中尊寺金色堂は平安時代後期の武将で、奥州藤原氏初代、清衡(きよひら/1056-1128)によって建立された東北地方現存最古の建造物です。天治元年(1124)の上棟から今年で900年を迎えるのを記念して、東京国立博物館では、建立900年 特別展「中尊寺金色堂」が開催されています。
上野エリアのおすすめ企画展・アートイベント情報はこちらからどうぞ!
理想の阿弥陀浄土をこの世に実現。清衡ら4代が眠る金色堂
「黄金の国、ジパング」の世界的イメージ醸成に大きく寄与したのが、世界遺産「平泉」(岩手県平泉町)の核をなす文化資産のひとつ、中尊寺です。前九年の役(1051-1062)、後三年の役(1083-1087)などの激しい合戦が繰り広げられた地に、藤原清衡が平和な世と自身の将来の極楽往生を願って、同寺の建立に着手しました。
なかでも金色堂は奥州の地で採れた砂金をもとに築かれた皆金色(かいこんじき)の仏堂で、清衡が往生を願った阿弥陀如来の仏国土、極楽浄土をこの世に実現したものです。金色堂内には3つの須弥壇(しゅみだん/仏像が祀られる台座)があり、その下には奥州藤原氏4代(清衡、基衡/もとひら、秀衡/ひでひら、泰衡/やすひら)が今も眠っています。つまり、仏堂でありながら墓である、日本の建築史上まれなる建造物なのです。
時代を先取りした、中央須弥壇の国宝仏11体を間近に
上野には、金色堂内の須弥壇のうち、内部に初代清衡が眠るとされる中央壇の国宝仏像11体がそろってやってきました。現地では文化財保護の観点から金色堂は覆堂(おおいどう)に守られてガラス越しでの観覧ですが、本展では、像はガラスケースには納まるものの、その姿をごく間近に鑑賞できるのがありがたいかぎり。
中央に位置するのは、《阿弥陀如来坐像》で金色堂の本尊ともいえる存在。押せば跳ね返ってくるような、ぷっくりとした頬の張りが特徴的です。両脇に《観音菩薩立像》《勢至菩薩立像》を従えます。さらに左右には、三体ずつ計六体の《地蔵菩薩立像》。一番手前では《持国天立像》と《増長天立像》の二天像が壇を守護し、壇の下に安置されている清衡の遺骸を守ります。
阿弥陀三尊は、当時、京都をはじめ全国を席巻していた大仏師、定朝(じょうちょう)の日本的な柔和な仏像の様式を引き継ぐ、平安時代後期を代表する像です。そのうえで、都の影響を受けつつも、次の時代の造像の萌芽が見られることを東京国立博物館の児島大輔氏は指摘します。右肩にかかる衣に別材を貼ったり、特徴的な刻み方をした後頭部の螺髪(らほつ)がその例です。当時の京都の貴族たちは前例を踏襲し、新しいものを受け入れようとはしませんでした。一方の奥州では先進的な表現を採り入れ、新しい造形を福島や神奈川をはじめ東国の地に発信していたと考えられています。
棺までもが金!「皆金色」の実際は?
「皆金色(かいこんじき)」と表現される金色堂は、堂の本体、仏像ばかりでなく、曼荼羅、金色堂を飾っていた荘厳具、仏具、そして清衡の遺骸を納めていた棺、重要文化財《金箔押木棺》や副葬品まで、あらゆるものが金で彩られていました。副葬品のひとつ重要文化財《金塊》は同地産出の金の存在感を見せつけます。また、清衡発願による国宝《紺紙金銀字一切経(中尊寺経)》の見返し絵の美しさにも息をのみます。
堂内を彩った荘厳具で注目は、国宝《金銅迦陵頻伽文華鬘(こんどうかりょうびんがもんけまん)》です。花輪をかたどる華鬘には、頭は人、身体は鳥の姿の極楽浄土に住むという迦陵頻伽と、極楽浄土に咲く宝相華唐草が透かし彫りで表現されています。平安時代の堂内荘厳の様子をほぼそのまま伝える貴重な作品です。
高精細8K画像で体感する原寸大の金色堂
本展では最新テクノロジーによるイマーシブ型の映像展示もあります。会場に足を踏み入れるとすぐに、特大5m×7mのスクリーンに超高精細8KCGで再現された金色堂が映し出され、まさに原寸大の金色堂の内部に没入するかのよう。新時代の鑑賞体験でより深く金色堂の本質に近づくことができるでしょう。
展覧会情報
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
東京国立博物館 本館特別5室
110-8712 東京都台東区上野公園13-9
開館時間:09:30〜17:00
休館日:月曜日、2月13日(火)※ただし、2月12日(月・休)、3月25日(月)は開館
※会期中、一部作品の展示替えを行います。