんていうのもちょっとお洒落ですね。

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