この記事をご覧になっている方の中には、美術館やギャラリーなどで、素敵なアート作品に出会ったことがある人も多いはず。ただ、絵画や彫刻作品を「購入した経験」がある人となると、その数はかなり限られるのではないでしょうか。
普段なかなか買うことのないアート作品。購入しても、どこに飾ればいいの? いくらくらいなら「買い」なの? そもそも何を決め手に購入するの?
今回は、そうした疑問を感じながらも思い切ってアート作品を購入した藝大アートプラザのスタッフ、サッチー・鳩・安藤が、「どうしてアートを買ってみようと思ったのか?」を語り合う座談会を開催しました。
結論から言うと、3人の結論は「アートを買うっておもしろい!」。
熱く語り合う、「アートについてはほぼ素人たち」の様子をご覧ください。
サッチー……藝大アートプラザのディレクター。昔、銀行で働いていました。最近購入した作品は、アートプラザの企画展「Met“y”averse」に出品されていた菅谷杏樹さんのデジタルアート。
鳩……Webディレクター。美術大学卒。主にWebやSNSまわりを担当しています。藝大アートプラザでは重野克明さんの版画作品を購入。
安藤……編集者・Webディレクター。まったく芸術に関わりなく生きてきたけれど、最近生まれて初めてアート作品を購入。その詳細を「体験記」としてまとめました。
「自分に対する実験」「シンパシー」「グッときたから」
安藤:二人とも最近、アートプラザでアート作品を購入していますよね。なぜ購入しようと思ったんですか?
サッチー:私は菅谷杏樹(すがや あき)さんの作品を購入しました。菅谷さんは、以前にアートプラザでインタビューもしているのですが、人と農業の関わりなどをテーマにされている方で、そのコンセプトに関心があったのと、「メディアアート」を買ったことがなかったので、面白そうと思って購入しました。どうやって飾ろうかなと言うところも含めて、自分に対する実験ですね。
安藤:自分への実験! アートに対する意識がすごく高いですね。
鳩:本当ですよね。私の場合は、シンプルに「かわいい」とか、見た目から入ることが多いです。
私は重野克明(しげの かつあき)さんの作品を買いました。購入したのが子どもが生まれて三人家族になった時期で、作品の中に描かれているサーカスの一団に、シンパシーを感じたんです。ですので、自分の興味というよりは、境遇が近かったんだと思います。
サッチー:鳩さんが買った作品、かわいかったですよね。
安藤:僕は塩出麻美(しおで あさみ)さんの絵画『リンゴ』を買いました。『リンゴ』は、フランスの画家ポール・セザンヌの絵をモチーフにしているそうです。調べたところによると、セザンヌは、どうやったら立体を美しく描けるのかを考えてそれまでにない描き方を提示した画家なんだそうですが、塩出さんはそのセザンヌのリンゴの絵を「もう一度3次元に戻したらどうなるのか」と考えて制作したそうなんです。
鳩:作品の説明はもともと知っていたんですか?
安藤:僕はキュレーターの説明を聞いて作品解説の記事をまとめるという作業をアートプラザの企画展ごとに行っているので、それで知りました。コンセプトシートには何も書いてなかったですし。
僕は昔から哲学が好きなんですけれど、この絵は「立体とは何か?」を問いかけているように思ったんです。そういう作者の問題意識が伝わってきて、そこが面白いなと感じたし、同時にシンプルに見た目がすごく「カワイイ」絵だなとも思いました。
アクリル絵の具を盛って描いた上に麻布や網が押し付けられていて、なんとなく作者の苦悩というか思索の跡が伝わる気がしました。みうらじゅんさんの言葉を借りると、すごく「グッときた」んですよね。
サッチー:心が動いたってことなんでしょうね。
鳩:重野さんの作品の場合、内省的ですし、提示する世界感に惹かれて買ったように思います。コンセプトというよりは、技巧と表現したい世界が高いレベルで合致している感じに、私は「グッと」きました。ただ、私は重野さんとあまりお話ししたことがない状態で買っているので、分かっていない部分はあると思います。
実家には適当な絵が飾ってあったけれども
安藤:二人は、もともと家の中に何かアートが飾ってあったりしたんですか?
サッチー:アート作品は、昔から実家にありましたね。ただ、じっくり鑑賞したことはなかったように思います。
鳩:私も同じです。実家にもあったとは思いますが、時代や作者なども不明なままなんとなく飾ってあった印象ですね。
でも、以前に東京・神保町で河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)の版画を購入したことがあって、「浮世絵って、意外と家に合うんだな」と思った経験がありますね。徳川将軍の上洛の瞬間を描いた渋い作品だったんですけど(笑)、版画は線だけの世界だし、油絵のような強い存在感がないので、現代のインテリアに馴染みやすいと感じました。
安藤:僕も実家には廊下とかに何かしらの絵が飾ってあったとは思うんですが、しっかり「鑑賞」したことなんてなかったですね。それを「自分で買う」となると、全然感覚が違ってきますよね。
サッチー:そう考えると、私の場合、人生で最初に買ったアート(と言っていいんですかね?)は、ロフトで買ったポスターだったと思います。アンディ・ウォーホルとか、ああいう感じのですね。中学生の時に現代アートを観て、憧れみたいなものがずっとありました。
あ、それと、銀行を退職したときに知り合いの水彩画を購入したかな。その方の制作スタイルや背景みたいなことを知って憧れていた、というのが理由ですね。個展にわざわざ行って、額装された飾りやすいサイズのものを買いました。
鳩:でも、それってサッチーさんが最近購入した菅谷さんの作品とは随分雰囲気が違いますね。
サッチー:そうですね。菅谷さんの作品を購入したのは、自然の音など、都会にいる自分の生活にはないものを身近に置きたいという気持ちがあったということもあります。古代信仰ではミツバチが地母神の使いの者として扱われていたことから発想を得て、地母神を模った餌をつくって蜂を飼い、作品を制作する所までを、アート活動の一環にしているんだそうです。私はそういうことができない生活をしているから、そこへの憧れもあって購入しました。
それに共生のあり方など、私自身が重要だと考えている事柄にピタッと合致したというのがあるのかも。
安藤:なるほど。
サッチー:あと、私は一生大切にできる予感がするものしか買わないように思います。
安藤:買ったけれど、気に入らなくなったから売るとかはしないってことですね。
サッチー:はい。絶対手放さないと思います。
安藤:僕は、もし作者が世界的アーティストになってすごい値上がりしたら売っちゃうかも。自分でまとめた記事にも書いたんですが、アートを買うことを「投資」と捉えている部分が自分には若干あります。あんまり良くないのかな。
鳩:別に悪いことではないと思いますよ。
サッチー:私も悪いこととは思わないけれど、その感覚は自分にはなかったので逆に新鮮です。
「これは昔、おばあちゃんが買ってきたアートなのよ」
安藤:値段設定ってアーティスト側にとっても悩みどころなんでしょうね。安いという意味でも、高いという意味でも「この作品がこの値段なの!?」と感じることが、アートプラザの作品を観ているとよくあります。買う側としては、二人は「これくらいの値段なら買ってもいいな」と思う基準はありますか?
鳩:重野さんの作品は、私が体験できないことなどがテーマになっていて、そこにお金を払っている気がしたので、私はもっと高くても買っていたと思いますね。安いと感じました。
サッチー:私も、先日ある陶芸家の作品を購入したんですが、作品の裏側にある物語や制作にかかった時間などを考えると、どの作品も数ヶ月から何年もかかっているのだと思いますし、それを考えると自分がこれまでに買った作品で「高い」と思ったものはないですね。
安藤:僕の中で値段という要素はすごく重要なんです。親の影響が大きいんですが、昔から欲しいものはしばらく「寝かせて」、その後まだ欲しかったら買うという習慣があって、数千円のものでも勢いで買うことはないんですよね。ましてや数万円するアートなら、かなり寝かせると思います。
サッチー:あ、それはわかります。自分の中で、3か月寝かせるルールがあったりします。
鳩:そうなんですね、私はまったく逆です! 無くなっちゃうから、欲しいと思ったらすぐに買った方がいいと思っちゃいます。重野さんの作品もすぐに買いました。
安藤:だから僕、鳩さんみたいな買い方を「かっこいいな」と思っている部分もあるんですよね(笑)。
普段はじっくり考えて、そのまま買わなかったり、買おうと思ったときには売り切れていることも結構あるので。そういう意味で塩出さんの作品は思い立って比較的すぐに購入したんですが、それはサッチーさんの「きっと価値が上がりますよ」という言葉に背中を押されたのも理由の一つです。でもね、実際に値上がりしなくてもいいんですよ。「資産になり得る」ということが、「これは衝動買いではない」という意味で、自分を納得させる理由づけになるんです。
鳩:元銀行員のサッチーさんに言われたら、なんだか説得力がありますよね(笑)。でもそもそもアート作品って、消費するものじゃないと思うんですよね。値段に関わらず、大切な資産だと思います。
サッチー:そうですよね。私が一生大切にすると言ったものも、たとえば亡き祖父から昔もらった万年筆を使うだけで、今も祖父とつながっている気がしてうれしいんです。アートもそういうふうにして長く大切に飾っておけば、いつか「これはおばあちゃんが昔買った絵画なんだよ」みたいに受け継がれていくかもしれないと思うし、自分と作者だけじゃなく、自分と家族もアートを通してつながれる気がします。
安藤:着物なども本来はそういうふうにして各家庭で受け継がれてきたものですよね。アート作品を子孫に渡してあげられるのって素敵ですよね。
コレクションなのか? 推しへの課金なのか?
安藤:でも、そういう意味でいうと、菅谷さんの作品のようなデジタルアートってサッチーさんの中でどういう位置づけなんですか? データだから実体がないじゃないですか。「代々受け継がれてきたデータ」ってあんまり想像出来ない(笑)。
サッチー:菅谷さんの作品は、購入すると動画のデータが入ったUSBが木箱に収められて手元に届くんですが、私の中ではこの「木箱に入っていて、USBとしていま私の手の中にある」という事実が大事で。「実体のないデータを購入した」という感覚はあまりないです。なんだか自分でも不思議な感覚です。たぶん私は、デジタルアートであっても「モノとしての確証」を求めている気がします。
安藤:物理的に存在することが大事なんですね。
鳩:デジタルは所有している感覚がないですからね。
サッチー:そういう考え方は古くなっていくのかもしれないですけどね。NFTでコレクションする人などは、さらに進んだ感覚なのかも。
鳩:そもそも、アートはなくても生きていけるんですけど、どうして買うんでしょうね。
サッチー:所有欲じゃないですかね。biscuit galleryのオーナー兼ギャラリストである小林真比古さんもそうおっしゃっていて共感しました。作家のテーマやコンセプトを所有したいです。
安藤:そうなんですね、僕はあまり「所有したい」という感覚がないですね。なんだか、価値のあるアート作品を「独り占めしてはいけない」という感覚が少しだけあります。例えば、世界的に有名な絵画でも「個人蔵」だから誰も観ることができないってあるじゃないですか。「減るもんじゃなし、見せてくれたっていいじゃん!」っていつも感じるんですよ(笑)。
たとえば僕は、自分で購入した塩出さんの作品でも、自分が買ったものではあるけれども、普段はアートプラザに飾っておいても全然いいです。みんなに観てもらいたいし、僕は観たいときに観れるようになっていればそれでいいんです。
サッチー:なるほど、そういう考え方もあるんですね!
鳩:そうなんですね。私は本棚の本が増えていく感覚でやっぱり所有したいですね。「通常版を買ったけれど、特装版も欲しい!」みたいな、コレクションする感覚です。人によってちょっとずつ感覚が違っていて、面白いですね。
安藤:「アート作品を買う」とはどういうことなのか、いまあらためて考えてみると、やっぱり僕の中では「推しへの課金」というか、「そのアイディア、いいね!」と思ってお金を出している感覚なのかもしれません。
実は自分自身も「何が好きなのか」はわかっていない
安藤:これからこういう人を推していきたいとか、こんなアート作品を買ってみたいとかありますか?
鳩:私は、以前に河鍋暁斎の版画を買ったことで、「マイ・コレクション」の第一歩のような感じがして楽しかったんです。せっかくならルールを設けて、私は版画だけ買っていきたいですね。自分がいいと思った版画を集めて、「マイ版画コレクション」をつくりたいです!
サッチー:私は今まで買ったものと別ジャンルの工芸を買っていきたいですね。伝統工芸なども素敵だと思いますし、例えば建築とコラボしている工芸なども興味があります。
安藤:そう考えてみると、芸術史的には全く別のカテゴリーかもしれないけれど、僕らのようなごく普通の初心者アートファンからしたら「純粋芸術(art)」と「工芸(craft)」ってそれほど大きな境目がないですよね。タブローを買った人が「次は陶芸の湯呑を買ってみよう」と思うことも全然あるし、その逆も全然ある気がする。藝大アートプラザではいま岩田駿一さんのTシャツや、カードダスで購入する猪飼俊介さんの小さなカードが大人気ですが、身近にある小さなアートが、さらにいろいろなアートの世界への入口になるのかもしれないですね。
サッチー:本当にそうですよね。どんなものでもアートを買って自分で飾ったり使ったりしてみると、それまで考えたこともなかったようなことに気づくことがあるんです。そういう意味でもすごく楽しい経験だと思います。
鳩:自分がどういうものが好きなのかって、実はあまり自覚できていなかったりしますよね。私も、最初に版画を買うまで「版画をコレクションしてみよう」なんて思ったこともなかったです。「アートを購入してみる」という経験すると、「自分はこういうアートが好きなのか!」って気づける気がします。まだ見ぬ自分を知る気がして、おもしろいです。