芸術のことをよく知らない僕が、生まれて初めてアート作品を買った理由【自宅に飾るまでの体験記】

ライター
安藤整
関連タグ
コラム

皆さんは「アート作品」を自分で買ったこと、ありますか?

僕はまったくありませんでした。

だって、とっても……「お金持ちが道楽でやること」って感じがしませんか?

「アートを語るなんて、”意識高い系”の人がすること」

「飾る意味もわからないし、そもそも作品の意味もわからない」

その通りです。

僕もずっとそう思っていました。

でも!

買ってみたら!!

なんだかすごく……良い!!!

そんなふうに感じたので、「生まれて初めてのアート購入体験記」をまとめました。
「n=1」(統計上のサンプル数が1)の、まったく応用が効かないレポートをご覧ください。

なんとなーくな興味があるだけ

簡単な自己紹介を。

職業:編集者・ライター

学歴:文学部日本文学科卒(近代文学専攻)

年齢:30代

住まい:都内1LDK

経済事情:積み立てNISAとiDeCoをしっかりやっています

最近おもしろいと思ったもの:松本清張 著『天才画の女』

モノを書く仕事をしていながら松本清張の作品を一つも読んだことがなく、なにげなく手に取った薄めの文庫本が、画廊やアートギャラリーを舞台にしたミステリーで、ドストライクなおもしろさでした。

そうなんです、アートを専門的に学んだことはなかったけれど、なんとなーくな興味は持っていました(原田マハさんの小説も好き)。

学生時代に訪れたルーブル美術館では、ロマン主義の画家・ジェリコーの『メデューズ号の筏(いかだ)』を観て、絵から漂う迫力というか鬼気迫る空気感に「なんか……コレは……すごいぞ!!」と、大きなショックを感じたことを覚えています。

以来、「予備知識がゼロでも、人は絵を観て感動することがある」という感覚は持っていました。

恋は「?」から始まる

「なんで、絵にこんなことしちゃうん……?」

藝大アートプラザでは現在、年に6回ほどさまざまなテーマの企画展を行っています。
編集の仕事の延長で藝大アートプラザのWeb運営を手伝うようになったのは1年ほど前のこと。Webディレクターとして、企画展開始前に作品紹介のための撮影をカメラマンと行っていた際、普段は「ふーん」という感じで眺めていた作品の中で、すごく疑問を感じさせる作品がありました。

それが藝大卒のアーティスト・塩出麻美さんの作品「リンゴ」(写真下)。

作家のプロフィールは、こちらをご覧ください

アクリル絵の具をモリモリにして描いた上から、目の荒い麻布や網を押し付けているらしく、絵の具が細いトコロテンのようにウニョーっと浮き出てきている作品でした。

「なんで麻布なんて押し付けちゃうの?(そのままでも十分いいじゃん!)」

藝大アートプラザの企画展、あるいは美術館などに展示される作品を見て、「きれいだな」とか「技巧がすごいな」と感じる作品はありましたが、この絵は「良い」というよりも「はあ?」(良い意味で)と感じた作品で、その意味でとりわけ強く印象に残っていました。

考えさせられるところがおもしろい

藝大アートプラザでは、企画展ごとに出品作品の概要を、作家から提出されたコンセプトシートなどをもとにWebで説明しています(たとえばこのように)。塩出さんの作品の説明文を用意するため、この企画展のキュレーターに話を聞いたところ、塩出さんがこの作品で試みているのは、以下のようなことだそう。

・モチーフになっているのは、フランスのポスト印象派の画家ポール・セザンヌの静物画
・セザンヌは3次元のリンゴを観て、それを2次元の絵に描いた。
・2次元となったリンゴを、再び3次元にしてみたい(してみたらどうなるのか?)

セザンヌ、知ってる!

それをモチーフに……よくわからないけど挑戦的!

どこかの美術館でセザンヌの作品を見たとき、

「セザンヌは立体物の表現にとにかくこだわった人。一つのモノを一つの角度からではなく、別の角度からも見て、それを一つの絵に表した。だから、彼の静物画などは若干ゆがんでいるように見える。そんな彼の試みは、のちにピカソらの表現(キュビズム)につながった」

という主旨の説明文を読んだことがありました(間違ってたらごめんなさい)。

ポール・セザンヌ作「リンゴのカゴ(The Basket of Apples)」(1893年/シカゴ美術館オンラインコレクション)

そんなセザンヌのリンゴを、立体として再び描き出す——。

二人とも、立体のことを一体どんだけ突き詰めて考えてんのか。でもそうして考えてみると、「立体的に描く」ってどういうことなんだろう。

そもそも人は奥行きをどうやって認識しているんだろう。僕らが自分の目を通して認識しているこの世界だって、目の細胞に当たった光が電気信号に変わり、視神経を通って脳に送られているもの。デジタルカメラで撮った画像のように、目から得た映像データを脳が「3次元」として認識しているだけじゃないのか。だとすれば人間が認識していると思っている「奥行き」とは、本質的には虚構なのではないだろうか。この作品は、複数の視点から見ることによって立体をより「立体らしく」描けると考えたセザンヌの考えを、ピカソのような描き方ではない方法で、絵画としてアップデートしようとしているのでは……。

……ハッ! たった一枚の絵から生物学や哲学の世界にまでいざなわれている(ような気がする)。

深く考えさせられて、おもしろい!! みうらじゅん氏の言うところの「グッとくる」感じでした。

芸術の良さは、解釈が自由なことだと思います。

セザンヌが表現したこと、塩出さんが試みていること、自分にはそれらが文学にも通じているように感じられました。一つのモノ・コトを徹底的に見つめて問い、突き詰めた考えを、それまでなかった手法で表現する。その表現に絵画という手段を選ぶか、言葉という手段を選ぶか。

そんなことを考えながらこの作品を眺めていると、最初に感じた「?」がなんとなく深みを帯び始め、だんだんと「魅力」に変わっていった感覚がありました。

「彼女なら、きっといつか」

美術館で鑑賞する絵画は、普通は買うことはできません。ですが藝大アートプラザの展示作品は、基本的に誰でも購入することができます

具体的な値段は伏せますが、塩出さんのこの作品は、平均的な初任給の4分の1くらいの価格でした。新卒サラリーマンなら1週間くらいこの作品のために働いたと思えば、手に入っちゃう。

「うーん、買っちゃう?」

チラリと心に浮かんだこの考え。しかし、威張って言うことでもありませんが、自分は財布の口が硬いタイプ。普段なら悩んだ末に、おそらく購入はしなかったと思います。でも、グッと背中を押されたのは、藝大アートプラザのスタッフの一言でした。

「彼女なら、きっといつか値段上がるんじゃないですか」

……値段上がるんじゃないですか……

……上がるんじゃないですか……

……ないですか……

頭の中にこだまするこの言葉。

(たしかにその可能性はある…….。とすれば、これは……投資?)

これは不純な動機なのか。きっとその通りでしょう。「いつかすごい金額になるかもしれない」という、したたかで、ジメッとした目論見があったことは、まぎれもない事実です(しかしながら、誰にも見向きもされていなかった時代から、草間彌生氏の作品に目を付けていた人だっていることに、今は思いを馳せましょう)。

でも、なによりも購入したら塩出さん、きっと喜ぶんじゃないかな。

平面とはなにか、立体とはなにかを問おうとする、その純粋な問題意識。おそらくまだ誰もやったことのない表現方法を使って、ポスト印象派の巨人に果敢に挑戦しているようにも見える、彼女のまっすぐな気概。僕はそれにお金を出したい。

今風に言えば「推しへの課金」なのかも。しかもそれは、オンラインゲームのようにかたちとして残らないものではなく、物理的なモノとして自らの手元に飾ることができる。

そしてそれがいつか、名画として評価される可能性だってある。積み立てNISAみたいなもんじゃん!(違います)

そんな考えがごちゃごちゃと合わさって、僕は生まれて初めてアート作品を購入したのでした。

絵を買う人はプラスドライバーを用意せよ

藝大アートプラザでは、企画展に展示されている作品をご購入いただいた方には、「商品ご注文書」に住所・氏名・連絡先を記入してもらい、一旦それをお持ち帰りいただいています。

展示中の作品のご購入の際は、こちらにご記入いただき、引取の際にはお持ちください

そして企画展終了後、配送か来店引き渡しのいずれかで作品を受け取ることになります。僕が購入した作品は、配送不可だったため、後日直接引き取りに行きました。

アート作品を初めて購入する人(そしてそれを店舗で受取る人)がここで気をつけるべきことは、

・でかくて丈夫な袋・カバンを用意すること
・あるいはずっと抱きかかえて帰る心づもりをすること

です。

塩出さんの作品は、額に入っていないため、ベニヤ板にビスで止め、そのベニヤのサイズの木材の箱(特注、というか作家の手作り?)に収められて、それを丁寧に梱包した状態で手渡されました。

箱を開けたらこんな感じ

まあまあ重かった。

やっとの思いで自宅に持ち帰り、「さあ、飾ってみよう!」と思ったのですが、ここで大きな壁にぶつかります。

「絵の裏にひっかけるところ(輪っか的な部分)、なくね?」

困った末に、留め具のために開けられていたビス穴に、再度適当な金具をビス止めした

幸いにも自宅の壁際にはピクチャーレールがあり、なにか絵的なものをひっかけるためのフックもぶら下がっていたのですが(普段はかばんをひっかけていた)、絵のほうにはひっかけるべきところがない。輪っかみたいなのがついているかと思ってた。

額装されていたらきっと額縁のほうになにかしら輪っかがあったのでしょうが、額装されていないのでひっかけられない。てか、額に入れなくてもいいんかな? 別にこのままでもいいんだよね? 怒られたりしないよね?(誰に?)

裏には作者自筆の「リンゴ」の文字が。下の線が何を示しているのかは、わかりません

とにかく、まずはベニヤと接続するためにビスで止まっている、絵の裏の金具を外す必要があります。プラスドライバーなんて、家にあったっけ? しかも、絵を下にして置くことができないので、絵を手で持った状態で、このビスを外す必要がある。

女性の一人暮らしには無さそうなプラスドライバーを持ち出し(あってよかった)、片手で絵の裏のフレームを持ちながら、留め具をはずしていく。ここで絵を落としたりしたら、いつか評価が高まったときに「傷モノ扱いされてしまうかも」というジトッとした考えも、脳裏をよぎります。

こんな感じで、絵がベニヤ板に固定されている。ガタつくこともなくて安心だけれど、持ち運びは慎重に

比較的小さい作品だったので片手で持てましたが、大きな作品だったら男性でも一人では無理かも。結局、吊るす部分がなかったので、家にあったそれっぽい金具を、外したビス穴に再度ビス止めし、ピクチャーレールのフックに吊るしました。

一応少し負荷をかけてみたけど安定していた。日曜大工とか得意なタイプなので、これくらいはすぐできたけど苦手な人は案外難しい作業かも

うん、傷もついてないし、いいんじゃない?
(もしこれが正解ではない場合、誰か正解を教えてください)

何時間眺めていてもOK。だって買ったんだもん。

かけてみると、なんかいい。ちょっと、やだ、シンプルにかわいいじゃない。四六時中眺めているわけではありませんが、考え事をしているときに、ふと目をやる先ができた感じ。

遊びに来た人は「なにそれ? うそ、買ったの!?」と驚きつつも、「こっちの角度から見ると、またちょっと違って見えるよ」などと見え方の違いでキャッキャしていました(しかし、この点こそ平面の絵画を浮き出るように立体化させた本当の理由かも)。

アートを買うって、思っていた以上にいいかも。美術館で鑑賞するのとは比べ物にならないくらい、長い時間眺めていられます。そして見ている側のメンタル的な、あるいは体調の変化などでも、やけに明るく見えたり、暗い絵に感じたり、電気を消した時にリンゴが浮かんでいるように見えたり、常に見え方が変わる気もします。

これなら反対側の壁にもう一つくらいあっても良さそう。そんな気さえしてきました。アート作品を初めて購入した人へのアンケート調査があったとしたら、

・全体としてとても良かった
・正しい壁への架け方を教えてほしい
・プラスドライバーと金具的なものが必要なことを事前に教えてほしかった
・額装したい場合、相談できる人・店を紹介してほしい
・とはいえ、また買ってみたい

などと答えたいです。

このような体験記で、「よし、僕も・私もアートを買ってみよう!」と思う人が出てくるとはあまり思えませんが、一歩だけ先へ進んだ先輩として最後に一つアドバイス(n=1なので、アテにはなりません)ができるとすれば、

「作品は案外デカイ木箱に入っていることがあるので、それをしまっておく場所も考えておいたほうがいい」
(特注の木箱は捨てると引っ越すとき困りそう)

ということでしょうか。

今回私は幸運にも、自分の中で「グッとくる」作品と出会うことができました。

あなたもそんな作品に出会えるかも。グッとくる作品を探しに、藝大アートプラザへぜひお越しください(無理やりなまとめ方で失礼します)。

おすすめの記事